何気なく通っていた生まれた近くの神社が、まさかの宇迦之御魂神を祀り、その神社に起きた過去の火事等のエピソードや、その後に感じるようになった白龍龍神との不思議な縁の数々を振り返ると、シンクロニシティを感じる『不思議体験の出所はここ』だった!と今まで書いてきた体験記事を引用した備忘録
地元の神社は1624年にできたものだった
「お前さん、祠側を体験してみるか?」と言わんばかりの『霊験』をした事を先日まとめた際
この『体験』を持って、今まで何度も何度も・・私に不思議体験や『初夢のお告げ』で『一念の指標』を与えてきた『出所』がこの神社だ!と確信に至ったので、ちゃんと調べてみたら驚くべき共通点しかなかった・・Σ(゚Д゚)これぞシンクロニシティの正体!
最初に建てられたのは寛永年中 (1624-1644) 明治初期稲荷神社へ合祀、その後私も知る不審火かあり、その後に再建。つまり『稲荷神社』と『呼称』されてはいるが、明治以前は稲荷ではない
またとてもユニークというより『多次元世界ですか?』と思うほどに『鳥居の向き』が個々バラバラに、祀られる神につき一つずつある
鳥居は神社へ通じる門や、神社のシンボルといった役割のほか、神社の中に『不浄なもの』が入ることを防ぐ『結界』としての役割があるそうで、そういう意味では、この神社は『歴代まとめて』という扱いとは違い
『個々それぞれを敬っている』ような『不思議な空間』でもある
おそらく理由は、通称『開かずの間』として外からの道を塞がれていた奥の院が火事になったために、本来ならば人目に触れなかった明治以前の『もともとの神社の神たち』が外へと運びだされ、そのまま『鎮座している状態』と考えると辻褄が合う
つまり『封印が解かれている』と解釈しよう( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
倉稲魂命 五穀成就・村中繁栄
猿田彦 進むべき道を照らす道開きの神
馬頭観世音 第三の目を持ち、おもに三面六臂(三つの顔と六本の手)
白龍龍神 龍神または白蛇の神様
八代龍神 虚空蔵菩薩
私はこれらそうそうたるメンツに対して・・
「毎度(・ω・)/元気?ちょっと聞いてくれよ~」 Σ(゚Д゚)
のノリでちょこちょこ顔を出しては、ほとんどが「家族の健康や地域が穏やかであってくれればそれでいいや(。-人-。)」とふと、気が付いたら参拝する、毎年大みそかに「初夢でお告げ聞きたい!」っていう過程で・・
そうか・・全部それは『叶えられる神様』ばっかだったんだね(笑)
村中繁栄であり、導く道祖神でもあり、第三の目を持ち三面六臂の3女神とも阿修羅ともいえる馬頭観世音、そして三千世界の無限の創造を助ける虚空蔵菩薩ときたもんだ
馬頭観世音(3女神)・畜生道から救う
虚空蔵菩薩=不動明王(ルシファー)
これらは私が『悩み求めた問いかけ』に対して『アンサーをくれた存在』だとしたら『白龍』は何をさしていたのか?
それは後半で( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
宇迦之御魂神=倉稲魂命=御倉神(みくらのかみ)
『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる[1]。記紀ともに性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた
『古事記』では、須佐之男命の系譜において登場し、須佐之男命が櫛名田比売の次に娶った神大市比売との間に生まれている。『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられている[5]。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。
・・とまぁ・・古事記も日本書紀も『都合のいい事を騙る』ので鵜呑みにできないんですよね
『事績の記述はない』ですから
延喜式祝詞
神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神[注 1]と習合していくことになる。平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)には、トヨウケビメの別名ともされる[6]屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)が登場するが、この女神について祝詞の注記では「これ稲の霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明しており、ウカノミタマを女神と見なしていたことがわかる[2]。上述の『日本書紀』の厳稲魂女も稲の霊であり、これらの記述から、食物の持つ生命力や稲霊(いなだま)が女性的なものと考えられていたことがうかがえる[2]。
祝詞の中に『ウカ』という響きがあり、『ウケ』が女性というのは非常に面白いと思う
なぜなら現代でも『ウケ』狙いとは『気を引く』事である。その対象はだいたい『男性による求愛行動』のセックスアピールのようなもので、それは自然の動物でも『へんてこ求愛ダンス』や『音真似の鳴き声』のように、そのウカをウケ取ってほしい
と考えた時、ウカは男性的な『放出のエネルギー』ではないのか?
カタカタムナの言霊で読み解くと
ウカは生まれる力
ウケは生まれて放出する
まるで『ウカ』んだギャグ(主観)を『ウケ』狙いで放出(対象に)したような響きになる
それを踏まえて、ウカノミタマは
生まれた力が時間をかけて光・実態に分かれた受容
もし仮にこれが食物の『稲』と結びつくならば、
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな
「中身の詰まっ(つまっ)てない稲はピンと立ち,中身が熟した稲ほど実の重みで頭が下がる様子
ウカノミタマが始まりで後に名称が『トヨウケヒメ』になっていくとしたら
その言霊は、統合して新しく生まれて放出した根源の施行
名称変われど『役割は継承?』というエネルギー『繋がり』は感じますね
その屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)と書かれた言葉の『ヤフネ』が私が今回この記事を『備忘録としてセーブ』しておかなければいけない!と思ったポイント
以前『地底世界を訪れた夢』の中で、私の言語を聞いたその住人が『ヤフネ語』という反応をしたからです
記事では『ヤマネ語』と書いてるけど、実際自分ではヤフネ?ヤハネ?って聞こえたような?・・でも「ヤマネ」だったかな~?曖昧だったけど、『ヤ』で始まって『ネ』で終わってるのは確か
そうなってくると稲荷系列=innri=ヤハウェ=ヤハネ=『ヨハネ』の可能性もなくはないが・・まぁそれは今回はいいや(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
『ウカ』だけに『ウカツ』な事は言えない(生まれた力が集まって『執着』になってしまう)
ただこの『飢えをしのぐための食べ物』をという『概念』で生まれたのが『稲』だとして、その『稲という食』を奪われつつある今、この状況に適するアドバイスとして降りてきたのがこれ
倉稲魂命「家庭菜園で作物を作る『過程』を知りなさい」
私が前のブログだった頃の読者はもはやいないと思うが・・『家庭菜園から学ぶ』という様々な思考を伝えるメルマガを書いていた
おそらくその時の私は若年期の魂だった故に『収益化』という『マネタイズ』にその知識と経験を利用したが
それは『主軸の目的』からすれば『側面の部分』であり、真の目的は『お金があっても食べ物がない状況』や『他者が生産する食べ物に対する信頼ができない』なら
『安心して口にできる食べ物を自分で作る知恵』を身につけなさいという『導き』でもあったのだと考えると食の神の『倉稲魂命のご利益』であったと思っても無理はない
なぜなら、神がゆーたからやった!・・ではなく『自然にやって後から気づいた』という『体験失くして理解なし』という独自体感論・・『長い実践年月』をへて、それが『身について』からの『今の気づき』
それは茶番のコロナ前までに経験した事だとしたら・・コロナ過では一転して・・
倉稲魂命「そんなに食わんでえーて!」
『一日一食』という生活スタイルでも『無病息災』で十分に生きていられる(栄養をバランス良く取れば)
不思議ですよね、五穀豊穣!って祀ってるのに「お前ら食べ物を粗末にしすぎな上に、不要なものまで雑食で食いすぎ!食わんでいいわ!断食して喰い改めろ!己らがやってる事はこういう事ぞ?」と
今は私の出る番ではないと『ウカノミタマ(食の神)』は引っ込んで『私の指導霊(鬼教官)』は以下の方々に
猿田彦 進むべき道を照らす道開きの神
馬頭観世音 第三の目を持つ三面六臂(三つの顔と六本の手)
八代龍神 虚空蔵菩薩
・・まぁ、全部都合のいい『私の解釈』なんですけども、そう思う理由も体験もいくつもあって
やたらと『縄文(97)』『出雲(32)』『月』『明』に関しての『気づきや閃き』が頻発した理由がわかった気がする
そんな『元』は『何』なのか私にはわからないが『人々の信仰』が『そういう意味を持たせたエネルギー』を持つ『祀られる神』という『波動の意識』が安定している空間に訪れ
それぞれが鳥居で区切られ『結界』として『独立したフィールド』に縁を求めて思考の指向を施行して繋ぎ、その結果が、様々な先人たちの意志を『カタカムナ』を通しての『霊験指導 』を受ける形になっているような?
そう考えた時に一番納得できたのが『白龍龍神』だった
根源の意識が『白龍の特徴』だった
このリンク先に書かれてる事があまりにも当てはまっていたので、まさかな~┐(´∀`)┌ヤレヤレと思っていた神々の繋がりが、そもそもこれが俺の根源だったやないかい!Σ(゚Д゚)と思うに至る理由
- 平和を好み、穏やかで優しい性格
- 人を癒す雰囲気の持ち主
- 影ながら周りを支えていく縁の下の力持ちのような頼れる存在
- 決断力があり直感が冴えている
白龍がついている人は、自分が率先してリーダーに立とうとするタイプではなく、少し下がったところで全体をしっかり見渡し、『陰ながら支えていく縁の下の力持ち』のような頼れる存在。困っている人がいればサポートしますし、見捨てるようなことはしません
そうなんですよ・・その目線が『人間に限らない所』に向くんですよ
白龍がついている人は定期的に一人で過ごす時間を必要とし『単独行動』を好む
そうなんですよね、昔はわいわいとがやがやの中にいないと『寂しがり』だったのだけど、今は一緒にいて合わせても『自分のやりたい事と波長が合わない』と、気をもんで気を使って疲れるので、それよりだったら『一人でやりたい事をやりたいタイミングでやる方』が好き
そもそも『瞑想』や『思考シミュレーション』『哲学』は人と共有できない『孤高の作業』ですからね(それで『得られる成果』も分け与えられない)
「人と人を繋げる役割」や「人と物を繋げる役割」、「周りの人の成功をサポートする役割」どれも人の幸せのために行動するという役割。白龍の本来の使命が「人を守る」というものであり、白龍がついている人もその影響を受ける、自分の名誉や名声のためではなく、自らが使命のために人々を幸せにしてくれる人
『善行』が『人を苦しめる』という事に気づいてから『人との距離感』や『サポートの仕方』が明確に変わったのも実感
白龍は体が大きく、大空を自由に速く動くことができるため力強いイメージがあります。その性格はとても穏やかで優しい。白龍の伝説や言い伝えは日本全国にありますが、決して力を誇示するような神様ではありません。静かに側で見守ってくれる気品あふれる神様
何気なく空を見上げた時に龍雲が見えた時は白龍が来ているサイン
はい、かつてないほどの『白龍』を私は見ました
この空を見てから地元の神社の祠に『白龍龍神』と書かれているのを見て、それから意識の認知が変わったのを覚えてます
雨上がりの空に美しい虹がかかっている時や、虹色をした雲が浮かぶ時も白龍のサイン
これも信じられないのを『立て続け』に見ていた時期がありました
あの時は釣りに行く度にちょうど『私の目の前』の水平線の先に『虹が頻発』して不思議でしたね(魚は釣れなかったけどなんか心地よかった)
白龍が近くに寄ってくると幻聴が聞こえる事。幻聴の音はさまざまですが、「ドーン」という衝撃音や「ゴー!」という水や風の音が多い
ドーン!は『頭爆発病』かな?あれが『白龍』だったのか?(-ω-;)話しかけてきたぞ?
ゾロ目が目につく。白龍が近くにいる時は「111」「222」などの同じ数字が並んだゾロ目が目につく
確実ですね(体験が先)
トイレやお風呂などの水回りを綺麗にしている
これもコロナ過から『徹底せざるを得ない理由』から『習慣』が身に付きました。トイレは蓋をして流す。ワクチン接種者入浴後のお湯は流し『風呂を掃除してからお湯を入れ直す』等
また一日一食の飲み物は普段は『水しか飲まない』(今は水が最高に美味い!)そういう意味では『体の中も水回り』な訳で、食べ物もできる限り『自然の素材』で毒素(科学添加物)が混入しても『解毒できる余裕』があって『綺麗に保っている』と考えれば
『水を司る龍が居心地がいいからと居つく』と考えてもそんなに『的外れでもない』気がします(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
という訳で、まとめると私が幼少の頃より、まったく気にも留めず『土地神と氏神』だと思って『名も知らん何か』が祀られていると思っていた場所は・・
宇迦之御魂神 五穀成就・村中繁栄
家庭菜園で野菜を作るきっかけで『育てる心と自然との繋がり』の学びを
猿田彦 進むべき道を照らす道開きの神
道なき未知へと突き進む先に『希望の光の先人の知恵の跡』へ導き
馬頭観世音 第三の目を持つ三面六臂
正三角形のバランスから正四面体の視点という『力の流れと拮抗の観点』を気づかせ
八代龍神 虚空蔵菩薩
無限の三千世界という仏の世界を『夢』という空間で『精神に霊験』させ
白龍龍神 龍神または白蛇の神様
『穏やかな気持ち』でいられるよう『水の流れ』を保ってくれていた
そうやって『有難い過保護に育てられての意識』だから
「お前、祠側やってみる?(後継者候補)」という『一念を体験』したのかもしれない
龍脈の力の正体 地元愛
『その地を護る力』とは『霊脈(龍脈)』というが、その力は単純に考えて『地元愛(氣の巡り)』だと思う
漢字って時折すごいな・・て思うのが『地』の『元』に『愛』を注ぐっていう、至極当たり前に生まれた『風土(故郷・食べ物)を大切にする』という事
変わらない『現状維持』ではなく、『景色』が変わっても『根幹』は変わらない『不動明王』であれと・・『明王』といっても、『明』るく『天』と『地』を『繋ぐ人』であれって事
それって『人身御供』だとか、村の民の為の『犠牲』とか、そういう『役割』としてやらなければいけないという『重い(想い)要石として鎮座』するのではなく
「好きだからやってんだ(≧▽≦)」と『根幹』から軽く『自由意志』で『色んな氣』を巡らせて繋がり(縁)を持ってくる『そういう意識』の奴が、好きなように『氣の流れ=愛』を『龍脈(場所)』に注ぎ続ける事で
『お役目』を担っている『要石』たる『先人の祠の力』が『穢れない=気枯れない』で維持されるのだと思う
『可愛い子には旅をさせろ』って言葉がある
厳しい経験を積むほど成長するため、かわいい子ほど敢えて辛い思いをさせよという意
一度たりとて私の夢や閃きに『名乗った事はない』が、何回か『夢でニアミス』する謎のおばちゃんもいるしなwそうやって『危険な夢体験』も初めてのおつかいのように導師の教官にモニタリングされて、私の意識の『気づきの旅の一喜一憂』は『娯楽』にされてんだきっとw
私が『ルーツ』に『氣』を向けて『地元の神社』に興味を持って調べた結果、ただ『気づいて』しまっただけなのだ
だから、知った所で何が変わる訳でも『神頼み』する訳でもなく、ただの石、ただの祠という『今までの認知』を改めより『有難い』とひとつひとつの『御倉神』に『敬意』を払うだけ(。-人-。)感謝
『今』に至るまで、それはそれは色々と初詣でお告げを貰って来た痕跡は以下の通り
過去の初夢のお告げシリーズ
2014年新年のご挨拶 運命の転換期?初夢で神のお告げ?
2016年初夢は新幹線の駅のホームで・・
2017年の初夢 夢の中で夢を見る多重夢
2018年初夢 マトリックスな夢のメッセージ性が凄かった
2019年初夢・・見なかった理由を自己診断
2020年初夢 次元と自由意志についてだった
2021年初夢診断 原付で高速道路を走る夢
2022年初夢 作曲する夢 不協和音などない
2023年初夢と独自体感論 立方体の中の球体
宇宙元旦と言われる時期の初夢
仙人ですか?長髪ロンゲの白髪になってた夢
星空を見上げた海で仲間と解散する夢
あなたも生まれ育った『所縁の地』との『繋がり』をもう一度『思い出して』みては?
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