好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

死=師を超える倒転末本 一巻の終わりの続き

ライオンズゲート第九夢。倒れて転んだ末に本になるのが人生、生きてる間に死を考えるのは、本末転倒で本筋を見失う、そんな本筋がちょっとした先祖のアドバイスで大きく自己認知が変わって、自己を労わるの忌みまで変わってしまったお話

人生とは死(師)だ

『死』ってなにか?
それは『人生の終わり』だな
『一環の終わり』で『一巻の終わり』だ

『一回り』してきただろう?
一回り『精神は大人』になったか?

なら『続きの二巻』は『自力で書ける』だろ?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)

なんだ?また『他力の一巻(人間)』を読み直したいのか?
それとも『一巻(一生)』で『完』か?それじゃ『ウ』のみの『元』のままだぞ?

次の『続き』を思い描いて、『新しい展開』できる『想像力』はついただろ?

だったら『続きの物語』は『創造』するんだ
死はひとつの物語の『師=教訓』だ

二巻は別に『人の間(概念)』じゃなくてもいいんだぞ
心から湧き出てワクワクする『想像空間が創造』になる

あっちから観れば本末転倒は『倒転末本』だ
倒れて転んだ末に体から『人』か取れて『本』になる

お前という『人生の物語』
『先』は知ってるぞ、教えないけど( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)

だが『もっとよくなる見込み』があるからヒントを『閃き』で和足すんだ
お前はその閃きを受け取ったら『心に素直に悳を積め』

悳が『和(+)』ならば積むは『かける(×)』だ
どんどん『想像の空間』がでかくなるぞ~?

悪い(÷)駆け引き(×-)もないからな(笑)

『死』という『概念』
その多くは『先入観』で『多数決』の思い込み(重いコミット)

死は『表現』できない
『この世』ではないので表に現れない

じゃ、あの世とは『一つ』か?

この世とは『個の世』だ
人として固まった世界

そこに『個性』という『性質』を宿す
性質は『人それぞれ違う』ように思えるだろうが

『心で生きる』と書く

そこはどんな性質でも変わらない

心に素直に、心と共に、心を大切にする己を持つ
そこを『自覚して意識』して『自意識の観測』を保つ

それが『自己を労わる』という事

さて、『自己』というものの解釈は多くが間違っている
『自意識が観測した世界』は全て『自己』だ

家族も友達もペットも、たまたま目にした動画なども含めて
ありとあらゆる『観測範囲=世界は自己』だと認識する事

これが『自分の世界を広くする』という事
『自己解釈』というのは、『内面で完結する収束』のように感じるだろう

『自己を観測する世界全て』と『解釈』したらどうなる?
お前が気にして気配りして、『気を巡らせる範囲全て』と

収束ではなく『間事視野化』に『真釈迦の三千世界』となる

真釈迦=間事視野化と気づく変性意識の夢

カタカムナ63首 遮る力の正体 まことしやか

お前が気にして『観測する他人』とは

『かつてのお前(至らない頃の自分)』を観ているかもしれない
『未だ知らないお前(憧れや目標)』を観ているかもしれない

全ては『存在を内包』している『自己解釈の世界』であり
それが自意識の観測している全ては『己の心=忌』

そう自意識をとどめる(禁忌)

そうすれば、意識は流される事はない
ひとつの『因』に『囚』われ、口封じせずに

精神が『大人』の状態で『心』のままに『観たいもの』をみればいい

死の概念や宗教、社会、世間、というのは
そういう『役割付け』された『空間に与えられた意味』であり

『己の心』が『気』にしなくなれば『意味』はない色即是空、空即是色
『そう思えばそうなる』だけ( ̄ー ̄)ニヤリΣ(゚Д゚)確かに

真我以外一切無常
『真は自意識』、『我』は『目に映る観測全て』
だから、『自』が『我』に向いてしまうと・・

自意識-自=意識がシフト
自+我=『無意識』に『自我(欲)に執着』してしまう

だから、『自』を『意識』して観測する事を保つ
それが『今の心を観る=観念』するという事だ

『今までの自己』と『これからの自己』
『認知』が変わっただろ?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)閃きのヒント!

これで俺が知ってる『お前の一巻の人生』は変わる
どう変わるのか、『倒転末本の物語』を楽しみにしているぜ!

・・と、『一生の生き様』というのは『自己認知が変わる』だけで
『結末の方向性』まで大きく変わるらしい・・いや、マジ変わる気がする(笑)

確かに、今までの私が捉えて実践してきた『自己を労わる』とは『自心=息の届く範囲に集束する事』だと思っていた

そして『息を引き取る』という終わり

その『息を引き取る終わり』は現実的には変わらないのだけど、『息の範囲=自己認知』が今この瞬間も含めて慮って『気を巡らせている全て』

そして、『息を吹き返す』という再生
お前が『和心に納悳』して修めたあらゆる全てが『再び生きる』

お前が宿した先の祖も人と共に養われて、『先祖供養の智慧』も
生きる事に活かせる『生活の一部』になる

ここまでを『自己として観測対象』にした上で『心に納める』

そりゃ・・相当『心が広く』ないといけない事だ
・・『自己認知』が変わっちまったからな・・(゜-゜)やるしかないか

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top