ライオンズゲート第六夢、『答え』は単独で存在しない、必ず『問題』がなければ『脚光を浴びる役目』にならない。問題に『応え』ない・・気づいても応えないから答えもないと堪える先祖の嘆き話
答えを求めるものは・・まず問題に応えろ・・
答えは・・
『既に有る』から『探す』か(他力本願)
『無いに有る』を『生み出す』か(自力)
だが『答え』とは『特定の問題に対する正解』であり
その正解は『人によって違う』から合わせる事はできない
つまり『答え』に『合わせる事』はできない
また答えは『単独で存在』する事はないし
もともと『答えという存在』でもない
問題が『答えという役目を与える』事によって
はじめて、その物事は『正解』になる
ずっと昔から『そこに有る』
しかし『役目』がなければ『気づかれない』
だから、まず『問題』を見つけなければいけない
答えの前に『問題に応える』必要がある
問題というのは、答えと違い『そこら中』に目につく
何でも問題にしようと『問題視』すれば『例題』はいくらでも作れる
だが、問題を見つけても「面倒そうだな・・」という『先入観』があると
問題を『見つけている』のに『応え』ようとしないで『見て見ぬ振り』をする
『面倒な問題』の方から『目の前に立ちはだかって』きても
その問題と向き合おうとせず『見て見ぬふり』をする
『問題に応えない』のでは、『答えは無い』ではないか(笑)
問題と向き合った時に初めて、解決策という『答えの役目』が生まれる
今まで何事でもない『そこに有る』けど『存在しない扱いだった物事』が
「俺が答えだ!」と輝く脚光を浴びる機会が巡ってくる
だから、『答えを探すもの』は『閃きの光』を目印にする
ワクワク探求して『答え』に『合わせ』にいく
・・そんな、『子絶え』ちゃったな( ;∀;) Σ(゚Д゚)先祖が堪えてる
こういう『言葉遊び』は、『私は好き』なので素直に聞く
『素』っと入ってくるから、『素直』に引用する( ..)φメモメモ
問題に素直に応える者も
答えに合わせにいく者も
そんな子絶えて、( ;∀;)うぐぅ Σ(゚Д゚)先祖が堪えてる
これは昔、『廃仏鬼釈』で『直接的な教え』が断たれただけでなく、『修験道の廃止』で、先祖達が遺してきた『巨石の軌跡を巡る者』も絶えた
『未知』に繋がる『道』を『禁忌』として隠されてしまった
だから、『継承されていない先祖達の供養待ち』がたくさんいるのだろう
例えるなら・・
クイズとかなぞなぞとか、後世の為にめっちゃ『成長イベント用意』してたのに
そもそも『入山禁止』とか、『ヒント』が消されたり、『間違って伝言』されてたり・・
待ち人来たらず・・そんな子絶えて、( ;∀;)うぐぅ Σ(゚Д゚)先祖が堪えてる
私は前に、空海の霊場を辿った時、信じられないほどの巨石に出逢い、そこで瞑想をしてきた跡、『封印されていた平安の魔物』と呼ばれる存在が夢に出てきた事がある
現実でも『物見遊山』だったが、夢の中でも私は物見遊山だった
・・そもそも『気分を表現した言葉』だけど、漢字もそのままだw
物を見に遊びで山へ
この言葉が示すのは、『イベント(物事)が山』にあるから『遊び』に行く
それこそ、『そんな気分で遊びに来て欲しかった先祖達』がいたんだ
私が夢で平安の魔物の封印を解いた後「魔を祓うという僧はいないか?」と問われたのも
例えるなら、『イベントひとつクリア』で『修了証』をもらうようなもので
それが次のイベント発生の条件だったのだろう・・と今なら思えるほど
空海の霊場物語も・・『全23物語』続いたなぁ・・(;^ω^)かなり長いイベントだったが『未知の体験』の連続で精神は大きく成長した
だから、そういう『精神成長イベント=問題』を用意してくれていた先祖達は
問題に・・気づいてくれない( ;∀;)
問題に気づいても見て見ぬふりして応えてくれない( ;∀;)
問題と向き合って解決までしてくれる子絶えちゃった( ;∀;)
待ち人来たらず・・
『日本人の魂が目覚める』・・ためには、直接的な繋がりは無くても、一人一人に『宿業』として『連鎖的に繋がっている役目(因縁)』がある
その『因縁を問題』として巡り合い『応えて』、『答え無き答え』を『自己表現で自己解釈』して『弥勒』となり、その『無いに有る』、有るから得る=有り得る=『可能性』を生み出した『自己表現の弥勒』の痕跡に『気』がついて、『気』にして・・
「なんで気になるんだろ?」と『問題視』して応えて・・以下繰り返し
これこそ『バタフライエフェクトの精神版』のようなもので、『思いもよらないカタチ』のシンクロニシティで『目覚めが連鎖』していく
私は『気になる事』があって、物見遊山で空海の地に赴き、先祖達が遺したイベントを体験してきたから・・
『裏方の気持ち』が少しわかるようになった。この盆やライオンズゲートのイベントだって、あの世とこの世の合同の祭り
ちゃんと『準備があっての交流』と感じた夢も見た
そういう意味では・・
問題に・・気づいてくれない( ;∀;)
問題に気づいても見て見ぬふりして応えてくれない( ;∀;)
問題と向き合って解決までしてくれる子絶えちゃった( ;∀;)
待ち人来たらず・・という
なんとも『残念=残る今の心な浮かばれない先祖』を供養(一人一)お疲れ様でした
でも勉強になったな・・
確かに『答え』は『答えという存在』ではない
『問題』が『答えという役目』を与えなければ『何事でもない』
その問題に気づいても『見て見ぬふり』して『応えない』のでは・・
『応えてくれない』と先祖達が『堪えている』( ;∀;)うぐぅ
この『問題』も『答え』も『応え』も『人の有様』なんだよ
『問題になる人』に気づいても、『応える人の役目』がその問題を見て見ぬふりしてれば、『答えになる役目の人』に『光の脚光』が集まる事もないから
それを『探求して見つける人の役目』も生まれないんだ・・
『因から始まる縁の繋がり』を生み出すためには
全ては始まりとなる『因』に『心』が巡って『恩』になる
『恩を感じる』と・・『問題』を遺してこの世を去った『先祖達』に気が巡る
『乗り越えられない問題』は与えない
しかし、それは『一人で攻略可能なイベント』ではない
それぞれにそれぞれの『自己表現の弥勒=光の脚光を浴びる役目』がある
それは『人気を集める』という事ではない
やるべき事=『宿業を自覚』して『役目を果たす』
どこかの誰かの『目覚めと気づき』が
どこかの誰かの『自己表現と問題解決』を生み出す
応えるとは『応用』でもある
原理や知識を実際的な(または他分野の)事柄にあてはめて利用すること
無い(あの世専用)
有る(この世専用)
原理や知識と体験を持って専用を『応用で一つ』にする
その為に、一人一人が『宿業』を『気』にして『気にかけないと』いけない
だから『心に素直』にならないと『宿した業(先祖の問題)』に応えられない
先祖供養こそ、先の祖を人と共に養う『応用』である
『先祖に応える』って面白いよ?
『未知とのコンタクト』を『両方』で楽しめる
『今の時代の意識や知識』というのは『今の時代』でしか培われない
『先祖の時代の意識や知識』というのは『先祖の時代』でしか培われない
とはいえ『どこどこの誰誰』と『氏氏(家柄)』は名乗らないから
『名乗ったら』それは『亡者』だってさ、人の気をひくのに『信用=人が言うを用いる』からな
『名もなきさすらいの意識の旅人』に耳を傾けるのは『素直さ』が必要
主の糸(意図)に直な!(笑)
『主体性、主役、主人公』という『人生の自意識』が大事
誰とあっても『私は和足し』、『和を持って貴し』となす『和心』であれ
時には『主』を譲って『身』をゆだねて抵抗しないで『流され』てみる
そしたら『龍の背』に乗って色んな夢の世界へ冒険だ!(/・ω・)/死を越えた『師』と出逢うぞ
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