好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

阿字観、阿羅漢、素空観(無一文)?

無一文という無一文字は何かを無一問すると有が生まれる。今回出てきた言葉『すっからかん』この言葉の語源もまた、阿字観、阿羅漢に続く、『素空観』と気づいたお話

『無』という一文字を問うと『一文』が生まれる

何もない事をスッカラカンという

からっぽで中身が何も無いこと。何一つ残っていないこと。また、そのさま

または何もない事を『無一文』という

この『無』という『一文字』がひっかかり、『無』だけで『一文』は成り立つか?と『問』

『無を語る言葉は無い』ので、『無をいくら説明』しようとしても『無いものは語れない』
故に、『無限に解釈は産まれる』が、それもまた『無である』・・という

どこまでも『広がる』けど必ず一文字に『集束する』不思議な一文として、『無の一文字』でも『無の一文は成り立つ』といえる

ちなみにカタカムナで む は 『広がる』である(エネルギーの波動的に当たってる)

有るけど無い、無いの中に有るという『空』が生まれる
そう『想う』から『空』『無』で成り立ち、『無から有の空想』は産まれる

無一文を『無とはなんぞ?』『無一問』すると、非常に哲学的にも達観した『無の空』に至る
その何もない=空を『スッカラカン』という言葉の表現もまた気になる話だ

「すっかり」は仏教語の「悉皆(しっかい)」から。全くからっぽである様。中に何も残っていない様

うーん、直感は ぜんぜんコレジャナイ(ヾノ・∀・`)ナイナイ と即答(笑)

私は『音と漢字』が大事だと思う

というのも、私に様々な精神的な成長を促す『閃きワード』は、最近、『阿字観(大日如来・空海)』という観点から、『阿羅漢(先祖供養)』という繋がりにきて、その後、『老子のタオ』へと繋がった

自然に身を任せる=先祖供養=阿羅漢=タオ=仏=ほっとけと気づく

そこにきて、無一文?という『無』に意識が向いたという事は、無=スッカラカンの『カン』は、おそらく『観=観点』だと思う

つまり、すっから→スカラ、スーカラ、スカラー
これで、空の概念に近い表現や伝承のルート、形象に関連する観点から

『空観』と定義すると、ここで初めて仏教で具体的な『空の間』を現す文字概念が現れる
『物(仏)』的な有るし無いしには、想像と創造の『スペース(空間)』が必要である

これを観点として観測して捉えた時

現実の『空間は有る』がその空間の『中には無い』
現実の『空間は無い』が空間の『中には有る』

・・書いててややこしい『空観』であるから・・だんだん『素』に戻る
・・俺は『何』をやってる?『何処』を目指している? 無( ゚ ρ ゚ )望 Σ(゚Д゚)素空観!

『何もない空観』『意識が観測』すると『素』に戻る

しかし、その『素空観の無』から『何か』を見つけた時
「あっ!!Σ(゚Д゚)」と閃く光が『新たな意識』を産みだす=『阿字観』

その閃いた『阿』『羅針』で導く先祖達が遺した『漢字』の世界観の『阿羅漢』
その阿羅漢という先の祖を人と共に養い、『先祖供養して宿す』事で

先祖達から子孫達へと自然に受け継がれてきた『役目のタオ』に気づく
道はずっと昔から、そして先へ続いてく為に今『架け橋となって繋げる者』となる

光陰矢の如し、光から光へ流れが通り過ぎていく『過程の今』
その瞬間は『無意識』という『無一文』の無、『一文字』で表す『素空観』

『何も無い』『全てが有る』(先祖供養して宿した心)
そこに『希う望を抱く』から、『希望』という『閃きの光』が生まれる

あっ!Σ(゚Д゚)という阿字観 以下繰り返し
『想像と創造』が起きる『自然の循環』=タオ

『老子』とは老いては子に従えという道徳『因果』

子に『希望』を与えていれば、老後は『安泰』
子に『絶望』を与えていれば、老後は『絶望』

つまり老いても子でもない、『今の心が仏』になれば?
『因果』は『念仏』であるという事も『相似』する

その『今の心』に『先の祖を人と共に養い宿す』という事は
『古きを知り新しきを知る』という『温故知新』であり

『先人の声』に素直に『耳を傾け心』を開く=『恥を知る正直者』
『間違いを間違い』と認め、『道を正す意志』がある者

そういう者は、『今』という『空間』が『無』になる事が多い
無である事を『証明する言葉は無い』が『無意識』は有る

その『空観』、からっぽで『意識が無かった』が『有る』
その空間は何であれ、意識が戻る=素に戻る

結局『何も無い』、『無が有った』=『無一文の素空観』
でも、そこを『通過する』から新たな「あっ!・・(閃)」以下繰り返し

意識転生 1→0→1 住人十色 =人の主は人

心に素直に『悳』になればなるほど、『無意識』『空観』は増える
『素』に戻れば『心のまま』に『素空観』で『無望』となる( ゚ ρ ゚ )

・・と私の独自の解釈として納悳しました

思い返せば私の体験では

寝起き『閃きキーワード=阿字観』(新たな意識が世界を観測する)
現実で起きる出来事の『シンクロニシティ=阿羅漢』(導かれた偶然は必然の経験)

この二つのトリガーとなるのが『夢』の体験記憶です
おそらく『無意識=素空観』であるからこそ

『素』に戻る=『現実』に目覚め、『夢記憶を全て失っている=素空観』
しかし、あっ!Σ(゚Д゚)と気づく阿字観で思い出した『夢の記憶(日記)』

『現実の体験』として、カタチを変えて導かれる『阿羅漢』

私にとって無を語る言葉は無い=『無一文』
しかし、『無の中』に『夢が有る』からこそ『夢は語れる』

『夢一文』という『夢』だけで『希望を無限に生み出す』事ができる

む は 広がり
ゆめ は 湧き出る思考

『無意識の世界』で見た『夢を現実で語る』というエネルギーの波動は、湧き出る思考の広がりが『無限』『夢現』を繋ぐ『架け橋』となる

それは私が『希望』としている『レムリア空間の創造』でもある

独自感覚で読み解くレムリア

欠けた月への架け橋((ヰヱ))を求める力?

ふむ・・やはり『無は語る事は無い』が、『夢は無限(夢現)に語る事が有る』(笑)

こういう『自然エネルギーの循環バランス』を理解して、やるべき事、為すべき事の『自分の流れ(宿業)』を見つけて、その流れの運命に身をゆだねる(業を修める=修業)

それが『タオを見つける』という事かもしれない

と、書き終えた私は、今日も為すべきを成して『素空観=無意識』になって『夢望な夢』を観るのだろう

明日は何に気づくのだろう?阿字観=閃きが導く意識の観測対象は・・その『瞬間(今)』にならないと分からない(自が分離しない)

今日の私はこれで納悳して満足したから、『素空観』で消えるだろう 無( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)

あっ阿字観!Σ(゚Д゚) Σ(゚Д゚)なんか閃いた?

そうそう、面白い事に気づいたのに言い忘れる所だったw

おまけ スカラー観で洞察してみると・・

音で読む、スカラー観が、もしかして、『スカラー波』と関係あるか?と調べてみたら

音波・P波などの疎密波はスカラー波(場の密度の変化)
水面波などの重力波はベクトル波(場の液面高の変化)

『ベクトル=力』という表現はよく使われるけれど、『スカラー=密度』という表現は使われないが『有る』ようだ

ふーむ・・なるほど、こういう事か

ベクトル=現実(表面的)
スカラー=精神(内面・密度)

そう捉えると、『素空観=精神』という表現とも繋がってくる訳で、素空観=無意識=スカラー場

えーと・・軽い気持ちで掘ったら、この『スカラー場』ってめんどくさい複雑に定義されているものみたいですね(;・∀・)だる・・

スカラー場の理論

理論物理学において、スカラー場の理論(スカラーばのりろん、scalar field theory)とは、スカラー場を古典的、あるいは量子的に記述する理論である。ローレンツ変換のもとで不変な場をスカラー場と呼ぶ。量子化されたスカラー場はスピン0のボース粒子に対応しており、これらの粒子をスカラー粒子と呼ぶ。また、この場はクライン-ゴルドン方程式に従うことから、クライン-ゴルドン場、クライン-ゴルドン粒子とも呼ばれる。

現在のところ、自然界で観測されうるスカラー場の唯一の例は、ヒッグス粒子である。π中間子などの中間子の中にもスピン0のボース粒子があるが、これらを場として扱う場合、厳密にはスカラー場としてではなく、パリティ変換のもとで不変でない擬スカラー場として扱う。スカラー場は数学的な扱いが比較的単純なため、場の理論でしばしば最初に導入される例となる。

この記事では、同じ添え字の連続はアインシュタインの縮約を表す。古典論は(D-1)次元の空間と1次元の時間を持つD次元の平らなミンコフスキー空間において定義する。ミンコフスキー空間の計量テンソルはdiag(+1, -1, -1, -1)を採用する。

へー( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚Д゚)

ローレンツ変換がどーの、スピンだの、粒子だの、神の粒子といわれたヒッグス粒子、パリティ変換!?アインシュタインの縮約!?

・・・いやいやいや(ヾノ・∀・`)『物理』はとても『難しい物』として捉えているけれど

難が有るから『有難い』のだよ

スカラー=素空観=無一文=無意識=『夢の空間と同じ』と捉えると?
『意識とは何か?』という根源の『存在意義の哲学』になるんだけど

私は、その『意識の旅』の『向こう側(夢)』を楽しんで戻ってくる時に、あっ!Σ(゚Д゚)と閃くという『体感で理解』しているから『知識は後』であり

理論物理の知識は・・役に立たねぇなと(笑)

理論や物理に『執着する事に意識』すると、『素空観=無』にはなれない

全部手放し、頭の中を『素空観=無一文』にしてしまう
『頭空っぽ』のほうが『夢=無限の夢現を詰め込める』って事

と、スカラーという『音の響き』とすっからかんの『無一文』を合わせて考えても、やはり『精神(内面の密度)のテクノロジー』として、『ヒッグス粒子』までつながってしまった訳で

『音の響き』というのも実は『真理の探究』には大事な『違和感や波動共鳴』を感じるポイント

前も、『阿闍梨』という仏教用語に意識の観測を向けた時、なぜか、宇宙の『ヴァン・アレン帯』!?という空間に繋がった。ヴァン・アレン帯も地球を取り巻く『トーラス状の磁場』についてなので、スカラー場、スカラー波などと同じカテゴリーと言える。

阿修羅と阿闍梨 場と練と帯(ヴァンアレン帯)

理論物理=哲学=真理の探究=精神・意識の存在は、『相似している部分』が有るんでしょうかね・・でもそれ言ったら、医学用語に『サイトカイン(炎症)=カインの刻印』が入ってる時点で、『聖書』が絡んでますしねw

創世記は医学 人体の神秘のお話と思う理由

科学の『元素周期表』なんて、『悪魔議定書(グリモワール)』と同じですからね(笑)

錬金術と元素周期表 錬成と練成

これらを精神世界=無意識=素空観の『夢の中で不思議体験』してくるから、感覚で『似た物事=相似の波動』を感じて、物事を照らし合わせて先世見できてしまうという

『照らし合わせる』という幾何学的かつ量子的な言葉

大和の心 先世見の言伝は左記(左寄り思想)読み

ま、あくまでも『理論物理のスカラー(密度)』と『精神領域の素空観=無意識』が同じだったら・・これは、卵が先か?鶏が先か?

医学用語にサイトカインが先か?創世記が医学が先か?
科学の元素周期が先か?錬金術のグリモワールが先か?

大日如来、密教の捉えた精神世界は『テクノロジーが発達』した先の先人達が『後世に託した知恵』なんでしょうかね(・・うまい言葉がでて来なかった)

道具は人の使い様

先人の遺産をどう使うか・・え?いつのまにそんな話に!?Σ(゚Д゚)無意識

・・やっぱり記事を書き始めると、無意識=素空観で書いてる
『書いてる文は有る』のに、『私の意識は無い』から無一文

『無一文』で出来上がった記事
やはり『一文』は『無』から生まれる『有』なのだ(不思議)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top