阿修羅と阿闍梨と場練帯(ヴァンアレン帯)、名無→阿弥陀(宇宙)→仏を逆rootで辿ると始まる名も無き子が自由意志を持った神に至る輪廻転生物語
阿修羅とは
仏法の守護神。 元来は古代インドの神で,帝釈天(たいしゃくてん)とたたかう鬼神であるが,仏教では八部衆のひとつとして仏法をまもる。 略して修羅ともいう
この「修羅」という語は、梵語のアスラ(Asura)を漢字で表記した阿修羅の省略形である。 インド神話に登場するアスラは、初めは善神であったが、後には帝釈天(インドラ神)と抗争を繰り返す悪神の名となる。 「阿修羅の如く」とは、帝釈天と激しく闘争する阿修羅の勢いを言い表している。
何故、大事な 『阿』 を省略するんでしょうね?
阿闍梨とは
模範となるべき高徳の僧。天台宗・真言宗の僧の位。真言密教僧侶の僧籍(阿闍梨・教師資格)を得るには、徒弟の関係、つまり師匠個人より弟子個人に真言宗の事相(実践)と教相(理論)を全て直接伝授いただくという事であります。 そして伝法灌頂を受けて、阿闍梨位(教師資格)となります。
ほう、なるほど(´・ω・`)つまり
私が最近、導かれてる方向性の
阿=阿蘇・阿祖・アソベ
阿=阿弥陀
須=須佐之男、皇(スメラ)・久須志
羅=道を示す・天を測る(羅針盤)
『阿須羅』とも『阿皇羅』とも…って書いてる今、普段はしない線香の匂いが…Σ(゚Д゚)なぜ枕から・・
阿修羅の修は『修行、修める』があり
その後に『羅』と言う『道行』が着いている
これを逆から読むと
『導き』に従い『修行』しながら『阿』を目指す
そうなると
名無 阿 弥陀 仏とはストレートに読むと
名無しの宇宙(阿弥陀)の仏
しかし、逆から辿ると
仏陀=悟る道の先に弥(弥勒)を追う事で、阿は蘇り、阿の祖先があり、その先は有るけど無い(有無)から
『全てを悟った者』はそこに『名』をつけよと
『己が体験』し『カタチ』にして『修めた経験』に『名』をつける名は体を現す『カタカムナ』
まるで法華経のお釈迦様が
『弟子』を『3次元仮想空間』に送り、そこで『悟った弟子が解脱』する事で『共に次元が上昇する』授記のような
まるで「あの映画面白いらしいよ?」と見に行かせて、『見た感想』を聞いて『感動を追体験して見た気になる』ような
そうじゃなきゃ、『阿弥陀』も『阿修羅』もその他の神と呼ばれる『生き様』も『カタチ』として『伝承』されない
無くなった故人に名無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・
これは「お前(送られる人)はこれから名無しで宇宙に生まれる仏になる」と語り聞かせている『壮大な旅路への餞の言葉』なんだ
だから『逆』に戻ってきた時、『産まれる名(使命)』を決めるんだ
我、空海なり!(/・ω・)/誕生 Σ(゚Д゚)違うのキター
という事は阿修羅とは、ルーツを追い求める修行者=『修練』を積む
阿闍梨は真言宗の一子相伝(一人の師匠に一人の弟子)。真言宗の事相(実践)と教相(理論)を全て直接伝授されたと言う事は同様に、『全てを知る者』と言う事で『全伝継承者』であり、次なる修練者への『継承の場』になる
そこで、阿闍梨の役割と阿修羅のエネルギーまとめた時にふと『錬場』と名前をつけた時にひとつ思い出した
場…練…帯?(´・ω・`)Σ(゚д゚;)ドウイウシコウ?
ヴァン・アレン帯?
ヴァン・アレン帯は地球を360度ドーナツ状にとりまいており、内帯と外帯との二層構造になっている。 赤道付近が最も層が厚く、極軸付近は層が極めて薄い。 内帯は赤道上高度2,000 – 5,000kmに位置する比較的小さな帯で、陽子が多い。 外帯は10,000 – 20,000kmに位置する大きな帯で、電子が多い。
バンアレン帯は地球の磁場にとらえられた陽子・電子からなる放射線帯で、有害な宇宙放射線を遮るバリアーの役割を果たしています。 28~27億年前、地球に磁場が発生し、あわせてバンアレン帯が生み出され、さらに大気により地球に直接降り注ぐ放射線が緩和されると、浅い温暖な海にも微生物が発生するようになりました。
カタチは完全なるトーラス構造で、先日読みといたシューマン共振の考え方とも一致する
そして私は『銅』を気にしだしてから、電場と『磁場』と言うキーワードを何度使った事か…
※もしかしてこの影響で線香の匂い?(方向性が完全に仏門)
それがまさか、阿修羅=ルーツに向かう『修練のエネルギー』と阿闍梨=それを『伝承する場』の響きを足して
場 練 帯 と語呂だけで『連想』したら、まさにエネルギーのトーラス循環を安定させる『邪魔が入らない伝承の場=地球』と言う
まさに地球は『学び場』であり『大きな繰りの氣』であるという捉え方そのものだ
全てを知ってそれを『継承する役割』
宇宙=阿弥陀に至る前の『阿闍梨=ヴァン・アレン帯』
闍とはうてなと読む
意味は『城門の物見台』
つまりは何かしらの『門番』として出入りするものを『距離を取って高い所から見ている』、場合によっては『門を開けろと指示出す』かもしれない
またカタカムナで うてな は『生まれる循環放射する核』なので、まんま『トーラス形状のヴァン・アレン帯』を言葉にしたようなエネルギーロジック
つまり『阿闍梨の目線』とはその『達観した所』から『成長過程を見ている』のと同じ
『阿弥陀(宇宙)』を超えた『先は有る』かもしれないし『無い』かもしれないが、それを見つけたらそれに『名』をつけるのは『阿須羅』、お前だ
アースラは『自然の法則』を説く神
今までの産まれるまでに『学んで修めて来た業が詰まった物語』が次のステージに至る
まるで何も知らない『生まれたばかりのRNA』が『環境のタンパク質』と結びついて『RNAウイルス』になっては『免疫にバラバラ』にされて、またRNAに戻されて
何度も『輪廻転生』を繰り返し
「何のために生まれて?何をして喜ぶ?わからないまま終わる?そんなのは嫌だ!」と自問自答する意識に目覚め『mRNA』になって
それを『実現』するために『必要な知識や行動=修行者=阿修羅』となって『得るために戦い』、得た後は『大事な核を護るために抗う』
それを『導く先導者たるメッセンジャー』の助けを得ながら『阿須羅(自由意志)=王の器・皇太子』になり、辿り着いた果てに新たなDNAの『阿皇羅=新たな王に交代し』に至る
その時、『釈迦が弟子をまた低次元に送り込む』ように、『ライオンが我が子を先人の谷に落とす』が如く、阿皇羅のDNAは『阿闍梨(場)』となり、名無→阿弥陀→仏と『悟りの境地』から意識を『仏(RNA)に分離』する
だから『知らぬが仏』なんだ
何も知らないから真っ新な『仏』でいられるのさ
ふむ( ・・ )この考え方は龍と大蛇(殻を胎教する子育て)と全く同じだ
今日のは線香の匂い付きだから相当『徳が高そうな指導』すぎて・・私はその阿闍梨の門の前で「どうする?扉開けるけど?」
飛び出して阿弥陀に行ってしまえば自由な『龍』
そこで門番となって一人の弟子を育て上げる『大蛇』となるか
行こっかやめよか進路考え中(~∧~)ンー
でもま、分かったことは、名無阿弥陀仏を『逆rootで辿る』と始まる、『名も無き子』が『自由意志を持った神』に至る輪廻転生物語
と、同時に『神(悟った)になった瞬間』にまた『仏(持たざる者)に分離』するを繰り返す終わりは始まり
要は新陳代謝による諸行無常の栄枯盛衰の『細胞分裂』の自然な成り行きだね(笑)
その中でより『DNAを強く新生』していくのだから、創造主の目的は『意識の拡大』で間違っていない
人の生き様も『大きなスケール』から見れば、体の中の『ミトコンドリア細胞の中のRNAのひとつ』でしかなく、それは『宇宙』だろうと『その先』だろうと変わらないマンデルブロ集合
変わらないけど、変わらないと言う事は?
『変えられる』って事なんだよ?
少なくとも『自分と同じ役割が連動している部位』に関してはね(。-∀-)ニヤリ
もしもあなたが、地球上では『何もできない意志の弱い存在』なら
きっと宇宙でも、『無重力空間にぽっかり浮いてる隕石の一つ』かもしれない
でも、体の中で『無害な菌』だったのに『人為的な攻撃』を受けて苦しんだら
それは人間であるあなたの『体調にも異変』が起きていくように
宇宙の隕石もまた飛んできた『宇宙ゴミにぶつかっている可能性』もある
という事は、『何者でもなかったあなた』は『被害者』となり『加害者との因縁』が生まれ、その『因縁を晴らす』という『運命の軌道に変化』したという事
ぶつかってはじき出されて『勢いがついた隕石のあなた』は、めぐり巡ってその『宇宙ゴミを出した本体に衝突する因果応報』が起きる
これが同様に、人の行動にも『かかるはずのない病気』を『植え付けた相手へと怒りを向ける』事になり
人為的に紛れ込んできた『病気』に対しても『強い抵抗力を持つ抗体』が生まれるきっかけになる
きっかけを待つのではなく、人の次元である『あなたの行動』から、スケールのでかい世界を変える、スケールの小さい世界を変える事ができる
『目に見えないから確認しようがない』けれど、自分の『生き様や意志の変化が起きる』とそれは『連動』している。だから一人一人が自分の『宿命・役割・運命に気づく』って事は『宇宙にとってとても大きな変化』なんだ
私が夢の中でチームで行ってきた『囚われの意識を解放』という作業も、すべては『その次元からの意識の連動を変える』ためだったんだろう
目覚めるとは『周り』を見るんじゃない
『自分自身を省みる』事から始まる
それ以外の『目覚め』は無い
夢の中で誰かが泣いてたり、困っていたら助けるんだ
そうすれば、現実のどこかの誰かか、あるいは自分自身を解放する事になる
できる事からの『とりあえずなトリアージ』をしよう
余談 仏陀弥阿無南…?(´・ω・`)
陀弥阿=ダミア・タミア
仏 タミア 無南
タミア…メソポタミア?
メソポタミア文明を築いたのが「シュメール人」 紀元前4000年頃に南メソポタミアに定住し、メソポタミアの南端で都市文明を築き繁栄しました。 ウルク文化にて花開いたシュメールは、大洪水の後にキシュ、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市にて新興シュメール都市国家が成立し、王朝時代が築かれました
私は『南無』を『名無』と直感の方で読み取り『ヴァン・アレン帯』に行きましたけど(阿闍梨のエネルギー)、南無=南にないと『位置的伝承』に捉えると
「かつて南に有ったが今は無い…」から始まり阿弥陀仏(宇宙の心理)と言う出だしはまるで・・
遠い昔はるか彼方の銀河系で…っていうスターウォーズの語りだしみたいですね
それがシュメール(スメラ=皇)の伝説ならばやっぱり『阿皇羅(アースラ)』に関係がある
またこの「かつてはあったが今はない」・・という伝承パターンは
久多良・百済ない(くだらない)
和唐・和漢ない(わから・わかんない)
現代にも隠された歴史の伝承を紐解くカギとして残されている
下らないもわかんないも、どうでもいいよ!と陰謀を隠蔽するための曖昧にする言葉
だから、裏があるという真実を見極めるには意味に隠された忌を捉えなければいけない
そうしなければ、答えやゴールを目の前にして嘘に騙される事になる
そしてもうひとつ
仏陀弥阿無名と書いた時、最後の三文字は
『アムナ』だけど、『神の梯子を降りて』の『こざとへん』を取り除くと
可無名=カムナ
タミア=メソポタミア=シュメール
『神の梯子』を降りて『地上に現れた文明』
そこから継承されたのが『カタカムナ』?
『型』は無い『可無名』
『名』は『無』いけど『可』のエネルギー
つまり『体』に『名』をつけるのは『あなた』
『自由意志』を持ってそれを『力』に変える『主』
それは『創造主』
『有無』は易し『行う』は難し
『生』半可な言葉はすぐ『死』語になる
だから『外へ放出する言葉』を産むのではなく
『中へ響く納得する言霊』を生み出して『納める』
それが『納得』と言う『自己満足』の『足るを知る』
ふむ(´・ω・`)
昔の私ならメソポタミアとシュメールとカタカムナが繋がったかも〜!ワァヽ(*゚∀゚*)ノーイと今度はメソポタミアとかを掘り出してたかもしれないけど
今の私は、それも『言葉の概念』と言う『幻想に過ぎない』とわかる
大事な事は『言葉として生まれ定着している』と言う事は『それに至る過程の物語』が詰まっているが、それは『型が無い』から『どう使うか』はその『エネルギーの方向性を決める者次第』なんだ
だから『素晴らしい精神力』を与えてくれる『先人の知恵の格言』も『人を貶めて成長を阻害するようなレッテル』に書き換えられている
『極々自然と共振』すると『波動』が上がる
波動が上がるとは、共振する『振動数が変わる』と言う事、と言っても『肉体は不浄の物』なので、振動数が上がるのは『心とそれを観測する意識』のみ
つまり、その高振動と共振しないものは『揺れの激しさ』にしがみついてられず、こびりついてられず自然に『剥がれ落ちる』本当に『超音波洗浄』みたいなもの
それは自分の身体の中にも言える事(もはや地表の浄化の大地震の如く垢と汗が)
もしかしたら普段は感じない『線香の匂い』を感じたのも『阿闍梨の役割』を書いてたあたりから始まり、余談書いてる今は『全く感じられない(集中力が無い)』のも
一時的に『共振(シンクロ)する波動が高かった』のかもしれない(一時だけ阿闍梨の指導を受けたのかも?)
と言う事は、波動を高めていけば『エネルギー存在は匂い』でも感じられる?これが『共感覚』と言う奴だろうか
そんな夏至突入の朝の不思議な気づきでしたさ(゚∀゚)アヒャ
シュメール、メソポタミア、ウルク
青銅器時代をチラッと調べていたら時に関連するものとして出てきてましたよ。繋がる繋がる…どんどん繋がる…。
読んでいてとても面白いです^ ^
ナカジーさん 毎度(*^▽^*)
ウルク・・それは知らないですね!『青銅器時代』、『青』と『銅』ですね( ̄ー ̄)ニヤリ、そこがウルク・・となると、モンハンの兎型モンスターにウルクススというのがいるんですが、ウルク→兎→銅・・なんかエジプト展の写真みたら、兎の像だけ青緑でした!https://www.shintoken.jp/kenkyu/2021/06/egypt/ 出土期が不明とはいえ、別の出土品もなぜか兎だけ青・・青は単体で命を宿し産むの意味がある事を考えると、多産のシンボルの兎・・うーむ、ウルク気になりますね
私の過去世がその辺ら縁があるのかわかりませんが、シュメール、メソポタミアには、追ってなかったのにいきなり到着しましたww で、このコメント書いてる時にはタルムード・・今後はどこに意識が旅にでるのかお楽しみに(笑)