「馬鹿の世界を生きていた…」そんな『馬鹿な話』に気づくきっかけは『鹿』。そこは無視して『ほっとけの仏』の意識に観念すると、馬鹿は死ななきゃ直らない=『エネルギーの流れの相殺』を現したことわざが理解出来るお話
バカは学びの過程
馬鹿とは
知能の働きが鈍いこと。利口でないこと。また、そういう人。まじめに取り扱うねうちのない、つまらないこと。また、とんでもないこと
莫迦とは
仏典では莫迦や莫何などと音写され、痴(ち)の意味です。 痴は三毒の煩悩〈貪・瞋・痴〉の1つで、根源的な無知のことを指します
知能が鈍い、利口ではない
とんでもない、つまらない
痴である
…まあ、この意味を『常識』で使っていた私達はみんな『馬鹿』で『莫迦』だった…と気づいた
馬鹿とは回転エネルギーの流れ
馬は馬力、進む力
鹿は角付き合わせぶつかる衝突
回る力が強く一方向の時は物事がスムーズに流れる
つまりは利口
早馬を飛ばすがごとく
天馬が翔けるように高く
知能も高く話が早い
しかし、それにストップ!をかける
鹿が角向けて『摩擦して抵抗』して止めると
回転が遅くなり
物事がスムーズに流れず
利口ではなくなり知能も鈍り
『知』は『病』に侵され、結果馬鹿=莫迦=『痴』になる
「この鹿…なんて事をしやがった…」と『鹿』に気づく事でまた流れが変わった
今回は鹿のこのこのここしたんたんでした
あぁまごう事なき『馬鹿』アニメ ノチ(´∀`)
これを見てるとあまりにも『鹿が自由』過ぎて、馬鹿を通り過ぎて『ほっとけ』…と観念した『観点』から…
馬鹿は死ななきゃ直らない=仏の観念
愚かな者はどうにもしかたがない。 いろいろ手は尽くしてみたものの、あきれるしかない。 [解説] 二代広沢虎造の浪曲「清水次郎長外伝・石松三十石船」によって、広く知られるようになりました。
これもまた昭和に生まれた『近代のことわざ・格言』の模様。これもまた馬鹿を利口ではない、愚か者という性格・性質・いがみ合いの状態で捉えているが・・
最後は呆れてほっとくしかないと伝えている
馬が『進むエネルギー』に対し鹿が『止めるエネルギー』と捉えた時
この2つは『矛盾』を意味する
鈍いエネルギーは『相殺』しながら若干どちらかがが勝っているが、完全に『拮抗』した時『エネルギーはゼロ』になる
私は今まで、様々な『想定外の所』から導く『鹿のシンクロニシティ』があったが…
鹿の子アニメはその『アホさ加減』が度を超えたな〜と『馬=進む力』が止まりました
結果、訳分からん( ゚ ρ ゚ )っと呆れて意識が『馬鹿の外』に飛びました
その観念・観点から、『意識が飛んできた元の場所』を見て気づきました
あぁ、馬鹿は死ななきゃ治らない…
『馬鹿』という『世界』
『二限のエネルギー』の『衝突と相殺の矛盾』
『不毛な生産性のない』いったりきたりのシーソーゲーム
目先に釣られた『人参に走る馬』
『勢いある物にぶつかる鹿』
(´・ω・`)なーにやってんだか、ほんと『馬鹿のひとつ覚え』
その『知』は『病』に侵されている『痴』
自分が『馬鹿の世界にいる事』に気づけない
では
呆れた
考えるのを止めた
意識して『馬鹿(エネルギーの流れ)の観測』を止めた
=放っておく・ほっとく・『仏=死』なのか?
馬鹿については『二限の矛盾エネルギー』に関わらないで、『禁恕=とどめてゆるす=放っておく』で理解出来たが…
呆れる・放っておく=仏=『死』なのか?と考えた時
ならば、この場合の死とは『肉体の死ではない』と言える
意識して『恥=端』を知る間
端から端まで『極端な馬鹿の範囲』を知りその『間の中で違った事』に気づく事
『行先も知らないで進む馬』も『動くものに反応してぶつかる鹿』も
どちらも『無知蒙昧の痴の莫迦』だと呆れると『立場』を持たなくなり、そこから『意識が離れる=ほっとく』
すると仏の『観点』から仏の『観念』が…
『馬鹿』は『自分が馬鹿』だと『気づき呆れる事』で治る=元に戻る・覚める
馬鹿はエネルギーの『相殺の矛盾』
『二元性の愚かさ』が『馬と鹿』という『動物の例え』
その馬と鹿の『拮抗するエネルギー』を『第三の方向』に流すと…
(。-人-。) 『動物→人』=空にもろけせ=祈(氣・意の離)の解放
『馬鹿』を『人の力』にする『馬鹿力』
それを『人』にするために『仏の導き』が必要
しかし、そうなると『仏』というのも『役割の例え』に過ぎない
二限のエネルギーが『拮抗』した時、その力を『間でキャッチ&リリース』して、馬でも鹿でもない『別の方向』に流す
その流れの先導者が『仏』
鬼さんこちら手のなるほうへ〜、パンパンと柏手を打つ合掌
『人』という『第三極点』に至れば、冷静・霊正になり、振り返れば『馬鹿(動物)のエネルギー』に気づく
馬も動く物=動物→進む
鹿も動く物=動物←ぶつかる
人は『間』に立つ=人間←→拮抗
「前は『あそこ』にいて『不毛な獣の争い』をしてたのか『馬鹿』だったんだな…」(´・ω・`)人間じゃない
馬か鹿か?どちらかが『優勢』な時は『人』にはなれないが、『拮抗』して止まってる時が『別方向』へエネルギーを解放『祈り』の『人』になるタイミング(。-人-。)
でもそれは『馬鹿の世界で救いを求める』状態であり、『自力で馬鹿の世界から離れた者』は『ほっとく=仏』になる
なぜなら、『仏』に至る成長の為に『莫迦・馬鹿』が『必要なエネルギー』だから
痴とは『病の中の知識』=ウイルス側の正義=『領土侵略』である
間違った『常識・グローバリズム』・植え付けられた『概念』
『古代の日本』を知らない『現代日本』
『嘘(偽)の中』に始まった『真』という、『元』から離れて『嘘を信じた自分』が『盲信した世界』
『何も知らない痴』という『馬鹿』の中で、『馬として鞭(無知)』打たれて走らされ、それを『邪魔する鹿として衝突』してお互いに『鈍く』なって
『阿保』らしくなって『呆れて』
そのエネルギーから『離れる』
それを観測する意識を『止める』
するとその世界の終わり=『死』を迎え、『その世界の外』で再び生きる=『再生』
痴を患った『病の知識=思い込み』の『馬鹿』に気づいて『自分で自分を直す』
今の心を観て=『観念』して『恥・端』=心に耳を素直に傾けて『間の極端』を知り『心を改め改心』する
そして馬鹿の『観測を止める仏』は馬鹿の世界から『抜け出そう』ともがく『仏候補=可能性』に『人になる導きの流れ』を作る
『鬼』さんこちら手の鳴る方へ(人 •͈ᴗ•͈)
これがそいつらほっとけ=『仏の慈悲』であり、それに気づくのは『馬鹿=病に侵された知=痴を自力で治そうと正直な心=悳』になってからの話
なんで自分が『心を軽くするライトワーク』をしているのかようやくわかった
与えられた知識=病に侵された『痴が常識として浸透』しているから、『矛盾』を感じながら『自力で止まれない』で
『一人の人』になりたくてもなれない、『馬鹿から出たいと苦しんでいる』のがよく見える
それは『正直者』だから『馬鹿がたくさん見えてうんざりしていた』訳で
馬鹿にも色々『段階』があると感じていた
少し背中を押せば一人=『自力で拮抗』出来る『正直』
莫迦のひとつ覚えで『固定観念』に『囚』われている『馬鹿正直』
先にも言ったように馬鹿とは進むエネルギーと止めるエネルギー
ここに『自力』が加わるとどちらかに『勢いがつく』か、あるいは『止まろう』と繋ぎ『バランスを取る』か
死とは『エネルギーの停止』
馬と鹿を『完全に止めた』時、そこには拮抗の『立場』も『無・空』になる
これを『死』とするなら、中立の極みは『死=仏』
『一時止める力』が消えた時、また『馬鹿のエネルギーが発生』するなら、もうそこには『仏』はいない
「アイツらまた繰り返すからほっとけ」
その時点で『馬鹿の世界』から『意識・観測・興味』は離れている
このように馬鹿とは『他人を貶めるレッテルワード』ではなく、『二限のエネルギーの矛盾』を示していた
馬鹿と挟み=『分断は使い様』というのも
『邪』が使えばそれは『横取りの漁夫の利』
『正』に導けば『人の祈り(形象・継承)』になる
馬鹿は『離れて観ない』と『分』からない
『痴』である限り自分が『馬鹿の世界』にいると気づかない
「そんな馬鹿な話があるかって?」
『愚問』だな、その時点で『痴=莫迦』なのだ
我々は皆、『病に侵された知』を植え付けられていて、『真実』という『知恵』を知らない
ただ一つだけ分かってる事は
馬鹿=痴=病に侵された知識を『治す・直す』
その為に仏=『薬師・訳詞』という『観点・観念』がある
『人という方向性』に導くエネルギー by 訳詞如来の妙見狸(意識体)
…ま、私は鹿のこの『ぶっ飛んだ世界観と展開』に、笑いというより『呆れ』( ゚ ρ ゚ )がきっかけで
「なぜ鹿はこんなに自由に暴走してんだよ…」と思ったら片っ端から『馬=動くエネルギー=陽動に反応している』という
例えるならば…
『馬鹿に気づかせる』為に、『陰謀論』をまーだ『懲りなく追いかけてるYouTuber』が自分達が『闇に引っ張ってる邪な役目(ライトワーカーの闇堕ち)』になってると気づいてないな〜と
もうその『選別フェーズ』は終わったのでそっから先は蛇足の儲け=信者ビジネス
『禁恕=とどめてゆるしてる』けど別に関わらんし興味もないなと、『俯瞰の距離』から『ほっとく仏』
また、『鹿が意識を変える役目』になった…という事は、まだ鹿が潜んでいそうだ(・ω・* 三 *・ω・)
と書き終えて『意識が旅』してきてわかったのは、馬鹿につける『薬』は無いが莫迦を解く『鍵』はあった
それは遠く『馬鹿から離れた所』で『馬鹿を俯瞰で観測』して
「正直者よ、みよ!あれが馬鹿だ」と説く事
人は『口封じの囚人』として『痴の馬鹿』だった
と『説く事』が馬鹿=囚を解き『人に戻す鍵』だった
『人』は『死』に囚われている
与えられた『病の知の痴』が蔓延った『痴態』
『病は気』から『常識・概念』も『思い込み』から
全ては『痴態と痴帯=馬鹿の世界と状態』
それは『二限』の『相殺する矛盾エネルギー』
『循環』すらしていない『間違い』
それは馬鹿から『離れないとわからない』
もしかしたらその『エネルギーの流れを直す』のが、『9次元の龍の役目』なのかもね
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