友達って面倒だよね?と言われる夢を見た後、VRゴーグルに電源が入って目が覚めた世界をどう捉えるか?の気づき、『友達』という名称を洞察したら…失われた大切の月に辿り着くまでがワンセットの仏陀切ってキリストの武士道の学びだったお話
夢のあらすじ
私は無条件で一緒に居たいと思う女性と2人きりで部屋にいたが…何故か私はVRゴーグルをつけていて、照れ隠しなのか、彼女の声だけ聞いて会話している状況だった
彼女は私に話を振ってきた
「男ってよくつるむじゃん?」
かつての私も賑やかなのは好きだったが、今は別にそれは求めてない感覚だから、どちらかと言うと彼女の質問の意図に合わせる訳ではないけど、一人でもいいかな〜
…というニュアンスを含ませつつ
ん、まぁ〜人によるよね(´・ω・`) と返す
そこで、私に興味を持ったのかと思い、照れ隠しのゴーグルを少しずらし現実を見る。彼女を見た時、あーやっぱり声の主は彼女だわ(*´∀`*)とVRゴーグルを脱ごうと思ったが…
彼女は私に興味を持っている訳ではなく、淡々と何かスマホのようなものを弄っていて私の方を向いてない
見迷わすと彼女の部屋?はとても『厳か』というか、『グランドピアノ』のような物もあって音楽室みたいだったので
「そういえばピアノやってたな!お前プロ活動出来るんじゃ…(๑•̀ㅂ•́)و✧」というと
「うん、やってたよ、ハザードの時ね」
ハザード?(´-`)oO
そこに引っかかりつつ、(え?プロ音楽活動してた…?あれ?俺はこの人と釣り合っているのか?なぜここでVRゴーグル被って彼女の方を向かないで遊んでる?)
そう思うと『場違い感』からVRゴーグルを脱げなくなり、映像は何も映っていないゴーグルの『MR越しに彼女の様子』を見ていたのは、まだ『面と向かって合わせる顔がない』のか
すると彼女がぼそっと言った
「友達って…面倒くさいよね…」
私に『同意』を求めて言ったというより、スマホと向き合いながら『思わず口に出た言葉』のような
その言葉が私の『心の本音』なのか?
そこで目が覚めて?
VRゴーグルの中身の電源が入って?
『今の現実』が『彼女に合わせる顔とかける言葉』が無くて、何か『気を引く為の次のアクション』を探す為に『思考シミュレーションして生まれた世界』なのかはよくわからないけど
訳詞如来の妙見狸が発動ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ
友達?面倒?ハザードの時?
さぁこれを深堀していくぞ
『友達』という言葉
契約書なき暗黙の了解と同意という『トモダチ』…子供の頃は『感覚』で出来る
大人になると『理屈・理由・条件で契約』するようなものだからなかなか出来ない
相手の『顔色』を伺って『気』を使う
まるで『仕事の取引先』のような『都合の関係』
だからずっと同じ感覚で『大人になる過程を共有』してないと子供の頃のトモダチもまた、『理屈・理由・条件』で見てしまう
それは私がまさに『夢で感じた感覚』と同じ
『私の知らない彼女』は『プロの音楽活動』をしていて、『グランドピアノ』を持っていて『自信家』だった
かつて『何も持たざる者同士の感覚』だった時の『素直にお互いを見ていた距離感』ではなく、彼女はどこか『達観』して『他人を寄せ付けない雰囲気』だった
つまり彼女の発言の意図は『友達』という『共通概念』の面倒くささ
私の言う『友達』と他人が『求める友達』
それは『共通』ではない
とはいえ、それを手放して『子供の感覚の友達』として『合わせる事』も出来ないし・・かと言って『達観した者同士』は別に友達のような『馴れ合い』は必要無いジレンマ
やりきれない
割り切れない
だから
「友達って面倒臭いよね…」
『特定の相手』ではなく『共通の意味』の概念
それは『中身のない普通』を押し付けられるようなもの
「友達だろ?」
「友達だからいいよね」
「友達だと思っていたのに!!」
私は友達に対して『友達』という名詞を使った事はない
『第三者』に『関係性を説明』する時にしか使わない
うーん、これは実におもしろい( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
友と伴と朋と共
『達』は『複数形』だけど、『達』自体で考えると
達する、達観、道が通ずる。どこまでも行き得る。とおるのは『一人の孤高の頂き』
ここは『とも=名』に対する『達=行動・目的』と読み解くと非常に展開していく
ともだち→反断
『友』という字と『反』はとても似ている
友という『関係性』は簡単に『切れない』
友は『繋がってる』から『裏切り』は痛みを伴う
『伴う』と書いて『伴』と読む
『伴侶』とは連れ立つ『相方』であるが『僧侶』とは『憎い連れ』と書く
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』ということわざがある
あるものを憎むとそれに関連する全てのものが憎くなってくるということ
刀の切り方には『袈裟斬り』という『技』がある
『反』となった『友は断つ』と『達観』する
ふむ( ・・ )『友達』は『仏教がすり寄る為』に生み出した『法具(見えない力)』か
大乗仏教、別名、『大丈夫教』=信者が『皆、救われるから大丈夫』という弥勒(魅力)的な教え
皆で救われる=『足元掬われる時』はあなただけではない『信者が皆』だから大丈夫
『立場』が無くなった時、『信者=儲・皆=白に比べ』で『堕ち魔性』
それは『薔薇色の門』か、それとも『婆羅門(カースト奴隷)』か
『法具』を正しく使えば『友達・伴侶』として『繋がり』
『法具』を邪に使えば『反断』によって『僧侶は袈裟斬り』
友達という『簡単に切れない関係性』を『都合いい武器』にしている
伴とは『人半分』
『半人前』の『片翼の翼』
『伴侶を求める』という事は『連れ建つ片翼の翼を求める』という事
『両翼』を持たず『自力で飛べない』
『自力で飛んでる者』にとってそこに『伴侶=友達という仏教概念』がつくのは
『邪魔』、もしくは『世話』するのが『面倒』
『世(意識の観測対象)』の『話』も合わないから『面』くらって『倒』れる
そのレベル(通りぎた体験)に『合わせ』ないとダメなの!?と
これは、書いててわかった
釈迦にとって莫迦は荷物
『莫迦』はずっと『お釈迦様は面倒を見てくれてる』と思ってるが、お釈迦様も『法華経』で言い遺してる通り
『弟子が自力で悟って解脱』する事により『お釈迦様のステージがどんどん上がる』
『弟子』は『友達』じゃないし『伴侶』でも『僧侶』でもない
『知らない世界を拡張』させて『新しい世界を創造する弟子』によって『師の元の子』は『達観』して『朋達=同好の士』になる
なるほど(´・ω・`)ここが『今日の経』のポイントか
『朋』という『月がある同士』が月逢う
肩を並べる同僚。同門の仲間
同類の集まり。一味のもの
『日本人』にとって『月』というのはとても重要で『失われた暦』もあるだけでなく、その失われた『月暦に調和した体の臓器のバイオリズム』がある
言い換えれば『月が合う』とは『波長が合う』というとても重要なバロメータ
だから現代の『付き合う』という表現より、『月逢う』とした方が『朋=同士』にしっくりくる
それぞれが『月(運命・役割)を持つ同士』
『波長が逢う』から『朋』になる
これは『輝夜姫と付き合う条件』のひとつ、『蓬莱の玉の枝』の読み説きでもしっくりくる
『波長が合う』からこそ『総崩れ』にもなる
『意図』した『公』の『心』の『山』に『月逢う』
これは『朋に逝こう』の『玉砕・自決・自己消滅』の覚悟
一蓮托生
結果のよしあしにかかわらず、行動・運命を共にすること
『一』と『草』が『連』なり『託』して『生』きる『自然帯』
まさに『細胞組織』であり『古き良き日本人の補い支えあう精神』
侵され汚されて『恥(ウイルス汚染)を晒して生きる』くらいなら『自決』する
本国の『家族を襲われる』なら袋の鼠は『窮鼠猫を噛む神風特攻』
『追い詰められたら一丸』となって『仲間を守る為に力を発揮』するか、『武士道とは死ぬ事と見つけたり』と『潔く散る』か
そのきっかけが、それぞれが『自立した月(運命)』を『持つ者同士』が『月逢う朋』である
じゃ、共は?
一組にまとめて考えたものがみな同じなこと
いわゆる『中身のない普通』に『思考停止』で従う
『貴方様』ではなく『皆様』と『共同』の『共動』
さて、結論が出たな( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン
確かに友達(仏教概念)は面倒臭い
友は『関係性を武器』にし
友は『反』になり『裏切り』
その時、『反を断つ反断』が必要
それで面倒臭い『腐れ縁』は終わり
『伴侶』になると『人半分』だから『自立』しない片翼の翼
なんでも『共有・共用』だから寄り掛かる『共依存』
それが「伴侶というものだ」と『共通の普通』を押し付けられる
その伴侶が『憎く』なりゃ『共通概念を押し付ける僧侶』であり
「僧侶を殺したい」と思えば『袈裟斬り』する
『僧侶を切る』のは『仏陀切り』
吐き捨てる言葉は「キリスト御免!」
『自獄(思い込みの囚われ)』への餞の選別だ(悔い改めよ)
結局、『友達』という『共通概念』は
『仏教がすり寄る為』に生み出したもの
いくら『達観した言葉の教え』とはいえ『聞く人』がいなければ絶える
「私は能力があります!私の言う事を信じてください!」という自然の7つの法則に8つめの『信=人の言』を足したのは、『引く手あまたの老子』ではなく、『誰にも興味を持たれなかった孔子』
だから『宣教する為』にあの手この手で、『人の気』を引く過程で、元々馴染んでいるもの=『ニーズ』を利用し、それを『文字って模倣』する
『漢字』は『日本発祥(昔からの伝来)』と『後』から入ってきて『概念を書き換えたもの』がある。それらは『廃仏毀釈』や『神仏分離』、それ以外の『宗教が政治を支配』した時に何度も『文化破壊』され、『退化の改悪』をしてきた訳で
私は『月』に関しては『先に定着していた文字と概念』であり、今の『友』は昔は『朋』の方が『民族性として生活』に活かされていた
あらゆる『臓器に月』が着くように
あらゆる『行事は月が基準』になるように
生きる為の『活動に月の波長』が合っていたと思う
だから昨日の夜中に突然『宿便』が出た時、私は『釈迦の指の繋ぎ』を色々内観実験していたので、これだ!!と確信した
やはり『先導者(人差し指)を抑える』と『自然な循環』が起きた
これは今後も実験を続けていくが…で、結果、私は『この真言』を持って『進言して解脱』する訳です(。-人-。) Σ(゚д゚;)どゆこと?
ここまで伝えてきた『世界観』をもう一度振り返って下さい
外の世界(夢の中)では、達観した彼女と二人きりでVRゴーグルを被って(今の現実)を見ている私がいて
彼女は「友達って面倒臭いよね…」
と呟いてるシーンに、その私は『合わせる顔』も『かける言葉』も見つからないが、何とか『気を引いて』こっちを向かせたい
と思ってる訳ですよ
その『顔を合わせてかける言葉』が欲しい
『ともだち』という『共通概念』に苦しむ『達観した彼女』にかける言葉として
『友達は面倒臭いを肯定』した上で、『朋達=同士』を見つければいい(´∀`)という『気の利いた一言』を生み出した
それは『私自身』が日々、実感している充実の中に『師合わせ』があるから
達観した師、目差す方向にいる先人
師は朋を求めて子を育てる、それが理想の朋達だよと
≡≡≡ヘ( ´Д`)ノサンキュー
こうして『弟子』が悟り、『釈迦を成長』させ
『弟子も釈迦』も『見た事がない世界』を拡げる
それは『行き詰まった世界の続き』を創る協同作業
創造主の想像の物語
想像主の創造の物語
どちらが夢でどちらが現実か?
どちらも『夢』でどちらも『現実化』する
『続きを見たい』と『量子の変化を観測』するならね?
私は夢で訪れる世界を『臓器の細胞に意志氣』を巡らせて入っていると思ってるから『細胞・DNAをコントロールしてるのは私』…と思っていたけど
例えるならば『私という世界がドラえもん』で、静ちゃんにいい所を見せたいのび太が「なんかいい知恵ないの!ドラえもーん!」と泣きつかれ
「しょぅがないなぁのび太君は・・」と『知恵を出す細胞=妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ』という役割だとしたら(狸も一致・・いやあれは猫wwと言い張る)
私の世界もまた『何十兆という細胞』が『一蓮托生』で連なった『パラレルな多世界のひとつとして存在』しているだけなのかもしれない
あるいは感覚的には、小さな宇宙人アミの話の中で出てきた、『アミの両親』のように
それぞれ『愛し合っている運命の人』だけど、『精神レベルが釣り合わない』から早く追いつく為に『それぞれの修業』をしている
そこにいるのに『お互いが向き合ってない』し、『向き合う顔やかける言葉がない』という空気感は、まさに『波動の世界』…(こいつ…覇王色の持ち主か?!動けん・・)
ひとつわかった事は、この『朋』という『同士の概念』で『友達という仏教の共通概念』を『袈裟斬り』で『仏陀』切って『キリスト御免』したら
物凄く腐れ縁が『スッキリ』した
それが現象としては宿便(腐った便)が出ていった
それは『腸』の力
『月の易しい力』だ
なう(2024/07/14 09:11:21)
出ました911ライトワーク
結論から言えば
『朋達』というのはそれぞれの『月(運命)が連らなる孤高の同士』で『一期一会』だったり、『袖触れ合うも多生の縁』
『必要なタイミング』で『目的打破の為』に現れ、役目を終えたら解散する(経験談)゜
だから『寄り添う片翼の片欲の友』は必要ない
そんな『仏教』は『仏陀』切って『キリスト御免』
日本人には『武士の魂』が必要
『反断』も『決断』も『大切』も『心に刃』を『忍』ばせる
それは『裏切る』為じゃない
お互いの成すべき『運命』の為に
『腐れ縁』を『断ち切る為』の『法具』
仏陀切る
切り捨てる
=不要な『差』を取る=悟
なんでこんな『法具』が必要かって?
そりゃ『切り』が無いと『終わらない』から(笑)
武士の魂、『刀』に『魔を断つ法具=言霊』が宿る
『先祖供養』で宿しなさい(。-人-。)
LEAVE A REPLY