好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 五本指の名称に釈迦イズム

親指、人差し指、中指、薬指、小指…手の指という身体の一部なのに、それぞれ属性が違う名前がついてる謎と1本だけ自分の意志で動かせない指を拡張してみると…明日から子(継承者)育てにずっと使えるどこにも存在しない釈迦の道徳とハンドサインの話

指の名称の謎

何の疑問も持たずここまで生きてきたが

親指、人差し指、中指、薬指、小指

これ、何一つ一致していない(´・ω・`)

親となるなら子の関係性
人差しは特定の方向性
中は位置
薬は治療
小は大きさ

…意味不明である(・д・)??

子供の頃は

お父さん指(親指)
お母さん指(人差し指)
お兄さん指(中指)
お姉さん指(薬指)
赤ちゃん指(小指)

…赤ちゃんが主役だと?(・д・)??

いずれにせよ
5本はひとつの手に揃っているのに
『名称と関係性が揃ってない』不思議

仮に親指に対し『小指』ではなく『子指』
というそこだけ『親子関係』を持たせると

『親子が最も離れた位置』にあるしそのようなポーズを取ると…

釈迦を表すハンドサインになるΣ(゚д゚;)

釈迦

そしたら他の三つの指の名称と役割と動作が全て『釈迦の教えのような道徳』になっている事に気づいた

それをどう説くか?
訳詞如来の妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ発動

五本指の名称に隠れた道徳

指という関係性を抜きにして『親子関係と役割』を当てはめた時

『子・赤ちゃん』はいずれ『親』になる
親の方には『人を指す指導の役割』があり
子の方には『薬というサポート』がある

実際、『小指を動かそう』とすると『薬指が連動して補強』するように、『子と薬』はなかなかバラバラには出来ない

しかし薬とは『治癒・治療』という現代的な意味もあれば、分解すると『草を楽しむ』という『自然を満喫』する事でもあり

『子供は風の子元気な子』という格言があるように自由に『外で遊び回る子供』ほど、自然界に存在しているあらゆる菌を取り入れ『耐性』をつけて育っていく

すると子供と大人になる『中間』がある
中間は『最も自由に動ける』

人差し指や薬指と『連動サポート』したり
人差し指や親指と『三位一体で掴む事』もできる

『中』という立場、『自分の意志を最も自由に使える』上に人に『方向性を示す指導者と共に協力』出来る

そして人差し指・方向性を決める『指導は親の側にあるサポートの力』

子は薬=『自然の力の恩恵』を受け
親は指導=『人を導く力』を示す

そう捉えた時
子がいずれ親になるその中間には
『一の立場』と『二つの環境』のステップがある

=『山が二つ』ある

親と子を抜いて『三本立てる』と中指・薬指・人差し指はそれぞれ『長さ』が違い『山』という字になる

逆に指をコンパクトに『握っても』そこには『逆さの山』が出来上がる

これが『生まれてから死ぬ』までに『人生における役割と経験』を示す『ヤマ・ニヤマ』とした時

それがわかった時、『子』は『自然の成長過程』で『指導者の親の役割』を理解する

それがわかったら電話ちょうだい(コールサイン)
『tell』とは『繋がる』という事

過去からletterが届いて始mail未来そして繋がっtell今

「遠く離れても繋がってるよ」
『釈迦の教え』は『人の世』に遺ってる

と、訳詞してみたᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ

こう考えると

親指(小・子育ての役目)
人差し指(導くの役目)
中指(自由意志)
薬指(自然の恩恵)
小・子指(始まり・生まれる)

いずれ誰もが『親(育てる立場)』になるが『何を育てる』のかは『通ってきた経験の継承』と決まっている

自業自得の因果応報
『過去の自分(他人)』と向き合う事になる

『子』は『親』に『似る』

『血の繋がり』ではなく『感銘』を受け、『言動・行動を模倣』すれば自ずと『発想も似てくる』のは

そう言う『生き様の風土・風情(薬=草を楽しむ・自然)』を『そこに遺す』から、その『自然の風土のアミニズムのサポートで育つ子』は『自分の因果の果て』であり『繰り返しの始まり』でもある

「それが『廻り愛』という人生体験だよ」と

阿弥出雲(アミニズム)

…この閃が朝一ズドン!!と来た朝、まだ『人間』である上に、『中』という『自由な発想の意志』を持っている私は、『中という立場がおかしくなってる世の中の原因』がわかった気がしたのがこれ

『中指』を使った『意思表示や行動』

外人は最も『敵意を向ける意志表示』に全ての指を折り畳んで『中指だけ強く立てる』

fu×k( º言º) Σ(゚д゚;)

あれは『感情』と同時にいきり立つ『そそり立つアレ』のハンドサイン

やったろか?いてこましたろか?ケツの穴から指突っ込んで奥歯がたがたいわせたろか?(全部関西便w)

相手を『犯して・侵してやろうか?』という『侵略と征服』という『邪なエゴ』の感情

さらに『敵意を向けるモーション』として人差し指を添えて親指を立てると、銃口を向け撃鉄をあげる(セーフティ解除)

『敵意』が『明確な殺意』として表されるサイン

中が『中道』ではなく『感情的に邪』となって『指導の力』を使い、『親の立場』が『敵意を向ける事にゴーサイン』を出す

またこれら『中指を邪な事に使うハンドサイン』は『性行為』に繋がる

例えば『コルナサイン』と言われる悪魔崇拝を象徴する手の動きは・・『女性の自慰行為』や『男性が女性を快楽に導く手業』の『中指と薬指』を折り畳んでは開く動作

『無意識』であり『物理的に合理的』に『中指が力を先導・扇動のコントロール』する
この『性行為』に隠されていて見事に『多くの人がそれ』を使っているアスホール

asshole=尻の穴
us hole=自分達の穴

不思議な事に

性行為を嫌う人は不正も嫌い
性行為を好む人は不正も好む

だから、下ネタで盛り上がる事ができるのは、不正を結託できる人達で、下ネタが好きじゃない人達は、不正を行う者たちや環境に波動が合わない

これを生理=性理=正理的に無理
体も嫌、性質も嫌、道理が無い無理が嫌

だから『無理やり』広げられて、『元に戻らなく』なってしまうと、『開き直る』しかない
卑猥な表現に置き換えれば、正しさが不正によって乱された結果、同じ穴の貉のアスホール

そうやって『コルナサイン=ノウハウの手業』が広まっていく

『子供』でも『大人』でもない『中間・中道』
ここに『感情という影響』がちょっと加わるだけで『バランス』を崩して『邪』になる

『邪』が『人を指導する立場』や『育てる側』になると、それは『都合の悪い者を排除する』という『怒りの感情任せ』に『敵意』を抱き銃口を向け撃鉄を引く『殺意』になる

『邪』が『自然』を『不自然に利用』した時、『特定の思想のエネルギーを増長』させる(コルナサイン)

コルナ

だから『現世の支配者』は『邪なポジション』にいる

親のような支配者や導く指導者でもなく
子供でもなく、自然の恩恵でもなく

『中』にいる

中が『バランス・正気を保てない』事によって『邪という化け物・人でなし』が産まれる

正気と勝機と商機と将器は同じ

そこで面白いのが、ここからは『独自体感論』という、『指にまつわる実践』での変化の話

なう(2024/06/29 09:11:09)

お、展開を『本題』に変えるタイミングで911ライトワークサインが出た( *˙0˙*)۶しかもミラーナンバー

実践すれば確認出来る話です

『薬指単体』だけは動かせない

親指、人差し指、中指、小指
それぞれ『独立して動く』のに

何故かほかの指をすべて折りたたんだ状態では、『薬指だけ』は自由に動かせない。あるいは動かせたとしてもちょっとだけで、明らかに他の指ほど自由に動きませんよね?

試せばすぐに分かります
『小指の動きに連動』してしまう

しかも単体で動かそうとすると『凄く痛くて疲れる』から、それは一般的に『骨格上』そうなっている「みんなそうだよ!」と教えられて『思考停止』になっていた訳ですが

先日、Twitterか何かでたまたま指の動かし方を見てて気持ち悪いくらい『薬指が分離して動いてる人』を見て

薬指だけ…動かせるじゃん(´・ω・`)と気になって一日中、暇があれば手癖のように『薬指分離の修行』してて、『体感』と『内観』の『両方の変化』を感じました

内観では『薬指を動かすための筋』が、普段…というかほぼ『小指を動かした時の反動』で楽に動くような『筋膜』がくっついてる?

その感覚からしばらくは筋トレのように負荷をかけながら起こそうとすると、今まで『筋肉痛を感じた事がない部位の疲労』を感じ

その疲労を感じたおかげで、その『疲労にダイレクトに効くツボ』を見つけて押すと、どうやら『筋ほぐせば少し楽に動く』と気づきました

また面白いのが『薬指の可動域』は、他の四本指と同様に『余裕』がある(伸ばしても痛くない)にも関わらず『自力ではそこまで上がらない』

『曲げた状態で脱力』していると少し反るけど、『伸ばそうとすると前倒れ』になってしまう

単純に『薬指を動かす筋力が足りない』のもあるけど、薬指を自力で動かす為の『神経のコントロール』ができていない感じ

しかし、そんな文字通り『手探りな修行』を半日ほど続けた後に、ギターの指板に指を乗せた時

あ!(´・ω・`)明らかに違う!!

薬指が『楽に動きすぎて草』www

この事から薬指が小指と連動してしまい『独立して動かせない骨の構造上の問題』という『人間工学的な考え方は間違い』で

要は『生活習慣』から小指を動かすのをサポートするスタイルで『筋膜が癒着』し、それが『普通・常時』になってしまっただけなんだと理解

これは『肩甲骨剥がし』や『胸骨剥がし』など、『本来可動域の部分』に『筋膜が張り付いた状態』をほぐす事で、『動かなかった部位を動かせる』ようになるのと同じで

日々の生活習慣の中に、『薬指を単体で使う動作』を増やすと自然に『そこだけ動かせる』ようになる

ちなみに私がやっていた修行とは『車のハンドルを薬指だけで握って運転』など

『上から圧』かけて押し付けつつ握って『左右に負荷』をかける
痛いと思ったら『痛みを緩和する細胞回復の呼吸法』でそのまま続行

その結果が、体感としてギターの薬指の単独の動き(ハンマリングやブリング)がよりスムーズになったのがひとつの『目に見えてわかる体感』

もうひとつは精神的な変化

頭頂のチャクラと薬指

私が寝る前に『蓮華座を組んで呼吸瞑想』する時、手の形に『内観』から『感じた独自のこだわり』があります

それは『第一チャクラを意識』する時は『小指と親指』をつける

理屈はわからんけど、それで『土台が安定する感覚』がある

次に『小指と親指』に『薬指』を添える
こうすると何故か『第二チャクラに意識』が向く

そこに『中指を加える』とみぞおちあたりの『第三チャクラ』
さらに『人差し指』を添えて『第四チャクラ』まで呼吸が落ち着いてきたら

『薬指親指』で『第五チャクラ』
『第六チャクラ』は時と場合によって、『中指親指パターン』と『人差し指親指パターン』を『内観の状態』で切り替えている感じ

例えるなら『±を微調整』してる感じ

で、ここまでは『人為的な自我の意識の領域でコントロール』してて、頭頂から抜けてる…というのは内観ではなく『イメージ』で後は脱力して眠るだけ(՞_ ̫ _՞)ᐝ

だった訳ですが…

それがまさか今回、『薬指を独立して動かそう』と『瞑想中にその動作』をして気づきました

これ『頭頂に意識』が行くぞ?!(・д・)??

頭頂の『第七チャクラを内観』で感じたのは初めてで、本当はその先は行けない=『中指を自力で反らせる神経を刺激する感覚』が

第六チャクラより上は『意識しても自力では行けない(イメージ)』だったのが「抜けた!!」ってなった瞬間に

『色んな景色』が見えるんですよ・・と、同時に『欠伸が連発』して(笑)前にも『欠伸を引き起こす身体操を体得』したけど

独自体感論 あくびは浄化の身体操作

そのやり方よりも、もっと素直にスマートに欠伸が出たと思ったら…

涙は滴り落ちるように出るわ、鼻水はピチョンピチョンと垂れるわで、目も鼻もスッキリ浄化して呼吸瞑想がめちゃくちゃ楽で、尚かつ楽しくてずっとやってられる!という『幸福感』を感じたんですね

それで思い出したのが、ある仏陀の瞑想を科学的に脳波研究した時に『通常の人の800倍くらい幸福を感じる数値が高かった』という話

私の場合、飛び込んでくる映像が、『自然の木や森、青空、もくもくとした入道雲』

まるで自分が『自然の菌のひとつ』として『風に運ばれて飛び回ってる』ような『観て廻る感覚』。観測して栄枯盛衰の風光明媚な自然の景色の移り変わりを『一瞬で時代を超えて巡る感覚』

『風が心地よい』という『体感』はなく
『心地よい風が私そのもの』という『内観』

ただ『薬指を自由』に動かす為の『神経に力を加える』と頭頂に意識が向いて見える

面白いのが『未来予測』とか『千里眼』でとかは無い
なぜならそれも『試した』(ヾノ ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)

というのも私が心地よい風とした観ている景色に『人は居なかった』のと、ビジョンの中に『特定の人を投影しよう』とすると、第六チャクラ→第四チャクラと『違う所に意識』が向き、『身体』に戻ってきてしまう

全は一(身体の宿主)の状態から
一は全(意識は自然の一部)へ

『束縛』から『解放』される『自然』
そこに『時空間や概念』も『名前』もなく

そこに『自我=我思う故に我有り』で『自』を『分』けて『他人』を生み出すと、その『他人』が『どういう役割』として『存在理由が発生』するのかを『定義づけた環境を想像』してしまう

分かりやすく言うと

その『大自然に裸のおねーちゃんを想像』すると、そこには『人間』というそれだけで『存在定義が集約された役目』を割った『我割れ(自他)が発生』する

『見るだけ』ならば『一方的』だが、『見られたい、触りたい』となると『自ら』にも『身体と感覚』という『束縛』を生み出し『不自然』となり『自然の自由』は消える

第六チャクラは『束縛の中』で、『限られた肉体の能力』を引き出すが…それは『肉体に結びついた現実』における『心の安定(環境)』の為の『精神エネルギーの活用』

真の自由とは『肉体を持たず』して『人が生み出した概念や設定』から『解放』され

『一は全』という『足るを知る』事

そう…『私』に『自然と一体化』ではなく、『一体』すらない『自然化=恩恵』の感覚を与えてくれたのが

『薬指』だった

確実に初日ほど無理に力を入れなくても、上がるようになってきている。これが他の指同様に『自由に動かせる』ようになった時、もっと『凄い幸福感』を味わえると思うとワクワク(っ ॑꒳ ॑c)

おまけの余談 ハンドサイン

ある『特定の人達』が『変わったハンドサイン』を出す

小指と薬指を2本伸ばしてつける
人差し指と中指と親指の3本を伸ばしてつける
あるいは中指の偏る方が逆

そのように『意識』して『神経を動かす練習』してないと『咄嗟にそれを見せる事』は出来ない
『会話』もしてない、『言葉』も通じない、だけど『ハンドサインで所属』をあかせたら?

例えば私が冒頭で言ったように

『子と自然を大切』にする二本のセット
『指導者に指南を受けながら支配者側』に属する3本セット

『中指=自由意志の選択』がどちらかに傾くと『3対2』となる

腸内フローラの『善玉菌と悪玉菌』の比率は『2:1』
それに対してどちらでもない『日和見菌』は『7』

この『日和見菌=中道』をどちらに『リクルート』するか、それぞれお互いに『立場の違う二元性の69』を繰り返す現実

互い違いの二限の69を見通す目

役目・立場を持つ者が使う『ハンドサイン』

開く=目に見える役割(陽動)
握る=目に見えない役割(陰謀)

どちらも合わせて『五本指』の計画
まさに『掌握=お釈迦様の掌の上』である

そういえば世界を支配するのはgoverment=『5人のNPO』だったと前に…

governmentのアナグラムに隠れた5人の存在

だから私は自分で訳詞如来して、『五本の指』は『人生の教えを語る釈迦サイン』として納得した

こっちの世界における薬指の役目

『素直な心の子供を育成』する
『子供の心』で『楽しく自然(草)を満喫』する

『薬指はサポート・自然の恩恵』そのもの

そこで試して見てしっくりきたハンドサインが中指と薬指を伸ばしてそれ以外を折りたたむやり方

中指も沿えて伸ばすと『薬指単体では伸びない領域』まで上がり、その状態で小指を解放するとどの指よりも後ろに反って

『三本の指』が『羽のように展開』する
すると残された『人差し指を押さえつける親指』で

『釈迦の指の開き』になる

( ´-ω-)σここでポイント

『親指』と『人差し指』を『先端』で繋げて相手側から見ると『OK』サイン

スラングで『金銭』を取り扱う際の単位『k』は『000=3桁』を意味し、『0』に『三つ並んだ指』で『666』になる

また、私が気づいた釈迦サインの関係性で言えば、人差し指は指導者・親指は支配者の観点から見れば、『指導者と支配者が結託』して『循環のゼロ=ウロボロス=二匹の蛇』を構築すると

『自由意志』も『自然の環境』も『新しく産まれる命』も全て『666の因果応報』を生み出してしまう

『親の立場』が『子に反映』される繰り返しの『自業自得』が『因果応報』してしまう

そこでポイントは

人差し指=『方向性を決める』を『親指が抑える』事
『親指』はあくまでも『見守ってる立場』

子供でも大人でもない『中は自由に選択』すればいい
『自然は自然のまま』に、『子供』は『縛られずに伸び伸び』

『方向性(二元性)を決めない』事で『三つ』の『3』とひとつの『6』が生まれる
それは右手だと自分に見える主観の『333』
左手だと正面から見える客観の『333』

これを『666』のウロボロスで作ると逆転するから面白い
左手のOKサインは主観の『666』
右手のOKサインは客観の『666』

右手、左手の思惑が隠されたハンドサイン
昔から有名なのは、左手の握手は決闘のサインなど

ハンドサインは『右手・左手』、『主観と客観』でも意味が変わる

3というのは『行き詰まった二元性』に『新しい第三の道』を生み出す
6というのは『行き詰った二元性』をひっくり返して繰り返す『停滞という名の循環』

SDGs=持続可能な=いずれは止まるまでの閉鎖的な方向性
自然を護ると言いながら自然を破壊しているという役割のエネルギー

そっちに乗っかった奴は0からやり直して、またねじれて8になってを繰り返すメビウスの輪の循環から逃れる事は出来ないだろうね

私は釈迦のサインはやっぱり
気づいたら『子』から『親』への『コールサイン』

ハワイでは『愛国を伝える継承』
ちゃんと『裏付けされた道徳』があったんだと

勝手に『想像』と『創造』して納得(´ー`*)
ま、『子育て論』として使えそうだよね

『色んな事』を『自然な流れのまま』に『経験』しろ
そして『お前の生き様』が『過去(他人)』になる

薬指…約束か・・確かengage ring=婚約指輪は薬指
意味は〔ある行為{こうい}に人を〕従事{じゅうじ}させる、引き込む、参加{さんか}させる

『輪(ウロボロス)の中への不自然な束縛』だね┐(´д`)┌ヤレヤレ

engageのアナグラムの中に、gang ee
強盗、暴力団、不良、排他的な若者・子供の)遊びが入っている

eeは二匹の蛇と見れば、ウロボロスによる輪(リング)の拘束
似たようなのでプロミスリングというのがあるが

こちらもアナグラムをしてみると

promise=rise pom

Prisoner Of Mother” (=囚人の母:イギリス)の頭字語
それ=『奴隷支配の始まり』と読むと

エンゲージだろうと、プロミスだろうと、それは『リングによる束縛』だと
結局はOKサインの『666』の『循環の中に囚われる』という事を忌みしている

ある意味で『そんな束縛のしきたりの世の中』を悟って『迎合しない人が結婚しない』というのも『真理の法則』なんだろう

薬指=『自然の恩恵』を『人が都合よく利用』しようとする『輪の束縛』
人が思う以上に、『薬指は大いなる力を秘めている』のだと

実際、体感と内観の瞑想で見えた景色がそれだったから、そんな自由な薬指にはめるリングの意味を調べたら、文字通り、『暴力・不良による奴隷支配の束縛の始まり』って凄くね?(笑)

・・やっぱり薬師如来に参拝した時の

「なんか面白い『身体操作』とかあったらアドバイスを(。-人-。)」

と願った事が叶ってるシンクロニシティ
そして今回のは…これからの『毎日のルーティンが変わる大きな変化』だった

たった一本だぜ?薬指だぜ?・・と言っても体の一部はどこをとっても替えの利かない重要な役割を持っている精密パーツであり、それぞれの部位に『神経』という『目に見えない力が通る道』がある

科学では『電気信号』などと、『莫迦のひとつ覚えの実験』を繰り返しているが、『他人を痛めつけた反応』でしか先に進めないようではその先はない

「科学や物理は行き詰ってるから引き返せ」ってターンのサインを出しているアインシュタインの69のサイン

アインシュタインの一枚の写真からの閃き

身体で『自分の意志で動かせない部位』があったら、そこを『意識』して『神経を刺激』しましょう
そこに『力』が通れば『神通力』ですが、でもきっかけは『人力(身体操作)』です

『人事(神経を刺激)』を尽くして『天命(神経の力)』を待ちましょう
ま、『障らぬ神に祟りなし』ってっていう意味では・・

『邪が出るか、鬼が出るか』は『藪をつついて』みないとわかりませんが、『人を騙して苦しめる』ような金や権力に目がくらんだ『藪医者』よりはぜんぜん『自然』です

急がば回れ
何を考え何を取り入れ何を実行するのか

文字通り、『己の心』と向き合って『忌みを神締め=自律神経』
『念じる=今の心』による『行動へ移す』を実践してみて下さい

『波動のサポート』やばいって、良い波きてるって(笑)

信じたくないなら信じなくていい
『信』というのは『人の為』に作られた

『偽の他力本願』だから(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)

信用・信頼と絆(氣綱)の違い

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