ライオンズゲート第九夢、自動書記とは何か?それは他力本願の『自動のauto』と『自力で動く応答』の明確な違いがあるというお話
自動には意識があるか?
トランス(変性意識)状態の時、『神からのお告げを受信』してずっと書き続けるという『自動書記』
自動って言うのは本来、人の手を加えない限り勝手に動かない『物質』だから、『自動=勝手に動く』なんだ
それは現代では『AI』がそれ
AIは人の命令、提案、何かしらの『言動(プログラム)によるアクション』があるから『動く』ので『自動』ではない
自動書記ってのは『自ら動いて書いて記してる』だけ
『生きてる人』が『人の意志』で
ただ『物語を書いてるだけ』なんだよ
何か『閃』が来た時、それを『書き切る』まで書いてたら、いつの間にか『日が暮れていた』ように
『つわものどもが夢の跡』…のように、その世界を振り返るように『夢日記』を『鮮明』に書いていたら『夜が明けていた』ように
『変性意識状態(トランス)』というのは『客観的状態判定』であって『主観的』には『意識ははっきり』した上で
それを『書き続ける事に夢中』で『自分の世界に過集中で没頭』しているだけの『クリエイター(創造主)あるある』
と言えば、わかるな?
お前も『自動書記』(σ゚∀゚)σ自覚しろ Σ(゚д゚;)
字覚
字を覚えたら
字書く
その『字が語る世界』を生み出している
前回のアセンションとアテンション
せとての音の違い、意味と目的の違い
アセンDシオン、アテンDシオンのDの意志
『書き始め』はそんな事を思ってもいなかっただろ?お前は『似非スピリチュアルのアテンション(関心を引く)』を『警戒させる和を足すだけ』だったはずだ
それなのに、字として覚えて『字書く』し始めたら…
天皇?八咫烏?汚点の預言者の口封じの玉転がしで国取り?!と、『終わりなき物語』をスラスラと止まらなくなっただろ?(σ゚∀゚)σオマエモΣ(゚д゚;)確かに
あれが自動書記で行動は『auto』なんだが
お前の精神は『応答』モードになってたんだよ
心が物語る『心が前』
それに『応じる心構え』
だから『字書く』が止まらない
止めようと『自覚』して『音(言葉)』をあげるまで
根は伸び続け生きる=『根性の今生』
お前は『夢日記と自覚』して『空間をはっきりと線引き』して、『引き出し』を分けて、『それぞれの世界観』を『区別』している
その『意志』の部分にautoとは違う『応答』が起きている
お前は字を覚える時、その『字』に対する『直感の感覚に応じる』が、そのお前の感じた『違和感』に『宿った先祖達が応じて答える』
だからお前の自動書記=自ら動いて書き記すは『auto』ではなく『応答』によって書かれている共同創造だ
『心に素直』に応じ、『心に素直』に答える
それは誰も邪魔出来ないプライベートな『心の育み』であり、『心との対話』であり、『心と共に遊ぶ』
それはとてつもなく尊い『悳』
『心に正直』である
この字も字覚しておけばいい
『正』は上と下を繋いで止める組み合わせ。これをよく『世の中』という『世間の中の位置づけ』で捉えてきたと思うが
『心』は上も下もなく『真っ直ぐ』
これが『心に正直に生きる』という『悳』
心に素直だと『主の糸が直』で伝わるから
『応答』しやすいだろ?(σ゚∀゚)σオマエモΣ(゚д゚;)
お前はどこぞの『氏(神)を名乗る亡者の戯言を語る預言者=オートマタ(自動人形)』ではない
『自らの意志』で動いて書き記している自動書記
…まぁ、『児童書記』だな(σ゚∀゚)σ夢物語Σ(゚д゚;)
心に素直な感性を持つ
心から楽しめる『子供のような人達』に
ワクワクする『夢体験』を語り伝える
『夢』のようなお仕事だな(σ゚∀゚)σオマエモΣ(゚д゚;)
夢は『憧れる』もの
童心に帰る、『童心に変える』ものなんだ
里を支える心を思い出す=『黒』
黒の『闇』に浸りたきゃ『目を瞑れ』
呼吸をしろ
息=自らの心をはけ
自らの心を呼んで吸え=先の祖を人と共に養う
そしたら『応じて答える』(σ゚∀゚)σオマエニ (´∀`)
なるほど(´・ω・`)
そもそも、この先祖供養という『先の祖を人と共に養う』という意志が、『応答』そのものであり、それに素直に応じ答える=字を書くから
σ( ̄^ ̄)?これは何を伝えてんだ?と書き終えた『書記』を読み直し…これは『世見直し』?!Σ(゚д゚;)アドバイス!と『自覚』して心に素直に有難いと感謝する
そもそもな?
神を『名乗るもの』の言葉と
『名乗らないもの』の言葉と
『信』という『人の基軸』を持つからそれを用いた『信用』に騙される
ちょっと考えてみ?
現代で『教祖様ビジネス詐欺』が有る…という事は『過去』にも有る
過去に『それをやった奴』が『生に執着』して『今度は上手く演じる』と『人を山車』にして『神輿に担がれる神』を騙る
こういう『構図』を想像出来ないか?
無知蒙昧で盲信してる馬鹿、経典のひとつ覚えで行き詰まった莫迦に、「もっと力が欲しいか?」と忍び寄る『亡者』
『綺麗事が好きな神(ルッキズム・美辞麗句、ナルシシズム)』は、『気に入らないものを汚い』とレッテルを貼る『負けず嫌いの優越コンプレックス』があるから
名乗る=『名声・ブランドを強調』する
わかりやすいほど『強欲』だろう?
『欲を手放せない亡者』だから
欲の為なら『身を捧げる犠牲の馬鹿』に『憑依』する
そして「人の為である」と言いながら
それは『亡者が満たされる為』でしかない
人の為は全て『偽』
情は人の為=偽ではない
情=心(先祖達)+主(意識)+月(臓器)
これは偽ではなく真
今日のお話は・・
自動は勝ってに動く(物)ではなく
自動=自ら動く(人)
auto=決められたプログラム通りに動くではなく
応答=応じて答えるという双方向で臨機応変に動く事
自動人形はプログラムに操られるかもしれないが
自動人間は自らアドバイスに応答して動くので操られない
その状態で書き記しをした時
都合のいい予定調和に合わせた物語を書きだすのか(地位・名誉・評価・金)
温故知新で古きを知り新しきへ活かす建設的な和足す意見を書きだすのか(自己表現・自己満足)
私は、後者だと自覚しました(゚∀゚)アヒャ
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