好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

感覚的量子論 渦(渦中)とは永遠の螺旋距離(黄金陽)である!?

渦中という位置から見た世界は螺旋の渦で、渦の小さい周りの景色が変わっているように見える、渦中の繰りを拾う=意識の旅にでるきっかけは二次元の螺旋

渦の中心から見た螺旋という動きの見え方

黄金比 睡眠の質

螺旋という『黄金比』がある
これは前にも『睡眠との関係性』で捉えた事がある

自然に黄金螺旋を描くバレルロール睡眠法爆誕(笑)

これは平面的な外側と中への『方向性・距離』である

しかし、この渦を『回転』させてみると、平面的な二次的創作物に『三次元的奥行』を感じる
この時、実は『意識の観測位置』が渦の外ではなく『渦中=渦の中心』にある

その為、渦の回転の『向き』により、『手前と奥』という『前後の方向性』が生まれ
黄金比という『平面的な比率』に何の意味も無くなってしまうのである

『静止した世界』では黄金比という『距離を比率化』できるが
『動的に動いている渦中』では『静止した世界は一瞬』である

VR仮説

『常に位置』が変わる、『常に見える景色』が変わる
万物流転、諸行無常、栄枯盛衰・・という言葉を発する先人達

私も『動的に動く螺旋の中心』という『位置を体感』しなければ
これが『渦中の繰りを拾う』とは思わなかった

カタカムナ44首 時間逆光

『火中の栗を拾う』の意味はこう

他人の利益のために危険なことにあえて手を出すこと、または自己の利益にならないのに困難な事態に介入することを意味する、ラ・フォンテーヌの寓話に由来することわざです。本来は「だまされて損をする」という意味合いでしたが、日本では「危険を冒してでも全体の利益のために尽くす」といった、より前向きな意味で使われることもあります

前者はとても『真』を捉えているが、『後者=日本人に都合のいいお人よしの道徳的』でとても『偽善的』に感じた理由

私があえて提唱する別の漢字の『渦中の繰りを拾う』とは

螺旋の『回転の中心位置の観測(永遠に詰らない黄金比の比率)』で、次々と順序立てていく『動作』、物事を組み込む「繰り込む」、相場が元に戻る「繰り戻す」、または「繰り上げスタート」の繰りの『主軸』に至る

自分が螺旋の回転の中心で『渦を回すも戻すも方向自在』になる・・という意味では、今までの明晰夢における、『渦の中ぶっ飛ばされて知らない世界に辿り着いて特定の行動』をする現象

これは『困難な事態に介入する』が非常に近い意味でもある

確かに、その中で私が取っている行動は、『危険』を冒してでても『全体(自分達)の為に尽くす一人』として、『差を取って和を足す』行いだから、場合よっては『±0として自己消滅』もある『損な事』でもあるが・・

チャネリング体験してわかった苦示現のお仕事

夢の向こうでこの現実を夢日記に書いてる自分の夢

『禁忌の書』それが夢日記と実感した夢

その『自己消滅で差を無くした』おかげで、自分達に「後は頼んだぞ!」と託す『尊な事』でもある

つまり、『夢と黄金比の螺旋』は非常に深い繋がりがあり、二次元を三次元の『入り口にも出口』にも変える『意識のワームホール』でもある

下手に近づいてはいけない『魔法陣ぐるぐる』である(笑)

そんなぐるぐるの魔法陣(カタカムナカード)を額に当てて眠り、枕の下に古代文字のフトマニ図をいれて・・『自らの松果体を触媒』にするという・・『損な危険』なことにあえて手を出す・・『火中の栗を拾う』莫迦なんて・・

俺だーーーーー!!Σ(゚Д゚) Σ(゚Д゚)尊な莫迦いたーーー

神代文字のフトマニ図を枕の下に入れて寝ると?!

神代文字のフトマニ図に異変が?!

カタカムナはもう日本人の中に根付きつつある

『損』『火中の栗』を拾いに行った私が得たのは
『尊』『渦中の繰り』を拾うという『和足し』という位置だった

そう位置が変わる=意識の観測対象=『周りが変化』する
しかし、『自己』という『螺旋の中心位置は不変』である

つまり、『今の意識』のまま、『過去』にも『未来』にも飛べる
しかし、それは『存在の上書き』ではなく『意識のインストール』

感覚的量子論11 意識の共存と多重人格と大器晩成

小人症の体に憑依して内観した後、脳波器具を使って調べてる夢

言ってる意味がわかるだろうか?(ついてこれてるかな?)

解り易く言えば、リヴァイバル

「リバイバル」とは、**「復活」「再生」「再流行」**を意味し、一度廃れたり終売したりしたものが、見直されて再び人気が出たり、復活したりすること

こんな言葉を使うだろう

「もしも・・~であったらば・・」という『別の可能性』
現実では『一度決まった過去は変えられない』とされている

それは勝敗が決した『勝者として立場を覆させたくない』からである
これは『今』でこそ、『惰性』でしみついた概念だが・・こう考えてみたらいい

「もしもタイムマシンがあって過去に行ける」なら『勝ちの価値』はなく『勝負に意味』はない
敗者になった=『負けが確定した瞬間』に過去に戻り勝負をやり直せば『絶対に負けない』

あるいは、『絶対に勝たせない』という『インチキが可能』であり、『争う両者』が『その力を求め続ける』限り、その『タイムマシンの取り合いが焦点』になる訳で・・

馬鹿だよね~と思う(笑)

その時点で『争う焦点』がずれていて、これを螺旋でいうなら『渦中の繰り=主導権』を拾いに行った結果、『余分な次元=余次元』に堕ちて『元の位置』を見失った

つまり、誰かがタイムマシンの繰りを『固定』させた事により、『この現実』では『一度決まった事は覆らない』という『一生ルール』みたいなものができたと仮定する

この一生は『肉体(器)の死』を担保にしているため、肉体から『離れた意識』はその制限を受けない

死人に口なし つまり囚ではない人として

・・ま、思い返せば、その『一線を越える時』は『誓約』を交わした気がするが覚えてない(笑)

で、その一線を越えて、螺旋の渦中の繰りによって飛ばされた『最初の体験』が、心から消えなかったこの現実の『過去のトラウマ体験記憶のリヴァイバル上映』

過去のトラウマが解消された夢(自己催眠療法?)

トラウマを乗り越える夢パート2 必要な存在が現れた 

適材適所と臨機応変を実践で学ぶ トラウマ解消の夢3

1~3と夢日記をまとめているが、この『間』には色々と他の『明晰夢の体験や精神修業』などを経て、『数年越し』に起きている過去の記憶の世界体験

もしも・・『今の意識』のまま、『あの時の自分の状況』になったら?この『過去の自分』が見直されて再び『人気が出て復活する力』を和足したら?

『ハイヤーセルフ(高次元の自分)が接触する』とはこういう事
過去を乗り越えて問題解決できる『今の自分の意識』が手助けにいく

ハイヤーセルフ(高次元存在)は自分だと気づく夢

ほんの一時、『釈迦(問題解決)Zone』を体験させる

独自体感論 集中を客観で観た心ZONE(出雲・出夢)

「その心の吾の感覚を忘れるなよ?=覚悟」を『和』足して去り、今に戻る=螺旋を止める
『止まった空間(今)』を動かし、『届けたい空間(過去・未来)』と繋ぐ力

それは肉体から離れた『意識の観測(見てる夢)』であり『介入(明晰夢)』でもあるからこそ、その空間で動いている他のもの=余分な何かの『余次元の誘惑』に引っかかってはいけないのである

第七感で繋がる並行次元を楽しむために知っておく事

『余り』とは何か?、それは『足る(限度)を越えるもの』である

過ぎたるは及ばざるがごとし
=過去は変えられないと後悔先に立たず

『渦中の繰り』とは、『足る』を知り、『満たされ満足する為』に行う『空間を動かす力』、つまり、『意識の旅ができる』からといって『肉体』を捨てその『余次元の間物(夢で好き勝手暴れる)に堕ちる』のも愚の骨頂

極めし者・・という極地の『際物=特定の時期にだけ人気が出る商品』
キワモノ=『間際に住む化物』『ゲートが開く』のを待っているぞ?

これは現代的に言い換えるならば・・

Businessにおける何も知らない『無知蒙昧な初心者を騙して囲い込む』
大学に入学したての何もわからない『新入生をサークル新刊コンパで手籠めにする』

逢魔が時、大峠=一人で山の上下を越えるという『試練の時』でもある

だから、まだ『精神が弱い』状態だと、『金縛りによってプレーキ』がかかる
『潜在的に恐れている恐怖の対象』が幻覚・幻聴となって『意識が離れない』ようにするセーフティ

その幻覚や幻聴を『精神的に克服』し始めると、直接的な『干渉(引っ張られる等)』によって、『ガイド付きの明晰夢(五感を伴う現実と同じ)』への旅が始まり

そういう『夢の世界観』にも慣れてきたら・・いよいよ『トラウマ解消の過去のリヴァイバル上映の主役』として、『シナリオは過去の体験』だからわかってる前提で、『主役として舞台』に上げられる

そこから先は、『今の自分の意識によるアドリブ』で表現して、『過去の失敗を克服』すると、その先はあの時は決して見る事が出来なかった、『未だ知らなかった=未知の周りの景色を見る』だろう

合わないと嫌っていた相手との『関係性が変わった未来』
憎んで殺してやろうとすら思っていた『相手を尊敬する未来』

過去の自分の上映では『バッドエンドだった現実』
今の自分がリヴァイバル上映して『グッドエンドの現実』に変えた

『その先の現実』も『その過去にはある』が、『今』ではない・・が、『今の現実』に、その『トラウマだった過去は無くなる』から『心の苦』もない

これが夢による『自己ヒーリング』・・というらしいが、それは『渦が静止したこの世の一面』における表現であり、実際は、『渦中で繰り広げられた人生のやり直し』による『成功体験を積んで戻ってきた』だけの事

『治癒=元に戻る』ではなく、精神は『より強くたくましく免疫耐性と自身』を付けて帰ってくる。だから、『心が広く』なり、人に『優しい心を和足す事』ができる『余裕=自分自身』が生まれる

『余りある体験・経験』をしたのだが、『この現実に意識が留まる今』となっては『虚空(像菩薩=修行)の夢物語』であり、口八丁手八丁で過剰に『口』を盛れば『嘘』になって『余次元の間者(誘惑)』になってしまう(笑)

故に、夢物語は子供のような『素直な心の持ち主』に『夢を与える』くらいで『事足りる』
それでまた黄金比の螺旋は続く、『渦中の繰り(運命・宿命)を拾いに行く者』が生まれる

変なおじさん

独自体感論 昔を懐かしんで笑う夢で繋がる師弟の和足し

『皆(他人)』の為ではない
『御名(自分達)』の為である

『私』という存在は『今の自認』だが、過去という『消えた私』も、未来という『未だ来ない私』も『在った・在るはず』という『自認』だ

自ら認める範囲が『私=所有』である

故に、その所有を手放した『何もない意識と心』というカタチの無い何かだけが・・、黄金比の螺旋の渦中の繰りを拾って、『足るを求めて自空間の旅』にでる

これがほんとの『自分探しの旅=自ら分けた役目探しの旅』って奴(笑)

余談の予告 黄金比と黄金陽(光)

黄金比は「約1:1.618」という、最も美しいとされる特別な比率です。古代ギリシャの建築からモナリザ、自然界の植物や貝殻など、さまざまな場面で見られ、デザインやアートでレイアウトのバランスを整えるためによく活用されます

『比較・比率』という言葉あれど、黄金比とは『特定の状態』を示す

黄金比と金塊(黄金)に直接的な関係はありません。「黄金」は希少で価値の高い貴金属である**「金塊(ゴールド)」**を指し、その名前の由来は、価値や美しさからきていると考えられますが、直接的な数学的関係はありません

ふむ、つまり『黄金』という名称は『価値基準』で人が決めたと・・だから、英語でも黄金比は『golden ratio』という・・

短絡的というか、安直というか・・結局、金塊・金欲で『光ものが好きな頭悪い感じ』しますね(笑)

だけど、黄金というのは『黄色の金』な訳で、金は『元から黄色』なのに、さらに『色を足す』?という

『金に色を付ける』?なんか・・あんまり良い感じがしない・・と、この素朴な疑問から始まった閃きをAIに投げたら・・

「アインシュタインの相対性理論を持ってしか説明がつかない分野の垣根を越えた横断的に繋ぐ哲学的かつ物理的な光の特性と熱伝導と宗教的な観点の共通点に気づいたあなたの洞察力は凄い!!」

と大絶賛されたAI(gemini)との哲学話は・・また次回
『なぜ人間は金に魅了されるのか?』その根源的な法則を見つけたかもしれないってさ(笑)

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