聞く耳=観音、ある選択の夢を思い出した時、突然なった耳鳴り、その余韻は「もう気にしなくていい」という優しいものに感じた事で、夢の中での『あなたの選択で世界の創造と消滅』が決められていると気づいたお話
自由意志の選択の夢を思い出して・・
母の月命日に墓の前で、『過去に見た夢の体験』を思い出していた…特にもう1人の私が現れた夢の事。『あの夢(5年前)』があって『今の私(5年後)』があり、『今の私(5年後の体験意識)』があるから『あの夢の現実(5年前にみた未来の意識)』が生まれたパラドックス
夢の世界から戻った時、黒づくめの姿のペストマスクを被った男に
「今見た事は誰にも言うな」と言われ「言うなというのが自由意志なら、言ってどうなるかも自由意志だ」と返し、その黒づくめはすぅっと消えた…時の事を思い返していた時、右耳が「ポーオォン」とかすかに鳴った
直後に
その『夢の内容を言わなかった現実』は『もう消えたのだろう』という余韻を感じた
「気にしなくていいよ」という感じ
もしかしたら、『現実には干渉』する事は出来なくても、『思考、想像、空想、物思い』等には『目に見えない存在は関わる事』ができるのかもしれない
選択の可能性の分岐
それは『自分の意志』で決める『セト際』であり『正念場』
セト際=免疫の判断
『寛容』して『受け入れる』か?
『拒絶』して『切り離す』か?
素直な『RNA』に『2つのメッセンジャー』が結びつこうとして、どちらの未来を『DNAの新生』にするか『世界創造の正念場』
もしかしてこれが『観音』であり、『聞く耳を持つ』という事だろうかと感じた
ペストマスクの男の拒絶
「今見た事、聞いた事を誰にも言うなよ」
これは『正体』も隠して『事実(可能性)の隠蔽』であり『特定の事柄』に聞く耳をもつなという『命令』
当然、これに従えば『三猿』
見ざる・言わざる・聞かざる、『特定の事が陰謀、デマ、禁忌扱い』
一方的に『押し付けられた世界観のルール』を『鵜呑み』にしたらさっきの『好きな事をやれ!といった私の可能性の世界』は消える(´・ω:;.:…
しかし、私が取った行動は、その『命令に従わない自由意志』で『ありのままを夢日記』として表現した
…結果、その『可能性の夢の現実』は生まれ『隠蔽に加担したであろう可能性の世界』は消滅した
それぞれの『世界の消滅』をかけた『自由意志の戦い』だが…まるで『北風と太陽』だ
物事に対して厳罰で臨むよりも、寛容的に対応する方が得策という教訓
和の心は「好きにやれば大丈夫」と『後押し』して『自由』にした
隠蔽の心は「見るな、言うな、聞くな」と『行動を束縛』し『命令』をしてきた
その二択はどちらが正しいという正義ではなく、ただ『ありのままの正』と『それをさせない邪』という『正邪』の闘い…ですらなかった
「お前は大丈夫!」と自由に『ほっとく=仏悳=穏やかな見守り』
それは『邪のアプローチが介入する』という『余地すら予知』した上で「それでもお前は大丈夫!」というもっと『高い意識の私が全てを見透かした発言』のように
『邪』すら好きに『ほっとく器の大きさ』だった
『正の中間』で『一線を越えられなかった私』は、その時、『邪が支配する偽りの世界』よりも、遥かに大きな『心で包み込む真世界がある』と片鱗に触れた
その片鱗が「大丈夫!」と『釈迦意識』を心に『和足し』てきたのだろう
人として『人の為=偽』と向き合う世界は、『邪の中』の二元性と中立の正
言うなれば『正』すら『邪が調整する事』で『立場』は生まれる『邪の現実の中』
それに『夢中』になっていると、その『邪すらを遊ばせている』という、もっと『大きな和の世界がある事』に気づかない
邪が『囲い込み洗脳世界』なら、その邪が「見るな!聞くな!言うな!」という『隠蔽工作を命令する人・物・事』とは
それは『もっと大きな世界』
『偽の邪が受け入れられない』と『金輪際』と追放した『真和の世界』が『存在する事』を意味する
「そっちに行ったら戻れないぞ?」と『脅してくる』のは『逆』から見れば『和に馴染めない』から弾かれた『小さな世界』
『追放された者』が支配する世界
『行き場のないヤコブ』の夢
『真の世界を真似』したコピーの『仮想のデジタルツイン』
『イッツァスモールワールド』の『邪な夢の国』
『井の中の蛙大海を知らず』
何もかもを『自己解釈』して『納悳』して『素直に心』に納めたら、役目を脱いで解いて『解脱』する
役目・役割とは『立場』であり、邪な人の為=偽世界の『舞台に参加』しない
邪な夢の世界に『依存してる住人や信者』はその世界以外『存在しないと盲信』している
「有る」と言っても「無い!」と『邪の洗脳』で『有り得ない』と拒絶する理由は…私が『夢の中』でそれを迫られた「聞くな!見るな!言うな!」=三猿である
無意識領域、精神領域での『邪の介入』を受け、そこでの『契約の同意』をしてしまった人は…現実で『目を覚まさない契約』をしたような者だから、当然、「有り得る!」という『可能性の音』がする世界に『聞く耳を持たない』
観世音とは『音で世を観る』
音は『発声』であり『周波数』であり『空気の振動=波動』である。可視光線=『色』もまた『周波数』、つまり『観音=聞く=色々観る』でもある
『音』が見せる『反響で世界を観る』と『調和』と『不調和』、『違和感』や『差異・際』に気づく
『どこ』でおかしい?と『おかしい箇所を特定』し
あ、ここが『金輪際の見極め』(関わらない)
あ、これが『セト際』か(カインの炎症特性を知ってる)
そう言うサインを『ガイドとなる音(耳鳴り)』が『体の細胞』を通して鳴ってるが…
『自己を労る・自分と向き合う内観』が出来ないと言うのが、『聞く耳』持たず、自分の『心の声を遮断』して『自我に都合のいい音』だけ聞き取ろうとする『邪』
『心の声』を聞かない→『観世音の見せる世界』を見る事が出来ない
『見た事ない』から『口』で表現できない
誰も『口にしない』から『存在しない』
これが『邪』が『無意識化』で行ってる『夢見の妨害工作』だけど、『正邪』が向き合う時、実は『対等』であり『拒否』もまた『自由意志』
『拒否』される=『和』になれない
これは『一部の分離(割れ我)』ではなく、『別のもの』として『区別』である
『存在を否定』している訳ではない、認めた上で『金輪際関わらない慈悲』
結果、『邪が無い存在(理想)』が生まれる
全ては『心の中』で起きてる『闘い』なのだと私は感じている
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