落語とは?寄席(落語・講談などを演ずる、演芸場。)などで演ずる、たくみに落(おち)をつけて終わる、こっけいな話。おとしばなし。ではなく、古典派が正しく芸法にこだわるのかは大事な事を伝承するためと理解したら、寿限無は高皇産霊尊(たかみむすひのみちざね)(森羅万象を象徴する不滅の仏陀)だったウルトラクリティカルシンクロニシティなお話(笑)
地域伝承から読み説くルーツの流れ
私が突然、落語に意識が向いた経緯をざっくり説明すると、前回のアヴェスター原典説から読み説く、梵字と法華経の伝承の役割を担った人の共通点
空海=幼名 真魚
朝廷に関わる血筋
唐から法華経・梵字を伝来する
砂子姫=真砂
父の名に貞=皇族血筋
法華経・三蔵法師に繋がる周辺情報多数(梵字・法華経)
どちらも『法華経・伝承者』で『真』がつく
魚?砂?
海『砂』利水『魚』?
↓↓↓
寿限無
はい(´∀`)こうやってたどり着いた分けですが、寿限無って、落語なのにJUGEM?ジュゲム?って『音の響き』で思ってませんでしたか?
私は昔、それで変なの〜と
ポンポンコピーのポンポンコナーのと
落語って訳分かんね(´∀`)と思ってたし、ドラマのタイガー&ドラゴンがおもしろいと思った時には、要は『日常の自分の体験から得た教訓を大衆娯楽に落とす』んだろ?と…
全然違いました(´◉ω◉` )Σ(゚д゚;)
何故、『古典派落語』というのは、『師匠から弟子へ所作も含め完全コピー』しなければいけないのか、それが『寿限無』でわかったんです
寿限無とは無限の寿命
あの内容は『大衆娯楽の観点』から見れば「赤ん坊になんて長ぇ名前をつけるんだよww」という所が山場で、それを繰り返す天丼のしつこさもあるけど、オチは『長生きして欲しい長寿を願う親心』、それだけ愛(想い)が深いんだな~とほっこりした話になる
その中の名前に『海砂利水魚』と出てくる分けですが
無数に存在する海の砂利(じゃり)や水中の魚を例えに出すことで、子供の寿命が長くなるように、長生きしますようにとの願いが込められている。
私はそのひとつひとつが、『役割』を果たした『皇族血筋(短命)』なのではないかと思った
例(当てはまる人物がいるかも?)
真海
真砂 砂子姫 貞の血筋 梵字 法華経
真利
真水
真魚 空海 皇族血筋 梵字 法華経
五劫の擦り切れ
一劫とは、三千年に一度、天女が天下って、下界の巌を衣でなでるのだが、その巌をなでつくしてすりきれてなくなってしまうのを一劫という。それが五回
一万年と二千年前(4回?)から愛してる?天女?
「パイポパイポ~」は、昔、唐土のパイポ国のシューリンガン王とグーリンダイ后の間に生まれたポンポコピーとポンポコナーという二人のお姫様が大変長生きをした
ここでまた唐との繋がりが見える。ポンポコ=狸というイメージはいつからか。日本昔話に『狸』が出る、『狸属』とは(狼・犬・熊・)というひとまとめのカテゴリでもあり、「~の犬め」「この狸野郎」のように『隠語』でもある
仮に『唐からの伝来の教え』を大事にしていたとする
「長久命の長助」は、天長地久という文字で読んでも書いてもめでたいで、それをとって長久命。長く助けるという意味で長助
『久しい』とは(その事があってのち)『月日が長くたっている』事であり、五劫の天女からすれば「長いね?」というくらいだけど『地』としては『だいぶ久しい子供』だから
長く助かるといい
長く助けて欲しい
という、今までの長い長い『天地の血の歴史を継承する皇族の血筋』が誕生した喜びが『寿限無』という落語として伝承されたとしたら、伝統芸能の継承は確実に『古典』に沿って行わなければいけない
『間違い』や『名前が違う』なんて、伝承が『伝言ゲーム』になってはいけないし、それを『伝承する弟子選び』として師匠は『阿闍梨(マスター)の役割』になる。故に厳しさは必然
そこで落語はなんで『落ちて語る』のか?『大衆娯楽』と『古典派落語』は何故明確に違うのか?これを説明すると
私達は『ボケ』と『ツッコミ』、『ヤマ』と『オチ』=『お笑い』 と思っている
違う(ヾ(´・ω・`)
『上(天)の神話』が『地(血)に落ちて伝承』されて語られている(古典)。さて、かくも語りき日本語の妙技!とくとご覧あれ、その言葉から生まれし二つの
ツボケとヤマトオチ=ヤマタノオロチ
テクニック=手段の中に『一族』と『方向』が見える
落語が語るのは『倭(やまと)』から『オチ伸びたツボケ族』では?
東北は『アソベ族』がいて後から『ツボケ族が合流』した話がある
古史古伝「東日流外三郡誌」、偽書として封印された書物だが、私の祖父の代までは方言に『ツボケ!この!!』と間違った相手に怒る(強めのツッコミ?)で使われていたらしい
なるほど、『お笑い文化(ボケ込み?混み?)』的なものが『倭(西側)から伝来』していたとすれば…そりゃ『西は陽気な商売人』だから『津(港)』が栄える訳だ
『東西が和合していた地』に、久しく『役割を繋ぐ子』が産まれた。そりゃ『長生きして欲しい』となる訳だ(´ー`*)ウンウン
さて、五劫の擦り切れで天女が三千年に一度『厳を袖で撫でにくる』ってとても『壮大な響き』を感じませんか?
私は『天のベール』が剥がれ『真実』が見え、そして『虚仮が蒸すまで細石の厳となった者達の魂』を救いに来る、そんな『セオリー』を感じます
君が代を何度も読みといて来たけど、千代に八千代には千年、幾千年単位
それを伝え残したのが『五劫の天女(女神)』始まりなら、『八千年過ぎた頃』からもっと恋しくなって、待ちきれなくなって擦り切れるほど『厳を磨いて苔落としたって』おかしくないじゃないですかw
そして、前回イサクの遺作、ヤコブの子=13氏族の全人類は、もはやそこから『天皇と同等の血が地に分散』してます
『全人類兄弟姉妹』であり、ニニギノミコト(ヤコブ)から『短命』になった
なんで短命になったのかは分からない。血が混ざってDNAの中に『相容れないと争う病気因子(RH±)』が生まれたのか、それともいがみ合い殺し合いの血で血を流す事で『命のサイクルが早くなった』のか
歴史が語るのは『始まり(生)』と『終わり(死)』だけで『過程』がない
だから君が代は全人類に向けた
厳磨き大好き天女からのメッセージ
さてさて、それが『瀬織津姫』だったら
天のベール(袖)
天からの洪水
厳大好き・巨石文明
ない袖は振れない?
うーん?アラハバキ?イワナガヒメ?!
史実上、イワナガヒメは「ブサイクだ!!」と世に浸透してますよね?だからみんなイワナガヒメを避ける、選ばない『コノハナサクヤ』のがいいと
うーん、私は思うんですよ…『平安時代の美的感覚』は『今』と違いますよね?もし、現代の美的感覚で『その時代の美人』を捉えたらなんか色々『錯覚』しそうです(笑)
もうひとつは『相手を堕とす』『信用を奪う』『レッテルを貼る』という『陰口の情報で印象を変える事』もできるとすれば
イワナガヒメで『あってはいけない』
イワナガヒメは『捨てられた事』にしよう
そうやって都合よく『後の歴史がいじくられた』と考えると、先日のコメントで教えて頂いた、『坂上田村麻呂が岩手に訪れてから、瀬織津姫を祀る神社が減った』…という研究されている方の話の『因果関係』も見えてきます
もしかしたら、瀬織津姫(セオリー・法則)=アラハバキ(地母神)=イワナガヒメ(自然循環)
これこそまさにしっくり来る(๑•̀ㅂ•́)و✧
まとめると
落語の寿限無は皇族・伝承・天女から『役割をになった者の名』とそれを『継ぐものが末永く続くように』という『役目を託した子達への願い』
ちなみに寿限無を英語ではこうなるらしい
高皇産霊尊(たかみむすひのみちざね)(森羅万象を象徴する不滅の仏陀)
な?とんでもねぇ所が出てくるだろう?(゚∀゚)アヒャ いかに日本人が『大切な事を意図的に隠されている』かよくわかる
落語のヤマとオチは『伝承の倭(やまと)落ち』の語り、それは真相を知れば『ヤマタノ大蛇=ヤマトの降り地』のような『化けた話』
平家物語(平家が何やったか暴露伝承)みたいなもんでもある。ついでに言えば源氏物語も枕草子もね
そしてこれは結構『確信部分』だと思うのが
ボケとツッコミ=ツボケ族
アソベ族は田舎故に『素朴で素直な者』が多く、ツボケ族からすれば『いい商売』ができただろう
『真贋』問わず良いものと勧められたら買ってしまう『妄信や洗脳』しやすい、その過程で『騙し騙されの失敗談・体験談』というのは「そんな事も知らねえマヌケがいるのかよww」と『大衆娯楽の落語』として『ネタ』も尽きなかっただろう
ここではっきりとわかるのが、物語の最後にどうなるのか?が分かれる事で、聞き手の印象が大きく変わる
正直者が馬鹿を見るという、人に騙された方が悪いという盗人猛々しい西の商売人のような都合のいいオチになるか?
正直者であったからこそ、大変な目にあってもその行動の徳がちゃんと返ってくるんだよとという教えのオチになるか?
だから、伝承でその風土で育った地域性の違いが人間性に反映されて総合的に見ればはっきりと出てくるわけだ。どちらのイズムに染まっているか
「新鮮なネタあるよ!!」のネタは『噺』であり、『小噺』は海を越えて『津(湊)』を渡ってくる。その大衆娯楽の中にこっそりと『古典』として『忘れてはいけない倭落ち(ヤマとオチ)』はしっかり入れる
『倭落ち』がなければ『古典落語』は生まれない
『落ち延びた先』で『(皇族の)子供が産まれた』ってよ!!(寿限無)、それで『東と西が和合した時期』があったのかもしれない
天の意志を継ぐ子
天女が3000年に一回撫でにくる『厳(役目を担う者)』
天のベールが剥がれるとは五劫の擦り切れ
厳を撫でるとは水で流す『大洪水(大きな変化)』かもしれない
そのために『細石(意志が弱い)』が流されないように『厳(意志が強い)』となって護れと、そう考えると『世界中に大洪水伝説』があるのも納得の『セオリー(法則)』
でも『君が代』が伝わってるのは『日本』だけ。伝承は口伝、書籍、データ、色々な方法があるが、どれも『不確実』だけど
根幹は『DNA』なんだろう
DNAを改造する事、それが終わりの始まり。逆に終わりを速まらせる事で、抵抗する強い遺伝子の覚醒や隔世を促そうという計画だとしたら・・目が覚めて自由意志に芽生えた者達も一定数いたから、成功なのかもしれない
そしてその『一握りの巌』は天女の羽衣に包まれて気持ちよくなるとヾ(*´∀`*)ノいっくぅー(一劫) Σ(゚Д゚)
ふむ( ・・ )またDNAの深堀の方向ですか、実は…『遺伝子』って言葉がなんか『当てはまってない』気がする理由について、そのうち『体験から得た学び』を明確に説明しようと思います
それでは、そんな途方もない遥か昔から継承されている『創生をテーマ』にした歌をどうぞ、一万年と二千年前(4回?)から愛してる?巌を撫でる天女?
これを改めてみて思ったのは・・日本人のDNAには遥か古代から『巨大ロボットに乗る』という概念が『強く継承』されているような・・
実際私が直近で見たぶっ飛んだ夢でも、ロボット乗ってましたし、実際VRでも異常に求めるんですよ・・『コックピット(操縦桿)』
やはりDNAの中にある『祖先の記憶』は、『そういう環境』から来て、『生まれ変わってきた(異星行来)』のかもしれないですね(先祖帰り?)
その辺は次回、『心理学と共時性』の観点から読み説くアーマードコア(これもロボット)で解説します(≧▽≦)
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