好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

穢れとは気枯れ 大掃除で気づく話

そういう事か!と気づくと掃除が楽しくなる穢れ=気枯れ=汚れ、運気が向上する仕組み、風水とは何か?と繋がって理解する言葉遊び

年末の大掃除がきっかけ

台所の掃除をはじめ、洗剤をつけてステンレス部分をスポンジでごしごしと拭き始めるとぎゅぎゅっ!と急に負荷がかかる場所がある

そこに目に見える汚れや見えない汚れがこびりついているという事だろう

しばらくその部分をゴシゴシとつっかかりがなくなるまで往復すると、そのうちすぅーっと滑りがよくなり表面的な汚れが取れたと感じたのだけど、この時にふと思った

汚れってなんだろう?

汚れてる・・汚れとは、明らかに正常な状態ではない見た目、著しく嫌悪感を感じて、不快に思う部分の事だろう

汚らわしい・穢らわしい という表現もある

それをもとに戻すために掃除をするのだけど、一言に汚れといってもそれは状態であり、その汚れになる前はなんだったんだろう?

ふとそんな事を考えながら推理遊びを始める

「これはおそらく油だから、天ぷら上げた時に飛び散った奴かな?」
「これは洗った食器を置く場所の裏だから水垢かな?」
「この縦筋の線は・・薄黄色になってるから醤油が垂れた後?」

そんな感じで、かつてこの汚れは、何かしらの行動の時に必要とされた物から生まれ、その時は名のある物質の一部だったが、それがそこにある事すら忘れられ、姿が変わってしまい、今は元の名もわからない汚れと呼ばれる残留エネルギーになったのだろう

(。-人-。)その穢れを払いましょうか

・・と何気なく汚れを穢れとして例えた時に、私の閃きスイッチが脳内変換した

穢れ=気枯れ

ここで汚れ=穢れ=気枯れ という「気」という概念に置き換えると汚れというものの方質が見えてくる

汚れとは今の『状態』をさし、その汚れは元は『名のある物質エネルギー』
その物質エネルギーがその状態を保つための『気』が出尽くして枯れてしまう

その気が枯れた=気枯れの状態を汚れ・穢れ

こう考えるとしっくりくる

これは人間で例えるならば

死ぬまでは名のある存在
死後は誰であっても故人・遺体・死体
火葬後は骨と粉 人間という形ですらない

その骨と粉は『かつて人間だったもの』の形が変わった物質的な残留エネルギー

しかし、例えそんな状態になったとしても、かつてそれは名のある人間だったと『認知』する人にとってそれは『名のある人間』というエネルギーを保つ

例えそこに魂や自我・意識という主観的なものが宿っていなくても、残された人がそれをそう思い込めば、そういうエネルギーが宿るという事

とかなんとか、置換思考を楽しみながら、だったら汚れにはこれが効果があるんじゃないか?と実践したら驚きの効果が二つあった

汚れにありがとうを伝えると簡単に取れる

汚れとは人が何らかの行動を起こさないと発生しない存在
新品で届いた商品の梱包を解かない限り汚れる事はないよね?

つまり、汚れが生まれる所に人間のドラマやエピソードがある

汚れとはかつて何らかの物質的なエネルギーだった一部が、その原型や名を忘れられエネルギーが枯渇してしまった状態

という所までわかれば、答えは簡単

気にしてあげよう=気を分け与えよう

その汚れはかつてなんだったのか?自分がその汚れを作った張本人なら、その汚れがついた時のエピソードや原因は思い出せるはず

そして、その名を思い出してあげてほしい

「この汚れはあの時についたのか!」

それを思い出した瞬間に、その汚れへの気持ちや印象は確実に変わる

自分の内面の気持ちは振動エネルギーであり、気持ちが変われば放出される振動も変わる

振動と周波数 氣とカタカムナが繋がるお話

自分が元の名を思い出した事も汚れに伝わる

それは気が枯渇していた存在に気を分け与える事
それによって汚れはわずかでも『汚れではない状態』になる

その時に「ありがとう」の感謝の気持ちをこめよう

その汚れがなんであれ、自分が何かした時に必要としたものの一部であり、その汚れの元になるものがなければ、それは成し遂げられなかった事

だから、本当ならすぐに気づいて、汚れになる前に、穢れ・気枯れになってしまう前に、ちゃんと掃除なり手入れなりしていれば、こうはならなかったんだけどね

その時気づいてあげられなくて、そんな名もなき存在にさせてごめん
ありがとう!ご苦労様!ヾ(*´∀`*)ノ

って言いながら、ゴシゴシやってたらめっちゃ簡単に取れる!!!?

(;゚Д゚)嘘だろ!?洗剤つけてねぇぞ!?

驚くくらいにはっきりと汚れがこびりつく執着を放棄するかのようにあっさり取れて、それ一か所だけじゃなかったので、楽しくなって、汚れを見つけては推理して声をかけながら掃除しまくりのあっという間の5時間でした

世にも不思議なお掃除テクニックですが・・気軽にやっちゃいかんです(~_~;)注意

掃除の後にどっと疲れた理由

掃除をしてる時、掃除を終わった後の綺麗になったキッチンにいる間は、5時間を過ぎてもまだ掃除したりない!(;゚Д゚) Σ(・ω・ノ)ノ! というくらいに一切の疲れがなかったんですが、これでおしまい!と気締めをつけてソファにリラックスした状態になった瞬間に

あれ?・・(;´∀`)体に力が・・肩が重い・・手がだるい・・

具合も悪くないし気持ちはいいんですよ?でも体を動かそうとすると・・なんかエネルギー不足な・・って思った瞬間に理解

気枯れ=穢れを払うという事は 気が減るんだ!!(;゚Д゚)気滅の掃除!? Σ(゚Д゚)

気が枯渇した枯れた存在を『気』にして『気』を分け与える
そして、ありがとうという『気』を放出する

それを何年も忘れ去られていた、気枯れひとつひとつに行った結果
知らず知らずの内に私の中の気が減っていた=気が滅入る

明らかに内気が減る事によって 意識が( ゚ ρ ゚ )ボーっとする(笑)

なるほど、穢れを払う ってそういう事か!っていうね

でも、この穢れ=汚れって気(残留)の滞りだった訳で、これを取り除くとこうなる

運気が変わる 風水の意味

気が滞っている場所=穢れ=汚れがあると、そこに気は行き届きません
つまり、掃除しない所に気は集まらない という事

これは今年の半ばに実際に自分の部屋でも体験した事です
麻雀やっても連戦連勝、空を見上げれば龍雲ばかりと明らかに変わった(笑)

断捨離で火事を回避した話 今あなたがやるべき事

私の龍雲写真コレクション 望めば撮れる不思議

だから、確実に台所は気の滞りである汚れを払ったので、気の通り道ができる
運気って運ぶ気と書き、この運気を重要視するのが風水という考え方

ここで、風水について深く言及する気はない

ポイントは風と水

風も水もカタチを持たない流動的なエネルギーであり、本来であればどこにでも入り込む。つまり運ばれる気=エネルギーとは風や水の事を差す

風通りの良い空間というのはもちろん大事だが、水場はいくら水の通りが良くても、その水場に汚れ=穢れ・気枯れがあれば気は流れない

だから、水場こそ綺麗に保てば運気が上がる=色んな気(色気)=チャンスのエネルギーが舞い込むという訳だ( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)トイレの神様!

ちなみにトイレを清潔に保つ=運気を良くする方法としておすすめなのがこれな

洋式トイレの水は蓋をしてから流す!(ウイルス拡散防止)

まとめ:掃除とは穢れ=気枯れを払う事

けがれ(穢れ・気枯れ) カタカムナでは
放出して内なる力が消滅したもの

よごれ(汚れ) カタカムナでは
陽(流動的なエネルギー)が転がりでて消滅したもの

つまり、汚れ=穢れ・気枯れ と解釈しても問題ないようだ(だいたい解釈あってたw) (((uдu*)ゥンゥン

だからおもしろいのが、掃除の方法と大切さ

自分の生活圏の中で目につく汚れというのは、自分が何か行動を起こした事で発生したかつては物質の一部だったエネルギーの残留であるという認識を持つ事

自分が行動した事で生まれたものであり
自分が何か満足感を得るために発生した忘れられた存在

つまりは エゴを達成するために発生した代償

だからそれを掃除する時に感謝の気持ちを持つ事は大事だし、その感謝の気持ちが伝われば、汚れも頑固じゃなくなってあっさり取れる

ただ、ありがとうと言えばいいというものではない

心を込める=その汚れがいつ?どこで?何のためについたか?を思いだしてあげる事が効果的だ

そして、その汚れという気の滞りを起こしていた原因がなくなって清められる事で、そこに風や水など流動的な気が運ばれて循環する

だから掃除は大事!とかいう常識的な知識や方法的な考え方じゃない

おそらく気というエネルギーの認知を変えて解放するのが重要だと思う。エネルギーの性質変換については夢で学習してきたからね( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)アレカ

ムーンストーンが見せた食べ物の重要性を体感する夢

汚れも気にして、感謝の念を込めて、中身空っぽじゃなく、エネルギーを分け与えて払えば、自分から出たありがとうのエネルギーが解放されてその空間に巡る事になる

だから心を込めて掃除をする事が空間を清める(穢れを払う)という本質なんじゃないかな?

神社やお寺でもそうだけど、願いや要望を伝えに行くのではなく、本質は感謝を伝えに行く事だよ

と気づいた年末の大掃除談義でした(゚∀゚)今年最後にすげー学びだった Σ(゚Д゚)

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