たばこを吸うと分析が冴える・・歴史上の文豪だいたいヘビースモーカーという生き様と相反する大麻の効果を追って行くと・・最後はやっぱり縄文に辿りつくというお話
文学作品を生み出す人だいたいヘビースモーカー
芥川龍之介や太宰治、中原中也らがたばこを吸っていたことは有名。また三島由紀夫もかなりのヘビースモーカー
太宰治は若い頃から 酒、たばこ、女、左翼運動、ちょっと挫折すると自殺未遂など、 繊細というよりも、感情の起伏が激しい傍若無人ぶり
ヘビースモーカーだった芥川龍之介は、煙草に関するエッセイ、小説を数多く書いている
一度も定職につかず、30年の短い生涯を詩作に捧げた中原中也は、芥川や太宰同様、ゴールデンバットを好んで吸っていた
三島由紀夫は煙草はショートピース。 国産で一番いい葉っぱを使っていて、甘い香りのする両切りの煙草を好んでいた
たばこは中毒症状や依存性がある・・と科学的、医学的な見地から、今では有害なものとして認知されているが・・
実を言うと私もたばこを吸った時は筆が乗る ←お前文豪ちゃうやん!
たばこは肉体的な面から言えば、ビタミンCを消費する=体にストレスをかけている事は間違いないが、彼ら文豪の時代に、社会的にそういった側面から圧力がかかったとは思えない
いまでこそ、禁煙は誰かに造られたブームにより悪意の象徴として嫌煙されるようになっているのは、たばこはダメだけど、電子たばこならいいよ?という時点で、健康というよりは、社会的かつビジネス的な観点からイメージは塗り替えられている
禁煙と喫煙を繰り返す過程で、自分の体の中に起きてる変化を内観すると、毒素が抜けた後、ふたたび吸った時、必ず頭にくらくらと来る感覚があり、その一時を終えれば、今までの禁煙はなんだったのだろうか?と拒絶という意志が揺らぎ後はは惰性で吸うようになり
その煙が体に浸透し始めた頃に、腸のあたりがグルグルとなり、軽い下痢症状を引き起こす
この下痢は体のメカニズム的に言えば、腸に入ってきた異物を押し流すという作用だろうが、その後も吸い続けると、腸はいちいち下痢を起こさなくなる
これは拒絶ではなく共生、環境が異物を受け入れるために抗体を獲得したのだろう
というのも、禁煙をしてこの毒素が体に入らなくなると、再び腸はもとに戻り、そしてまたしばらくして喫煙すると、抗体が切れたかのように再び下痢を起こし体は拒絶反応をする
人間の肉体とは不思議であるが、環境を維持し、環境に新たな異物が入り込んだ時に、最初は拒絶するが、すぐに共生へと切り替えるあたり、本当に人間は精密機械と言えるだろう
ただし、その毒素を追い出す、毒素と共生(肉体的ストレス)という意味では、その関係性をバランスを保って維持するために消耗する何かの供給がなければ、それは不健康になるだろう
それでもなぜ人はたばこを吸うのか?
それは体内に入ってくる依存物質に意志があるのだろうか?ニコチンにも意志があり、ニコチンが排出されそうになる=種の根絶を避けるために、仲間を呼び寄せるように脳や神経を支配して
次から次へと状況を継続させるSDGsでニコチンを求めるように宿主を支配するのだろうか?
と、哲学した所で答えはないが、辞める!という強い意志がある時はあっさりとそれを抑え込んで一時的にも禁煙できるという事は
自由意志のほうが依存物質よりも強い という事なのだろうか
まぁ、この心の葛藤は本人にしかわからない事であり、客観的に見れば
お前、禁煙したっていって、また吸ってるじゃねぇかwwwと言われるだけ
一時辞める!というのも精神力という意志が働いてブレーキをかけている事は、結果しか見えない第三者には伝わらない
そこで、肉体的・健康的という側面から離れ、精神的という点から考えてみる
なぜたばこを吸うと筆が乗るのか?
冒頭でも言ったように、文豪=だいたいたばこを吸うというのは、それは依存なのか好みなのか本人にしかわからないが、私個人的な観点からすれば、たばこと言葉をまとめるという行為には相関性があると感じる
脳に対して何らかの影響が起きている事は間違いはない
何もない無から有を生み出す想像の段階では、むしろたばこはないほうがいいが、何か、現実に沿った分析するという作業を行う時、たばこはとても力を発揮するのを感じる
しかし、逆に閃きや直感というどこからともなく来る感覚はあまりなくなり、閃きや降りてくるというより、そこにあるものでパズルを組み立てるような感覚
はっきり言えば、左脳的な覚醒が起きる
景色を見て何かを感じとったり想像したりというより、数字を分析したり、長文の文字を読解したり、そういった際に、非常にはっきりと論理建てして考える事ができる
ただ、だからこそ気になった感覚を分析してみようと思う
ヘンプシードを飲んだ時のたばこの拒絶感
ヘンプシード(麻の実)は麻の種子のこと。世界中で古くから雑穀類の一つ
麻というのは古来より日本人が大切にしてきたもので、霊的精神性を高めるための素材のひとつ。瞑想など精神的な内観を行う際に、麻を身に纏う事で霊性を感じやすくなるという事だが
私はCILLOUTを飲んだ時にはっきりとその拒絶を感じた
当初はシェディングの効果かと思ったが(それもあるが・・)この時、長い事禁煙していて完全に毒素が消えた状態に、久しぶりにたばこを吸い始め、頭がくらくら来た時に飲んだのがCILLOUT
このチルアウトにはヘンプシードが入っている
ヘンプシードオイルは、産業用大麻(ヘンプ)の種子(シード)が原料であり、厳密に言えば大麻ではない?が、大麻は精神性・幻覚・霊性を高めるという意味でも、分析や思考とは真逆のであり
チルアウトもまた逆エナジードリンク(リラックス・解毒)という効果がうたわれている
という事は
大麻成分は右脳:想像や直感・閃き、精神性を高める
たばこ成分は左脳:分析や思考を高める
という区別をすると、脳に影響を与えるという意味でも真逆の性質なのではないかと思う
それを踏まえて、(-。-)y-゜゜゜たばこを吸いながら分析してみる
社会的に大麻はアウトでたばこ(電子たばこ)はOKの目的
たばこ、電子たばこなどが社会的に普及されると、目の前の出来事、より現実的に、より常識的にという社会的な思考に囚われる
言うなれば、目の前の現実に沿った生き方で理屈に合わない事に対して攻撃的・拒絶的になるし、ストレス発散と同時に、それが切れるとストレスを抱える事になり
結果的に慢性的なストレスと共存する事になる
一方で大麻は気持ちがリラックスする事で、気持ちが軽くなり、本来は気づかないような周りまで意識が周るようになり、結果的にそれが現実に沿っていない、常識には囚われない、想像や創造などクリエイティブな無から有を生み出す精神性へと繋がる
これをどちらも社会的に少数派で見れば、迷惑な存在だ(笑)
しかし、どちらかにバランスが寄った時に社会的な変革が起きる
大衆を魅了した文学作品を生み出した人たちはヘビースモーカーだった。大衆を魅了するという事は、世間一般の人がなんらかの共感を得る情報だったからと言える
世間一般、大衆娯楽として興味を惹くには、より現実的に、より社会の人が根幹に抱える闇などを分析しなければいけない
そして、著者自身もまたどこか破滅的かつ自堕落など社会の闇の部分を覗き込んで体験しているような側面もある
もし仮に、このヘビースモーカーだった文豪たちが、たばこを断ちして大麻(麻薬ではない)という真逆の性質を持つものを体内に取り入れていたら・・
一体どんな作品がこの世に生み出されていたのか
これは大麻を助長するという意味ではなく、霊的精神性を高めると古来から日本で大切にされてきた麻の文化が廃れる事なく、医療や生活に密着した世の中になっていたら
という意味で、なぜにたばこ(依存物質)は良くて大麻(依存性なし)はダメなのか?という観点からの素朴な疑問
私は吸った事はないけれど、服として素肌に身に着けて瞑想をした時など、少なからず精神的に落ち着く感覚というものを自分の内観で感じたから思う事
とはいえ・・
目に見えない世界、日常的な常識では感じられない様々な気づきを文章に記した所で・・それは非現実的なファンタジー小説になってしまうから、大衆の理解は得られる事はなく、頭おかしい人の頭おかしい妄想話になってしまうのだろうけど(笑)
( ´ー`)y-~~たばこを吸いながら、何気ない疑問を歴史上の人物の生き様から分析して哲学してみるのもたまにはおもしろいものだ
日本人は、稲作より古い1万年以上前から大麻という「農作物」を衣食住に利用してきた。繊維を布や魚網に加工し、茎を屋根材に、種子(麻の実)を食用に、葉を薬に用いるなど、ほんの70年ほど前まで、大麻は日本人にとって非常に身近な存在だったのである。
1万年以上前か・・ちょうど縄文のあたりなんだろうかね
やっぱりここでも縄文に回帰するのか・・久しぶりにたばこ吸いたくなって、買いに出たらこれかw導きはおもしろいのう(・∀・)ニヤニヤ Σ(゚Д゚)
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