まるで『ヤコブの梯子』のようにルソーの夢、『人が伸び伸び自由に生きられる悪徳のない理想郷』を今に当てはめたら?のような夢を体験した後に気づいたある共通点
ルソーの思想 悪意のない自由な世界な夢
私は家族サービスの為に車を走らせて、これから行く所を下見していた
(あの神社は…穢れているから止めた方がいいな(´・ω・`))と目的地の変更を考えながら
(それにしても、いつもと同じ道を走っているはずなのに、なんて気持ちがいいんだ?『今日から世界が変わった』のか?)とウキウキしていた
曲がり角でブレーキを踏んで止まった時、通りかかった自転車の前カゴに乗っていた犬が『飼い主にブレーキを促すような姿勢』を取ったのを見て
(動物って賢いな〜( ˙꒳˙ )大丈夫ひかないよ~)と道を曲がり、その先にいた『猫達が普通に道端で会話してる』のを聞いて
(ん?( ˙꒳˙ )なんで俺、猫語がわかるんだ?)と一瞬疑問に思いつつもあまりにも『当たり前な日常』に感じた為、スルーしながら家に戻り、母を乗せてたどり着いた神社?神社なのか?と『大盛況な舞台イベントをしている会場』だった
私は母をそこに置いて1人でプラブラしていると、『夢で何度かあった事があるYouTuber』と遭遇。その世界での私は何故か『遠隔透視』ができる感覚があり、そのYouTuberがここに来る前に『忘れ物』をしていると気づいたので、話しかけついでにそれを教えると
「目的地付近に仲間がいるから、遠隔透視の指示通り動いて忘れ物が見つかるか『ライブ配信』しよう(๑•̀ㅂ•́)و✧オモシロ Σ(゚д゚;)」
みたいなノリで急遽、私が『仮面をつけてゲスト主役出演』となり、私は電話の向こうのスタッフの位置を遠隔で見ながら目的地までナビゲーションして忘れ物を見つけるように誘導するという
『そういう能力があった時、どう使うか?』のひとつの『実践例というコンテンツの作品』に関わった後、色々と話をして「今後一緒にやらないか?」と誘われたが、私は家族サービスを優先していたようで
「楽しかったし、色々勉強になったよ」とあっさり別れた(・∀・)人(・∀・)ナカーマ
実際、電話の向こうの一人に指示出すはずが『同時に三人』、それも指示に従わないでバラバラ、途中で勝手に動き出した後に、『どこまで遠隔透視が届く』のか?的な『ストレステスト』のような状況になり
遠隔透視の『同時接続(切り替え)は3人が限界』
4人以上になると『古い順』に接続が切れる
実際『最初の1人がどこで何をしてきたのか分からない』が、捜し物以外の『誰も予想出来ないとんでもないオチ』になったから成立したようなモノだった
そんな世界は、マジで……
『目が覚めるまで現実』だと思っていた
そのくらい『感覚リンクしていた理想の夢』を見て思った
これは『ルソー』の思い描く『もしも子供を自由に伸び伸び才能を伸ばさせた悪徳のない環境で育った発想が自由な世界』だったら?
私が遠隔透視能力を持っていても、本人が気づいていない『忘れ物を教えるという程度』にしか使わない(後から気づいたけど、それできるなら下見に出かける必要ないw)。また『その過程を娯楽のコンテンツ』にしようという『遊びの延長の発想』で『楽しみをみんなで見よう!』と『面白さ』に変える
あ〜楽しかった(≧∇≦)と『満足』したら家族の待つ家へと帰る
これって『その瞬間を繋ぐ役割を持った人として生まれる』のと変わらない
『目的』を持って『才能』を持って生まれる
その『目的の為の才能』が邪魔されず育ち活かされる世界
①『困っている人を助けたい目的』と『助けられる才能』を兼ね備えた人
②『どんな状況でも楽しみたい目的』と『楽しめる才能』がある人
③『どんな発見でも多くの人に伝えたい目的』と『伝える才能』がある人
夢の中の関係性は
『どんな状況でも楽しみたい人』の忘れ物に気づいた。結果その人は、そんな忘れ物がどうなったか?これからどうなるのか?という『変わりゆく状況』を楽しんでいた
『困っている人を助けたい私』が『困っている状況を元に戻す能力』があるよと提案し、実際に『その能力は活かされた』
『どんな発見でも伝えたい人』が『どんな状況も楽しみたい友人』と『その状況を元に戻す能力を持つ人』の両者の状況を伝えるべく『遠隔透視能力の使い方の効果と例』を『多くの人に娯楽と学びのコンテンツ』としてシェアした
その『一期一会』に全ての『生まれてきた目的と才能の役割が合致』したような夢
それはつまり、『ルソーの理想』として描く、『子供の成長(自由な発想)を大人が邪魔しない十人十色の役割や才能をそのまま活かせる世を体現した世界』そのものだった
もしかしたらそれは『ルソーの夢が叶った瞬間』だったのかもしれない。以前、ハンデをハンデとも思わないで『好きな事を全力でやる奴らが集まっている世界』を見たのだけど…
あ!!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃ 共通点見つけた Σ(゚д゚;)
精子の放出と氣の解放?
先日、『8KVR』というキーワードに興味を持ち(これも新たな体験のひとつだろう)と、お試しにアダルト8KVR作品を一つ見てみた
…うん(´・ω・`)まぁ確かに『画質は綺麗』で、『目の前にいる感覚』は前よりあるけども…やっぱVRだよな
(´・ω・`)生身がいい Σ(゚д゚;)身もふたもない
多分、現時点で『最高レベルのVR』を体感しても、もはや『作り物』として『仮初の仮想』を感じつつ・・でもまぁせっかく買ったんだし
『抜いた刀は鞘にしまえない』ので抜き所を・・(◉ ω ◉`) Σ(゚д゚;)下郎め
と、フィニッシュした後に…なんだろうσ( ̄^ ̄)?賢者タイム(懺悔のような虚無)がなくて、意外と『スッキリ感』があった
『悪いものを出した』や『憑き物が落ちた』というより『行きたい者を送り出した』ような?
それを考えるとこうなる
魂宿りと先祖供養と
先日私は『ルソーの夢(子供の教育環境)に共感』し自分の描く『理想とシンクロ』したわけだが、昨日は『私が現代のルソー(思想を継ぐ)』だった
その『現代のルソーが精子に宿った』ら、それが『卵子に着床』すれば『現実にルソーの夢を受け継いだ魂が宿る可能性』があるが・・
しかし、そのまま『魂が宿った精子』が外に出なければ、どこにも行けず腐ってしまうか、精神修業における『循環するエネルギーの一部(性欲を昇華する)』となる
これは『精子が何億もいる』という考え方があるように、その時、その時の『可能性の魂を色濃く継承』している
例えば、武将も戦が終わった後のアドレナリンが出ている時に女を抱くというのも、勇猛果敢に戦い勝ったという『勝利の精神が宿った精子を放出する先を決める』ような自然な流れ
だから昨日子供を宿していれば、この世界に何十年後かの未来にルソーを呼び込んだかもしれないが・・私はティッシュにフィニッシュしたので、ルソーさんは暖かな布に包まれました(笑)
でも、『私からは解放』されたので精子に宿った魂はエネルギーとなって循環したと考えると・・
私の中で培われた『ルソーとシンクロしたエネルギー』が、カタチを失い『解放された事で理想の夢という願い』となり、その『共同創造した理想』という『夢を自らが体験する事で満足する』という、『自業自得で自己完結な夢の世界』が…
もはや限りなく『現実と入れ替わってももう分からないレベル』になってきた
そもそも、オナ禁=精神修業の一貫で氣(性欲)を下から上に上げるをしていて、もはや性欲は殆どなかったのに・・何故か昨日は『8KVR』というキーワードを聞いた瞬間に見るだけ見てみよう(抜くかは別として体感的に)と感じたのは
『ルソーの記事を書き終えて』からの話。いわゆる達成感の快楽ホルモンの『ドーパミンでまくり』状態
つまり私の『精神の子として魂が宿ったルソー(アセンデッドマスター)』は『共に精神を養う=供養』として『良質なエネルギーを育てる』のに一時的に現れて
「さぁ準備は整ったから我を解放してくれ!」と自ら発射台のロケットに乗り込むような『ロケットダイブ(射精)』を望んだという訳で
なるほど(´・ω・`)
『インプット(気づき閃の納得)』したら『アウトプット(体感情報を説法)』しなさい
これは精神的なエネルギーだけどそれを昇華して『先祖供養』が済んだら『傑物(血物)』を『輩出(排出)』しなさい
とびぬけてすぐれた人材が、続いて多く出ること
文字通り、『下世話』な話ですが、カタチを持たない高波動エネルギーが『下の世』に現れる『示現常詳(サイン)』がDNAの濃縮された『精子=精神の子』なので
『今後も法則』として確かめる為に、何かが宿って『知恵を供養(昇華)』して『納得』したら『精子を祝砲』として輩出して見ようと思います(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)
そう考えるとやっぱり『性欲』って性『質』欲なんだよな〜と思えます
精子は精神を受け継ぐ
格闘技の世界では『試合前に性行為をしない』というジンクスなのか願かけなのか、そういう『エネルギーが出なくなるという法則』があるらしいけど、これって結構簡単に解釈できます
自分の事として受け止めて考えて下さい
『勝つか負けるか分からない』という『逃げたい不安を払拭』するように『誤魔化して生み出す精神の子=精子』と
『勝つ事』しか考えず戦いに勝った『自信に溢れた状態で生み出す精神の子=精子』では、例え、同じ人物が精子を生み出したとしても
『継承する魂の質=性質』が違いますよね
死ぬかもしれないから『保険で今の状態をコピー』しておく…ではなく、『死にに行くという覚悟(不退転)を決めた精神の子』は親はなくても『子は育つ』訳で、やはり『精子を出すタイミングや精神状態もまた重要』なのかもしれない
とはいえ、そんな殺伐とした『争いがない世界で生まれる』からこそ、『愛が愛を当たり前に循環する理想の環境』と言える(この現実では叶えられない夢のまた夢・・)
あの夢は誰一人悪意がなかった、居心地がよかった。時が来れば、いつの間にか『その世界に意識がシフト』していても、私は今はもう何も驚かないかもしれない
『意識が多次元を旅する事』ができる認知で変わる多世界解釈ならば、『ルソーの夢が叶った世界』はどこかの次元に生まれているから、あなたもその精神意識に至れば、訪れる事はできるかもしれない
少なくとも私は、共同創造は改めて一人では行っていない、もはや名も体もなくなった先人達の想いを精神の子として受け継いで、のびのびと育てている母体・宿り木となっているのだろう
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