ライオンズゲート第五夢。お盆という行事はあの世から見れば『禁忌を隠した煩悩の金儲け(イベント)』であり『役目』でもあり、そんな『精神干渉』の見えない力はあの世からの『観賞の娯楽』と『鑑賞の品評』でもあるお話
精神干渉と鑑賞と観賞
人は『見えないものを恐れる』
見えないけど『ある』という『力』を恐れる
目に見えず『理解出来ない物事』を恐れる
しかし、その『恐れの原因』を知ると恐れが消え、『不安』が消える
そうなると恐れの原因とは『安心では無くなる』という『精神』にある
さてそんな現在、今この瞬間はお盆やライオンズゲートという
『見えない力』を見えないまま『有るのか無いのか理解出来ない』まま
『肝を試される』タイミングが訪れる
これは『精神干渉』
『感性』豊かな者ほど『見えない干渉』を受ける
自然の陰陽のバランスが『反転(ポールシフト)』する季節の変わり目の『節目の際』でもあり
あの世とこの世という『空間の境』もまた『一時的に曖昧』になる『帰省』であり
先の祖を人と共に養う『寄生』の『先祖供養』による『精神観賞』の時期でもある
「観賞」は、主に目で見て楽しむ『娯楽的な要素』が強い
「鑑賞」は、芸術作品などを深く理解し『味わい評価する』といったより専門的・知的な意味
『人に寄生した先祖達』という見えない力は『現代の人を娯楽』として見る
例えるなら 『子孫抜き打ち学習発表会』
見えない存在に『見られて』いる( °Д°)…という『謎の圧』を感じる人は『無意識に不安』を感じている
それは恐怖…というより、『理解できない不安』という葛藤だから、『幽霊の正体枯尾花』
…と、とりあえず『仮』でも『安心出来る要素』があると「そうだ!そうに違いない!」=色即是空・空即是色として『強い念』で不安を消してしまう
行き過ぎれば『強迫観念』になって『逆に不安』になるが(笑)
普段の『気の迷い』はそれでいいのだが、このあの世とこの世の『境目が曖昧』になるという時期における見えない力というのは…
『有るのに得ない』はもったいない
『有るから得る』という『コンタクト』の機会
『精神鑑賞』に来ている先祖達が『心に寄生・帰省』して寄って来て、『心の成長』を観ては今の時代に『足りない』を知り古き知ってる智慧の『足る』を和足す
そんな『アドバイス』をくれるタイミングでもある
だからこの時期の精神干渉は不安を『安心にする為の恩』と感じる事
そういう干渉の時は、穏やかな懐かしい『ノスタルジーな空気』を感じて『穏やかな精神』になる
『ひと夏の恋』という出逢いもまた『人懐っこい』という見えない力による『幻想』、『儚い夢として教訓』を遺す『干渉』かもしれない
それは『人懐っこい干渉を観賞する』という、あの世から見れば『視聴者参加型モニタリング』みたいな『娯楽』でもあり、『初めてのおつかい』のように、そこら中で先祖が草葉の陰から見守ってるぜ?(カメラマン)
寄生による帰省で『大事な教訓を感じ取る事ができるか?』という『心の器を鑑賞して鑑定』する『何でも精神品評会』でもあり
詰まる所…お盆やライオンズゲートというのは、『来訪者(見えない力)を素直に受け入れる心の余裕』があれば何も不安はなく
それは向こうからしても、『旅の間、器に世話になる』という一時の間借りの『旅人の宿』でもある
昨年のライオンズゲートでは、それを強く感じた靈迎雀宿シリーズ(全十五夜談義)
靈を迎える雀の宿の主
雀はスクナの隹(先祖)
誰か(言う隹)の靈を迎える宿
先祖達との『対話』の記録
それを振り返った『一年(一念)』があると
それは『細胞に宿した波動の振動と共鳴』だったと気づく
先祖は『心から帰省』するから、心に素直=『心が前』になると、『心を労る心構えの体(細胞)』になる
だから『心が何か』を感じた時
あるいは『体(細胞)が何か』を感じた時
その力の波の振動が『主の意識』に届く
チリンチリン♪
(๑•̀ㅂ•́)و✧ 1名様ご案内! Σ(゚д゚;)早
で、そんな先祖さんがね
面白い『感じる漢字』を伝えてくれた
お盆とはなぜ『盆』なのか?
盆・梵・煩・樊・瞞・燓・穈・亹
『ぼん』という音の響きには『深すぎる何か』がある
カタカムナで ぼん の言霊は
強く内に引き離す
強く反対に引き離す
よく知られた盆のことわざ
『腹水盆に帰らず』
一度してしまったことは取り返しがつかないこと
『分』かれる『皿』
皿から分かれる→さら・われる →神隠し?(笑)
言葉のエネルギーロジックとしてはあってるが『物理的』過ぎる
そこで『梵』を当てはめると、仏教の『梵字』というよりもサンスクリット由来の『空海の密教』が見えてくる
その梵にしても『元の皿から分かれた』
梵字を伝来した『元の皿は無い』
『一度失われた伝統(正法)は取り返しがつかない』という意味でも『梵字は戒め』でもある
そしてその梵に似た『燓』
『木と木の争い』を『火』が囲んでいる
この辺は『禁』という漢字を組み合わせて考えると
『火の力』が『木の知恵』に放たれ『自然』は消えた・・
林の中の『凡』が『火』に消され、禁は『林を示す』
『己の心=禁忌』はそこにある=『とどめる己の心』
ここで受け皿は分かれる
『示された林の己の心』に向かうか?
『燃やした火の煩悩の欺瞞』に向かうか?
人が試される梵字…ならぬ『ポンジスキーム』
ポンジ・スキームとは、新しい投資家から集めたお金を、既存の投資家に配当金として支払うことで、あたかも高い収益が出ているように見せかける投資詐欺の一種です。実際には、運用実態がないか、あってもごくわずかで、自転車操業のように新規の資金に依存しています
この時期、その『エネルギーの変容』を利用して『坊主丸儲け』という『欺瞞=欺く瞞』
「だます」「あざむく」「ごまかす」という意味を持ちます。また、「はじる」
『恥』を知らない『金儲けの煩悩行事』
『檀家』を欺き騙して『護摩』炊いて「先祖を送り迎えする」…という『場(イベント)』をここぞとばかりに『設けて儲ける』
『穈』というのは『魔』で捉えると麻の『禾』、鬼は『私』
『瞞・燓・亹・煩・本』によって
『林』に封じられてきた『竹林の七賢』
『林の中の知恵は禁忌』とした
『魔物は化け物』と恐れ『悪霊』とした
『鬼』として『忌み嫌われた私』
禁忌とは『禁じられた己の心』
これは仏門とか何かの『門下生』、あるいは『信者』としてその『一門に入る時に捨てる自由』でもある
『不自由を選択』した者が『不自由の不条理』の中『不平不満を感じる原因』は
『自由を謳歌する者達』を見て、聞いて、話してしまうから、『誘惑』だの『目障り』だのと気にしなくていい『嫉妬』で『目の敵』にする事
『剃刀』いれて坊主にした時、『神の気は切った』だろ?
『弟に刀』を向けて刺した時、『神に反った』だろ?(カインの追放)
一体、『何の門』に向かったと思ってんだ?
これは『皆の為』という大乗仏教のカーストの中で
「あれは煩悩だから、その煩悩を祓い極楽を目指す一切皆苦しいのは一緒」
と『苦しみや我慢こそ美徳』と解くのが…『自由』を切り捨て『煩悩を受け入れる事を皆で肯定する』という『真逆』へ向かっている
という目線になるのは、その『一門から外』に出た側
いわゆる『禁忌』と呼ばれ、忌み嫌われる『自由な思考、発想、想像力』を得て思慮深くなった時
真言理趣経=『欲を満たせ』という『肯定の工程』に納得する
大乗仏教が『一切皆苦』という『我慢の教え』なら、真逆に向かう上部座仏教(釈迦初期仏教)では
『一切皆空』と感じる
そう言う『趣を理解する役目の世界』がある
我慢して苦しんで、「何のためにこんな苦しまなければいけないんだ!」と『苦行』を経て
「この世には神も仏もいないのか・・『苦しみのない世界』はないのか!…」と『自己の心のやりたい事』に『圧力』をかけ続けた先に、「もう矛盾は無理!(>_<)やりたい事をやる!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ」と飛び出すエネルギー
飛び出したら二度と戻らない『金輪際戻らない・セト際(運命の分かれ道)』
そうやって『皆の為=他力本願集団の大乗仏教から離れる事』で、そこから離れる『自力のエネルギー』を『溜めるために圧力』があったのだ
1(弾頭)を発射させる9のロケットブースター=一切皆九
それは『十(自由)』を得る為
『門の鳥居』から発する力=『開発力』
『それ以外の世界』に発する想う力=『発想力』
…あ、この流れはライオンズゲートで伝えられた『発想発破』だ!Σ(゚д゚;)繋がってる!
盆=一度こぼれたら『元に戻らない水』
その水の流れの『先』に行く=『自ら流れ』を生み出す
『向こう見ず』に向こうの水に飛び出す
井の中の蛙大海を知らず
盆の中の水、向こう水を知らず
偽=人の為の器=『人間』からこぼれなければ『真の間の広さ』は分からない
で、『波動が影響する』という意味では盆の水は『なんでこぼれた?』って話
『物理的』なら誰かが『干渉する衝撃』で器を運ぶ、『持ち上げる時』にこぼした事になるが…私が感じた『波動による覆水盆に返らず』とは
この時期に来る『見えない波動』の影響は、肉体という『器(細胞組織)に影響』し、その『共鳴振動』によって『主の意識だけ』が…
ポン!と体から『浮世離れ(幽体離脱・明晰夢)』して
(・∀・)人(・∀・)「世!お帰り、この世の話を聞かせろや、代わりにあの世の土産をくれてやろう」
こんな感じで(昨日の江戸っ子がそんな感じ)
『覆水盆に返らず』という格言も、こぼれた『水側から見た景色』として、こぼされた、こぼれたではなく、『波の動き』を利用して『自ら器から出た』
その瞬間、『器の中の水の一部』ではなく、『水』と『自ら名乗れる水の意志』を得た・・が、まぁそれもどっかでまた『別の水に合流する一時の状態』に過ぎない
水滴と水滴が和になって大きな水たまりになって広がるように・・乾燥すれば水蒸気になって天に召され、空気を漂った後、冷えて雨水となってまたどこかへ離れる
ただ『元』の『人の為の器には戻らない』だけ
これは言い換えれば、腹水として自らの意志で流れに乗る『龍』として『共鳴振動』しない限り、『人の為=偽器』という
井の中の蛙のまま
大海を知らず
故に盆はお休みという『目に見える与えられた一時の風習』に何の疑問も持たず、NPCのように「コイツらおもんな〜(´・ω・`)莫迦のひとつ覚えじゃん」と『先祖達は不干渉』
『気にしてほしい』が『気のされ方』が違う
一方でお盆という霊的精神性、『先祖を強く意識する子孫達』は、気にして欲しい=『寄生』してその人の『心』を知りたい!(๑•̀ㅂ•́)و✧と
信じる=人の言う事ではなく、素直に『見えない力を感じる者』には
引き寄せ(・ω・)c<´ロ`)ノそっちから!?
最初は『先入観』で『怖い』と思うだろう
その先入観は『煩悩に都合がいい不安洗脳』
しかし、素直に正面から向き合えば、『こっちの見え方』ではなく、『あっちの見え方』があると気づく
こっちは『結果』の世界
あっちは『原因』の世界
結果の世界では『知恵者=因囚に気づく』ほど『都合が悪い』から、『禁忌』として『排除、除名、追放』という形で『自由を尊重』する
『口封じ』から因囚が解放されたら?=大人(笑)
肉体が大人ではなく『精神が大人』として成熟している
その跡を、『覚悟が無い者』が追ってしまうと、『道』に迷って前にも進めず後ろにも戻れずになってしまう
そんな『迷子』を『あの世から送り返す』のも『この世から導きに連れ帰る』のも、全ては『人の器から離れた者達』の『恩』
『因』に『心』を向ける『支える者』
『心』に『耳』を傾け『恥を知る者』
結果=『この世』を経て、因に向き合った=『あの世』から来る
それ支える心を『和足す意識』
それが『先祖』であり『供養=人と共に養う』
『失敗した経験』があるから、その『同じ失敗をさせない為』に伝えに来る
『伝授』や『伝来』に来るのだから…言うなれば『心に免疫を身につかせる』為に現れる『正体不明の使徒』みたいなもんで
倒した後に、「そう言う事だったのか(´・ω・`)」と理解して『機能獲得』するようなものだが、私のように『大概の体外(明晰夢・幽体離脱)の事』は、『最強メンタル』で『精神免疫寛容で受け入れる状態』になると
『旅の宿の主』のように来るもの拒まず去るもの追わず
鬼がこようが、化物がでようが、宇宙人がこようが・・
いらっしゃいませ!(/・ω・)/ Σ(゚Д゚)
『夢』は『一過性の儚いもの』でありこの『現実=結果』もひとつの可能性
『因=あの世』に遡れば、『なぜこうなった?』に『心』が巡り、『恩の世界』でそれを伝えてくれる『先人に感謝』する
「そうか、その為にこの現実が生まれたのか〜!」と『納悳』すれば、『その現実=夢では目的達成』して、『興味』が無くなり、『次の夢』へ…と『夢日記』というチケット片手に解脱していく
そういう今でも『宿主(ホスト)』というのはとても重要な『存在意義』である
お盆やライオンズゲートを通して『夢見の記憶で先人達とやり取りしている私』という『意識=主』
だが私が『現実』で『私である』という為には『意識がとどまる為の宿(家)』が必要だ
この宿主が『我』という『自我(エゴ)』であり『生きる事』を欲している
ここで『自(存在)』と『意識(私)』が融合している
ここで『自力』が無い『他人』は『無意識(空間の力)』という『他力で動かされているNPC(魂なきもの)』
これもまた『主観(主役)』と『客観』での違い
例えば『そのイベントの主役はあなた』…という空間においては、あなたは『どんな選択や行動』をとっても『後悔しないシンクロニシティ』によって『失敗も成功』も楽しめる
しかし、主役の『間』違いや『場』違いで『自己主張の縄張り争い』が起きる場合、それは『どちらかが』間違い・場違いを起こしている『気違いの干渉地帯』になってしまう
この、『人』がしなくていい『間違い・場違いの争い』を引き起こして『観賞の娯楽』にするのが『戦争』という『あの世がこの世を巻き込んだゲーム』
だから『争いを好むもの』が送り込まれ、いずれ『火種』となり、『火薬の火役』に火をつけて『大量の無関係のエネルギー』を巻き込んで発生する
それもまた覆水盆に返らずの『分かれ道』でもある
まだ『繰り返す』の?まだ『学習』しないの?
懲りないねー┐(´-д-`)┌
『聞く耳』持たない者はあの世にもこの世にも『受け皿が無くなる亡者』となってしまう
逆に聞く耳持って『どうすればいいか?』と『問題に向き合おうと』すると『この世での役目』を授けられる
それは一時の『人の為』じゃない
人が人という『元の存在(型枠)』である為
前に『エデンの神話の解決法』をまとめた
最初にアダムが『禁断の実を食べなければ』、『間違った人類』は生まれなかった
しかし、その間違いの人類が生まれる『全ての原因』を『たった一つの選択』で止められると
『因果』の『始まりと終わり』
『端と端の間』を『理解したアダムの意識』がその『禁断の実を食べる前』に戻ったら?
これができるのが『あの世とこの世を行き来する』という事であり、仮にそれを『実行』すれば、『今の人類は消滅(存在しない)する事』になる
だが、その『間違いを正す』という『意志を和足す和心の一部』となった、かつて『間違いの中で生まれた人間の1人だった私』という意識は『肉体』を伴うあらゆら体験は『感覚と達成感』だけを『心』に残し、『和心の中で自由』を得る事になる
…ほう( ‘-‘ )そう言う事でっか
つまりは『役目のない余生』は『そう言う気持ち』で過ごせばいいと
ライオンズゲートで訪れた先人達は『私の心の奥の奥』に抱えるまだ『悩みにもなってなかった何か』を、『先世見の例え』という例にして『宿してくれた』ような…
有難い(一人一)…のだが…
ちょっと先祖達の『交代のスパン』が早すぎやしませんかね?(;゚Д゚)私、『二時間』おきに、『寝起き閃』で『この規模』のまとめ書かされるん?
何?お盆中に『体力も精神力』も根こそぎ削って『連れてく気』ですか?お迎えですか?皿割れて分れるんすか?(・ω・)c<´ロ`)ノ死因は訳死由来の妙見魂抜き?
LEAVE A REPLY