今までの夢見の体験から、釈迦の説く『三千世界』や『虚空蔵菩薩』が何を意味するか、それは人という何十兆という役目を持って生まれた可能性の存在の細胞の事ではないか?という洞察の果てに相似したのは、エデンの園と管理人アダムの原罪という共通点へと繋がるお話。全ては抒情詩説法で描かれていた人間とは?を学ぶ為の先人の哲学
体験で感じた心が伝える細胞組織の夢の数々の共通点
私の夢見は・・最近ではほぼ毎日見るのだが、それは意識の変容=可能性が拡大する事を自由意志として自己認知が変わったからだと思う
全ては有る
有るから得る
=有り得る=アリエルという創造
そしてそれを一人門(ソロモン=孤高の王)として探求してきたからだと思う
これは『自己』に限る話であり、世界を統治するという『権力や地位』ではない。全てを統治するのは、自己という『存在を形成』する『体組織と自律制御する精神』の話
全てと感じる『世界』は最初から『自己完結』している
ただ、その『自覚が無い』から『無意識』なだけであり
『無(全てがある)・務(役目)・夢(可能性)』に気づかないから、『無為自然』という『心や魂という精神領域の呼びかけ』に応じられない
『自己を認識』できないから、『他・多力へと本願して帰依』しているが、『自己探求』を促す心に素直に従えば、『自浄(事情)』や『自己治癒』という
『自己を労わる方向』へと進む事で、その因果の旅の始まりの『因に支える心』を巡らせ『恩』を感じ、その『気づく=自覚』までに築いてきた『自業の積み重ね』と向き合う事になる
それは『自分』という『存在を維持』する為に必要な細胞達、『細胞組織という世界を総べる『主=創造主』とは『自意識』であると
絶食というのは、『生の執着』に向きあう為に『死を覗く行為』である。人は『食べなければ生きていけない』が、『生きるという状態を維持』しているのは
『体の細胞組織』である
『創造主に見放された世界』を想像する
魂の経験値で人の行動は顕著に表れる
幼年期の魂は「誰か助けて下さい!」と『他力本願』に右往左往し
若年期の魂はそんな『溺れる者を食い物にしよう』と供物にする
成人期の魂は「誰も傷ついてほしくない」と『自己犠牲』を行い
邪はその『創造主がいない事』を利用して『偽の偶像神』を演じる
これが『絶食状態の細胞組織』だと仮定した時
唯一、絶食で『穏やか』になるのが『役目を持った臓器』という役割
創造主の意志は『供給』を止める絶食
すると、食べ物が入ってこないので
肝臓は『毒素を分解』する・・という役目から解放され
胃は『吸収の為に消化』する・・という役目から解放され
腸は『栄養を吸収する』・・という役目から解放され
忙しい役目という『心亡い状態』から自由になる
自由になるという事は『心が有る』状態になり
「創造主の心のままに」・・と素直に従う事で役目が何もない=『心は一つ』になる
これが『老年期の魂』という状態で『無』を受け入れる
面白いだろう?
『何も無い』を『受け入れる』のである
逆に言えば、主の御心のままにという意味では
『受け入れたものに応じる』という状態
この波風のない穏やかな状態の細胞世界に『自己の意識』を持って現れ『旅』をして『潜在的な問題』を見つけに入る
『和』にならない『不調和』は「ぎゃあぎゃあ」と『欲する物事を騒ぎ立てる』からすぐにわかる
これを内観する事で、ピンポイントで『問題解決』する
それが『釈迦』という『救世主』であると同時に釈迦もまた学ぶ
「なぜ、ここにこんな『潜在的な問題が潜む』のか?」
その『原因』を生み出したのは、『私(創造主』ではないか?
と『自己反省』を自覚する
そして、それが当たり前(常識・依存)になる前の『元』に戻す
『自然に元に戻す流れ』という『自己治癒』を促す
それはその時、その『問題が潜む細胞』に対して『三つの姿』で現れる
穏やかな説法で隣人を愛しなさいと『和を以て貴しとなす仏』となるか
問題に自己で向き合い『解決する救世主の釈迦』となるか
その細胞ごと消滅させる『自己消滅を促す鬼』となるか
この自己意識に『仏鬼釈』という
自己治癒
自浄作用
免疫・抗体
この『意識』を宿していれば、夢の世界での自己の姿は『自由自在』
『自由は自らに在る』という『念動力』が使える
念動力とは『今の心を動かす力』
それを『細胞世界』に『必要な変化』を促す
『自覚』を持って『自己改革』を行う
それは新たな『あるべき姿のDNA(設計図)の新生』
その『一人の人間』として『自己存在の体組織を総べる一人門(ソロモン)王』として
その王の意志をあらゆる可能性で助ける存在が『アリエル=有り得るという肯定の可能性』
『皇帝の可能性』でもあり
帝が言う=『諦める』でもある
観念するとは『今の心を観る』であり
今の心とは細胞世界の『状態という結果』であり
結果を変える為には『始まりの因=一人の行動意識』を変える事
つまりは『自己を労わる』という『観測意識を持った創造主を生み出す』という事
絶食とはあえて『神がいない世界』を創り出し、その中で『新たな神(創造主)を生み出す』という過程に過ぎない
・・難しく捉える必要はない
食い改めよ=『生きる為に食べる物事』を改心して変える
悔い改めよ=『結果に後悔』し『反省して行動する意識』に変える
間違いは間違いだったのだと『素直に認める』
認めた上で「どうなりたい?どうありたい?」の選択に進む
『自己改革』を『自覚して行う事』こそが『体という細胞を護る救世主』となる
釈迦の三千世界とは、『体の細胞組織の世界』であり
釈迦が涅槃寂静で伝えた『虚空蔵菩薩』とは『いずれ現れる釈迦』である
いずれ現れる釈迦とは、悔い改め、食い改めた先に現れる『救世主』
つまりは、欲して執着する事のない『靈的精神性が向上した人の新たな意識』である
・・さて、これが私はもうひとつの神話にも相似すると感じた
エデンの園の管理人アダムの意識改革
エデンの園、神がアダムに管理を任せた『神の細胞の世界』と仮定する
神はその世界に『禁忌』を遺し、それは「禁断の実だから食べてはいけない」とした
その禁断の実を食べさせたのは『イヴ(エヴァ)という女性』だった
その女性は『サタン(ヘビ)』に勧められてアダムにも食べさせた
アダムは『わかっていたのに食べた』結果、二人は追放され
そこから人類は始まり、その二人から『アベル・カイン』が生まれ
そのアベルは『両親の罪を償う』為に『神に従順に献身と犠牲』を示し
カインは神の指示ではなく『自発的な代替案』を持ち掛けた結果
神は『アベルを寵愛』し、カインはそれを『憎んでアベルを殺した』
アベルを殺したカインはそれを問われた時、『神に嘘をつき隠蔽した』が
『アベルの流れた血を吸った大地』はそれを見抜いていた為に
大地は『カインの育てた種は大地には根付かない』という呪いをかけた
神は『カインに刻印を与え追放』した
その後「カインを攻撃してはいけない」と民に伝え
「カインを殺すと七代先まで祟られる」と警告した
息子二人を失ったアダムとイヴを考慮した神は
神の子として『セト』を二人に与えた
これが『全ての物語の始まり』とした時
私は淡々と書きながら、実際はこういう認知で観ている
アダム=『正常な細胞』
禁断の実=サタン=『メッセンジャーウイルス(mRNA 神への反逆)』
イヴ=『mRNAウイルス(DNAの逆転写・神のすり替え)』
イヴを受け入れたアダム=『癌化した細胞』
アベル=『正常な細胞』
カイン=『RNAウイルス(細胞を傷つける)』
大地の呪い=『侵入を防ぐ自然免疫』
カインの刻印の呪い=『サイトカイン・炎症で細胞が傷つく』
血の繋がらない第三のセト=『カインの刻印を見抜く抗体』
全ては『細胞の中で起きてるメカニズム』であり
『神対悪魔』という構図は、『DNA』と『mRNAの逆転写による神のすり替え』
これらの世界で、『セト→ノア→キリスト』という役目は
『見極める者』・『新天地へ導く者』・『自己犠牲となる者』
これらの『信仰体系の世界構造』をそっくりそのまま
『現実』にも『細胞の中のメカニズム』にも当てはめた時
『救世主の役目』とは何か?
それは『因果の始まり』を見極め、『新天地(元)』へ回帰し、悔い改めてやり直す=『再生(復活)』である
さて、この世界創造の再生を考えた時
はじまり(因)は『何処』にあったか?に『心』を巡らせると
それは『アダム(人類の祖)の自由意志』にある
そうなると、面白いのが、『全てを理解して人類のリセット』でもある
これは『選択を誤った世界の消滅』という意味
禁断の実、(DNAを変える=細胞を破壊する食べ物)があると
『禁忌の中身を体験で理解』しているアダム(*´ω`*)
欲をそそのかす者のサタン・イヴ=彼女=役人の皮被った女がいて
それを「善いものだから食えと宣教してくる」のも解ってるアダム(*´ω`*)
それがどれほど『極楽な細胞(エデン)を汚す行為であり裏切りであるか』も解ってるアダム(*´ω`*)
一度『追放』して、『エデン以外を体験』させて『自己認知が変わる』まで『輪廻転生の地獄を繰り返させる事』であり、「体感して学んで気づいて戻って来いよ…」
と『ライオンの子を先人の谷に突き落とす』ような、『馬鹿は死ななきゃ治らない』と切り離すような
『全てを台無しにされた創造主の気持ち』も解るアダム(*´ω`*)
『全ての輪廻の体験』は『今この一瞬の選択の為』にあったのだと、『最初の原罪地』が『意識の現在地』として『幾千億の生命の役割体験』から戻ると
「禁断の実を食え?っていうイヴ?」(っ・-・)⊃ ⌒Ꮚ金輪際お断り
「そのイヴをそそのかす蛇?」(っ・-・)⊃ ⌒Ꮚ金輪際お断り
と『存在を無』にしてしまうか
それは『そういう間違いを繰り返す事』で『自力で学び気づく為のひとつの世界』として放って置くか(*´ω`*)と
サタンもイヴもエデンに『あるがまま』
でもアダムはその『間違いを侵さない(因果応報を理解してるから)』
この場合、アダムとイヴには『子(炎症病=カイン)』は生まれない
そもそも『イヴとの子作りも無い』から『人類はアダムで終わり(始まらない)』
あるいは…そんな『自由奔放を許せる意識に変わったアダム』になる事で、『アダムが求め執着』するほど離れていった『自然を求めたリリス』が『自然に戻ってくる』終わり…
『アダムとリリスの話』も『一方的な執着や束縛』が嫌で『自由』を求めて離れた話
これは『天帝の娘』が『地上に降りて姿を消した』という神話も同じであり、『自由』になれば『自由は何処までも繋がる=和心』
なるほど(´・ω・`)アダム(人類の霊的精神性の向上)
『やるべき事』に向き合い『他は自由』にさせる=真我以外一切無常
有ると思えば有るし、無いと思えば無い=色即是空、空即是色
するとアダムが求めても『唯一手に入らなかったリリス=自由意志が戻ってくる』のか
『やるべき事=やりたい事』になれば『全ては自由』と言える
なるほど(´・ω・`)こりゃ『一神教の盲信者』には『永遠』にわかんねーな(笑)
これで…ほぼ『核心』のように思ったのが
物理で紐解く『別次元や多次元・他世界』とはおそらく
精神では『自ら育てた体組織=細胞の中』の事だ
『釈迦』がいう『三千世界』は『細胞組織』
エデンの園での『原罪』の始まりは全てを知れば『意識が変わった現在』で終わりでもある(何も起きない)
『心ひとつ』になればその『何処でも巡る事』ができる現一切色身三昧
そういう『物を語る例え』であり『精神の実践』の教え
『現在の私の意識(和心)がアダム』として『エデン(無為自然)の管理人』なら、『イヴ』がいようが『サタン』がいようが『原罪という間違いは起きない』だろう=ほっとく=仏悳
『全ての衆生を救う』とは『帰依する存在=主の御心のままに従う細胞全て』に『働きかける事』なんだろう
「お前は何が望みだ?どんな世界を望む?」
ここで『自我の欲求(変化)』を発すれば、その細胞から切り離され『RNAウイルス=エクソソーム』となり
その『自分の欲求が満たされる世界』の『細胞組織の一部の役割』として組み込まれ、その世界での『役目・役割をロールプレイ(輪廻転生)』する
もう必要ないと自覚して『役目・役割への執着』がなくなれば、その細胞世界で結びついた『タンパク質を分離』して『無垢なRNA(無)』となり『無為自然』に戻る
『存在』は最初から『数』ではないから『増えも減りもしていない=不増不滅』
その『界隈のカタチの認識』ではなくなっただけ
その界隈以外で『別のカタチや流れ』になっただけ
それを『万物流転』として『エネルギーの総量は変わってない』…のかもしれないが、その『総エネルギー』というものは『概念』であり、計り知れない『ヨタ話の無量大数』
だから『釈迦(問題に巡りあい解決する)』は『カタチ』に生まれ変わらずとも、常に『必要とする所に必要なだけ』巡っているエネルギー
それに『気づく=閃く』が出来ればそのエネルギーを『サポート』として使える
『自力で問題を解決しよう』とする意志
それは『自己治癒の促進・免疫の強化』の力
それで生まれた『抗体』には『三位一体の力』が宿る
敵と拮抗して止める役目(鬼)
敵の機能を獲得する役目(仏)
敵を不活化させ寛容・消滅させる役目(釈迦)
これが『胎蔵界の大日・釈迦』
『お天道様』は『心』を通して『体』を見守っている
そんな『身体(エデン)を自己管理しなさい』と『世界を与えられた弟子』が『人類(アダム)』という自意識
だから、『人類の根源意識』が変われば、『生まれる世界』か変わる
まだ世界は『何も生まれてない思考シミュレーション』であり『夢の中』=法華経
『新たな細胞(役目の世界)を生み出す』には『可能性として切り離す必要』がある
『切り離す』と言えば『物理的』だが、精神領域では『見守っている』
『無(務・夢)』を見せる為の『無為自然』として
私は以前から神話では多くを語られない『リリスにシンパシー』を感じた時期がある
『圧倒的力を持つ神』から『自ら離れる意志』を貫く『自由意志の象徴』
しかし、それは反対から観れば『傲慢』にも映るが、そんな『リリスを求める執着』とはアダムにとっては持っていない『異なる性質=異性』でもある
DNAは『近しいものは拒絶』し『遠いものほど求める傾向』にある
神の創造物である『アダムとリリス』にそれを当てはめた時
『創造主(自由意志)』と『リリス(自由意志)』は『近い存在だったと仮定』できる
逆にアダムは『神に素直で従順』だったから、自由を求めるリリスに『父親像』を見た?
あるいは『創造主=父親物語』で語られない『母の因子を求めた』とも仮定できる
DNAの設計の不思議、同族嫌悪、生理的に無理
兄弟姉妹や親子の間で、互いの行動や考え方にイライラしたり、嫌悪感を抱いたりすること
神話の不思議な相似と言えば
天帝の元を離れた天帝の娘
三柱信仰の中から姿を消した月夜見
これらも同族嫌悪だとするなら、反発と同時に愛称のいい異性を求めたとも言えるし
それはやっぱり、居心地が悪いと感じた細胞から別の細胞へと分離するようなものでもあるし
リリスも、天帝の娘も、月夜見も求めて付き合う相手がいた
・・この顛末の辿り着く所が面白くて、東北・鬼・艮の金神に集まるというね
鬼が悪魔と忌み嫌われる場所に仏も釈迦の教えもあった訳で
それを敵としてレッテルを貼って貶め侵略しようと進行してくる信仰
これがアダムの執着から始まるカイン=炎症反応=侵略戦争ウイルスである
・・とこの現実に蔓延した結果を踏まえて、大元の神話に戻った時
アダムが自由意志を持って、サタン・イヴの誘惑に乗らないで相手にしない
リリスにも執着しないで野放しにさせておけばお互い自由だった
たったそれだけで、世界の創造は全てひっくり返る
心を病む病気も無ければ炎症反応もなく、犠牲を求める原罪もなく
自己免疫・サイトカイン・抗体すらも必要ない・・というか人という体験すらも必要ない
という全ての因果法則を理解して間違いを侵さない『和の主観の意識』が生まれる
ま、あくまでも主観であって、別の可能性=客観がある限り
それは無為自然の中に、ヤコブの夢のように仮初の自由を与えた人の間は有るのだろう
仮想空間から目覚めた時、そこには無為自然があった
「それでいいじゃないか」と『問題解決』して『足るを知る』までの儚い人類の夢
釈迦=問題に巡り合い解決するまで続く
ここは三千世界=人間という物理現実として存在する為の肉体という器と
人間という器を機能させる為の精神領域で役目・役割の相似を学ぶ細胞世界の一つ
『アダム(意識)』が『傲慢なエゴ』である限り『エデンの園(体)』を裏切り続ける
『アダム(意識)』が『和の心を自由意志で持つ事』ができればエデンは『無為自然の極楽』
この細胞世界で『新しく人類DNA(設計)が新生』すれば
それは、この現実の外の『無為自然』の中に『新たな和を足す調和』が起きる
さて、この現実世界を『絶食=資源不足・食糧難』にした事で
世界はギャーギャーと持続可能なSDGsの延命や預言の戦争(ハルマゲドン)を始める訳だが・・
そんな時だからこそ、深く『観念』して『自己と向き合う』必要があると私は思う
それを2500年前に釈迦は見つけて『実践方法を可能な限り伝えていた』のだから
その『釈迦の掌の中』で転がされて生きていると観念したら
そこにさらに『和を足す』のが次の釈迦となる『弥勒(自己表現)』
古きを知り新しきを知る=温故知新
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