空腹状態での夢は、もはや別世界の生活をしている自分が「はっΣ(゚Д゚)」と我に返るまで気づかないままであり、それ気づいて戻ってきた現実では、気力はあっても体の臓器は負担ゼロの休んでいる状態。この体験から導く安楽死の正体は『空服=空腹』である事と見つけたり!なお話
空腹とは
空腹とは、一般的に胃が空っぽで、体が必要とするエネルギーが不足している状態を指します。具体的には、血糖値が低下し、脳の満腹中枢が刺激されなくなることで、食事を求める感覚が生じます
私は今まで何度も、『空腹幸福論』をまとめようかどうかをいまいち決めかねていたが・・ここ数日の体験で、実感を伴う体感で気づいた持論がある
私は前に『食』と『欲』は違うとまとめた
食は『生きる為に必要な生理現象』だが
欲はそれを『欲して満たすまで求める』という『執着』である
それを『依存の生活習慣』にすると『パブロフの犬』のように
それを『無意識に行う』ようになってしまうのが『食事』である
腹が減った訳でもないのに『時間』に従い行動する
朝食、昼食、夕食
それに加えて、おやつ、夜食などの間食
これらは全て空っぽの『隙間を満たしたい』というだけの『欲』であり
食は各種、臓器や細胞が求める『活動に必要な栄養素を摂取』する事
だから必要な栄養素が満たされた上に、不要に臓器に毒素分別・消化、脂肪蓄積、吸収、排泄などの『負担がかからない状態』では
『一日一食』でも十分に生きていけるという事を『日々実感』している
市販のものや家庭菜園で育ててた自然栽培の野菜とは違い、『山の山菜』、栄養を与えなくても『自生して生える植物』を食した場合
『必要以上のエネルギーと栄養』で『生きる活力がみなぎる事』も実感した
そんな『欲』を省いた『食習慣』になると『腹の虫の音』が『何を伝えている』のか理解する
一般の人はお腹の虫が鳴ったら『食べ時』だと思い込む
「お腹が空だから力が出ない」・・と思い込むのは周りがそういう『常識』の中、それに迎合して、『自分を内観』しないから
内観とは自己の体の状況を心を穏やかに向き合う事で『違和感』に気づく方法
まだ『症状』として現れていない状態で、『悪化』しないように『不活化させて治癒』するなど
『目に見えない変化』を自分の体と向き合って『労わる作業』
これをすると、お腹が『ぐぅぅ』となるのは、『空洞』である事
また音の響きがひとつではなく、様々な臓器に『連動』して起きる
この『虫の鳴き声』を代弁するとこうなる
肝臓「やっと毒素の分別がおわった!業務終了のお知らせ」
胃「やっと内容物の消化が終わった!業務終了のお知らせ」
腸「やっと栄養吸収が終わった!業務終了のお知らせ」
全てが空になって「もう流すものはないぞー」と『空気の振動』で伝える
この『ぐううの音』も聞こえなくなると、各種臓器はとても『静か』になる
体を激しく動かしても、『心臓や肺』などの常時生命維持の臓器以外は、ただの肉のように「俺には関係ねぇ」と眠っているように存在を感じない
『役目がない臓器』は負担がかからず『穏やかな日常』を過ごしている
その業務終了の声が聞こえなくなる頃にかくん・・とエネルギー切れで意識が飛んだ夢は
大抵、完全にその世界で普通に生きてきた『バックグラウンドがあるような私』として、意識がそれに溶け込むように『我思う故に我あり!』・・とならない限り
『その現実』を『夢だと認知しない』感じで続いている
ふとした事で現実に目が覚めた時、『体のエネルギーが枯渇』しているが、『気力だけは十分にある』感じで、でも『抗えない眠気』によってまた意識は
その『気力をもったまま別の現実を体験』して・・は戻ってきて・・も、「体に体力がねぇから、また起きてられない・・」って繰り返すうちに気づいた
「何か食べなきゃ・・」という『生命維持のための食』を取らない
『満たす事を求める』という『欲』がなければ、臓器も全て穏やかな『夢の中』
その臓器を起こす=毒素分解・消化・吸収という『業務』を与える
それを『私が行う事』で、『現実に生きる』という『因果応報』によって生きている
『生への執着』がなければ、『空腹』で『空(有無)に服する夢』もまた、『穏やかな意識のシフト』で『安楽死を迎える』だろう
生きる為に生きながら仏の智慧と繋がる『即身成仏』とは違い
生きる事に執着しなくなって『成仏を目指す即身仏』というのも
なんか『気持ちがわかる』気がした
仏教などの『食の戒律』とはまさに、その最初のステップ
『食欲』という『満たされるまで求める欲の対象』を切り離す
その戒律の意味をただの『我慢』と思った時点でその『先』はない
悔い改めて、食い改めて、『食』と『欲』を切り離せればいいが
その欲を残した状態では、また『満たしたいと欲する』から繰り返す
それは周りから『止めろ!』といっても直るものではない
そういう奴は『こっそり隠れてバレなければいい』と繰り返すが
『その業を修める=戒律破り』を繰り返せば、『体の臓器に負担』がかかり、いずれは『かからなくてもいい病気』という『結果』で出てくる
「同じ条件で『食の修業』しているのに、なぜお前だけ、『違う症状』がでるのか?」
そんな『欲深い食欲』を持っているものは『飢える』
飢える=満たされていない=欲する
皆平等に『食べる物がない飢餓』が訪れたとしよう
『食』と『欲』を切り離している者は心は穏やかだ
『食』が無くてもそれを『欲する事が無い』ため
『有れば食う』けど、『無ければ食わない』と
その『ありのまま』を受け入れる結果
意識が飛ぶ=『幸せな夢の世界』を観て『心が癒され気力が回復』する
でも『体力はそのまま』だからその『気力を持って別の世界』に行き
その『生き様から得た気力』を持ってまた意識は旅立ち
そして・・『現実の肉体』は静かに穏やかに『眠るように終わる』だろう
まさに『飢えに苦しむ欲』かない状態の空腹は『安楽死』と言える
肉体は『仮死状態』を保ち『意識』が戻ってきた時、『再び活性化』するのかもしれない
例えば・・釈迦の意識が再び『降誕するタイミング』に合わせて、『眠りについた弟子たちの体が復活する』みたいにね
『即身仏』として『ミイラ』になった『体が腐らない』というのは、臓器も穏やかに眠り活動していない『細胞も穏やかな夢の中』
皆(細胞)が一斉に『生命活動を止めて静止』している
それを『無=全てがある』とするなら『務(役目)』がない『楽しい夢の世界』である
と、空腹でエネルギーが切れた後の肉体の目覚めは、より『鮮明な精神領域の別世界の体験』で『気力』は満ちている
ここで『生命活動を意識して観測』するか?=食して『エネルギーを得る』
再び『抗えない夢の活動を意識して観測』するか?=食さず『眠りにつく』
何も『口』にいれない=臓器を『穏やかな眠り』から目覚めさせない
『体に負担』をかけないで、眠った横にそっと『添い寝』するようなもので
『力尽きたパトラッシュ』の横で寄り添うように死ぬ『ネロ少年』のように
「俺の仮の体よ・・もうそろそろ役目はいいかな」と・・
(乂•ω•´)ダーメッ! Σ(゚Д゚)ぶっ生き返す!
『役目・宿業』がある限り、『不思議な流れ』で『自分の意志では死ねない』
『自殺が成功』する奴は、自殺の前に『他殺』している
自分の『生きようという心』を『殺して黙らせる』という殺人者
だから、自殺者はどこにも行けない=浮かばれない=人殺しの罪
心を『裏切った』だけではなく、『自ら心を殺した』という罪は取返しがつかない
だから、『苦しまない安楽死』の方法ではあるけれど
それを実行するまでに『欲を手放す』という『苦しみ』があるのだよw
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり
それをわかって私は何度も
「俺の仮の体よ・・もうそろそろ役目はいいかな」と・・
(乂•ω•´)ダーメッ! Σ(゚Д゚)ぶっ生き返す!
これの『繰り返し』だから、別世界の夢見をして『気力MAX』で目覚めて
『枯渇した体力』を取り戻すべく『食で栄養とエネルギーを回復』すると・・
臓器達も目覚めて稼働して
強くてニューゲーム!(・ω・)/ さて、次のミッションは?
『問題』に巡りあい、『閃き』を得て『解決』する・・という『大日・釈迦』の三千世界の現実世界
今回は『安楽死の練習体験』でしたww
何も(条件)呑まない
何も(条件)食わない
『死後(黄泉)=現実の飯』を食わない事
その教えが実は『別の現実に黄泉(世見)帰る』事
この世界の食は目に見えない『ミクロレベルまで汚染』されている
自然の『虫ですら無視』する添加物まみれの食を『欲して依存する人間』
もう『死後の飯』をたらふく食うという『毒を食らわば皿までなめる』
それが『当たり前』になると、苦しまないで終わる『空腹幸福論』まで遠いな~
別に安楽死を『推奨』している訳ではない
食べるのを『無理して我慢』して飢える=『食・生を欲する』なら
それは『道理はない』から『やめておけ』という指標にもなる
『絶食』している時に食を『欲する=生きたい=まだ死ねない=やるべき事』がある
そうやって金輪際(この世/あの世)の見極め、セト際(運命の分かれ目)をする事もできる
お腹が減ると『怒りっぽくなる人』は
「どうして食べねーんだよ?」と『体が生きる事』を求めている
これはもはや『症状』として表に出てきている『わかりやすい現象』
これは『依存物質』にも言える
例えば、たばこの『ニコチン切れ』も同じで怒りっぽくなる
「どうして吸わねーんだよ?」と『依存物質』が求めている
これは『臓器が出しているサイン』ではない
こういう反応を見極めるのが『内観』という『自己を労わる修練』
体に摂り入れる物質・成分を少なくすればするほど
『何が』?『どこに』?『どのように影響』して
どのような『欲する反応』をするか?問題の部位を特定できる
『食』と『欲』を切り離す『苦しみを精進』しておけば
『生きる事を欲しなくなった』時、『楽にいける』というだけの事
その『楽に逝った=意識が消失』した先が・・私の場合は『別の現実』という『夢』だったから
『意識が戻ってきたから夢』という『認知』なだけで
戻ってこなければ、『この現実が夢だった』となるだけ
『安楽死』したけど、『復活』させられたww
(乂•ω•´)ダーメッ! Σ(゚Д゚)ぶっ生き返す!
いわゆる『臨死体験者の記録』として伝えて遺せという事だろうか・・
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