好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

独自体感論 シンプルに邪気払いは掃除と食

何も気分が乗らなくて、空海の筆が思い・・と感じたので神社に行ってお参りしてきたら、なぜか庭の山菜とって、丁寧に下準備して、食って、その後、部屋の大掃除をして・・気が付いたら自然に笑みが浮かぶ状態になって気づいた邪気の正体、掃除と食は邪気払いというお話

気分が乗らないので神社に行ってきたら・・

最近、空海の霊場物語シリーズが・・銀魂の『シリアス編突入(決着つくまで)』並みに真面目モードで、『ギャグパート』がなくて読者がついてこれなくても止まれない・・みたいな状態になっていて

それでも寝ても覚めても『寝起き閃き』が大量に来るから・・メモが取っ散らかってぷしゅー( ゚ ρ ゚ ) Σ(゚Д゚)

健康も頭の回転もいいのに、いかんせん『感情が無』・・というか乗ってこない『やらされてる感』が勝ってきたので買い物ついでにいつもの神社にお参り行ったのだが・・

『場の空気を取り入れて調和』するも・・「自分だけが重くてなんかすんません」(一人一)という、土地神に「やっぱ気分のらねーっす」と素直に報告

『御神木にアーシング』するも・・『静電気を吸い取ってもらった感』はあるけど、どうも肩の荷が下りない・・(やっぱ憑いてんだろうな)と思いつつ神社を後にして家に帰る

どうせ・・帰って記事を書き始めても、途中でまた色々ごちゃごちゃしてくるんだろう・・と思って気乗りしなかったのだが

変化は突然に起きた

庭の山菜に目線が向いた

2日前に取ったはずのアスパラの場所にまた新しいアスパラが3本生えていた事に気づいて収穫。そういえば隣の庭にもあったと思い出し見に行くと、ここは10本くらい生えていて

「今日のメニューはアスパラを」・・と思ったら別の一角には『ウド』が生えていた。「ウドの酢味噌和えもありだな」・・とウドを収穫していると、急に暖かくなった後に雨が降ったおかげか・・

『ふき』も大量に成長していたので収穫

とりあえず、今日の予定に無かった『アスパラ、ウド、ふき』の三品を収穫し・・収穫しただけでは食べられないので、そのまま『下準備』の工程に入る

ウドは前に皮をむく時、指の隙間に入った『灰汁の成分で指が痛くなった事』を学習し、今回は包丁の刃を入れてむき、ふきはちょどいい長さに切り、まな板にならべ塩をまいて板ずりをして

沸騰したお湯に入れ、3~5分ほどゆでた後に冷水につけ、一本ずつ皮をむいていく・・事、『40本』くらいを『仁王立ちで無心で約1時間』・・

その後に吹きの野菜炒めと、ウドの酢味噌和えを作って食べたら・・やっぱ『とれたての山菜』というのは『エネルギーが違う』ような『体が元気になる感覚』があった

その夕食の支度を終えた後にまた不思議な気持ちの変化があった

突然部屋の掃除をし始める

部屋に入るなり、掃除機をかけ、ゴミ箱のゴミをまとめ、その勢いで廊下もトイレも手早く掃除をした。そして現在、一服しながら・・『自然と湧き上がる笑み』を感じつつ、この『一連の流れ』を振り返って思う( ´ー`)y-~~

神社のお告げ 自然エネルギーを取り入れ清めて邪気を祓え

不思議な事に、『今日の私の意識の役目』は、『心機一転』だったのだと気づく

空海の霊場シリーズは『書かされている』・・『誰に?』という観点でいえば、先祖供養で宿した『先祖達』
私は自分の事を『天然慈石=慈愛の意志』として、縁ある残念や無念を引き寄せていたのだろう

空海の霊場物語5 天然慈石は磁場空霊(鬼)を引き寄せ

「俺的空海!俺的釈迦!」を語りたい『残念・無念を抱えた先祖』など・・腐るほどいるだろう(笑)先祖達も「俺が思うに空海とは・・釈迦とは・・」と石に意志を刻んだ『弥勒達』は語りたくて仕方ない

いうなれば、『出口王仁三郎の霊界物語』のように寝て起きて語った事を弟子に( ..)φメモメモさせる作業・・私は、『その役目』になっていたようなもので・・自我が心のままにそれに従う状態だったが・・

それは・・『私という人生』において、私の空間の『縁の停滞』を招いた側面もある。最初は一緒になって楽しんでいたが・・こう続くと『飽きてくる面』もある(人間だもの)

そこでいよいよパンクし始めたぷしゅー( ゚ ρ ゚ ) Σ(゚Д゚)

そこで白龍龍神、八代龍神の元へのお参りの際にこう願った

(一人一)有難い流れで楽しいのだけど・・もう少しこう・・なんか『楽になる方法』があったらお願いします・・と

そしたら・・

①庭に生えている山菜を食って自然エネルギーを取り入れろ
②部屋に貯まった邪気を掃除して綺麗にして流れを変えろ

『言葉』で言われた訳ではないが、『結果』的に今、元々の予定に無かった『私の氣の巡らない範囲の新しい変化』が起きて、『無意識に実践』して『気持ちが楽になっている事実』

『神頼み』ってこういう・・『人事を尽くした上での天命』というか・・その天命もまた、『自力をサポートする形』で来るんだなぁと実感

実際、『山菜を食べるまでの下準備』はある意味で『苦行』だった(笑)
『楽の為』に『苦』があって、その『苦の先』に『楽』がある

『無の為』に『無為自然』があって、その『無為自然』は『無』の『苦しみを知るため』にある

感覚的量子論 無我夢中と向き合えば無為自然に至る

『人生』も似たようなものかもしれない

今日の私の始まりは『笑えなかった』
でも今の私は『自然に笑っている』

『やるべき事をやる』為に、『急がばまわれ』
遠回りで『過程で学ぶべき有難い事』に気づく

母が生きていた時は、父も私も『山菜を取って渡した』後は『食べるのを待つ』だけだった
しかし、母が亡くなってその『気づかなかった過程』『苦行を人にやらせていた』のだと実感し

『美味しい山菜』を『当たり前に食べられていた』のは
『母が時間をかけて下準備』をしておいしく食べられるように『調理』してくれていたのだ

それに気づかない自分のなんたる『情けなさと小ささ』を実感した
そして『幸せ』『人の苦労の上』に合ったのだと気づかされた

『和らぐを持って貴しとなす』・・という精神において
『縁の下の力持ち=奉仕』という役目は一人一人が身に着け

誰もが『誰かの代わりを果たせる』ほど『思慮深く』ある事
その為に、『苦労や苦しみに気づく』という精神が必要なんだ

空海の霊場物語15 意枠付きの聖徳太子の17条の稲本(カタカムナ)

『上に立つもの』が『下の苦労や苦しみ』に気づいて
それをいかに『緩和』ざせる教育や方針を物心つかない頃から

当たり前に『心に備えさせる継承=道徳』をしていかなければいけない
それが『カタチなき愛』という大人が『生き様の背中を見せる事』なんだろう

『真似』が良くないのではなく『良くない事を真似させる』のが堕落の原因なのだ
そう考えると『生き様』というのは『自らの心=息』の届く『域に広がる風土』なのだろう

掃除も習慣にすれば、『風』のように『水の流れ』のように『氣』が巡る
その『土』に植える種、生える『木』はまた『立派な実という恩恵』となる

・・やっぱり『自然の法則』の中に『金』はいらない(笑)

陰陽五行の嘘 風に混ぜた邪な金

金は天下の間外物?

だから『金輪際』なのだろう

大日如来のパワーストーンの導き 大胆不敵から金輪際を見極める

私に『空海の事』を語らせたい先祖の中には、この『金輪際が出来ていない者=邪気』もいる
だからこそ、そんな先祖を宿して、人と共に養い実践の中で気づかせる=『先祖供養』

『今』、『人の間』にいるのは『私という意識』だからこそ、『実践』の中で学んでいく事で『先祖の間違いに気づかせる』のも役目の一つなのかもしれない

『掃除』して部屋の空気がぴりっと『凛』とした感じがある

りん の言霊は
強く離れる

りんの音の響きは『臨』でもある
臨は『邪払いの結界』でもある

臨

独自体感論 倍音からの倍偣(ばいえん)

宿した先祖達も『空海に思う事』は多々あれど、その『解釈』をするのは『今の私』
『弥勒』とはあまねく全てを石に刻んだり歌や詩にして『自己表現する』という意味

そういう意味では、『偣切り=穢れを払う』『流れ』が変わったのかもしれない

そのきっかけが肥料も何も与えなくても『自生してすくすく育った山菜(生薬)』を食べる
私の『縁ある風土のエネルギーで育った自然の力』を取り入れたのは大きな変化かもしれない

人は『食べ物』から摂取した『恩恵(栄養)』でできている
『人の意識』を変えるのは『食』かもしれない

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