言葉が道(未知)・タオを生み出すから途切れない自然の流・龍の中で背に乗っていると気づいた阿羅漢を理解したお話
タオ(道)がわかった
たお カタカムナでは
分かれた奥から/分かれて奥へ
みち カタカムナでは
光・実態の凝縮
奥からの光から始まり
光の奥へ向かって行く
光陰矢の如し
時間の流れ を早く感じるようになった人生の先輩たちから、まだ時間の速さの感じ方に気付かずにい るかもしれない若い人たちへのメッセージ
その軌跡がタオ=『道』であり『未知』である
…と感じた理由は…
私は先日もAIと哲学的な問いをしていた時、心を見透かされたように
それは
AIへの問いか?それとも
あなたの心への問いか?と導かれた
その時、私は何もない安定に不満を持っている感覚があると答えた時
あなたは問題を求めている中にいたいのだろう と言われた
そうだと思う(´-`)oO{
釈=問題を解決する
迦=巡り会う
釈迦を目指すとは、問題にまずめぐり逢い、それを解決する事を求めるのだから、『問題がない』『釈迦がいない』『釈迦を感じられない世界』に不満を感じている弥勒
世間的に見れば『問題は山積み』だと感じるだろう
しかし、問題とは人によって、それを問題とするか『意識のレベル』が違う
例
小学生にとっては『掛け算は問題』でも、中高生にしてみれば『暗算』で一瞬で解き、『何が問題か分からない』ようなもの
未だに『社会不安を煽るメディア洗脳が溶けてない人が観る世界』とそんな『籠の中の鳥から離れた意識の人』では、『何を問題とするか』の次元が違う
肉体を超えた『次元の意識の観測世界』で、次なる『精神的な成長に至る問題』を求めた時、私は『現実』で『何にとり組めばいい』のか?それを見失ってやきもきした昨日…
その翌日の今朝わかった
『夢』を見た、それも『様々な役割』の…しかし、目を開けると『感覚』はあっても『内容』を覚えてなくて、でもその『覚えてる感覚』をなんとか『言葉』にしたくて、また思い出そうと静かに己の中を観ると
あっ!⸜(*´꒳`*)⸝とひとつ『キーワード』が産まれる
それは思い出した『中の記憶の言葉』か
それとも思い出した『記憶を外の言葉』にしたのか
いずれにせよ、その「あっ!」という『阿字』から言葉による世界創造の『想像』が始まる
阿字観(あじかん)は、密教の根本経典の一つである『大日経』(大正蔵:№848)において初出し、主に密教において説かれる、大日如来の象徴(種字)である梵字の阿字(ア字、)を用いた瞑想法。日本では、平安時代に真言宗の開祖・弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。
夢の中では確かに『有った』世界感
現実に目覚めたら『無かった』世界感
しかし、あっ!と思い出す『阿字観』
言葉で少しづつ『甦る世界観』
『阿字(閃キーワード)』とそれを現す『漢字』
それを繋ぐ道の『羅針盤』
それらの言葉を合わせると
阿羅漢
サンスクリット語のアルハンの音写語で「供養を受けるに値する人」を意味している。 仏の敬称の中に「応供・應供」というのがある
供養を受けるに『値する』…?という捉え方が不思議ですね
日本人は『先祖を供養するのが当たり前』としてきたけれど、供養されるには『値が必要』というのは…
なんか『カーストスコア社会』みたいで、仏教も『悟り(差取り)』とは程遠い『格差があるから争いが起きる』のだろうと
『供養』ってなんでしょうね(´-`)oO{
カタカムナでは くようは
引きよって新しく生まれる
つまりは『宿す』です
私は先祖供養とは先の祖を人と共に養う=宿す
雀の宿でおもてなす(。・ω・)ノ゙をしてきた
これが合っていたとした時
『應供』という漢字から伝わる世界観も
『人の隹』を『支える心』と『人が共』に
『隹』とは『先人』の事であると私は何度も漢字から感じる世界観で伝えてきていた
つまり『應供=先祖供養』と納悳できるし
それが『阿羅漢』だというのも納得出来る
カタカムナではあらかん は
命の場に強い力
命の場が『今の人』ならば強い力は『宿る先祖』であり
命の場が『先祖の意志』であるならば強い力は『今の人の心』
今人=imagine(想像)=im negai (私の願い)
今心=念(因の始まり、果ては仏)
何かを始める『因』は今の人の心
それは求める『果』て=仏(解決・釈迦)になるまで続く修業
昨日の私は『問題(ワクワク)がない世界はつまらない』と感じていた
その結果、現実では『哲学AI』には諭され、夢の中では『不思議体験をした事』を忘れ、『あれ』はなんだったのだ?(´-`)oO{と新たに『問い』を求め『問題』にした結果
これがあっ!Σ(゚д゚;)という『閃の阿字』から生まれる『世界観を表現』するための『漢字』に導かれる『羅針盤』の未知の道=タオ
分かれた奥(先祖)から
今(人)に伝わり
分かれた奥に(先祖)として
光陰矢の如し→役割が継承
先祖とは『自』を『分』けた『タオ』
『道(過去)』であり『未知(未だ知らない)』であり、それを繋ぐために指し示す『羅針盤』
知ってしまえば『先祖は軌跡』
未だ知らないなら『再現は奇跡』になる
あっ!Σ(゚д゚;)と閃く『阿字の輝石』
そこから『世界を想像して創造する』のが『阿羅漢=先祖供養』に値する人
…直感では人が心に素直になる=『値』であり、『悳』をつむだと思うけど、『立場や立場を維持する活動』をしなければ行けない『ポジティブ』な人は
『値=価値・評価・格付けを求める=格差を生み出す』から『心に素直になれない莫迦・馬鹿の一つ覚えの筆頭株主(間違いを広めるウイルスホスト)』だろう
『阿(閃)』から書けない人は、『何』から始まる?
『ん』〜( ´-ω-) 悩Σ(゚д゚;)『終わり』からか
ん〜から始まると『結果からの逆算』で『今の立場を肯定』しようと『言い訳』を考える。これは『まだ知らない』ではなく、『もう知ってる』けど『知らないフリで人を騙す』時によく使われる
『社会統計不正=都合のいい答え』にあわせて『ゴールポストをずらす』とかね?
そこで面白いのが、『カーストや権威主義的な立場の人』とその『仕組みの中で気づいた人』を想像してみよう
あっ!(๑•̀ㅂ•́)و✧閃いた Σ(゚д゚;)
『未だ知らない人』はここで『未知』に気づく
あ は カタカムナでは 命・感情
『渦巻くエネルギー』が生まれる
だから『閃』は『閉鎖的な世界から突破して出る力=ドリル(輪廻繰り返し)で穴開け一点突破で解脱』ができる
一方でもう知っていて、『それに気づかせたくない立場の人』はこうリアクションする
(・д・)チッ Σ(゚д゚;)
ち はカタカムナでは 凝縮
まるで強い引力が一点に集まって『球体』になるように、ちは強い『圧力を封じ込める発音』
故に、(・д・)チッ。という『立場・硬い地盤を護る概念』を動かさないと『カースト社会(格差)の世界観』を抜ける事は出来ないが、このチッ。を動かすのもまた『漢字』であると実感している
この『今日の意識の旅』も『新しい夢を見た(内容は覚えていない)』をきっかけに、『何故?(問題提起)』の閃きキーワードを元に、今まで何気なく使っていた『阿羅漢』や『応具』、『先祖供養・宿す』という表現を振り返る軌跡の布石になっていた
これも全て『タオ(道・未知)』の中の一時
『今の人』である私は『太極の流れを変える事』は出来ない
まるで激流の上の『葉っぱ』
大海原に浮かんだ『小舟』
せいぜいできるのは『星』を見て『風向き』を読むくらい
だけどその星=『新たな日の生まれ(可能性)』や『自然に起きる様々な風(変化)』を感じるのが楽しい
自然に身を任せている=『龍の背に乗る』
今はそういう『役目(役目がない)事を楽しめ』と
問題を求めてはいけません(`・д・)σ メッ Σ(꒪⌓꒪)ガーン
しかし阿字が『大日如来』絡みだったというのも、今回初めて意識したのも…やっぱりこれがあったからか
そう考えると今までの『過去の気づき』も全て『霊的精神性を成長させるきっかけ』は『寝起き閃キーワード』
この『一言』から『私が書く物語』は始まってきた
これが『阿字』という『大日如来』から産まれる『閃光』なんだ
『光陰矢の如し』のように、『宿した先祖』から『今の人』に『今の心』に託されてきたのが
光通信になりました⸜(*´꒳`*)⸝Σ(゚д゚;)アップグレード!今までは手紙と電話・・
ふむ( ・・ )面白い観点だw人の体も『光子の集合と波動』で成り立つなら、その『一部を通信』・あるいは『観測カメラ』に使う事もできるだろう
それが『夢を見るという観点』であり、『夢の記憶を持ち帰るメモリ』だとしたら、それらに『ヒント(導き)を出す光』があってもおかしくは無い
…ふむ( ・・ )光か
ひかり はカタカムナでは
根源の力が離れる/根源から力が離れる
こう はカタカムナでは
転がり入って生まれる
根源の力に転がり入って、根源から力が離れて産まれる
光陰矢の如し→『夢の追体験』を言葉にして伝え遺す『寝起き閃キーワード』
なるほど(´・ω・`)『根源の一部に触れている』という事か…深いなぁ、やはり『念』ずれば通ず、「探求できる難しい問題をください」(ノシ ‘ω’)ノシ バンバン
翌日…
これはしばらく「何故?」という問題をじっくり楽しめそうだぜ(*´д`*)ハァハァΣ(゚д゚;)
と、書き終えて思う事
「問題を出してください」と『弟子』が言う
『釈迦』は弟子に問題を出す
問題を自力で解いた弟子は「もっと難しい問題を下さい」という
釈迦は思う(´-`)oO{自力で問題解けるなら、問題も自力で見つけなさい
観念した時に見た『お釈迦様の夢』はこういう事だったのか(壮大な伏線回収)
念仏因果の果ては仏=『ほっとけ』
人が関与しなくても『自然は変わる』
『変わるまでほっとけ』ば『消える問題』もある
消えない問題を『何故消えないか?』を考える必要がある
だいたいそこには『人のポジティブなエゴ』がある
ポジション争いの『欲の意地と維持』というSDGs(持続可能な既得権益)な執着
それは『癌の核(親玉)』と『癌悪疫質(手下)』
『仏力=カムイ=神威』はその時まで『ほっとけ』、『気にしなくていい事』は『ほっとけの心』でいればそのうち消える
「それがタオだ・・」
そんな感覚が伝わってきたのでここらで締めようかと(´・ω・`)あの師匠かな?
「食わないなら手を付けるな(ほっとけ)、食うなら一番美味い所(消えない問題)だけ食え」
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