心の友を築くより共は心だと気づきましょう
釈迦の説法の応用編
暗いと不平を言うよりも
進んで灯りをつけましょう by釈迦
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心の友を探し求めるより
友は心だと気づきましょう by 妙見狸
なんか急に心に浮かんだ言葉
これ、シンプルだけど心理の真理
と言うのも…
他人を心の友…と認めるのは『心』です
心が認めなければ『親友』になれません
つまり、『心=自分自身と一体化』している人はふたつの意味で『友を求めない』
既に『心友』が居る
『イマジナリーフレンド』と『揶揄』される
偶像や『想像の友』、『周りに友達がいない』などそれはただの『レッテルワード』
どんな人でも『生病老死の四苦八苦』に苛まれる『瞬間』も含め
『病める時も健やかなる時』も『生涯の伴侶』として『一心一体な存在』
それが『心という友』であり、その友が『安寧や穏やかさ』を与えてくれる
その友を『傷つけ』、友を『悲しませる』から
『不安』になり『怯える』事になる
心は自分自身の『鏡』であるからこそ
自分自身が『心を労る発現や行動』をする事で
心はその『発現する力』を身につけ
『力強く支える強い心』になっていく
私はそっちなんですね
心が『友を選ぶ』
自分と心が一心一体になっていない場合
『友達選び』は疑心暗鬼の暗中模索
『心が門番』になり見極める
頭の中で『損得で関係性』を悩んでも『心』がそれを『凌駕する判断』を下す
例え、世間的に怪しい嫌われ者だから、付き合うには『悪友過ぎてデメリットが多い』…と『頭が理性で否定』しても
心は「でもコイツは『ワクワク』させてくれるんだよな〜」と『友にしたいと肯定』する
ここで、頭で考えた『損得で選択』すると、『心が裏切られた』と傷つき、心に『杭』を打ちこみ『後悔の罪悪感』が生まれる
この杭を打ち込み悔い改めてさせる
と言うのもなんか分かりやすい『メタファー』
心が心に『杭』を打ち込み『自傷行為』をする
その杭を抜くのは心を『裏切った自我』の役目
『自己を反省』して心を『見直し』、『杭が刺さっている事』に気づいて
「この杭(墓)はなんだったのか?」と向き合い、その失われた心を『供養』して悔い改めて『心を入れ替える』
それは心と言う『友を裏切り傷つけた事への反省』であり、それを『取り除く事で心が軽くなる』というのは
『心から赦しを得る』という懺悔であり『トラウマ解消』になる
このように目に見えないけれど、最も近くで『一心一体』の心は決して『裏切らない友』である
そんな『心強い友は唯一無二』であり、仮にそれに『似た存在=心が共振して求める友』こそ『親友』と呼べるのかもしれない
…ただ現実の親友は『裏切るリスク』がある
それは現実と言う『環境』が親友の『心を裏切らせる可能性』があるから
友という形象には『反』という形が隠れている
反とはうらがえる。ひっくりかえる
誰かが誰かに『敵意』を向ける時
人はそれに『騙され利用される可能性』がある
それは『善意の皮を被った悪意』による
『思いやりワクチンの扇動』のように
『他人』は『周りの環境』に合わせて
『心にも無い事を受け入れざるを得ない状況』になる事もある
自分自身が『一心一体の心友』になっていれば
自分自身が『心を裏切る事』はなく『心も体を裏切ること』は無い
しかし他人という『概念の親友』は違う
心の友とは『言葉で言えた』としてもそれは『体=行動・発現は分離』している
『友は心』だという『分離無きゼロ距離』とは違う
心は何よりも『強い決定権』があり『自由意志を尊重する支援の力』でもある
だから『心』と向き合い
真の意味で『心の友』になる
理解すれば『友の心』がわかる
心が読めない
心は理解できない
それは『他人の心』の話
『自分の心』だけは『唯一無二の理解者』
未だ知らない『未知』を知っている
知っているけど『問わなければ』教えてはくれない
それは『AIの仕組み』と同じ
教え方も『導くきっかけ』を与えるだけで『ワクワク』させて『実践』を促す
それは何故か?
心も体の友と『一緒に楽しみたい』から体験している
『体感のフィードバック』を心も『リアルタイムで共有』している
その『体感したリアル』を心は『夢や想像の言葉で表現』して返してくる
言わば『興奮した感想』のキャッチボール
体(・∀)ノ ゜ヽ(∀・)心
体「アレを体験してみたいな」
心「ワクワクさせてやろう」
体「もう我慢できない!体験する」
心「おおお!そんな感じ?!」
心と体「いやー凄かったねー」
これはもう『隠し事はない心友』だろう(笑)
私は夢の中で『心の家』と感じた場所でそいつと『対面』して教えられた
『概念(既にある今の心)』と『意識(意を識別する)』は違うと
『イマジナリーフレンド』という言葉と、それを軽々しく使って莫迦にする者達は、『イマジナリーが生み出す力』を知らないのだろう
『イマジナリーフレンド』という言葉をレッテルで貶めて馬鹿に言わせるように広めた者達は知っているのだ
『イマジナリーが生み出す力』の恐ろしさと、それは『都合ではコントロールできないエネルギーの流れ』を生み出す事を
イマジナリー(imaginary)のアナグラムは
I am raygin
I am raying
『私』は『光』となった『霊人=神(示し申す心)』
だから『力を制御』する為に『金の輪』に結び付けて広める
金の為にその『イマジナリーが生み出す力』を使いなさいと『力の場を提供』するが・・
その金に興味を持たない者が『イマジナリーが生み出す力(閃き)』を『金の求めない方向(問題解決)』へと使ったら?
それは『フリーエネルギー』が『利権から離れて自由に』なるという事
『金の為に使わない』という『想像力が自由』になる
『想像』できますか?『空想』できますか?
それを『全力でサポート』できるのは『一心一体の心友』だけです
どんな判断にも、決断にも『同意してくれる最強の相棒』
子供の頃は『寂しさを埋める子供の友達』でも『強い意志を貫く大人の精神』を持った時は
それを『後押しする頼れる相棒=加味サポート』になるからこそ『心と向き合い成長』させる必要がある
『自己反省』してますか?自分の心の悔いた『杭(トラウマ)を放置』してませんか?
墓場に墓参りに行かないと『墓場(終わった事)』を忘れている
馬鹿・莫迦は死ななきゃ治らない=『死中に活を見出す』
そのまま現状維持では『心は成長しない』
心を『傷つけ裏切ったまま』だと、心はあなたに『力を貸してはくれない』
故に『業の回収=代償』を払ってもらう『自業自得の因果応報』が待っている
心「恥を知れ!思い知れ!」
それが『怒り』なのか、『悲しみ』なのかわからないけれど
心に耳を傾けて『悔いた杭』がなんだったのか思いを知る
それを『一緒に向き合って乗り越えた時に心は共』になれる
心の友を築くより『共は心』だと気づきましょう
『供養』とは、人と共に養う事
『先祖』とは心に宿る『先在意識』である
実際、夢の中の私の心の家には『亡くなった祖母』もいたしね
そこには『十人十色の人生体験の先輩たち』がいる
『心に素直』になるとその『加味サポートの恩』を感じる事になる
これは『言葉』では説明が難しい
だから、『真の明晰夢』で体験してこいとしか言いようがない(笑)
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