体感無くして理解なし、釈迦の物語に出てくる『韋提希(いたいけ)』、そして語源に残る『いたいけな瞳』、全ては、廃仏毀釈で失われた精神ブーストリミッター解除の脳内麻薬分泌のお話と気づく
好転反応から戻った時の体の変化
前回、肩甲骨剥がし→夢見→寝起き閃きワード考察→フィブロネクチン細胞=『細胞と細胞を繋ぐ架け橋』であり、それは『脳内麻薬を分泌させるトリガー』だと気づいた
この『脳内麻薬切れの後遺症のような気だるさ』から、もう一眠りして、頭スッキリ体の痛みが引いた後の今
自分の変化に驚いている
前まで『五十肩っぽい可動域が極端に狭まって動きにくい』…と感じていたのは左肩で、右は何ともなかった。それが…まさかの左肩の可動域の方が広がって『右肩よりも楽に動く⁈』と言う…不思議
自分でも一旦眠って『意識飛んでる』から
『パラレルワールド』か?
『元々そんな症状が無い世界線』に意識シフトか?
と、『意識の連続性と存在の連続性』の観点から、元の体の『痛みを覚えているRNA細胞』が、「その痛みの治し方を覚えておけ」と言う『メッセンジャー』に連れられて
『別のミトコンドリア細胞』に有事の際の『治癒のリーダー(フィブロネクチン)』として動けという『新たな仏の役目として配置』されたような心と吾が覚えた『覚悟』
痛気持ちいいと脳内麻薬が出て笑いが込み上げる現象
これ、韋提希のエピソードと同じだと感じた
釈迦仏は神通を以ってこれを知り、弟子を遣わし、また自らも神通で赴いて、十方世界の浄土を示現すると、夫人は阿弥陀仏のいる極楽浄土を選ぶと、釈迦仏は十六観法を分かち、阿弥陀仏と極楽浄土の相状を説いたという。
韋提希はこの事件をきっかけとして、初めて自分自身の人生と自分自身の問題に向き合う。その争いの只中へ現れた釈迦の姿を仰ぎ見て、その足元に身を投げ出して声を上げて泣き伏し、ありったけの愚痴と怒と恨をぶつけ、韋提希の全てを象徴する物だった瓔珞を引きちぎってしまった。
「瓔珞」という考え方、「瓔珞」の生き方をしていた自己を、突然に嫌と言うほど知らされ、そこには真に恥ずべき自分がいる、それを韋提希は恥じたという。
釈迦仏は、このように狂ったように自分を責める韋提希を前にしてじっと耐え、ついに眉間の白毫から光を放った。釈迦の口から、色々な仏の姿や極楽の光景を目の当たりに見るため、あるいはこの世で阿弥陀仏に出会うための瞑想法を説きだされ、韋提希は自分が凡夫である事をよく覚った。
こうした歩みを通し、韋提希は自分自身と出会い、更にその韋提希に寄り添って立ち続け、待ち続ける釈迦の深い愛情に出会ったといわれる。
瓔珞とは『お飾り、装飾品』
肩が動かない『場所(首)に癒着』していた
『借金で首が回らない』などの表現があるが、なぜ『物理的な金』と『身体的な首』が関係あるかと言えば、ストレスは『首の後ろ(延髄網様体)』にきて『冷えから硬質化』して『首こり肩こりの原因』となる
『首が飛んだ』かと『ヒヤヒヤする』…や『首の皮一枚繋がった』と言う表現は、一見すると『物理的な何かを避けた』ように感じるが
実際は『首のリンパが冷えて首から上の感覚』が無くなる
『頭に血が昇る』の真逆の『血の気が引いた青ざめた顔になる顔面麻痺』のようなもの
頭に血が回らない=何も考えていない=『思考停止』で生きる
王が着飾る『装飾品』という負担
王もまた『それが無いと裸の王様』だから『共依存』のようなもので
どちらも自由に動けない『筋膜癒着』と同じ
フィブロネクチンという成分は、細胞と細胞がバラバラに剥がれないように『繋ぐ献身的な役目』だが…それが『間違った所で発揮』されると、『お互いの動きを制限してしまう共依存や思い込みの執着や粘着』になってしまう
だから、このフィブロネクチンがくっついてる細胞を傷つけないように、『繋ぐ細胞という役目の自己消滅の痛み』を受け入れる時、その痛みを『必然的に和らげる措置が脳内麻薬』として出る
『アドレナリン(痛みに鈍くなる)』とはまた違う何かで『自己犠牲の痛みが気持ちいい!』と感じで『自然に素直に笑って』しまう…
『韋提希』は『自分自身』と出会い、更にその韋提希に寄り添って立ち続け、待ち続ける『釈迦の深い愛情』に出会った・・とあるが
韋提希はまんま『元の自己消滅の痛い気』で釈迦の愛情が『脳内麻薬』だった
この世で『阿弥陀仏に出会うための瞑想法』
それは『意志氣』して『自己を労る呼吸瞑想による内観』だった
その結果、私はこれを『薬師如来の試練』と表現している『妙見狸の訳詞如来』と名乗り、その『体感を現代の言葉で処方箋』を書き伝え
でもそれは『自分の為に成した事』が、結果的に『この智慧に触れ真似しよう』と『意志を継承した誰か』が『心と吾』で体感した『夢』を覚える『覚悟(抗体、役目)の物語』を訳詞していく
少なくとも、『韋提希な瞳』は…
『涙(痛み)と笑顔(脳内麻薬)』だろう
だけど、その後の『好転反応』を終えると『今までの自分とは全く違う自分』になる
『痛みを伴う事』から逃げない
体の痛みも心の痛みも真剣に向き合った時、『脳内麻薬』が出る
故に『釈迦の苦行』には自分を痛めつける=『間違いの繋がりの部位を正す=ヨーガやストレッチ、ツボ押し』など
痛み=『問題』として捉え
問題=『解決して気持ち良くなる』きっかけ
さすがは『釈迦=問題に巡り合い解決する』という意味なだけある(笑)
そういう意味では『釈迦事態が脳内麻薬』なのかもしれない
そう考えると脳内麻薬物質の一つ一つが虚空蔵菩薩という『入口』か
夢、明晰夢、幽体離脱が
DMT、その分泌液に振動で伝わるエネルギー
怒り(鬼) アドレナリン?
癒し(仏、女神) ドーパミン?
他色々
『ベースの脳内麻薬』に『別の脳内麻薬が調合』されて『魔女の錬金鍋』のような所に…『今の私の意識を主役として素材』に入れて、それが『どう反映されるかの仮想シミュレーション』のような…
でもその『夢見の過程の体感』が実際に『現実の身体に反映されている』という事を実感すると…『主観を持って体感する為のシミュレーション世界』なんだろうなと
『周りを気』にしなくなった結果、私は『自己の細胞の中』で起きてる『世界の変化を夢見で感じる』ようになった
この『細胞の内観世界』は『外的要因の影響』を受ける、つまりは『私のエゴ』が『何を物質として接種』するか?『何に影響されて肉体改造』をしようとするか?
「細胞世界を変えよう!」という『新たな意志』が動く時、それは『脳内麻薬が好奇心』を出している。これに対して「安定が不安定になる・・」という『元の世界は自己防衛の抵抗するのが自然』
『好奇心』は『心のままにその変化の先』を求める(今は過ぎ去り振り返らない)
ここで「元も大事だし・・新しい変化の可能性も繋ぎ止めておきたい・・」とどっちつかずなどっちも『筋膜癒着』のような『第三者の役目』が生まれてしまう
『相反する極端』を『無理やり繋いだら間違い』になる『みんな違ってみんないい』と『中間が両極を手放す』時、『繋いでいた中間が邪魔だった』のだと反省したら
その細胞の役目=執着・粘着を手放す=『間違いの役目の自己消滅を覚悟』できたら、それは『未練や遺恨』を残さない『成仏』として『釈迦の極楽(脳内麻薬)』で
『痛みを包みこむ優しさが気持ちいいと泣けて笑える状態』になる
…やっぱり『脳内』とは言え『魔薬』だ(笑)
『麻』と『鬼』と『薬』
『神』と『魂』と『仏』と『自然(草)に楽しい』
加味して楽しむ『麻の草』で周りはほっとけと神楽でトリップしてる自己陶酔?
なんて無害なヒッピーでハッピーなおっぱっぴー(笑)
…そうか、『廃仏毀釈で失われた知恵』とは『精神ブーストのリミッター解除』だったのか
そりゃ『覚悟が決まった武士道』は『死ぬ事と見つけたり』か
武士=『戦を中で止める』の生き方は『抗体』そのもの
そしてその抗体の意志は『痛気持ちいい傷を感じたRNA細胞』に継がれていく
『薬師如来』もまた『苦しみを自己で体験』し、『耐性』をつけてその『毒の処方箋をまとめていく』という事は、いずれは『新しい毒に負けて消える』かもしれないが、「有事の際はその役目を果たせ」と『弟子に生き様を見せる』ような…
ま、色んな角度から『役目』が見えてくるが
フィブロネクチンという繋ぐ細胞が『分離の痛み(ベリベリやブチ)』を感じる時、抵抗をやめて『観念して脱力』すれば、『痛みの先にある気持ちよさ』をじわ〜っと感じて、『涙と笑いが込み上げる』のはガチ(笑)
『無意識に痛みを恐れてる=自己保身』があると、『この領域』は行けないな(精神的なブレーキ)というのも、『最後のひと押し』は『力』ではなく、『脱力の重み』でブチんと行く
それが『大切=大きく切る、一+人を切る』なんだろう
『痛みと苦しみと気持ちよさと楽しさを内包』して『自己消滅』した余韻
『抵抗しよう』と『力が入ってる』とその痛みの先には行けない…からこそ、それは『自意と無意の唯識の修業の指標』になる
『筋肉を鍛える金剛界』とは真逆
『肉』を使わず『筋と骨の真髄』
「コツを掴む奴は筋がいい」
『骨肉の争い』という言葉がある
親子や兄弟など血縁関係にある肉親同士が、遺産や権利をめぐって激しく争うこと
私は、「体を操るのは骨か?肉か?」という
『金剛界(肉・脳)』と『胎蔵界(骨・腸)』の関係性に思える
密教の『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』結果、『法具をダンベルのように筋トレしているような筋骨隆々の坊主』と『力を放棄したような質素な坊主』と、明確に伝承の違いを感じたから
骨を動かす筋は『内臓が脱力』している時が最も自由に動ける
筋肉という『自己顕示欲で硬く見せる脳』の行為は『不自由な静止=緊張』を生む為
『一定以上の力』を出せない(脳筋の物理)
それは、現実的な『エネルギーを生む建造物』をみたらわかる通り『大いなる力』には『大いなる責任か宿る』ように、『核エネルギー』を生み出し使うためには核燃料を扱う『施設という器』が必要になる
つまり、『リミッター=限界ありき』で造られる物理の力
しかし、一方で、『完全な脱力』から『あらゆる領域に力の伝達』とは『器』という『リミッターの無いセーフティを切った状態』からいきなり稼働だから
『自分』すらも壊してしまう『自壊の火事場の馬鹿力』を引き起こし、「もうどうなってもいいやw」という『観念の先に生まれる力』に『肉体=肉の人(金剛界)の本質という自己保身の自我』が抗わない
つまりは『邪魔なストッパー』がない『心が素直に解放される限りない夢現の力』は人生で最も恐れる『痛みや苦しみを無』にしてしまう『脳内麻薬分泌』
それを『人』が手にした時、その『欲』を人が『どう満たす』か?それは『精神レベル』しだい
『スカル&ボーン』と書いて、骨肉だが・・それは『主導権争い』を意味する
しかし、その痛みや苦しみを感じなくさせる『心地良さ』は『何も無いを受け入れる事に全てが有る』という『争いの無い観念の境地(悪意の波動の無い夢)』を見せる
ここに『脳内麻薬を引き出す神経細胞の活かし方』があると感じた
単にストレッチして整体して気持ちいいは『目先の体の感覚』だが、その結果の『因果』に至る、『因に心』を巡らせる『夢を内観』していれば、そういう事が『目に見えない領域=細胞世界で有った(先人の智慧)』からこその、今は『無い恩恵』として『有り難く』感じ、『必要なら復活させられる抗体の機能獲得』になる
これは面白い発見と実際の変化の過程の『内観レポート』であり、活かし方によっては『精神修業には貴重な情報』になるだろう
・・という発見を『まとめた後』に観た戒めを与えられる面白い夢があってな?(笑)
『この体験の先に待つ恐ろしい警告』も含めて『セットで継承する魂のお話』は次の機会に・・













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