好奇心

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密教に伝わりし伝統絵(坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた)の揶揄

最も古い大日観音の目の前で崩れる最も新しい建築物、密教の歴代住職を飾る絵(坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた)に描かれた姿勢と言葉に隠された裏読み説き、『門下生』では気づかない、気づいても言えない『門前の小僧』ならではの面白い気づき

月命日の新たな発見

雪解けの春、やっと母の墓に行けるとまた真言宗の寺に向かったのだが、ついでに久しぶりに巨大な大日観音像を見上げようと奥地に向かうと

通行止め?工事か何かしてるのかな?…と見渡すと…あれ?おやおや?建物、崩れてないか?

崩れる

正面から回ってみたが完全に今年の雪の重さで潰れてしまっていたから工事をしていたのか…これはしょうがないよね、形あるものいつかは崩れる、栄枯盛衰、万物流転

と、一瞬思ったが…

この建物は、寺の敷地内の古い建物の中で、『比較的新しい年代の建造物』で中には巨大な『賽銭箱』や『多額の寄付をした人達の名前』を一覧なのか格付けなのか、ずらっと並べていたいた場所で、一言で言えば

『守銭奴的な場所』でもあったから

長年、どんな大雪でも崩れない古い建造物に対して、比較的新しい建築物であり、最も大日観音像の『お膝元に寄せて作った金を集める場所が崩壊する』というのは…

『仏の加護がここだけない』のか(笑)と皮肉である

と同時に、『労る心が胎蔵界の加護』ならば、『守銭奴様様の金欲が集まる金剛界ゾーン』はもう『波動が合わない』のかもしれない

なんて思いながら、今回も一般公開してある『宝物庫』のゾーンを見て歩いていた時、新しい発見があった

五鈷杵が…クソ重い⁈

仏具、法具と呼ばれる五鈷杵を見つけ、触ってみて驚いた

これ…一体何キロあるんだ⁈正直10キロや15キロではなく、20キロくらいはある感じで…こんな物が法具だと?

「拝観用・奉納用」の特大五鈷杵ですね。体感で15kg以上というのは決して大げさではなく、寺院に置かれている巨大なタイプであれば、実際に20kg〜30kg近くあるものも存在します。

* 無垢(むく)」の金属塊:
通常の法具は中が空洞なこともありますが、あなたが触れたようなタイプは、真鍮や青銅、あるいは金銅が中までギッシリ詰まった「無垢」の状態で作られています。
* 鉄アレイ以上の密度:
真鍮(銅と亜鉛の合金)の比重は約8.5前後あり、これは鉄(約7.8)よりも重いです。そのため、同じ大きさの鉄アレイよりもずっしりとした重さを感じることになります。
* 参拝者の「力試し」や「厄除け」:
真言宗の寺院(特に弘法大師ゆかりの大師堂など)では、あえて重く作った五鈷杵を「触れる法具」として置き、それを持ち上げることで「煩悩を振り払う」「大師との縁を結ぶ」といった信仰の対象にしている場合があります。

これはもう鈍器という無垢の武器だよ!…いや、武器っつーか『鍛えるダンベル』だよ!これも『金剛界』故にか?と思いつつ、それを裏付けるような面白い発見もした

歴代住職の特色

これから見せる絵は順不同だし、全部でもなく一部の例だが、並べてみると非常に『面白い特色』が見えるので紐解いていこう

ポイントは住職の『姿勢(手と向き)』と『着物』と『履き物』と『周り』の違い

おそらく『金剛界系(チベット系)』と『胎蔵界系(唐系)』の違いなのか
はっきりした違いは履き物

先ほどの五鈷杵(ダンベル)持ったムキムキなタイプの服装の住職はサンダルのような草鞋を履いていて服装も独特

手は合わせる事なくそれぞれの手で『握ってる物』が違う

反対に『和服の着物』を着ている住職はみんな『両手を合わせている=物は持っていない』し、履き物は『唐靴』

これだけでも面白いのに、さらに一人は『少年の小姓』を引き連れてちょっと『色気がある表情』から察するに『男色家が美少年を食い物にする傾向』があったのか…

そんないろんな住職がいるんだろう…の中でも私が最も日本語的に気になったのがこれ

袖の下を握る

一見すれば『長すぎるから手に持つ』ように見えるかもしれないが、『袖の下』というのはあまりいい意味ではない

袖の下(そでのした)とは、秘密裏に金品を渡して便宜を図ってもらう賄賂(わいろ)や隠し贈物を指す言葉です。主に不正な取引や、心付け(チップ)の意味で使われます。具体的な使用例は「役人に袖の下を渡す」や「袖の下を使う」など。類語は賄賂、つけ届け、わいろ、袖をつなぐなどです。

…そうやって考えると、確かに絵に『金品』などが載ってる住職と全くない住職が明確に書き分けされている事から…

この絵師は後世に『メッセージ(見極めろ)』を遺してるんだろうなと感じた

この宝物庫には『聖徳太子の17条の憲法の曰く1〜3』があり、『厚く三宝を敬え』として『仏法僧』が書かれてるが…この『僧の敬い方が金品や賄賂』という形で『間違った住職を客観的に晒してる』のだとしたら…

空海の霊場物語19 三宝の流れ 僧と奉仕の三途の川の違い

今の住職も『インバウンドの外国人旅行者向け』でツアー組んだり、「ここは異国ですか?」というレベルで『多国籍』になり、逆に『地元の日本人離れ』している状況だから

『仏の敬いの気の巡り』が、『献身や気遣いの継続』から、『物見遊山の一過性』に変わってしまった事を…遠回しに伝えるために『守銭奴的な新しく建てられた建物だけが潰れた』のかも…とか思ったり

『欲望への仏罰』は起きていても、花先人参の『馬の耳に念仏』
『破滅の前のサイン』が出ていても気づかない

…そもそも思うのは、昔はそういう『立場の人を歴代描いて遺す』などがあったのだろうけど、『現代の住職』とかは自画像を描かせるなどがない限りは後世に残らない

誰がそれを残そうと思い、なぜ『このような伝え方』をしたのかパターンがあるのが面白い

・・と下書きをまとめた数日後の事である、ピーンと閃きが来た

落書きとは落語絵書き

坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた

「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた(ぼうずがびょうぶにじょうずにぼうずのえをかいた)」は、非常に有名な日本の早口言葉

現代では『早口言葉の遊び』になっているが?それも『誤魔化し』に感じるよね?と思うのが、この歴代密教の『住職(坊主)の有様を客観的なパターン』として表現した『坊主の絵』を考えると

それはただの『情景(事実)の説明』に過ぎず、ただ早口言葉っぽいから、早口言葉に『混ぜてしまっただけ』で、実際にゆっくりじっくり聞いて、観て、観察して洞察してみれば・・

これこの通り、「坊主にも色々あるんだよ?」と『坊主めくり(正体を露わにする)』ができてしまう

坊主めくりは、百人一首の絵札(取り札)を裏返しにして積み、順にめくって札を獲得する運100%のゲームです。僧侶(坊主)が出たら手持ちを全て没収

そりゃ一部の坊主は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が言葉通り、『賄賂や袖の下が酷い奴』もいたんだろう(今でいう壷買わせる霊感商法と同じ)

この坊主が・・というのは、おそらく『小僧』で『屏風に落書き』したんだが、『落書き』ってのは、おそらく『落語書き=説法を絵で表現』した

当時は、『文字の写経』ばかりだが、それを『実際の何か』に例えて絵書く

それは『鳥獣戯画』もまた、兎と蛙など、人間の行動を『動物に例えて当てはめた説法』だから、前半の『兎と相撲を取る蛙』という構図が『ヤコブと神の相撲(神事)で国譲り』のような絵巻になり

尺骨と足のサイズは同じから元々四足歩行からの鳥獣戯画・・?

その後、『蛙のいなくなった世界』では、兎が別の動物に乗って狩りしたり、他の動物が人の着物を着だしたりと、揶揄が続く

だから、『坊主(小僧)の落語書きの絵』が上手に描かれた『鳥獣戯画』という国宝
「童子の戯れに 沙を聚めて仏塔を為らば 是の如き諸人等は 皆すでに仏道を成じたり」

落語、説法、『言葉だけの念仏』には『聞く耳』持たない
しかし『共通認知の絵』があれば『目は口ほどに物を言う例え話』で伝わるだろう?

そういう意味では、門下生の世界は『外界と断絶』されているから、小僧たちの知識は、『説法で伝えられてきた役割』を『身近な存在』に合わせて「まるで~和尚のようですね」と表現するしかないが

ちゃんと『説法を聞いている小僧』ほど、的確に『歴代住職の矛盾や生き様ってこういう事だろ?』と『自己表現の弥勒の表現者』になる破戒僧(一休、智慧を生む者)

そういう意味で、今回の絵は、単なる『人物像の模写』ではない
その『手』にしている『道具(力、法、袖の下)』と『姿勢(服装、手印)』、周囲の『環境(小姓、賄賂)』
『坊主』と言っても『色物を見極める』意味でも、『金輪際』が試されている

『金目の物を握る者』はだれか?
『欲を手放せ』と言いながら、『欲を握る』のは誰か?

『坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた』
それはただ、その『界隈』で示された『事実』に過ぎない

事実は小説よりも寄

現実+物事=『現物』
小説=小さな説=小話、誤魔化し
寄=大きな可能性

明晰夢で発明家に伝えた 事実は小説よりも奇なりの独自解釈

『現物』を観てきたから、『早口言葉』というのは『小話の誤魔化し』に感じ、『上手に書かれた坊主の絵』のおかげで『戒めの現物』に気づく事ができた

これらが密教に『法具』として伝えられている戒めであり、これらが『密度の一部』であるという『恥』を知り『三和土(土台)直して見極めよ』という

『金輪際』の気づきのヒント

私にはそう感じた

そこに至る真言寺の『行い(崩れた守銭奴の建物)の全てを見て』からだから、なおさら感じた『インバウンドの外国人』を優遇して、地元の家族の墓に会いに来る人が『近寄りにくく』なっている空気

と、同時に、『スポンサー様(格付け)された名だたるメンツの顔がつぶれた』という事実

これは、元々、その『施設を維持』するのは『仏や先祖を供養した地元の人達の気持ちのお布施』であり、観光者のインバウンドの観光収入で賄う過程で、地元の人がそこに近づかなくなったら本末転倒で

地元の支援者の『スポンサー』が離れる・・という先世見の兆候を伝えたんじゃないかなと・・

生きてる者ですら『合わない』と感じているのに、その『元々の風土が気に入って存在している先祖達・精霊』からすれば・・『嫌悪(こっちくんな)の空気』が漂い始めるよね

『穢れがない所』に『穢れ』を呼び込んでいる
『毒』のない所に『予防接種』したら、そりゃ『免疫が反応』するよ?

いい加減、その外来の『傷けて治して恩を売る』という『自作自演の友達作戦』にきづけよ?

と『兎のBusinessのやり口』に『呆れた先祖達の気持ち』をひしひしと感じる・・

ま、それを『門下生でもない奴』が、住職に言った所で悔い改めるようなら世の中、『Business仏教で苦しむ人』はいないって(笑)

下に恐ろしきは、『死を霊感商法』にする『人間の業』という『Business(心亡き=忙しい役目)』

『坊主』は『地獄をループ(六道輪廻の堂々巡り)』するんだろうな
だってそこには『尽きない死のBusiness(霊感商法)の需要』があるから(笑)

今の所、『違う解釈』がない限りは、私はこれを越える『納悳はない』から、そういう『想像と創造は覆る事はない』・・が、それは『私の創造する世界』における『そんな役割はいらない』の話であって、世間に存在する『そういう役目(宗教Business)』を否定する訳ではなく

「それも一理あるよね(ストロングに金剛界で生きてく為)」と『憎まれっ子世に憚る』なんだろうと加味してほっとく(仏)

坊主が屛風に上手に坊主の絵を描いてくれたおかげで、『時代を超えて気づかせる智慧』を受け取った
言葉だけは遊びだろうとなんだろうと生き残っていたが、現物と合体して意味が生まれた

落語は『語りで想像』させるが
落書きは『落語書き』で『絵で表現』して伝える『漫画や挿絵』

先祖を供養すると、言葉の残念も供養できるのか・・実に面白い

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