好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

尺骨と足のサイズは同じから元々四足歩行からの鳥獣戯画・・?

明日使える豆知識、尺骨と足のサイズは同じ・・と計測した時に気づいた、尺30.3cm、寸3.03cmの謎・・に行くかと思ったら人体の不可思議=元は四足歩行?からの蛙と兎の相撲の鳥獣戯画に繋がるお話

尺骨とは

腕;前腕は2本の骨から出来ており、その1本を尺骨と言って長さを図る単位「尺」の長さと同じ位の為に名づけられました。 1尺は30.3cmですが、実際の尺骨の長さは21~24cm位で、手と肘の関節部分の長さを足して30cm位になります

家族で尺と寸のざっくりした物差しの話になって、尺は30.3、寸は3.3みたいな、ま-アバウトな話をしてたんですが、手首の出っ張った骨を

『尺骨』っていうよね?

と、『尺』と関係あるのかな?もしかして尺骨から肘まで測れば30cmなんかな?とみんなの腕をメジャーで計測した所

私:27cm
父:25.5cm
妹:23.5cm
義弟:26cm

な~んだ┐(´∀`)┌尺骨と言っても30cmじゃないのか~とみんなで、でも『だいたい30cm』だね~なんて話してた時に

義弟が「俺の足のサイズだわ」と言った時、みんなで ん?となった

妹もそういえば、私の足のサイズも23.5cmだ・・と
私も靴のサイズは27cm、父も25.5cm・・

あ、これ『足のサイズぴったり』だぞ!?と、話が本筋からずれたけど、盛り上がったという話なので、よかったらすぐメジャーで試してみて下さい(≧▽≦)

で、そこで別の話題に切り替わったんですが、私の頭の閃き脳は

なぜ尺は30.3?
なぜ寸は3.03?

なぜ『303』という一回『0』を挟む必要がある???

しゃくにさわるな・・(゜-゜)Σ(゚Д゚)

という所に意識が飛んでしまい酔いも覚めましたw

しかし、この記事を書いてる今、また別の事が脳裏に浮かびました

四足動物の名残?手は足の爪?

尺骨から肘までの長さと足のサイズが一致するという事は、言い換えるなら、『尺骨から肘までが前足』だったと仮定する事ができる

というのも手首の付け根の『尺骨』と足の付け根の『くるぶし』はあまりにも『構造が同じ所』にある

そう考えると、猿は四つん這いで伏せのようなポーズはあまりしない(進化論の嘘)

私は足の裏を地面にべったりとつけた状態で尺骨から肘までを地面につける事ができないので、体の柔らかい妹にその姿勢をとってもらうと・・

ああ、そうか『股割り』で腿を外に開けば・・蛙?Σ(゚Д゚)いや重心を低くした相撲のはっけよい?

蛙

はっけよい

蛙・・相撲

鳥獣戯画も蛙だ!!(しかも相撲)

鳥獣

ん?待てよ・・兎と相撲って、兎が渡来系(因幡の白兎)天津と考えると、蛙は出雲系の国津、この構図はタケミナカタとタケミカヅチの『国譲りの相撲』であり、ヤコブの相撲で神と天使を従えた話とも一致する

カタカムナ41首 八卦と相撲とフラットアース

しかしウサギもまた『がっぷり四つの姿勢』はとれる

兎

四本足のルーツ、・・そうだ人間には『尾骨』という『尻尾の名残』があるが・・蛙も『おたまじゃくし』から大人になるにつれて『尻尾はなくなる』し、かつて人間の手には『水かき』があったという話もある

水辺でも陸でも生活できる『両生類』という意味では蛙・・なのか?

うさぎの爪は、前足で5本、後足で4本
蛙は前肢に4本、後肢に5本の指

うーんどっちも『奇妙』なアンバランス・・そうだ!こんな時は『ことわざ』に何かヒントがあるかも知れない

蛙に関することわざ

井の中の蛙(かわず)大海を知らず
自分の狭い知識にとらわれてしまい、物事の大局的な判断ができない

竜と心得た蛙子(かえるこ)
天才だと勘違いする凡人をたとえる

蛙の子は蛙
凡人の子どももやはり凡人である

蛙の面へ(に)水
どんな仕打ちにも少しも感じないこと。蛙の面に小便

蛇が蛙を呑んだよう
少なすぎて腹の足しにならないことのたとえ

蛇に睨まれた蛙
逃げることも手向かうこともできず、体がすくんでしまうことのたとえ

蛙鳴蝉噪
蛙や蝉がやかましく鳴くように、騒がしいだけでなんの役にも立たない

茄子を踏んで蛙と思う
冷静でない時は、何でもないことでも疑わしく見えてくること

・・・なんだか、蛙をとことん『レッテルを張ってる』というか、嫌いだと『執拗なヘイト』を感じますね

これも勝者(天津)が敗者(国津)を『貶めるために広めたことわざ』なのかなと・・凄い『偏り』を感じます

昔も学校の授業で解剖実験では『蛙』が対象でしたからね・・蛙ってそこまで『嫌われる存在』なんでしょうかね?大陸のほうの『ウシガエル』とかは嫌われてるみたいですけど

日本の忍者、口寄せと言えば『蛙』なんですよね

忍

耐え忍ぶ者、『忍者や隠者』というのは、負けて『国を奪われたとしても秘儀を伝承する者達』だから『隠れ里』。彼らは『蛙=国津の末裔』だったのではないかと思うほど

『蛙』への『言霊による残酷な仕打ち』ですよこれ・・口寄せで呼ぶ=常世から蘇るみたいなもの

しかし、蛙って『縁起物』なんですよね

アマガエルなんて、雨が降る時に泣くので自然と共存している人達にとっては、とても助かっている役割でもあります

カエルの皮膚呼吸と関係があり、カエルは全呼吸量の30~50%が皮膚呼吸です。そのため湿度が高いとより活動的になり、鳴くことが多い

蛙が泣いたら帰ろうというのも、雨が降ってきてずぶぬれになる前の指標と考えれば納得できます。カエルは語呂合わせで、「福をむかえる、お金が還る、若返る、無事に帰る」など縁起の良い言葉

そして蘇る

蛙が出雲・国津を指すとしたらそれは蘇る
天津(グローバリズム)のやり方ではダメだと国津(ナショナリズム)が蘇る

という闇→光の時代到来の流れとシンクロニシティなのかどうかはわからんけれど、何気ない家族の会話で出た尺骨から肘までの長さが足と同じ大きさと気づいた所から・・

人間は4本足、尻尾の名残、尺骨から肘を地面につけようとする姿勢は相撲のはっけよい、鳥獣戯画の兎と蛙の相撲、天津と国津(出雲)の国譲り、蛙のことわざの罵倒・レッテル、忍の忍術の口寄せは蛙

そこまでとんとん拍子に発想の点が繋がっていくとは・・

思う訳がない(笑)

まさに発想(八艘)飛び

身軽に飛び回ることのたとえ。 [由来] 「 平家物語 ―一一」で語られる、 源 みなもとの 義 よし 経 つね の戦いぶりから

そんな義経が北から大陸を越えてモンゴルを作ったなんて話も、モンゴルは馬術と相撲が強いっていうのも、北国も相撲に力を入れているというのも、色々とルーツが繋がるんですよね

にしても蛙に関することわざが露骨すぎて、国津の国譲りの相撲ってのもなんか『八百長』な気がする(弱みを握られたとか・・)

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