好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

カタカムナ41首 八卦と相撲とフラットアース

八卦、元は森羅万象、掛け声、相撲、土俵、不良、中からは三次元、外からは二次元、現代に至るまで繋がる言霊のカタチについてのお話

寝起き閃きワード『土俵』

はっけよい!残った!残った!!

っでお馴染みの相撲

ここには様々な先人の想いや覚悟の言霊がある事に気づく目覚め(。・д・)ノオハヨー♪

土俵に上がる

土、人、表
俵 わらなどを編んで作った円筒状の袋

それは逃げ場のない戦場に立つという事

相撲の打つ・殴る
つまり相対する相手を打つ・殴る

武器ではなくお互いの体で打ち殴る真剣勝負
それを考えるとおそらく現代のような相撲ではなかったと思う

はっけよい…残った!を位置に着いて、よーいドン!の合図と勘違いしている現代。ちゃんとひとつひとつ言葉に意味と覚悟があるという精神文化の伝統だと実感するためにここから見直していく話をしよう

はっけよいとは八卦良い

古代中国から伝わる易からうまれたもので、易の根源は宇宙、万物の根源である「太極」

天、沢、火、雷、風、水、山、地

この8つが自然と人生を支配するもの
この八卦の易を生み出した人は

天の道を立てて陰と陽
地の道を立てて柔と剛
人の道を立てて仁と義

天地人の三才を備え2つの徳を持つ

天と地、山と沢、雷と風、火と水、自然現象の相互作用を基軸として、この八卦の表す属性に、人間、動物、人体、方位などを数百種類に当てはめて易(占い)になるので

八卦は具体的な事柄ではなく、根本的な森羅万象を指す

つまり土俵に上がってお互いに向き合った時の八卦良〜い!とは、さぁ森羅万象全ての舞台は整った、後はお前ら人間の覚悟、意地の張り合いだ!

残った?残った?どっちどっち(゚Д゚≡゚Д゚)

こんな感じ

意地を張る・突っ張り

自分の考えをどこまでも通そうとする。相手に対抗し、自分の意見をあくまで通す

相撲の技のひとつにある突っ張り
ドスコイ!の掛け声は最近聞きませんね

ここでも何気に掛け声=卦が入ってる

カタカムナの言霊だと
ドスコイは内側に統合して転がり入る伝わり

掛けは 力の放出

なるほどドスコイの掛け声とは、八卦=森羅万象のエネルギーを声で引き寄せるって事だから

力を出したい時は声を出す=力の放出

そういう事でもあると感がえると、老人がよくヨッコラショ!っていうのも、自然と継承されてきたか、気が付いたらいつの間にかみんな普通に身に着けてる八卦の力を借りる掛け声だったんですね( ̄▽ ̄) Σ(゚Д゚)深

ただ、こんな事も言える訳です

弱い犬ほどよく吠える

力をもっていない人ほど威張り散らしたり、横柄な態度をとる

これは自分に力がないからこそ、声を出す=掛け声で八卦の力を上手く利用してるのかもしれませんね

張ったり

相手を威圧するために、大げさな言動をしたり強気な態度をとったりすること。また、その言動

となるとこうなる訳です

不良とは八卦の良くない使い方

不良、良くないと書く
不良は良く吠える

張る意地もないのに大げさな言動をしたり強気な態度を見せる

八卦(森羅万象)の力を悪用し迷惑をかける

もし、これが語源だとしたら、不良は読んで字のごとく出来損ないという意味は物質的な結果論であり、もしも人が不良と言う状態になってしまったのなら放置するのではなく、八卦の正しい気の流れに戻すよう、人が道を指し示す

それが人の道、仁義

「仁」はひろく人や物を愛すること。「義」は物事のよろしきを得て正しい筋道にかなうこと。孟子の主要な思想で、儒教で最も重んじる徳目

そうか、儒教なのか( ˙꒳​˙ )ほう Σ(゚д゚;)脱線しそう

だから不良をそのまま放っておくと、仁義なき喧嘩、争い、抗争に発展していく

ヤクザの世界で言われる仁義無くしたものは外道=外れた道

仁義なきビジネスヤクザの成れの果て
それが今世界で戦争ビジネスやってる奴ら

彼らは森羅万象(八卦)の力を悪用し、メディアと言う掛け声を使ってエネルギーを放出して、周りに迷惑をかける不良

自然では無い不自然な異物

だから同じ土俵に上がっちゃ行けない

八卦良いとはその真逆で意地と覚悟がある人間がルールの中で相対する

それが相撲

そりゃ神聖な儀式だわ(((uдu*)ゥンゥン

現代の相撲へのルーツとの信長!?

昔は四角形や八角形、二重丸も!? 相撲の土俵が丸くなったわけ/毎日雑学

相撲といえば土俵の上で行うスポーツということは常識ですが、元々は土俵が存在しなかったってご存じでしたか?かつては、現代の相撲とはルールが違い、相手を1回投げ飛ばしても勝ちにはならず、どちらかが動けなくなるまで投げ飛ばしたり、押し倒したりする競技だったのです。そして、土俵の代わりに人が力士たちの周りを取り囲んで、土俵のようなものを作っていたそうです。いつ頃から現在のようなルールになったのかはわかっていませんが、一説によると、現在のルールを最初に提案したのは織田信長だったともいわれています。

実に面白いですね

丸に囲む枠は単純かつ合理的に考えれば

①野次馬が囲むと自然に円になる
②人が立つと見えないから邪魔
③枠を作らないとあっちこっちに戦場が移動する
④なかなか決着がつかない
⑤膠着状態が続くと飽きる
⑥そこらで喧嘩が起きてイザコザがキリがない

一言で言えば仕切りがない

場所も理由も勝敗の見極めも争いの終着点も何もなければ周りに残るは取っ組み合いの喧嘩の迷惑を被った町民達_(:3 」∠)_ Σ(゚д゚;)

「お前ら不良共の意地の張り合いは枠の中でやれ!」
八卦が整った場所は用意してやる!そこで技を磨いて勝負を決めろ!」

と、相撲を体系化させた人が誰かいたとしてもおかしくはないと思う(私ならそうする)

それが町、しいては町内の政の大事な決め事を決める権利の取り合いと言う競争・神事になっていき、幼少の頃から子供は大人の熱狂から相撲を取るように…みたいな

でやっぱり元が不良の喧嘩スタートだから、賭け試合の八百長とかまた不良八卦の悪用が人の仁義なき不自然なエネルギーの流れとして乱れ始める

タニマチ=ヤクザが多いのも、八卦が良くなくなった不良をスカウトして用心棒の役目を与える。これもまた人が八卦から生み出した不自然な業である( ¯꒳¯ )Σ(゚д゚;)達観しちゃった

さて、そんな現代相撲に繋がるルーツが信長?という話が出てきたので、じゃ、信長の時代に儒教は日本にあったのか?

江戸時代の基本的価値観は儒教

調べて見たらどうやら江戸時代には儒教が基本と言われるほど認知されていたとすると、八卦の概念もまたあった=八卦良いの掛け声はあったと推測

ただこの辺が非常に…面白い(・∀・)ニヤニヤ

信長は儒教学者から不評だった

信長が行くは武の覇道であり、儒教の仁義、有徳思想を語った者は、後に「だから信長は滅びたと自業自得」のように語ってるらしいが…

ちゃんちゃらおかしい(*゚∀゚)アヒャヒャΣ(゚д゚;)

時代の流れが見えてない口だけテレビコメンテーター、もしくはクーデターを起こそうとする者達が、今のプーチンを悪く言うように

信長の時代は群雄割拠の動乱の戦国時代であり、安定にはまだ早い

そんな中、相撲がいつからあるのか?分からないが、街中の図体のデカい不良の喧嘩を諌めるには、管理できる戦いの場を与えるのが一番効率がよく、また面倒事を見世物としても興行にできる一石二鳥相撲を大衆娯楽の体系化させた

と考えた方が合理的である

と、考えた時にマッチポンプという構図が見えてくる

人に道徳を徳には優しさを見せつけるのが一番洗脳しやすい

例えば儒教学者が町中で暴力を振るう者に対し「説法や話し合いで解決できます!暴力は行けません!」という改心のパフォーマンスのために不良を意図的に喧嘩させていたとしたら?

戦う事に疑問を持つ
人が人を殺すのは良くない

…と、国がまだ安定してない動乱の時代に国内に牙を抜く、友愛の精神で骨抜きにする敵対勢力(スパイ)が入り込んでいた事に気づいたら?

その策を逆手にとって利用して、力の使い方を間違えている不良に対し、力士という職業を与え、相撲という戦いの場を与え、大人や子供を熱狂させ、子供の頃から逞しい精神と肉体を持つ富国強兵政策に利用した

それが信長だとしたら?

信長は仏教が力を持つことを懸念していた

物騒とは仏僧とも読める

物が騒がしい

これは相撲が体系化される前の、江戸の華と呼ばれる喧嘩=不良が暴れて迷惑をかける行為

そこに道徳の坊主が現れて諫めて説法といて、その奇跡の出来事を見た者たちの牙を抜いて洗脳していく、一連の流れ、因果が計画的に行われていたとしたら?

仏が憎いと書いて仏僧とも言えるし、その仏教の道徳に洗脳されて宗教に入門した図体のデカい元力士とかが仏門の教えを護るために武器を取る

僧兵と書いて雑兵と読む

そんな先を見通した信長の最後はどこだった?

本能寺と儒教

儒教思想は信長を悪く書く
死後、死者に口なしで伝わる歴史は基本逆

真相は分からないが、まさか相撲から

①八卦と相撲と信長
②信長と儒教の対立
③武の器を育てようとした信長
④道徳で牙を抜こうとした儒教
⑤僧兵と不良と儒教
⑥結果、信長は天王寺(寺)で死ぬ

に繋がるとは思わなかった

あれ?となると?

ヤコブの相撲は何??

創世記、及び古事記に登場する相撲の話。ヤコブは天使と相撲を取って勝ったから新たな神となった?タケミカヅチがタケミナカタと相撲を取って国譲りが起きた?

この話は登場人物が違うけど、結果起きた事は変わらない、いわゆる神話のコピペみたいなもの

だからポイントになるのは、相撲である

この相撲が信長の時代の土俵という枠に体系化される前のルールなき仁義なき戦いだったとすると…タケミカヅチとタケミナカタの戦いには非常に卑怯な面(脅迫・威圧)があったりと、とても相撲とは言えない逸話もある

ヤコブと天使の相撲に至っては具体的な何がどうなったというエピソードすらないし、人間と天使が争うという構図が男女と置き換えると・・

もはやお父さんとお母さんが夜にプロレスごっこしてた=相撲と言うニュアンスかもしれない→そして僕(国)が産まれた

下に降りてきた者(堕天使)から生まれた下僕ってか?

…ん?……んん?( ¯꒳¯ )また、何か俯瞰の目が…

逃げ場のない争いの土俵の中で学ぶフラットアース説浮上

この世界には時折、次元を超えたような、ゲーム画面の内側と外側のような、一線を超えた概念が登場する事がある

例えば
①ジャックと豆の木=天空に巨人
②空の星座の逸話のスケールのデカさ
③それを見上げる私たちは、画面の内側の二次(フラットモニター)三次元(3D)

仮にその外で暴れて周りに迷惑かける存在

①喧嘩するなら地球でやれ!
②勝ち負けのルールを決めて!
③争う範囲を決めて周りを巻き込むな!
④そこで善悪の争いに参加する者だけでやりなさい!

全く…( ¯꒳¯ )角を立たせて、意地ぶつけ合って、そんなんじゃひとつになれないから、丸くなるまで、争って切磋琢磨して研磨して磨いて来なさい

出ようとしても天は水の幕
地の果ては氷で覆われてるからダメ

…と閉じ込められた中で、外に出ようと切磋琢磨の精錬研磨していくのが正解に向かう自然と共に生きる=八卦良ーい、解脱?

正解と解脱?

残った…ら?

①争いのトーナメントは続く
②俺より強いやつに会いにいく、より強大な敵が立ちはだかる
③ボロボロの体で、ボロボロの精神で連戦

勝ち続ける…ためには持続可能なSDGS?(策略)
他に巡るはずの八卦を奪って歪な工作で八百長して楽する?

やめやめ┐(´∀`)┌

そんな意地張って、張ったりかまして、八百長して、不良になってまで勝ちにこだわる執着のSDGSの土俵で戦うのやめよ

負けるが勝ち
負ける方が学びは多い

彼らが作った土俵(常識・世間体・概念)、そのくだらない意地の張り合いを放棄して土俵を降りる

すると、土俵の周りが見える

彼らは土俵から降りられない
この世界・この争いの次元から出られない

資産家は貧乏人とレッテルを張って蔑んだ存在に堕ちる訳に行かないから、金の価値観を変えて、支配体制をグレートリセットして意地でも、その土俵に残った残った!

一人相撲って言葉がある

ひとり相撲

相手も居ないのに、または他の人には熱意がないのに、自分だけが力を入れ勢い込むこと

たぶんだけど、これは元は戦う気がない人が、相撲やろうぜ!と持ち掛けてきた人に、一人で遊んでろ!と言った「例えの方便」であり、実際に土俵の上で一人で相撲の演武をしろなんて微塵も思ってなかった気がする(誰かが見世物としてふざけて体系化した)

基本相撲はぶつかり稽古、障害があって、それを押し出して張り倒してなんぼなので、空振りの空を切るようなモーションは文字通り張り合いがない

彼らはお金という価値観で支配する土俵を、今度は死後の世界や永遠の命…を与えるという似非精神世界の土俵(VR・METAbirth)を広げている

まるで地下の物置に降りてくるような天使

ヤコブ はしご

そこはヤコブにくれてやれ、じゃないとほら・・ねl?(;・∀・)いわんこっちゃない

相撲

ヤコブ怒って天使と相撲(ダンス)っちゃったよ(笑)

夢を見るのは個人の勝手だけど、誰も個人の夢に迷い込んではいけないし、引き込んではいけないという訳だね

デジャブの正体 不完全なパラレル・ワールドの記憶

そういう意味で相撲を捉えると、この地球は、VR空間が実際の現実に思えるように中からみれば球体(3次元)かもしれない

しかし、そこから出ればフラットアースという2次元の争いの土俵の中であり、負けて土俵を降りるとは肉体の死という意味ではなく

意地を張って争う事を辞める事

善悪二元論の土俵を降りる第3の選択もあるって事だろう

いやいや(ヾノ ̄▽ ̄)フラットアースって…と思うかもしれないが、これは三次元の中から見る球体の外の平面のボードモニター(二次元)と言う意味

フラットアースボード

もはやVRを経験をした人なら、俯瞰の目線から拡大して、街中の個人主観の目線と切り替える事を疑似体験してるだろうから、言ってる意味はわかるだろうけど、未経験の人は絶対に意味がわからない概念であり、無知・蒙昧(与えられた常識しか信じない)

まとめ 八卦良くない土俵に上がらない!

八卦良い!とは今この瞬間において、自然(天地)は安定している上で、お互いに研磨してきた技を正々堂々張り合う意地と意地のぶつかり合い(人)も準備OKだよね?という確認

それが天地人=相撲という神事であり競技

その上で勝負という決着が明確につく神聖な儀式の空間とも言える訳だけど、それを八卦良くない状態にしてしまうのが不良

ずる賢い工作をして八百長して、自作自演してマッチポンプを演じて勝つためなら土俵の外でなんでもする。弱みを握って脅迫したり、金銭で寝返らせたり、結局は人の欲をつくのが上手い

だけどその相撲という体系化が信長によって行われたのだとすると、その前までは暴力は良くないと道徳を広めるために八卦の悪用をしていた者がいた可能性もある

これが信長が戦った宗教の側面であり、その信長の意志を継いだように、秀吉は宗教の宣教師を弾圧した。これは日本という国を宗教洗脳というウイルスから守るための自然抗体のような動きになっている…

カタカムナ27首 豊臣秀吉という抗体

と、考えると、やっぱりこの三次元VRの外のフラットアースな二次元空間から、世界各国の動きに目を光らせていたようにも思える

つまり、その時代信長は俯瞰の目を持つプレイヤーだった。第六天魔王 信長 と地獄に結び付けられる存在。それってつまり、宗教で骨抜きにしようと侵略を試みた者からみた洗脳できない抵抗する存在であり

護られる側としてはとてつもない頼れる抗体だったと言える(後世に悪いイメージが残るのは信長が目障りだった儒教勢力の影響)

第六天魔王・地獄=不動明王→大明神→ルシファーの意志

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(前編)

ふーむ( ¯꒳¯ )何故か・・信長リスペクトな話になってしまった。なんだか…残された歴史文献は本当に勝者に都合がいい解釈の歴史で、実際にあった事が消されるか貶められるかしている

そう考えて、歴史は全部忘れて、残ってる風習、廃れない伝統、逆に言えば意地でも書き換えよう!とする歪な工作がある部分に目を向けた方がいい

例えば、最近だと佐渡ヶ島が国際文化遺産に登録という話が出てきたが、1度登録されてしまえば、現在の歴史認識から覆ることは無い

仮にそれが、嘘・捏造だったとしても、認定され、認知された以後はそれ以外が嘘に変わってしまう

そうやって歴史や伝承の都合の悪い部分を後からねじ曲げていく行為が、神社の取り壊しと立て替えだったりする

佐渡ヶ島も調べたら出るわ出るわ、隠されたであろう日本の空白の歴史に繋がる逸話の数々

日本の隠された歴史①佐渡金山と桃太郎の鬼ヶ島

日本の隠された歴史②佐渡金山と竹取り物語と浦島太郎と鬼佐竹

日本の隠された歴史③佐渡金山と大国主と中津国の逆襲

日本の隠された歴史④佐渡金山と八尾比丘尼と辰子姫と出雲阿国

そして今回カタカムナもまた41首なので

ワクミハラ
ナルマカヒ
カタカムナ

認知を変える です( ¯꒳¯ )Σ(゚д゚;)

カタカムナ41首 鵺の正体

カタカムナ41首 魘されるは真理

みんなが共通認識する必要はないです

建前はそういう一般知識を入れておくけど
本心では、俺は違うと思っている(。-∀-)ニヤリ

そんな感じでみんなが認知を変えて心に本心を秘めておけば、相手の思い通りに事は運ばないからね

勝ち負けや右や左、善悪という二元論の土俵に立つなよ?
その土俵はすでに、八卦よくない状態だからね

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