寝起き閃ワード「豊臣秀吉」?!そういえば信長の付き人としか知らないが…と調べてみたら導かれた理由がわかった壮大な日本はこうして支配されたという徳川話へ
豊臣秀吉という男の生き様
寝起きに「豊臣秀吉」というキーワードが頭に浮かんだので素直に調べてみた
・豊臣秀吉が行ったこと
→・大名がキリスト教の信者になることを許可制にした
・バテレン(宣教師)追放令を出した=この法律によって、宣教師を国外に追放しようとした
※・この時、キリスト教に残っていた高山右近という人は、領地を取り上げられた
・一般人が信仰するかどうかは、「その者の心次第」ということで、禁止しなかった1588年に海賊取締令を出した
※海賊取締令・・倭寇を始めとした海賊の行為を禁止する法律のこと
→この法律には、海上の支配をより確実なものにすると同時に、貿易を推奨する狙いがあった
※キリスト教は、貿易と一緒に布教されていたので、キリスト教の取り締まりは徹底できなかった1596年 サン=フェリペ号事件
土佐に着いたスペイン船のサン=フェリペ号の乗組員が、「スペインが領土を拡大するために宣教師を利用している」と証言するという出来事が起きた豊臣秀吉は、サン=フェリペ号事件を知って、宣教師とキリスト教の信者26人を捕まえて、長崎で処刑した=この出来事を、26聖人殉教という
・16世紀後半に、明の力が衰退していったため、中国を中心とする東アジアの体制というものが崩れた
→そこで、豊臣秀吉が全国を統一したこともあって、豊臣秀吉は日本を中心とした東アジアの体制を作ろうとした=そのため、ポルトガル、スペイン、台湾などに対して、日本に服属すること、入貢すること、などを要求した1587年 文禄の役
日本は対馬の宗氏を通じて、朝鮮に対して、日本へ入貢させること、明へ出兵することを要求したが、朝鮮は拒否した
→そこで、朝鮮に要求を飲ませるために、豊臣秀吉は肥前の名護屋という場所を拠点にして、1592年に約15万の軍隊を朝鮮に送った文禄の役について
・日本は、鉄砲を使って漢城(現在のソウル)と平壌(現在のピョンヤン)を占領した
・しかし、李舜臣という人を中心とした軍と、明の朝鮮への援軍によって日本側が不利になった
→そこで、朝鮮にいた日本軍は休戦して、豊臣秀吉に明と和解してもらう事を要求した
=結果的に、豊臣秀吉が強気な姿勢を取り続けたので交渉は上手く行かなかった※1593年から和平交渉というものが始まったが、和平を早くしてほしかった日本軍は、明側に豊臣秀吉の要求を伝えないという行動をとった
→結局、1596年に明が日本に使いを送ったものの、交渉は上手くいかなかった1597年 慶長の役
豊臣秀吉が朝鮮に約14万の軍隊を送った
※慶長の役について
・この戦いの時は、最初から日本が苦戦を強いられた
・慶長の役の次の年に豊臣秀吉が病気で亡くなったため日本軍はすぐに撤退した文禄の役と慶長の役を含めた、日本の行動を朝鮮侵略と呼ぶことがある
→朝鮮侵略は、朝鮮側にも日本側にも多くの被害が出たため豊臣政権が衰退していった
はい、とてもわかりやすいサイトなんでそのまま引用
いや〜驚いた事がいっぱいです
豊臣秀吉の死因は梅毒?!Σ(゚Д゚)
梅毒は性的な接触などで感染し、病状が進むと皮膚や筋肉などに腫瘍が出来ていく病気。この梅毒はヨーロッパの大航海時代に世界中に広まりますが、日本では16世紀の終わり、秀吉による朝鮮出兵がきっかけとなって感染拡大が起きたと言われています。
関ヶ原の戦いに勝利し、征夷大将軍になった徳川家康。このころの家康は、決して豊臣家に強い態度をとっていたわけではありません。
孫娘の千姫を豊臣秀頼に嫁がせる
1611年の家康と秀頼の二条城での会談。この時の家康と秀頼は、とても友好的だったと言われています。この後、わずかの間に、両家の力関係があっという間に大きく崩れてしまうのです。
原因は、梅毒
豊臣家への忠誠心が厚い武将が次々に梅毒に感染しこの世を去っていくのです。二条城での会見のわずか3か月後にはあの加藤清正が亡くなりますが、死因は梅毒と言われています。
2年後には浅野幸長(よしなが)も命を落としました。また、家康の実の息子ながら豊臣家の養子になり、両家の間を取り持つ立場にあった結城秀康も亡くなりました。さらに、豊臣家が頼りとする大大名、前田利長も梅毒で死去。
ちなみに家康の方は、梅毒をかなり用心していました。自分で薬を調合するなど健康に人一倍気をつかっていました。また家臣に対しては、感染源とされていた遊女との接触を禁じていました。
感染症に対してどう向き合うか。その違いが、徳川家と豊臣家の運命を分けることになったのかもしれません
・・というまとめを見て歴史の闇がはっきり見えました(゚д゚)(。_。)ウン
オリジナル考察と分析
豊臣秀吉は朝鮮と敵対関係にあった
キリスト教(イエズス会)とも敵対していた
市民が信仰を持つ事に制限は与えてなかった
秀吉は日本に入ってくる外国勢力のスパイに睨みを効かせていたとわかります
日本に入ってくる以前に拠点になってる朝鮮など東アジア諸国に同盟を求めたという意志の表れが
服従ではなく服属という言葉
服従は強制的、支配者や支配集団の命令や意図に従って行動すること
従属は右に倣え、主要な事柄に対して、それに付随または支配される関係、的な事です
簡単にいえば、弱った明を攻め込むのではなく、大枠のルールを作り直して隣国同士協力しよう!(日本が主導で)と呼びかけたのに対し、拒絶されたためにやむを得ず侵略して占拠して防衛拠点にしようとしたが
李一族が背後から支援し、朝鮮に出兵していた豊臣軍を丸め込んだのだろう。そもそも、交渉において豊臣の兵が主君である秀吉の意向を伝えない時点でおかしい、ハニトラか賄賂かで懐柔したと見た方がいい
というのも既に豊臣が滅びる手を打ってあり「もうすぐ秀吉は死ぬ、お前らの戻る場所は無くなる」と交渉を持ちかけたと仮定すると繋がる事象が見えてくる
徳川が豊臣を梅毒で滅ぼした
徳川家康は外国との交流があり、商人(イエズス会)は徳川を通し、日本人と見分けがつかない朝鮮人(奴隷)を介して梅毒を豊臣勢力に広げた可能性がある
秀吉並びにその忠実な家臣達を梅毒で死に追い込んだのが徳川家康とイエズス会と想定できる理由は、家康は自分及び家臣に「遊女との接触を避けろ」と通達しているという点
これは豊臣に梅毒が流行った後か?それとも流行る前か?
家康は豊臣一族(強力な家臣)が力を失う事でイエズス会の侵略を手引きした結果、信長も秀吉もできなかった全国統一というポストを与えられた小物に過ぎない
そもそも家康は後の歴史でも小物・器ではないビビりのクソたらしと言われるほどの臆病者であったと言われる時点で、脅しか賄賂かいずれにせよ精神的に弱ければ誰かに懐柔され操られた可能性は誰もが想像できるだろう
家康が薬を作る健康マニアと言われていたのは自分が梅毒を初めとする毒の感染を極端に恐れ、その威力を豊臣一族の滅亡という脅威を目の当たりにし、逆らえばいつか自分も徳川一族も謎の疫病で殺されるかもしれないと警戒したから・・と考えれば
大阪夏の陣等、豊臣秀吉の壮絶な最期のように伝えられている歴史も捏造で、実際は梅毒の疫病によって弱らされまともに戦える者がいない状況において、国外に出兵させた味方の兵にも裏切られ、背後からは信頼していた徳川家によって襲われ
得したのは誰か?
漁夫の利で天下を取った徳川家康とその徳川に支援し貿易に邪魔な豊臣を潰したイエズス会(メイソン)と豊臣に侵略を妨害された朝鮮勢力という構図
「梅毒」って名称も不思議な気がしませんか?日本で着いた名称だとしたらこれは「警告」です
梅はどこから伝来した?
つまりその毒は何処から?
梅花と書いてメイファと言いますが
それは中国版メイソンを意味し「李一族」です
ここでポイント
朝鮮勢力はもともと、日本では天津・西側諸国の残党、キリスト教(イエズス会)は偽ユダヤ
東には本物の古代ユダヤがいた
東には国津・出雲族がいた
東の出雲(国津神)は越し国から南下し、かつて邪馬台国の西の拠点(今の大阪あたり)を取り南まで追いやった、その楔のような拠点が大阪城と言う本丸で、睨みを効かせていたのは、朝鮮や外の諸外国勢力にむけてであるという事
徳川は豊臣に敵対していなかったはずだから、むしろ豊臣が疫病に苦しんだなら、薬に詳しい医者を派遣するなり支援する立場にあったはずなのに、自分達には被害が及ばないように徹底した対策と薬を飲んだり作ったりしていたのは
この薬を作って飲んでいる限り、あなたは梅毒にかかりませんよ。引きこもってステイホームして、政権や民の管理は我々に任せといて下さい
byイエズス会&朝鮮スパイ
これが一番しっくり来ますね
信長が討たれた相手も信頼していた明智光秀だと言うのだから、それを知ってる豊臣秀吉が徹底的に睨みを効かせたのが、諸外国やバテレンである事の意味。それは背後に暗躍するスパイの侵入を警戒していたと読みとけます
そうなってくると歴史の見え方が大きく変わってきます
信長を討ったという光秀の謀反の理由については諸説様々あり、現代も研究が続く戦国時代最大のミステリーと言われているので、ここからはそんな豊臣秀吉という男を生み出した信長の最後についての勝手な仮説考察です
信長は梅毒を広げないために本能寺で自害した可能性
仮にですが本能寺の変で信長が火の中で自害したというのを美談とし、豊臣秀吉が敵は外国勢力だ!と確定できるエピソードを考えるなら
信長もまた疫病(梅毒)をばら撒かれた という可能性があります
そして疫病を広めないために、疫病の疑いがある者だけを残し、あとは逃がし焼き討ちを信頼できる家臣(明智)に命令したとすれば、明智光秀は主君の信長を裏切ったという汚名を背負う事を引き受けた事になる
子供の頃から一番傍にいた豊臣秀吉には頼めない酷な役割・・
豊臣秀吉は感染を広げないために自死を選んだ信長から、あるいはその最後を看取った明智光秀から本当の敵がどこにいるかを継承された
冷静に考えてみれば、本能寺って城じゃなく「寺」、この本能寺の変で、本能寺は焼失してしまうが明智光秀は信長の遺体を見つからなかったと言っている(ミステリーポイント)
これは方便であり、本当の敵に死の理由を悟られないようにという家臣の想いで、実は秘密裏に丁重に葬ったか供養したものと推測
それが後に豊臣秀吉が徹底した諸外国との交流の規制、交易はするも海賊の取り締まり、イエズス会の排除、稲荷断ちと言うキリスト教弾圧という強硬姿勢を取ったと考えるとしっくりくる
実はファミコン時代の信長の野望において、信長が疫病で病死するというなんでじゃあぁぁぁあ!(;゚Д゚)なネタ的な展開があった。今思えば匂わせだろう
仏教の力を削ぐ信長を潰したのに、その意志を継ぐ豊臣秀吉によって計画を邪魔された外国勢力は、徳川に擦り寄り上手い話を持ちかける
そして、謎の梅毒で豊臣家は弱体化し、その機に乗じて徳川が裏切る
その頃にはもう日本国内にはイエズス会(宣教師)によって、豊臣が外国にばっかり意識を向けて国内が酷い事になってる、豊臣の26人聖人虐殺等の話をキリスト教徒に吹聴して、豊臣家への不信を煽る扇動・洗脳工作をしていたと考えれば
キリスト教を弾圧する豊臣家を討つ大義は徳川にあり!みたいに革命を扇動される流れで大衆ロマンのヒロイズムに満ちてたでしょうね
まるで今と同じです
新型コロナ騒動というよりワクチンと電磁波と外国からの入国者(移民)が広がってから、梅毒の症状に感染している日本人が増えたそうです
別にコロナ禍でセックスしまくってるからという訳ではないと思う事と、今回のコロナの感染の仕方の分科会の説明の二転三転コロコロ変わる言い訳のように、梅毒って実は「性感染症」じゃなくて、普通に「唾液の粘液」とかそう言うものでも染せるんじゃないか?と思った時
思い出したのが新型コロナ初期に感染を意図的に広げる工作員のような女性が、アパートやマンションのエレベーターのボタンやらドアノブ・インターホンなどに唾をつけて歩いているという監視カメラの映像(覚えている人は覚えてる)
仮に感染源として発症しても薬などで対策ができるとわかっていれば、自分で感染し病原体となって梅毒をばら撒き、あとから薬で直せば証拠もない
そう言う工作も行われているんじゃないのか?という流れが同じ勢力によって時代を超えて繰り返されている気がする
製薬会社という欧州勢力(アメリカは元々ヨーロッパ移民)による薬(肉体に毒)
朝鮮勢力による電磁波(精神に害)と梅毒
大阪を取りたくて取りたくてしょうがない維新の会(ワクチン推進橋本背後は?)
かつて日本を守るために外国勢力の支配・侵入を防ぐ拠点の大阪城を落としたのは
病気と徳川の裏切り
一致しますね
豊臣の家紋は桐紋(五七の桐)で、天皇家の家紋は今では菊紋がよく知られていますが、元々桐紋も天皇家の紋でした
五七の桐が十六の菊
五七は12 年・月
菊は16 太陽
月と太陽は…ツクヨミとアマテラス
国津神(出雲)と天津神(邪馬台国)
という、カタカムナ27首から、豊臣秀吉に繋がったのは、私が抗体や自然免疫という観点から国としての自浄作用を追い求めていた結果
信長の本能寺の変はなんか変!=火=免疫システム
疫病の元を自ら断つ遺体を残さず焼く=自己消滅(アポトーシス)
明智光秀程の名声がなければ信長を討ち取った示しや治まりが世間的につかないという重大な役割(しかし謀反者というレッテルも背負う)
信長の遺体は探したが見つかっていないが、討ち取ったのは私だ!という逸話が残っていたのは、明智側がその信長は天晴!という姿勢を語り継ぐ事だけが唯一の自分への贖罪
信長は秀吉には別の役割を託した
全国統一して疫病(スパイ)を国に入れるな
お前が日本を守る抗体になれ!
そう考えると辻褄が合う
今も昔も侵略と支配の手段は人を肉体的な毒や精神的な洗脳で弱らせ、戦争を仕掛けるという卑劣で姑息な手は変わってない。そしてそれに与して病気の元(製薬ベンチャー、電磁波インフラ、移民受け入れ、グローバリズム)を呼び寄せる裏切り者(潜伏ウイルス)が中にいるという事もね
これが歴史をまたいだ人類のエネルギーの役割の循環なんだ
と、日和見の立場で善悪の攻防に気づく事が出来れば、どちらにも関わらないという選択が見えてくる。日月の争い(ルシファー)のドラマに参加しないで見れるようになれば、事はやっぱり全部
DNAの中でそれぞれの役割を体験して学ぶRNAの成長、魂の経験値を積む事。現実に起きてる事なはずなのに、それぞれの生き様がちゃんと法則に則っている
宗教洗脳と体内のウイルスと戦う信長(抗体)の元で学ぶ秀吉(免疫)
明智(抗体)によって信長討たれる(自己消滅)
信長は秀吉、後は頼んだと抗体の役目を託す
秀吉は信長の意志を継ぎ、また味方の裏切りや外国勢力への抗体となる
しかし、何故秀吉は徳川の裏切りに気づかなかったか?
それが三代目、孫の千姫と言う徳川から送り込まれたmRNAによって徳川は敵ではないとDNAを書き換えられたために、その徳川に潜むウイルス(外国由来の思想)の潜伏を許してしまった
気の緩み、気を許す
その免疫システムを解除した瞬間に
「病」が「気」から入り込んだ
やっぱり、物質世界の重要なポイントは精神的な戦いに負けない事ですね
なるほど、このタイミングでこれは
今追ってる隠された歴史を紐解く作業は
変な気を入れずに気を引き締めてかかれ!
って言う事なのかもしれない
あと、マジか?( ̄▽ ̄;)これマジか?と思ったのが…ちょっと遊びのつもりでこんなんしてみたんですよ
アルミホイルを頭に巻いて寝る(笑)
これによっていらない気を入れずに深い眠りに着いて、今までカタカムナでも出てきた事がない具体的な名称の豊臣秀吉がでてきました(ピントがあったように)
それが抗体という役割りや出雲の意志へと点が線になった訳で、部屋を飛んでるWiFiはもちろん、目に見えない何かのエネルギーも遮断するとかの効果が本当にあったりして?!
ま、詳しいレビューはもう少し続けてから『体感が先で理論後付け』の記事で(頭にアルミホイルを巻いた実験結果…)でまとめます( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
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