好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

自我とは希望を観測する釈迦の分身である

ライオンズゲート第十夢。自意識と無意識と自我と三千世界、自我は『希望(問題)』を見つけるための『必然』であり、『執着』しなければ、『手放す』という苦労さえ必要なかったと気づいたお話

自我が希望を見出す

自意識を保つ『自己を理解』したなら面白い話をしてやろう※前回の先祖の話参照

死=師を超える倒転末本 一巻の終わりの続き

自我(エゴ)は必要だ(・ω・)/手放すな Σ(゚Д゚)なんですと!?

ただ『執着』しないだけで、『自我は必要』な事なんだ

『明鏡止水』の状態が自を意識して観測している『水鏡』
その状態は水面に揺らぎもない凪の湖畔

明鏡止水

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

ここにぼちょん・・と雫を一滴たらし
波紋を起こすと、自意識を中心に周りに波紋の波動が広がる

この波紋が広がっていく範囲が『自己認知の世界』だ

そこで、何かにぶつかって波紋が『反響』する
そこに『問題がある』と『意識』をむけた時

その問題と向き合う『我の役目』を見出し
自意識→『自我』となり、その問題に『向き合う事に夢中』になる

この時、『自分』が生まれるのだが自分とは『自らの分身』の事だ

自意識の明鏡止水の範囲を『三千世界』とするなら
波紋が何にもぶつからず『反響しない状態』は釈迦は必要ない

釈迦は『問題に巡り合い解決する』という状態
従って『波紋を出す』とは、『問題を探す』状態

例えば、夏の風物詩の虫の鳴き声を心地よいと思わないと怒る反応
例えば、煩悩の数だけ鳴らす除夜の鐘がうるさいと反応

それと似たような事を、自己認知の範囲で発見する

そして波紋が何かに反響した時
その『反響』した所に問題という『希望』を見つけた事になる

これは言葉で表すと面白いぞ?

忘=心亡き状態
望=亡き月の王=主体性
希う・来い願う・故意願う

「来いと願う」、故に我の意識の観測を願うサイン

自意識の観測から『波紋』を呼んで『問題』を見つける
それは釈迦=『問題解決の主体性(自力)の希望』

そこに釈迦(自意識)の分身の『自分』が『現一切色心三昧(必要な姿)』
来いと願う地に故意を願う=『自我(エゴ)=希望』が叶う

『主体性』をもって自分という『分身(弟子)』を送り込む
自我は『求める事を得る』為に『夢中の夢の中(現実)』という夢意識

それは『仮想=仮の相定を支える心』の試行シミュレーション

その夢中で『自我(エゴ)を没頭』する事に『希望』を見出し
その『主体性の体験(業の改修)』を持って『自分で解決』する方法を探す

『観測している世界』を『自己表現』しようと『弥勒』になる
弥勒の意味は、『あまねく全て』を『石に刻んだり、詩にしたり自己表現』する

その自己表現という『無に有を生み出す希望』を叶えて『和』を足し
問題解決し、欲は満ち足りて満足したら『余分な差取り(冥土の土産)』をもって解脱

自分という分身の弥勒は、その『反響した世界の跡』で『釈迦(問題解決)』となり
『自意識』という『全ての三千世界を見守る存在(空間)』に戻る

そうすると、波紋が反響した部分は自己完結して問題ではなくなり
自己認知はそこで留まる事なく、もっと『三千世界の波紋の広がり』は大きくなる

釈迦が「問題はないか~?」と『波紋』を広げても
「なんも問題ないっす~」と穏やかな自己が『どこまでも拡大』している時

和心となり、それを見守るのは大日・釈迦(お天道様)

釈迦は必要なく、『自己認知の世界』は穏やかで不調和なき『和』となる
問題がある時だけ、釈迦は『弟子(自分・希望)』を送り込む

これは『思考シミュレーションの中』で起きている事であり
全ては『試行シミュレーション』である『想定内』の話

自分が反響した何かの『気になった世界』へ生まれる『弥勒』
きにかけて、気配りした、慮る

だから最近、お前は即座に『弥勒の発見』に喜んだ

インスピレーションの化物 古山菜の花の登場

『問題解決(釈迦)』するために『夢(やりたい事)に没頭』するから

『自己(達観した存在・根源)』は見失う

『無意識』に「我思う、故に我あり」で
『我が求める欲に夢中』な時は『自意識』は必要ない

『夢意識』でいい
音で世を観て自己表現する観世音

教義の『無』は夢(可能性)でも務(使命感)でもいい
同音異義語で『忌=己の心』の捉え方は『発想の自由』だ

『仮想世界=仮の想定の自己認知空間』は『自分(釈迦の分身の弟子)』が創ればいい

発想発破 内なるショックドクトリン(精神DNA再設計)

目的を達成して欲を満たす=『問題を解決する』と
『無意識』から『自意識』に戻る=『弟子(自分)が経典を修める』

『業を修めて』しまえば、後は『自由』
次の問題解決の希望をみつけるまで

「お前は好きな事をやってれば大丈夫(釈迦)」(・ω・)/ (≧▽≦)楽生

自覚と覚醒と楽生

そういえば、かつて釈迦を偶像の存在と認知していた頃の私が観た夢で
「何の問題もないのに、何をしに来た?」と先生に塩対応されたのを思い出したw

観念したらお釈迦様と遭遇した夢

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