寝起き閃キーワード あの世…誰も知らないのに日常的な生活密着表現で使われる言葉の出処、始まりを示す『あ』の世が阿から来ている…と気づいた時、阿の道が繋がったお話
寝起き閃 あの世?
『こそあど言葉』を知ってるかい?
この→目の前
その→少し先
あの→遠く
どの→わからない
これは意識的な『物質的な空間の距離』を示すもので、『方向を指さす事』が可能
どのだけ、首を傾げ掌を返す
これに『世』をつけた時
この世→現実
その世→想定
あの世→非現実
どの世→多次元解釈
『物質的な空間』でも無ければ、『距離感』でも無くなり、『方向を指さす事』ができ無くなり
やはりどのだけ、首を傾げ掌を返すは一緒
実に『単純』だが、『有る無しの存在証明』の『可否不可避』も示している『奥深い言葉』だと思わないか?
つまり、この世の『目先の現実』から見て、『非現実的』ではあるけれど『あの世は有る』と認知しているが、空想上の『その世』とは…
『どの世』?(´-`)oOと一人一人が思い描いている『あの世の自己解釈が違う』という
あの世ってのは『色々ある中』で、まずは私が閃いた瞬間に納悳した『仏道』について
阿(争い)を修める業の道=仏道
私は以前、カタカムナの導きでこの世界の戦争の歴史観を捉えた時、紛争の原因は阿にあったと気づいた
阿という漢字は『梯子を降りた』+『可能性』
神話にすれば『ヤコブの夢』(与えられた領域の自由、欲望のまま好き勝手できる)でもある
『野に放たれた獣が人の世で暴れている』と言えば、『昨今の熊の猛威』のようなもので、侵略者達に『脅威の自覚』はない
なぜなら『太陽光パネルの建設』の為に『森の住処を失った』から『移住を余儀なく』され、『人と獣のテリトリーのライン』を超えた『追い出された難民』なのだ
つまり何らかの理由で国を追放された『手負いの獣=難民』というのは、『同情の被害者』でも有るが、同時に生きる為に形振り構わない『定住する為の加害の侵略者』となる
一度、そうなると侵略者は味を占めて『占領』、その地で繁殖し骨をうずめてしまえば、そこが故郷となり、『その地の支配者として縄張り』を広げていくように…
これは『熊の話』をしているようで、実質、『獣のように国盗り』をしてくる『侵略者の手口』でもある
『難民』を送り付け、その難民を『引き取る』変わりに『権力寄こせ』という…『難癖つける莫迦のひとつ覚え』
『獣が人』になってもやる事は同じで『精神レベルが低い』から、そうなってしまえばもう『駆除』しかなく、駆除の仕方に『毒物や何か新しい方法』を見つければ…それが『新たなインフラのルール』になる
例えば、ツキノワ熊狩りで『絶滅』させる
例えば、電磁網の設置で『電力維持のSDGS』
その『森を壊してこの太陽光パネル』作ってその『森の熊さんの住処』を奪って人里に降りてくるのを防ぐ『電磁網インフラ』に『あの電力』を『その用途』で使うなら…
『何=人の可能性』の意味があったか?(笑)
ただただ、『阿=梯子』を降りた『可能性=ヤコブの好き勝手の夢』じゃねーかと
日本人の道徳的気持ちや法律は「熊さん可哀想・・」というが、日本人が減って『外国人』が増えて『法や条例』を変えたら、猟銃使いの『モンスターハンターに高い金』かけて『絶滅させるまで狩り尽く』し、『熊肉の流通インフラがSDGS』にするだろう
熊とも戦えた自然のバランサーのニホンオオカミが絶滅したように・・
人間による駆除:害獣とみなされたこと、そして明治政府が「オオカミ駆除」を奨励する政策をとったことが大きな要因です
明治政府は『神仏分離』やら『自然と繋がる伝統破壊』ばかりだ
何=人の可能性のためかって?
そりゃ『そこを占領して定住する為』に決まってるだろ?
『縄張り争い』が無く、今まで『穏やかに過ごしてきた田舎の環境』が『急に狂いだした』のは『太陽光パネルの森林破壊』に限らず
『野生の動物にワクチン接種』などを試みたり、空から『自然に還らない科学物質を空中散布』したり、人間には感知出来ない、嗅覚や聴覚を持ってる動物に影響を与えるような『電磁波攻撃』など散々やってきた
『人がやられて狂う』ような事を、同時に『自然の動物にも行ってきた』から、どっちも狂って『人と獣の境界線が無くなる』という『遺伝子組み換えや豚の臓器移植』などと・・
ミャクミャクと『合成獣(キメラ)の化物』になっていく
『先祖達』が気づきあげてきた『自然との共存細菌の加護という免疫』が消え、「今の人間はかつての朋ではない」と自然に見限られてしまえば
そりゃこうなる…という
因果関係を『因果不明』などという『都合のいい逃げをしている都会』からすれば、『田舎・地方』がどうなろうと知った事では無いのだろう
というのは『古代ローマ帝国』…その後も、歴史観を振り返ればまるで『獣の大移動』のような、追い出され、その先で定住しては『また戦争で難民』となり
『22(移住)→78→22(難民)→78→22(避難)→78』という、『部落民』が人と合わない…と『人里』から離れた極地が『動物との共存エリア』
『獣と人が穏やかに過ごす自然の地』に、『争う気を持たない人』が『その環境を大切に護ろう』と
その地に『その意志の骨』を埋め、その『風土風情の先祖』として『代々脈々と受け継がれてきた流れ』が…
『外来の製薬の誓約の制約』による『侵略で破壊』されたのだから…歴史はまた『人は獣同士の争い』から繰り返す
…というゴールは『自然(動物・植物・昆虫)との調和の約束の地』でもあり、またそのバランスが崩れれば『紛争・争いの阿の始まりの地』でもある
『結果』を見てみればわかる通り、日本人が「熊でクマったな〜」とやってる間に着々と『移住者が入ってくる土地や条件』を増やしている
ルールを護るのであれば受け入れる
=開国
…しかし先に『大砲(ワクチン・パンデミック)』の『ショックドクトリンで蹂躙』されまくってからの後手がそれでは、かつてアメリカ大陸の先住民の『インディアンに接触したヨーロッパの一団』が『疫病』をばら蒔いた結果
コロンブスがアメリカ大陸を発見する時には『先住民の9割が亡くなっていた』から『あっさり土地が奪えた』と同じ=『除草剤(枯葉剤)を撒いてしばらく離れる』や『ゴキブリ退治のバルサン焚いて離れる』と同じなので有る
ネイティブ・アメリカンの『インディアンと縄文=自然の環境の中で生きるスピリット』は、『手付かずの土地を大切にする=開拓を好まなかった免疫抗体』でもある
それがその後の歴史観の過程をすっ飛ばして『結果=勝者の捏造の都合のいい今』を見ればいい
『こうなる世』の中に『あの時』に仕込んだ結果なのだ
つまり、だいぶ遠回りしたけど
『この世(現実)』とは『阿の世(争い)』が創ってるんだよ
『細胞(先住民)』があって、『ウイルス(渡来民)』が入って『炎症(戦争)』して『一部の機能獲得した抗体によって平和』になると
『戦争民(兵士)』は存在意義がなくなり『社会的に追放』され、行き場の無くなった『傷ついたRNA細胞』を『再利用するメッセンジャーウイルス(軍産複合体)』が取り込んで『脅威』にする
この仕組みをわかりやすく言えば、ボクサー崩れ、武道家崩れ、力士崩れの『中途半端に力を持つ反グレ』を『闇バイト』として『ヤクザが手駒』にすると
「拾ってやった恩義に報いるために鉄砲玉になってこい!」という『秩序を破壊する脅威のウイルス』にもなる
『たった一人の行動』が『大戦争の火種』になったりする
JFケネディ暗殺や安倍総理暗殺、チャーリーカーク暗殺とかね
それが『この世(現実)』の原理
『阿の世(争い)』が創ってるんだよ
皆を護る『免疫や抗体』ですら『争いの火種を生む仕組み』になった時
誰も傷つけない全てが〇く治まる世界
『あの世(遠い理想・元)』から『この世(目先の現実・次)』が生まれるのだから、どうすれば、『その世(理想の空想)』を『この世の現実』にできるだろうか?
争いは『目先』にいくらでも有る
しかしその中には『無い和』とはなんだ?
『この世には無く』て『あの世にはある』
『その世(理想)』とはなんだ?
…と、争いの世を『治める気持ち』になると
『仏道』は阿弥陀、阿南、阿道、阿含、阿字観、阿羅漢、阿闍梨…
『阿を修める業』の道
阿弥陀とは阿が『争い』ならば
弥陀は『あまねく全てが崩れさる』という意味
つまり『阿弥陀仏』という意味が
『争いのあらゆる一切』は『全て崩れるから仏(ほっとけ)』
南無阿弥陀仏もまた『阿南無(アヌンナキ)』
阿含は『釈迦の道を目指す方向性』と釈迦に帰依して『助けを求める者を救う道』と、その方向性の違いの『両方を解いた経典』
『孤高を目指す者』と『皆を救う者』
『それぞれ目指す方向と方法』は違えど『元』は同じ
あらゆる『二元性が導く』のは、上でも下でもなく奥でも手前でも無く
『あっち』でも無く
『こっち』でも無く
『そっち』でも無い
『どっち』?すら無い
中心=『心の中』
私は上記、『阿の道=仏道』を説く様々な先祖達の生き様の痕跡を『この世(現実)』で調べ、『その世(理想)を想像』し、『あの世(夢)で創造して体験する』という
『先の祖を人と共に養う=先祖供養』をしてきた結果、これが『生きながら仏の道と繋がる』という『空海の即身成仏』とも思える理由が…
『周りはほっとく』なんですよね(笑)
やれ、『先祖供養』とは?
やれ、『空海の即身成仏』とは?
というこの世の情報は『全部客観』
「…らしいよ?」 ←人が言うを用いる=信用
「…と誰かが言ってた」 ←他力本願の盲信
「…と文献に書かれてた」←本の質を問え
結局、『誰かの体験話』は『実感』が無い
わかった『…つもり』になってるだけで
つもりが積もり積もって『元』が解らなくなる
これは『嘘八百=都合のいい辻褄合わせ』
だが、『体感』というものは『言葉に表現』するのはとても難しい…理由は簡単で、『語彙力』や『知識』の話ではない
いかに『伝える対象に伝わるように言葉で表現』するか、また『聞き手』がそれを『瞬時に理解して想像』ができるかどうか?
ここに『阿吽の呼吸』がある
『吐く者』と『飲み込む者』
嗚咽(終え・_| ̄|○、;’.・ オェェェェェ)
極理(ゴクリ・・極を理解、息を呑む)
『あの世』から『はき吐き出した死人の愚痴・吐露』を
『この世』で『素直に受け止められる』か?
それは『自→己』しかない=心の受け皿
『自らがあの世で体験』した事を
『己がこの世で解釈』して受け止める
これが『阿吽の呼吸』だった…と自己理解
これは『争い(業)』を『治める・修める・納める』とも同じ
つまり『業の回収』が一言で言えば『阿吽』
と、私の中では『阿(争い)の世は治めた』結果、あの世も・・『どの世?』ってくらい『色々選択肢あるよな〜』と改めて、『あ=始まり』が沢山有る事に気づいた
感じる漢字で世見悳 あの世の色々
明の世
啊・婀・痾・屙の世
或の世
亞・椏・孲・啞・婭・錏の世
吾の世
鴉・呀鵶の世
惡・鐚の世
雅の世
荒の世
和の世
堊の世
穢の世
昂の世
蛙の世
( ´△`)アァ- 『知らないあの世』がいっぱいだ(笑)
『この世』で伝えられてる『あの世』は
『極楽(天国)と地獄』という…少な(笑)
井の中の蛙、大海を知らず
そう『蛙(あ)の世』もあるから、『鳥獣戯画には蛙』が描かれているという理由を『知らないだけ』かもしれない
明るい世
日月の世界、シンプルな自然
まるで『植物にとっての理想世界』
『雅(あ)な世』もあるんだよ
『和(あ)の世』もあるんだよ
『吾(あ)の世』もあるんだよ
この辺のあの世はわかりやすく『地獄』だろうね
啊・婀・痾・屙の世
小さな口から空虚な争いが…→ 嘘から始まる
女が争いの元 →誘惑の言いなりになる
病が争いの元 →状態が変化する
龍の逆鱗(喉元)に触れるが争いの元 → 禁忌に触れる
『荒れて穢(けがれ)の世』もあるんだよ
『昂(シリウス・プレアデス)の世』もあるんだよ
『その世(理想)を想像』するから
『この世で創造』して繋がるんだよ
私は『想像が現実』になる前に
一旦、『吾(われ)の世』で思考シミュレーション
その吾の世で、『和の世』と『雅の世』と『明るい世』と繋がらないかな?(´-`)oOと『入口や共通点』を莫迦な模索する
そこに『人事を尽くして天命を待つ』と…自然に眠くなって『意識』が飛んで、『その世(理想)に最も近い世界の先祖達と触れ合う機会』を得ている
それが『阿の道を修め治めた先祖達=争いはほっとけ』の『阿弥陀仏道』
争うあまねく全てが崩れさるから『ほっとく道』
『そん(損)な事』より…『尊な事』しようぜ?(・∀・)人(・∀・)と『気づきと学びの向上心』の楽しさへと
あの世の色々を…転々と旅して感じたのは…『点と点の線を結ぶ』には…もはや『道』と呼べる『繋がりは失われてしまった』から
『皆を統一して導く』というのは出来ない
だから『元』を思い出させて『自分でルーツへ帰る』
『帰るべき所へ還る』という『自由意志』が与えられ、必要な物事だけ『心』に修め、『足るを知る』になったら『身軽』になって帰っておいでと
その『感覚を思い出す』ように(´-`).。oO(夢というのはあの世(色々)の体験なんだろう
望む世界は何か?
『争いの世』は簡単に『この世と繋がる』が
『争いなき世』の『理想のその世』は『自己探求で行く』しかない
和を持って尊しの『和』は…
和に至る『過程(足る)を知る事が尊い』のか…(結果ではなかった)
だから『厚く三宝を敬え』とここにも『聖徳太子コード』が
あの世のひとつに『昴の世』がある
そういう『ゾーン(チャネリング)と繋がる事』もあるのだろう
と、考えると『夢よりの使者』ってやっぱ『あの世からの死者』
『身内』が来れば『執着と思い込みによる間違い』が起きるが
『見知らぬ誰かが代行』すれば『使者』になる(笑)
だから『伝言や言伝』のように「頼まれたからやっている」みたいな、やはり気配りして慮る『縁の下の力持ち』は姿を見せない『主の意』を伝えるのが『天使』
『やる事(ミッション)』以外に全然『興味』が生まれない不思議(笑)
それは神話ではなく『親和』
『先祖の想い(心)』が支える『子孫』に伝えられる
子孫がそれを『恩』に感じ『先祖供養』すれば、『仏の道の加護』を得て『その道の為すべき修業』が始まる
これが『あの世』との繋がり
『あ=次の始まり(次元・この世)』である
その『あ』を何から始めるか?
穢?蛙?啊・婀・痾・屙、あぁ?( º言º)気持ち悪い
雅!明!和!(*´ч`*) ああ気持ちいい
それを『吾(われ)の世』で、『その世(理想のあの世を選ぶ)』を思考シミュレーションして、『コンタクトする世界』を見極める
『争いの原因』を『思考の元から排除』してしまえば、『阿の業』を『吽と修めて』呑み込む『呼吸』が必要無く
次の世は『明るい雅な和の世』になる
『尊なあの世が有る』から繋がると
気持ちが『明るく』なり
気持ちが『雅に楽しく』なり
気持ちが『和む』
常に心は『あの世』と『この世』を『その世』で繋いでるからこそ、『どの世』を選ぶかは?今の心が動かす力=『念動力』で決める
夢の中ではこの『念動力』で『展開』が変わる
つまり瞬間瞬間、『あの世』と繋がって『あの世の力を使ってる』と言えるのだから…
まーた『認知』が面白い事になってきたぞ(笑)
『この世では静か』だが、『その世』を通して『あの世』では・・『あの世の存在の干渉』を止めて『消滅させる為の滅亡の闘い』をするのが『仏道』なのか…
まさに「単なるほこを納めよ!」と『戦の中に入って止める=武の志』の『鬼門の門番』であり、何も無い時は『仏』であり、そういう道を目指す者には
『釈迦』として問題を解決に導く知恵を与えて、自己表現して自己解釈する『弥勒の自力』を後押しする『縁の下の力持ちを育成』する…
うーん、『霊界学校の夢』の面白い構図が見えてきたな
『争いを丸く治めてほっとく』とは、一言で言えば『自然免疫抗体のメカニズム』で、争いが起きる『手口を機能獲得』し、それを『不活化させて消滅』させるか追放する
そうすれば『無害な細胞』は『自己治癒によって再生』する
この仕組みは『既に有る』のだから『その世』を『この世に引き寄せる事』で何が起きるか?
前に『想定』したら『人類は滅亡』しました(笑)
『地球=人』にとっての病の原因の『癌』を発生させない為に、『発がん性物質を消滅させる』という想像したら、『人間そのもの』が『地球にとっての癌』だったと…
だから『その時』がくる時、せめて、『穢の世』に行きたくなければ生き方変えようと
『地球環境』も『人の身体の細胞』も『自己の想定のその世』では『同一の存在として繋がってる』のだから
『人の世』の行く末の『あの世』
『地球環境』の行く末の『あの世』
それを『一緒=混沌・混ぜる』にしてはいかんのよ
この世(人・地球)を『穢した人』は『穢の世』に行く
それは『因果応報の道理』
ま、これは私の『体験感覚で捉えた仏道の独自表現』だけど、昔の先祖はこれを『六道輪廻』といい
『畜生』は『畜生道』に・・
『餓鬼』は『餓鬼道』に・・
これと『同じ』なんよね
ただ『自己表現が違う』だけで言葉を解り易い例えで『伝えてる事』は『先祖と一緒』になる(笑)
語彙力というのは『知識』ではなく、その『時代、その人にあった言葉』になる説法
故に『教科書・教典・聖書』という『本の質』は…実は『役目』を終えたらブックオフに売られて『105円で他の人に巡る』ようなもので
でもその『誰もが興味を失った』であろう『中古の古ぼけた本の質に価値』を見出して、『自己表現と自己解釈』によって先祖と繋がり、『この世とあの世を繋ぐ者』が現れるように…
『古文書』の解読、『古代叡智』の記録、かつての人の『生き様を感じる遺跡』…、誰もこない『山奥の巨石』に刻まれたヒエログリフ、『カタカムナ』
色んな所に『あの世と繋がる入口』がある
私の場合はきっかけは『22を超えて行け』という本だった
私がその後、なぜ『法華経』へと出逢い、『大日如来』へと繋がって行き、今、『夢見の意識の旅』をする事に夢中なのか
仏道は『この世の現実』では『静寂』だが
『その世』と『あの世』では『激動の大冒険』になる
まさに夢の中では『昇龍』で
目覚めて見たら『辰巳下がり』
竜頭蛇尾?最初の勢いだけで後が続かない?
そりゃ『キメラ(合成魔獣)』の解釈だろ(笑)
辰巳下がりは『活発な破天荒』から『穏やかで上品』になる
つまりは『夢の大冒険活劇』も、感情のままに表現したら『ただの勢い』になってしまうが…
その冒険の体験で『何を見て』『何を感じ』『何をした』結果『何を学んだ』か?
『理路整然』と『事の始まりから顛末に至る』まで『文学として昇華』させる能力
夢見の記憶術=夢日記が淑女=『巫女の嗜み』
嗜という漢字も面白い
『小さな口』から『老いた日』
老=時間をかける・悠久の時
夢の中での『日々に起きた事』を伝える
まさに日常的に『夢物語を神託』として『文学に昇華』するのが『辰巳下がりの巫女の使命(嗜)』
なるほど(´・ω・`)道理で…2024年の初夢の中で、私は鬼に「お嬢さん」と呼ばれた訳だ
『破天荒で活発なお転婆な娘』だったとすれば、これもやはり『仏道』と繋がる点がある
『この世』の現実では『仏道は静寂』である
『神託の巫女』もまた『俗世』に関わらない『籠の中の鳥』
故に『反動』のように『その世』の夢の中では『今の心を動かす力=念道力』が『思い通り(叶えたい)』に使える
しかし、その世で使う念動力の『使い方』によって、『あの世(色々)の繋がりが創造』される為、『欲望』に囚われれば、この世に『あの世』を引き寄せる
だから、こういう事(そろそろまとめる)
あの世(元)を
この世(次)で
その世(想像・体験)で
どの世(選択)にするか?
君たちはどう生きるか?(この世)
『阿を望む』のか?『和を望む』のか?
『吾』で向き合って、『阿吽の呼吸』で清濁併せ飲んで
『争い』のない『明るい雅で和やかな世』
『その世』を『引き寄せる想像』ができるか?
…と言えばジョン・レノンの『イマジン』になる
「想像してごらん?戦争のない世の中を」
だんだんと『向こう側(あの世)』から伝えにくる『メッセンジャー(点)の見つけ方』がわかってきたけど
見つけた時、気づいた時はもう
『孝行したい時に親はなく』の如く
親のありがたみがわかり、孝行しようと思えるようになっても、その頃には親がこの世にいないことが多いという、後悔や嘆きを表したことわざ
『お釈迦』になって『壊れてお陀仏』してる
だから必然と『その世を想定』できた時、『あの世』と向き合うようになり、多くを望まず『足るを知る静寂』の中で
『望む以上』の明るく雅で和やかな『理想世界のあの世を体験』し
「いつか、ここ(元)に戻ってくる」(๑•̀ㅂ•́)و✧と
自然に『修めてない業を回収』するようになる
『修めてない業だけが気になる』ようになるから『真我(吾)』以外一切皆無常
自ら(あの世)と己(その世・吾)を支える『心』
自己中心、自己内観、自己治癒の時
それ以外の『目先の物事(この世)』は有無
有ると思えば有るし、無いと思えば無い
『色即是空・空即是色』=そう思えばそうなる
つまり、その『変性意識状態』では『この世(目先の物事)』すら『念動力で思い通り』になる
これを『望むあの世を引き寄せる』とするなら『引き寄せの法則』かもしれないが、『引き寄せる元(あの世)』次第では
『都合のいい思い通り』にはならない
『欲望のあの世』を引き寄せると『争い』が起きる
ある意味でそれも『免疫の炎症反応』と言える
細胞が『望まないウイルス』を入れる
当然『異物』として『免疫が排除』し『元に戻そう』とする
『目先の欲』で『怖い目』にあって『痛い目』を見て「これは嫌だ!」と学習する
それもまた『縁(負けるが勝ちの耐性獲得)』の『因果関係』と言える
目を見る=深淵を覗くものを覗き返す目
目先の一寸先の闇に潜む目
目を見張る=目を付ける(注意・警戒)
こうやってまだ『未体験の業を回収していく=免疫耐性』をつけて行く過程で『心は学び成長』している
何もかも『無駄な事は無い』とはこの事であり、それは『この世』も『その世』も『あの世』も…『どの世』も繋がった中で起きる『エネルギーの循環作用』
つまりは『流れ』である
…大きすぎて
何=『人の可能性』が
何処で=人の可能性の『処』で
『どう(動)作用』するか?
人の中(心)だよ(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)確かに
人の『今の心』が『念』となって『場(処)』を動かす『正念場』
自然の流れを『活かすも殺す』も『人次第』
『一切無常のエネルギー(自由)』をどう使うかは『真我=自己の選択』の自由意志
故に、己(吾)を支える心=『悟りの忌』
これを『争いの中』で『静寂』を見出す修業
戦の中に入って止める=『武』
交戦する剣を蓋して止める=『文』
『文武両道』は『和に至る為に必然の志』
その世(理想・想定)を『武士道』という
ここは知識・学問の文では無い
『争いを治める心』を説く法
釈迦が八大龍王を『説法で感動』させ、感銘を受けた八大龍王が『守護龍(士の心)』となる
故に『和やかさ』と『気を引き締める』緩急のバランスでもあり
『光の輪郭』になる『影の闇』でもあり、その影は『光を囲む縁の流』でもある
…ふーむ、そろそろまとめる…ゆーてから
まだだ!まだ終わらんよ!(っ・д・)≡⊃)3゚)∵
と、言わんばかりに『数珠繋ぎ』に様々な『自己表現の先祖達の畳み掛け』が始まった
・・もしかして『畳み掛ける』ってそういう事?!Σ(゚д゚;)夢の中で封印の解放の儀式で見た景色(笑)
相手に余裕を与えないほど続けざまに話すこと
私が『この世(現実)』に『意識の観測を戻そう』とするのを、『あの世』と繋がった『その世』を消させないように封じ込めるように・・次から次へと先祖達説法が・・
だんだん支えきれなくなってきたので
ヽ(▔•ω•▔ヽ)(っ▔•ω•▔)っほっとく Σ(゚д゚;)仏悳








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