本音!本心!本意!本当だって!信用して信頼して!本質をついてる元本だよ!…語れば語るほど騙るに堕ちる人の言う事を用いる信者は元本の借金を返済する儲のバイブルに無意識に貢献している言葉のお話
不本意とは
自分の本当の気持・望みに合っていないこと、納得がいってない
ま、『本意に不らず』という事
本音とは
本当の音色(ねいろ)。転じて、本心(から出た言葉)嘘偽りのない本当の気持ち
本心とは
うわべだけのものでない、本当の心、本当の心。真実の気持ち
HAHAHA( ̄▽ ̄)おもしれえ
語れば語るほど『騙りに堕ちる』なぁ
私はね、その『本当』という言葉を使う人達に聞きたいよ
本心や本音、本意って『本に当ててる』訳であって、その当たった『元』となる『本の質』は?って話
本心、本意、本音の出処の元となる…
元本とは?
元本とは、いわゆる元手となるお金のことです。 収益を生み出すためのもととなる元金のことです
一発当たった本が元=『宗教本』
だから『本質』を問えば『宗教的な概念』が出てくる
信じて下さい=人が言う、人に言う=『宣教・布教』
布の教え=聖骸布=神の子、人の子の『証拠の有無の物語の主張』
その人が言うを用いると『信用』
それらの項目を束にすると『信頼』
人が言う事を用いて
人が言った項目を頼りにし
それを『信じる者』を『信者』といい
信者は『元本の本質』の『儲』となり
結果、『一発当たった大人気ペストセラー』の『本当』になる
『嘘』から出たまことしやかな『本質』
だから私は
不本意ながら、本心も本音も『分からない』と思う
決して解る事はないし、『分ける事はない』
本心も本音も本意も本当で『元はひとつ』
元本という『元手となるお金=株=ウイルス』を『布教させて蔓延』させて『感染した感染者達』の言う『信』を用いて、『束の項目』を頼りにした
『ひとつの教えを盲信』する『一神教』であり、神=示申=『心に繋がる教え』なのだから
『誰の心に統一』している教会の本心・本音、本当に『思想や意志』が染まってるんだか…
『本の質=元締めの元本』がわからない
『誰の心=神』に『ひとつに統一』してるかもわからない
この『本質』が『気持ち悪い』と感じた時から、私は本当や本質、本来という『言葉』を書いたり、『話したり』しそうになる時
『元来』と言い換えるようになった
元から来る=『自分の心の発言』に絞られる
誰かが生み出した『本の言葉の引用』なら『先人の知恵』という表現に変えた
自分から生み出している事を
「本当です!信じて下さい!!」
…って言えば言うほど
『本に当て書きした』んで、『当たった本』だって、『人が言ってた』んです!!
気持ち悪いでしょ?
信用や信頼、それは『同じ宗教や概念の互助の中』では互いに助け合う『信者の間』では成り立つけれど
元となる本質を問うた時に、その元本=元手となる金は『借りる=引用はダメ』だよと
『人は昔、金』で…と書いて『借金』
『引き寄せて用いる=同じ過ちを侵すな』と先人達は告げる
元手はなんだ?『借金(業)』か?
手元はなんだ?『信者には宗教本』がある
その本を売って『一発本を当てる』ぞ
…現代の『情報教材=バイブル=金稼ぎの聖書』である
本音で言います!本心です!本意なんです!
本当だって!信用して信頼して!
本質をついてる元の本だよ!
『一発当たった成功ノウハウマニュアル』だよ!『借金』してでも買いなよ!『引き寄せて用いる』んだよ!
語れば騙るほど『堕ちる』な〜(笑)
それが『人が言う』を盲信した『信者の儲』という『美辞麗句に醜い事』をさせているビジネス
『あなたから生まれるもの(人生体験の知恵や閃)』を、『本に当てて感謝』して『元本(借金)』に捧げなさい
気持ち悪い『本の質』だよな( -ω-゛)σ気が悪い質=『悪質』
ま、『悪』ってのは『善と表裏一体』だから、それも含めて『よくできた聖書』
『善』に盲信する者が見れば『聖書』
『悪』に加担する者が見れば『破戒対象』
『中立』から見れば『善悪表裏一体の学びの経典』
モーゼは『2つある石版(十戒)』のうち、もうひとつを見て叩き割ったんだって=『破戒』
それって『悪』じゃん?┐(´-д-`)┌どっちもどっち
さらに俯瞰から見れば…それを『引用する言葉』として使っていて『波動の気持ち悪さ』に『気づかない事自体が気持ち悪い』ので信者に関わらない
信じるか、信じないかはあなた次第です!!
『人に言うか』?『人に言わない』か?『信を用いる』かは『あなたの自己責任』てす!!
という『超絶無責任』な言葉で人を惑わす『都市伝説TERROR』の証明
元来は『元から来る』
そこに『本は無い』から元本=元手の『金』もない
金は『全』にこびりついた『二元の邪』だから
金・権力・『左右の立場』が無い=邪が無い=全=『ありのまま』
全は『上』と繋がった『王=主体性』
元から来るものは、『一であり全』
それは『繋がってる』からこそ『無限に湧き出る』
『莫迦』は『教科書のひとつ覚えの知識』しかないが
『釈迦』は『仏』と繋がり『夢幻の知恵』を生み出す
…が、それは『己の心の為』であり、己の中にある『心の中に養う衆生の為』に『救いの知恵』を与える
これは何か?
『体を労る』という事
『一の意識』は『全の細胞への影響力』を持つ
『全』になるという事はそう言う事
『一の意識が邪(悪習)』に染まれば『全が壊れ金=病気』
そんな『元=全』から来る『主体性』が『全ての守護靈=主語例=私』であるというのに
信用=人が言う事を用いる
信頼=人が言った項目の束を頼る
本意・本心・本当・本音の元となる本の質
元本の元手の借金=人は昔、金で失敗
他人の言う事を用いる
他人の言う事を頼りにする
他人が書いた本に当てる
他人が書いた本の意に忖度
他人が書いた本の質を崇拝する
これらを『他力本願の盲信』といい『信じる者は救われる』というが!それは『足元を掬われる』という『面倒』に巻き込まれる
『面』打って『倒』れて転がって『七転八倒』して、その『流れに溺れて藁』をも掴まされる。その藁とは何か?おそらく私は『盲信してきた本の束』だと思う(それにしがみつけば?浮かばれなくて溺れるだけ)
信者は『儲』、呼んで字の如く
自分が語る言葉の『引用元=引き寄せを用いる本』
その『本の質』を知らずに本質を騙るな
騙れば騙るほど、『他人を持ち上げ自分が堕ちる』ぞ?
不本意ながら本心も本音も分からない
それは全部同じ意味に都合よく『統一教会主義』
『元来』を大切に
昔の日本人は『元号』を大事にした
『厄災』があれば『元担ぎ』に『元』から変えた
それくらい『元というのは重要』なのである
カタカムナで
『本来』は 強く引き離す場の伝わり
『元来』は 強い内なる力の場の伝わり
『自分自身から湧き出る気持ち(不本意)』を引き離して『他人の言う=信用・信頼』にすがる、その流れが『本から来る教え』
元来は強い内なる力の場=『心から来る伝わり』だから、そこに他人は関係ないし、元手の本もない。『完全オリジナルのありのままの発現』
それを『声明=声を明らか』にするから知恵であり、「聞いた事ないぞ?」Σ(゚д゚;)何それオモロー!!と『神は創造性を楽しむ=神楽』
『声明と神楽』は『人の心』を通して、目に見えないエネルギーとの『繋がりを楽しむ事』
『元来』、そんなもんであり(自然)
『本来(不自然)』ではないんだよ=不本意
『意識』して『観測』すべきは『本・物語・聖書』に不らず
『元=自然から来るエネルギー・体感・閃き』を発現しよう(๑•̀ㅂ•́)و✧
『無意識にしみついた言葉』だから、気をつけないと、知らない内に自分が『大切なエネルギーを手放してしまっている』のだと、宿した『先祖の靈』の誰かは教えてくれたよ(。-人-。)有難い
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