好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

羨ましいと裏疾しい 次の羊か、羊の次か?

羨ましいという漢字と音の響き、次の羊か?羊の次か?捉え方によっては裏疾しい話

羨ましい

他の人が自分より恵まれているように見えて、自分もそうならよいのにという気持

疚しい・疾しい

良心に恥じるところがあって気がひける。後ろ暗い。もどかしい、不満やあせりを感じる

人を羨ましいと思う感情は、手に入らない『不満やあせり』と気づいた時、良心に恥じて・・でも求めて『妬みや嫉妬』という『疾しい感情』が生まれる

そんな手に入らないものを与えてやろう
その代わり、自由という代償と犠牲を払ってもらう

ひつじ

羊飼いの羊になる=『次の羊』=羨→裏疾しい・病む=疾病

羨ましいが嫉妬ではなく『憧れ』となり今のままの自分では手に入れられないと『今の羊』という『与えられる環境』から『次へ』と自力で離れていく

『羊の次』へ向かう力=羨ましい

それを目の当たりにする者は羨ましいと『後を追う』だろう

うらやましい・うらやむ
疾しいと病む=疾病

人や動物の心や体に不調または不都合が生じた状態

本当に『病は気から』だと思う

コロナ禍で『人を不安』にして大儲け
ワクチンで『人を実験体』にして大儲け
『種を不妊』にして種を買わせて大儲け
遺伝子を『元に戻す力を破壊』して遺伝子組み換えで大儲け
体や自然の菌に悪影響の『電磁波』ばら撒いて『電磁波遮断グッズ』で大儲け

これで儲けている『ヒトデナシ』を見て「金が稼げるんだったら、地位を得られるのだったらそれをやりたい!」と憧れるなら

『そういう立場』になる為に『ヒトデナシ』になる
という『魂を売る犠牲』を払い『次の羊(傀儡)』となっていく

裏は疾しい・裏は心が病む=疾病で結局は『満たされないし逃げられない』
『造られた平和』と『与えられた範囲のスポンサーの威光』に従う事で得られる『偽りの幸せ』

私はそれを羨ましいとは思わない

『表は綺麗ごとの建前』で『裏は心が病むような汚い事が横行』して、それを『結託してみて見ぬふり』をして『闇と病み』で満たされている裏は『疾病』ばかり

もうそんな『羊は卒業』して『次』へ行くためにめきめきと『頭角』を現して、そこから都合のいい常識や概念の『策・柵を壊して』自由意志で出ていく『スケープゴート(山羊)』

1<moneyと書いてmonkeyなペテンマジックのお話

夢現の現夢の世迷い事 アメリカンドリームのアナグラム

雨翔流閃 羊飼いと山羊と預言者…

Majesticな地平線上の寸劇=時の代わり目

そうなる為に先人達は『言葉を遺して』くれている
それが『読み解ける望』を遺してくれている

望とは

そうありたい、そうなってほしいと心に思うことや欲すること

・・だけではない

『亡』き『月』の『王』
失われた臓器の自由意志

『足りない何かを求める力』そのもの

だから『異性=異なる性質のエネルギーに惹かれる法則』がある。陰と陽も光と闇も上も下も左も右も『相対性』とはもともと分離なき『同一』

人を愛して学ぶ相対性から生まれる太陽同一性理論

もともとひとつを『定義』で分けて『線引き』して『境目』を作ったから『方角・方向』という『法則』が生まれた

基準がゼロ・中心・『真』でそれ以外を『偽・人の為の定義』にする

ならば今は亡き=前は有った・『当たる前』だった
『失われた月の王』とは・・『欠けた足りない性質』とは?

月は漢字では体の臓器=『体内』にある

それが『失われた臓器』と考えれば王とはそれらを『管理・支配する決定権のDNA』そのもの。王の命令は絶対だと考えた時、『王の様』が『国や民に反映』される(DNA設計図)

『願望』は心の内側の『好奇心』を満たすために
『羨望』は外側の『物質(欲・景色)』を手に入れる為に

『意識』が向けられる『次』の方向が違う

前者は『王』が『国や民の為』を思って『理想の設計』を行うので、どんどん『足りないものが満たされて』心の溝や隙間が埋まっていく

後者は『手に入らないもの』を延々と『嫉妬と妬みで奪い奪われ』を繰り返して、心の溝が広がり心も体も『穴だらけのスカスカヤコブ病』で『疾病していく』

私は前者で、その『効果と恩恵』を実感している

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

羨のつく漢字は限られている

羨望

自らの持たない優れた特質、業績財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である。羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある

羨道・羨門

横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部を結ぶトンネル状の部分をさし,入口を羨門という。通常は玄室より幅や高さが小さい

ふむ・・やはり実におもしろい

羨望に関しては、先にまとめたようにどんどん心の溝が深まり、穴だらけになり、元の自分自身すら見失って『自己肯定感の低下』につながる為に

『ブランドで身を固めよう』と『虎の威を借る狐』をしたり、本当の自分を隠す為に『猫を被ったり』と『無い物ねだり』をするのに『自分を犠牲』にして『苦痛』を伴う

羨道と羨門に関しては、『墓場に限定』される『特殊な条件』が伴う。まるで、『悪夢を見た時』しか使わない一級漢字の『魘』と同じパターン

カタカムナ41首 魘されるは真理

『墓場と羊』から結びつくのは『羊飼いのキリスト』であり、なぜか『羊たちの罪をかぶって犠牲』になった存在

それは『羊飼い』が羊たちを『支配者の求めない方向に羨道しよう』としたからではないのか?

後ろ向きでマイナスの『レッテルワードの解釈』は支配者にとって『都合か悪い言葉の変換』

『羊』を『次の門』へ、『羊』を『次の道』へと導く『裏切りの羊飼い』という役目の『スケープゴート』による抜け道の『エスケープゴート』

そうだよ!そもそもキリスト意識は『犠牲』を選ばない

救いも洗脳という執着の終着

そしてこの横穴式石室や横穴墓などの玄室と外部を結ぶ『トンネル状』の部分というのもとても意味深で、『磔後のキリスト』は生きていて『逃げる道』があった・・それを『先導する者たち』がいた

という『解釈』ができるならば、のちにその道が『希望への脱出経路』として『名が体』になっていたとしてもなんら不思議ではない

死後にキリスト復活劇とは

①『偽物(身代わり)』にすり替わって『本人は脱出』した
②本人に逃げられたから『偽物を代役』としたてた

『墓場』と『羊』と『次の門と道』
そこから『復活した存在』はみんなの『羨望の的』になった

良く(信仰)も悪く(嫉妬)も

さて、そんな『裏』を知って、『羨ましいか?キリスト(犠牲)』になりたいか?

表の建前は『美辞麗句のレトリック』で『綺麗な白』を着飾っても、その裏は『闇・病み』の厚く塗り固めた『都合のいい盲信の裏疾しい』事ばかり

最後にカタカムナの言霊ロジックでも確認してみよう

うらやましい
生まれた場の飽和した需要の示しが伝わる

『欲が現実化』してそこに定着している=物質・具現化した『需要から伝わるエネルギー』
「いいなぁ~ほしいなぁ~」という目に見える物への『無い物ねだりの物欲』

意欲と好奇心ならば、それを内側から引き離す流れを生み出すが
物欲と執着心ならば、それを内側に引き離す流れを生み出す(独占)

『うらやましい』という言葉の二面性は漢字で感じるエネルギー
次の羊か?羊の次か?『裏』を読めば『疾しい事』から離れる事ができる

そしておもしろい事に・・羊の次から始まるキーワードに
次の女=姿から姿勢へとキリスト→マリアへ繋がっていく不思議があるんですよ

姿と姿勢の漢字に隠された死生観の真理

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top