一切皆苦なのか、なぜ私はそれを1切皆9と読みとったのか、どうして、報道の自由を洞察して解釈したのか?一線超えて外から柵・策を壊しても和を以て貴しと寝起き閃きで完全に理解した
放心して観念して意識飛んで閃きへ
前回、この記事を書いた直後に、読み直していたら意識が完全に飛んだ
そして戻ってきて、なぜこの記事を書いたのか、これも新たな観点に至る過程に必然の生みの苦しみだったとわかった
上記の記事で私は、門の中という界隈=コミュニティ・世界を『四角』と表現し、その四隅の極点は中央の円からみれば死角のデットゾーンとして
四角の中に丸が有るという構図を説明した
これはいうなれば、『柵』を立てて『羊を円の中』に集めて『逃げていかない策』であり、羊飼いシステム
その『四角の中に与えられた円』の中の『不自由な自由の羊』
それに『気づくきっかけ』が四角の柵と外接する『一点の位置』
それは『一線』を見つける事
その『点』から繋がる『線』のほうにまっすぐ進むと『角・極点』にぶつかる。そして今度は『違う方向に線』がつながり、進んでいけば『元の位置』に戻る
その結果、この世界は『円』ではなく『四角』だと気づく。口達者に口封じの都合のいい科学や物理というルールで極からは引き離して真ん中に追いやる羊飼い
『山羊』は『頭角』を現せば、『柵』を壊して『自力で外へ』逃げ出す
頭角を現すのは『角・極点・極端・支配・束縛されている』と気づいたから
・・と、視点を騙されている『四角の中の門下生』に対して「自力で目覚めろ!」というレベルに落していたから、『重要なまとめ』まで至らないで精神力が途切れた(ヽ”ω`)
今回は、その上記のまとめ
一切皆苦と1切皆9と点から線を繋ぐ一線を越える者
『皆』は『苦しみ』の中にある
百鬼夜行とは、一白夜行=『一人の傀儡』となるとまとめ
この無垢で従順な何も知らない子供を連れて行く『ハーメルンの笛吹』のような『皆』をまとめて『円の丸に誘導』するのが四角の牧場管理の『羊飼いの犬=忠実な門下生の先導・扇動』のエネルギー
しかし、その円から『一点』だけ切り離される・切り離すもの=『進む方向が変わる=変わり者』がいる
そいつはなんで、「皆の方向にいかないのか?」簡単な事で、『一期一会』の『円の外の線と繋がる点』を見つけてしまったから
「この『点』は・・なんでだろう?どこに続くのか?」と『1』はなぜ?と探求=『足りない9』を求める=『十分』になりたいから
『四角の中の円』だからこそ、『四点』だけ『円と外接する点』がある
そこで『支配者が気づいてほしくない死角(デットスペース)』に繋がる点を、『極端』まで進み、また『方向を変えて極端』まで進み・・端から端まで『四隅』を回って『元の位置』に戻った時に気づく
ここは『柵』に覆われて『自由ではない限られた空間』だと、それを『口達者』な奴らが『口裏』合わせして『口封じ』している事を教えない
と、『外に繋がる点と点』を結んで『線』にして、『全体像のパズル』が解けて、『柵という策』を見抜いて『頭角』を現して出ていくのが『自由な山羊』
そして『策・柵』を壊した時点で『一線』を超えている
ここで『一切皆苦』と『1切皆9』という『役割の分離』を今回の図によるエネルギーの流れで読み解けば
『1切』は『円の外と外接』している『点を見つける役目=一期一会に気づく意識』
『皆9』とは、皆は『真ん中』に追い立てられ集められる『球体(78)』である
四隅の角、『四点を護る四聖獣か四天王』がいるのは『死角』(円からは見えない22の思惑)
これが『22:78』、地球支配=cubeの構図
だから、私がずっと気になっていた、『外接円の一点』・・そこから始まった『点と点を繋ぐ旅』の始まりの『22を超えていけ』という書物のタイトルの文字通り『支配からの卒業』を意味していた
あの時、『直感』と勢いで決めた『タイトルや解釈』も全て、『今日の気づきへの導線』だった
最後の『22の師匠の夢』では、「一番うまい所(4)だけ食う!」という教えの心象風景の中でも『人の柵・策の計画を阻止』していた
つまりは『柵・策』を壊せば、『死角も遮りもない』ため、円は解放され『行きたい方向に拡大』して広がる。『遮り』が無くなる事で、『元来進むべき方向』へと『縁』が広がる
縁(円)の下の力持ち=外から中を護るアトラス=巨人=大人であり
罪を憎んで人を憎まず=『人の悪だくみの策』を生まれる前に壊せば加害も被害も『人への害は無い』
『過度(角)の差』を取って『渡す』=和を以て貴しとなす
今まで『和を以て貴し』を格差を取って和を足す、『足し引き』だと考えていたが、『元々が和』だったものが『四角』に遮られ『不自由』になっていたなら
その『囲みの柵・策を除去』すれば『自然に丸』だけ残る
その『皆9の球体』を『四角から解放』するきっかけが、ただの『一点という位置』が気になった『変わり者』。『集合体という世間の流れ』から『一切、一抜けした者』が、『点』をたどって『線』を行く先人
その線人を追うもまた仙人・・既に過去に書いてた事が引き出しとして見つかる不思議(笑)
円の中・地球という『目に見える球体に光』が当たるなら
円の外・死角という『目に見えない闇の空間』を手探りで辿る
その『死角の極点』を辿った生き様が『四角の柵』という『策を露呈』していくと、その線=『一線の向こうが気になる者達』が続々と線を辿って追ってくる
志半ばで『先人が倒れている軌跡』を見つけ、『先祖供養』して意志を宿して役目を継ぎ『四角に囚われている球体』だという事を示す
その先人の言葉が
口は『禍』の元
口で『丸め』込まれる
これこそ『四角の中の球体』
『22の死角』に囚われた『囚人』であり『78の円』
それに気づくのは『皆・白に比べる=百鬼=一白鬼夜行』から離れた『一の仏』(ほっとけ)
報道の自由とは『幸せに反する道』と書き、それは『報いを受ける業』の道
『伝えるも伝えないも自由』だが、伝えるためには『口』を開かなければいけない
口=四角・死角・視覚を開く=『一線』を超えて『目覚める』
目覚めるとは、『自由』だと思い込まされてきた『策の柵』から出る事
だから、『社会不適合者』になるが、その社会は『不自由に支配された社会』だから、『適応・適合』する事が『問題』だ。そこは『被害者と加害者』を生む勝負や競争の『奪い愛』の『害悪な世界』
そこにいたければどうぞ、『奴隷支配の口封じされた囚人生活』を続けてくださいと
四角という『ベールが露呈』するのは、『山羊が頭角を現した一時=策・柵を壊した』であり、その時に、気づかないとまた『ベール』で被われ『四角は死角』に隠される
与えられた概念・常識・ルールを決めて『流布する役目の資格(地位・権力)』
それが四角の死角の『闇の22』に潜んでいる事を知る
『極端・角(過度)』を知れば、『興味』は無くなって、どうせそっちは『それ以上無い』から気にしても生はないと『進む方向』が変わる
それを『4回』繰り返せば、『元の位置』に戻る『よみがえり』
4を見て帰る、世を見て帰る、甦る=更に生きる
『黄泉の世界』を『意識が旅』して、『死中に再び生きる活』を見出す
『始まりの点』が『終わりの点』とわかる事で、『スペース・空間・宇宙』が感じとれるようになる
『22の支配』にとって『都合のいい78の球体』に与えられる『宇宙(NASA)という概念』ではない
少なくとも『球体の外の点から繋がる線』を手探りで『闇を進む意識体』だけの『夢の多次元世界体験』をしてきた時点で、ここは『四角・視覚という一つの空間』であり、『極の端』を知る事で『小さい』と感じた
この『認知感覚が有る』という事は、もっと『大きな空間を体験している事』によって、その『柵・策』はとても『脆弱で簡単に決壊』する張りぼて
なんて『精神性が幼い子供だまし』なんだと┐(´д`)┌ヤレヤレ
なんなら、『自力で逃げられるようにハードルが低く』なっているような・・と思うほど『お粗末』なもので・・どうしてこんだけ『わかりやすくなってる』のに
『違和感』や『間違い』に気づかないんだろう?どうやったら気づかせられるんだ??もうこれ以上『レベル=高度=波動』落とせないぞ・・・(;´・ω・)
と、『鹿のシンクロニシティ』は『馬鹿な事=情けは人の為に非ず』をするなと私に伝えている気がする
でも『ほっとけない』から『まだ仏になれない』のだろう 人間だもの(゚∀゚)369 Σ(゚Д゚)
あと、人為的な策・不自然な概念の柵を取っ払うのが楽しい『妙見狸の訳詞如来』は次回もまた『天変地異の嘘』をひとつ説法しよう( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
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