どちらかを選ぶ二者択一と二天一流の奥義。人事を尽くして天命を待つものと、天命を知り人事を尽くす者の観測する世界は違うという、武蔵は無差死というお話
二者択一とは
二つのうちからどちらか一方だけを選び取ること
閃きできた二者択一とは『二人』と書いて『天が一つ』である
どちらを選ぼうとそれは『人事』
結果は『天=二人』のみぞ知る
そしてその後に、来た閃きは
二天一流
誤解の無いように、一般的に言われる『二天一流』を先に伝えておく
宮本武蔵の父・新免無二(當理流関係の文献には宮本無二之助藤原一真・宮本無二斎藤原一真)は、實手・二刀流などを含む當理流(肥後系の伝承)または無二流(筑前系の伝承)の使い手だったが、武蔵はそれを発展させ流名を円明流に改めたという。[要出典]晩年、伝えていた一刀、二刀、實手など多くの形を捨て、[要出典]右手に大太刀、左手に小太刀の二刀を用いる五つのおもて「五方」の五本にまとめ上げ、その兵法理念を『五輪書』に書き表した。『五輪書』では流名は二刀一流・二天一流の二つが用いられているが最終的には二天一流になったと考えられる
非常に面白いのが、『円明流』表現で、これは後に説明する事に大きく関係してくるワードではあるが・・それを『まったく知らない私』に降りてきた閃きは・・
『二つの命運』が同時にある時、『一つの流れ』を自ら選択する
『天命』を知って『人事』を尽くす
『勝負』という二元性には『過程』がどうなろうと『結果』が決まってる
どちらかが『死に』
どちらかが『生き残る』
『二者択一の意識』の者は天命が分からないから『結果は分からない』
『二天一流の意識』の者は天命が分かってるから『結果が分かってる』
これは『天命』を持つ者は『死ぬ時』が来るまで『死なない』
どんな『因果』か『過程』はわからないが、『天命=宿業を果たす授命が尽きる』まで、その者の『観測する意識の世界では死なない』という不確定性原理がある
『ここで死ぬ事は無い』と分かってる者と
『ここで死ぬかやって見ないと』分からない者が
『命を分かつ勝負』をしたら『結果』は分かってる
やって見ないと分からない者が『勝った!』という『ひとつの天命を意識させて観測』させる、その『夢の世界に相手の意識』を送る
そして自らは『勝つべくして勝つ』という『天命を果たす世界を意識して観測』する
ここでそれぞれが『違う世界』に意識が離れる『決別』が起きる
多次元解釈における
① AとBが勝負をする空間
② Aが勝った空間
③ Bが勝った空間
これらはそれぞれ『違う世界』であり、『それぞれが望んだ世界』へと『意識の観測が決別』する
ある意味で『幸せな夢』を見せるそれが『二天一流』
ここは『武蔵が勝って名を遺した世界線』であり、『武蔵に挑んで倒した者達が剣豪として名を馳せた世界』も『それぞれある』というだけの話
二者択一とはどちらを選んでも『可能性の世界』を『意識が観測する決別』
二天一流からすれば、『どちらを観測』したいか?『自由意志で決められること』であり、『意志を自由』にすれば『心』に既に『観測すべき方向性の導き=結果』がある
『一つの流れ』になるのは『目』に見えている
だから『人事を尽くして天命を待つ』とは『天命に望む事』は既に決まっているのだから、叶った後の『天命=宿業=授命を全うする世界』を意識して観測する事
それを『叶える目的は何か?』に意識を向けて、素直に『今の心を観る=観念』
勝負をする時、『生き延びたい時』にこういう
「諦めるな!」
しかし、『あきらめが肝心』なのだ
『観念』した『明目(あきらめ)』が『肝の心=大事の心』
『今の心を観る』とは『明らか』を『目』にする
=結果は明らかだ=『もう分かってる』
『天命』尽きて死ぬ時は『死ぬ』
天命=『授命=やるべき使命』があるなら『生き延びる』
二者択一はどちらか一つを選ぶのではなく『二人=天の一択』
二天一流はその『天の一択』を『二人』がそれぞれ『決別して観測』する
勝負は『二元性の結果』だが『勝ちと勝ち』に『価値を分け合えば』いい
『同じ空間』ではそれは叶わないが『死が二人=天を分かつ時=一人』にそれは叶う
互いに『目の前の存在』は無くなる=『生涯、障害』と出逢うことは無い『別の世界』へ
それぞれが『死後の世界』へ旅立つ
『四次元(量子不確定)』から『五次元(量子確定)』へと生まれる
まさに『宿業を果たす』時まで『無敵の達観』
しかしその為に『生涯』をかけた『人事の武者修行』
武者修行ではなく、『無者修行』
無は有無=『真空から生まれる可能性』
その『修行の果て』に遺した『五輪書』に書かれた『二天一流』という『言霊』にした奥義
武蔵は『無差志』だったのか
剣豪・剣客として『名を馳せる事』が目的ではなく、自らが強さを求め、そして『強さを求める者を引き寄せる役目』
その『無差志』に『二天一流』で葬られた者は、「武蔵に勝った!!」という『無差死なき死後の世界』へ
武蔵は当然『勝つのは分かってる』が、強さを求めて挑んできた者に『達成感を与えて別世界に送る』という
結果が分からない『二者択一の人事』に『勝ちの価値』を与えて、『天命を授けた世界=夢』を見せる
『苦しむ事なくあの世へ送る』とこの世の『負けの業』が残らないで『満足して成仏』する
苦しまないように『一想い』で仕留める
『一つの想い出』、『死』を止める
「あの大剣豪の武蔵に勝った!!俺の人生は無駄じゃなかった!苦労は報われた(´∀`)」
という『幸せな夢を見る満足の想い出』
…という『二者択一』で挑んで見たら、『二天一流』で『満足して成仏した先人の知恵』なのか知らんが…
武蔵が遺した五輪の書の奥義を、『一想い出死止められた(体験)した側の解説』だったとしたら、その観点はまさに、『あきらめの境地』
明らかな目、『日』を見るより明らか
『明日』じゃなくて『今の心』を観りゃわかる=観念
『別世界』から見れば『勝ち負け』なんて『観たい世界の観測対象が違う』だけの話。武蔵は『強さを求めて挑んで来た者』に『無差死の引導』を渡していた
『死に差など無い』のだと『一想い出』、『死』止めて『幸せな夢の世界』を見せる役目
『剣豪という強さを求める業の頂点』に、その『業を解消=明らめ』させる『無差死の二天一流=成仏』があった
『幸せな夢=求めた世界(勝ち)の続き』を与える死。それは『新たな始まりへの引導』であり、
まさに『円明流』=『円・縁は明らかな巡る流れ』である、『延命=命を先送り』にする
その世界には生涯、障害となる『武蔵はいない』のだから『無敵の剣豪となる夢を叶える』だろう
「死に差は無いのである」 by無差志=差取った志(´-ω-)Σ(゚д゚;)死後の武蔵評論家?!
引導を渡す、『人を導く』とは難しいものだ
相手に『幸せな夢を見せる死』か…『命』を賭けて『名を上げる勝ちの価値』にこだわる『剣豪世界』なら、その者の求める幸せ=『負けて上げる(成仏・引導)』『価値(勝ち)を譲る』は
『無敗の剣豪を倒した』という『悲願=彼岸を達成』させればいいと単純だったが・・今の時代の幸せの価値観は…『多様性』と言うなのカオス・混沌の世
何で混沌の時代なのかよくわかった
何をすれば『心は浮かばれる』のか?
何をすれば『意識は救われる』のか?
助けに来た=『足す氣』が来た=渡しの『和多志』が来た(/・ω・)/Σ(゚Д゚)オールマイト
そんな『先人達の靈』は、『引導を渡したい』が分からない(分別できない)事だらけ┐(´-д-`)┌なんじゃこの空間、『欲望だらけ』なのに『明確な欲』が無い『不確定で不安定』だらけ
ゆえに『コロナプランデミック』は『亡者(魂・目的・役目を見失った迷子)』となった浮かばれない者に『引導を渡す先人達が迎えに来た』ともいえる。と同時に『生き残る者達への導き』でもあった
だから『心に素直』な『巫』に宿り覡(見る)
『今の心を観る=観念』すると、そこには…
(*」´□`)」待ってたぜ!この世(現実)の事を教えてくれ Σ(゚д゚;)先に誰かいる?!
潜在意識ではなく、『先在意識』だという話はまた今度・・
…そして今日もなう(2024/10/29 05:39:02)
勘弁してくれや_| ̄|○2時半くらいに寝ようと布団入ったのに、そのタイミングでこんな面白い話聞かされたら…
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