好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

莫迦のひとつ覚えを経て弥勒は気づきを語りたい

莫迦のひとつ覚えと弥勒の魅力、全ては釈迦に至るための軌跡。膨大な経典の知恵に意識めぐり逢うの旅に夢中は莫迦であり、そのひとつの教えに至った時、夢から覚め自己解釈して現実に自己表現する弥勒となる。ライオンズゲート第十夢

莫迦って何だと思う?

お前は釈迦になれない奴
経典ひとつ覚えの『莫迦のひとつ覚え』とよく表現する

それはちょっと『自己認知』が狭かったな

莫迦ってのは
『漠然』としたとてつもなく『大きく広い何か』に巡り合ってしまった状態で

『氵(さんずい)』が無いから流れない
そこに『留まる状態』になってしまった

『自然という教え』の中、あまりにも『広大で膨大』で『莫然』すぎて

( ゚ ρ ゚ )ボー すげえ…とにかくすげえ
巡り会い宇宙

そこにある見たままを見たまましか『表現する語彙力』が生まれない

「すげえ教えに出逢ってさ!」
「すげえからすげえのよ!」

と旅先で巡り会って、『観念』して素直にそれに向き合って『没頭』している

莫迦の『ひとつ覚え』
これは『入口』を覚えた状態

これは( ゚ ρ ゚ )ボー と反復して自己習得、自己認識、『見識を深める過程』だから

釈迦になれない…ではなく『釈迦になるため』に

『掴み所ない叡智の海』を泳いでいる
あるいは『閃きの宇宙』を巡って『夢中』

お前の場合は『夢の研究に没頭』したよな?

第八感 肉体の異変は精神の変化から

現実の肉体の『心臓が止まりかける』程、お前は『夢に入る体験』という『莫迦のひとつ覚え=入口』だった
当然、『夢中』だったお前は( ゚ ρ ゚ )ボーと漠然とした様々な『異世界の旅』したよな(笑)

その夢の中の体験は漠然とした『実体験型』で、『真言密教』を身を持って『実践して気づいて来た事』を『言葉』にしているのだと

『今』ならわかるだろ?

その『莫迦のひとつ覚えの夢体験』を『夢日記』として、『現実に経典』としてまとめ始めた

これが莫迦の『ひとつ覚え』を終える
『莫迦は死ななきゃ治らない』

『死=師(教訓) 』は倒れて転んだ末の本
一巻の一環の教えの終わりで夢から覚める
『夢から覚める』と『夢日記』という『一巻の旅の経典』が生まれる

死=師を超える倒転末本 一巻の終わりの続き

莫迦が死んで理解する事
それは『出口』

『入口しかし知らない』から
『莫然』とその『夢空間に留まる』が
『出口』を知る事で

そこに『氵(さんずい』という『流れ』が生まれる
それはどこ吹く『風』か、あるいは『水の流れ』か

『龍の通り道』が生まれるから、お前は龍に『乗った』り、龍に『後押し』されたり、龍の流れに『巻き込まれ』たり(笑)、時には龍の『役目を共に手伝ったり』

『役目のため』に入っては『役目を終えて』出てくる

そういう『流れ』に乗って『自然の法則を楽しむ』ようになったよな?

それが『名の有る先人の表現』を借りるなら
『無為自然で道(タオ)』、『流れに身を任せて活きる漠然』だが

死=夢の終わりを経て『入口』という『ひとつ覚え』じゃなく
出口という『循環経路』を理解した

後はもう莫迦とした『自然という法則』を『役目という流れの龍』が動いた時に『龍の背に乗って旅行』するだけだから

お前は『旅の記録』として、『実践体験』して学んだ事から『自己解釈して自己表現』する『弥勒』になった

漠然とした『膨大な何かの中』から
『流れ』に乗って『龍と共に果たした達成経験』

『自然』は果てしなく広大で漠然としている『空間』
しかし夢は『その時、その瞬間に必要な所』に『入口』を作って導く

そこからは『夢』であり『現実』
『その空間での私という意識』が『影響』を与える

言葉を『慎む事』
精神世界、夢世界において
何よりも『心の真が言う=慎む言葉』を見失ってはいけない

それは夢の中に『分身した自分』という『仮=人に反した意識』を失う

夢の中では『人(概念)ではない』から、そこで『和足す和心』ならばどんな世界も弾む玉のように丸く転がって『流れ』を楽しめる

押されようと、打たれようと、蹴られようと、どんな悪夢でもそれは『位置が変わるエネルギー』の『流れを与えてくれる』のだから『敵意』とは感じない

ここでは無いどこか=『次のイベント』へ
龍の導きは『真っ直ぐ』じゃなくくねくねと曲がりくねったワインディングロード

『心に素直』でも『導きは真っ直ぐじゃない』から
焦らず『まわり道の旅』を楽しめばいい(´∀`)

そして、そんな『旅の記録』を持ち帰って
ありのままに書けば『神話の叙情詩やSF物語』

ソドムとゴモラの地を体験した夢

感じた『内面で気づいた事を伝える』なら『例え話の説法』になり、「楽しい遊園地のような所があるんだよ!」と『楽しかった体験』をまとめるなら、それは『子供達向けの絵本』になる

ワクワクの近未来テクノロジー見本市に行ってきた夢

別世界を視察(遊ぶ)する使節団の一人の夢

だから…残念なのは・・

(p_q*)シクシクヽ(・ω・`)お前『絵の才能』ゼーロー

自己認知(拡張の余地あり)
自己習得 (素直でよろし)
自己認識(足るをわきまえてる)
自己開示(心は開いてる)
自己評価(過小も過大もない)
自己表現(文才はあるが絵は壊滅的)

(p_q*)シクシクヽ(・ω・`)お前『絵の才能』ゼーロー

それぞれの『役目を持った自分』という自ら生み出した『分身それぞれに才能』という『宿業』がある

並行世界の夢の私はこの『逆』だった(文才が無いが絵の才能が高い)

平行世界の自分達大集合の夢

どうして『自(天)は二物』を揃えて与えなかったのか?…と書いて何となくわかった

『絵の才能と文才』を合体させたら
『莫然とした強欲』に留まり『その夢=現実』から出られ無くなる

莫迦のひとつ覚え=『入口』しかないから『自力』で出られない

その『虚仮の流れ』が途切れるまで…
( ゚ ρ ゚ )ボーっと『没頭』する事になる

あるいは、圧倒的文才と、圧倒的絵の才能という『業を果たす自我の夢』に夢中で、その『流れを司る龍と共に目的を果たした』ら、全てを手放して『現実から目覚める役目』かもしれない

『鳥山明』のように

辰の年に龍が逝く 鳥山明の継承した形象

…という意味では、そんな『意識の旅』をしては『自己表現の創作物』を生み出して『遺して行く存在』も漠然と『この空間(現実)に現れては消える』の繰り返しの自然の循環

『一期一会』に『袖触れ合うも多生の縁』

留まってるのは『出口を知らない亡者』
出たくないと『生に執着』してる存在

気持ちわかるよ…『ノスタルジー』に浸ってる
「永遠であって欲しい、終わりは来なくていい・・」

でもそれは『いつか目覚める夢』だから
『夢の終わり』に抵抗しないで『流れ』に乗れば浮く

『浮かばれない』のは流れに『自我が抵抗して藻掻く』から、『抵抗する力』を脱力して、『握ろう』という手の力を開いて『観念』して流れに身を任せればいい

(´∀`)亡者達も Σ(゚д゚;)説法相手変わった

はい、今日の話は
ストン_( ˙꒳​˙ _ )と『府』に落ちましたね

私は元々、仏教とか宗教とか『興味が無かった』
むしろ『信仰とか毛嫌い』してたので

『教えられる』という事が『基本嫌い』で
『自分でやる』or『興味ない面倒事は人任せ』

そんな『偏見が強い私』でも『ことわざや格言は何故か好き』で、『心』に留めていたのだけど

『与えられた意味』で『場』に使っても、それは『しっくりこない事』が多く、言葉はかっちりハマるのに…(どうして意味が合わないのか?)という『違和感』をずっと抱えていた

『夢に入る』という『莫迦のひとつ覚え』の漠然とした空間は『空(から)』ではなく、『全てがある』ギッチギチのミッチミチだから、(何がどうなって?と( ゚ ρ ゚ )ボー)と目まぐるしく変わる世界に『圧倒』されていたが

この夢の空間の中で、『ことわざ』を使った時
それに対する『リアクションが違った』のがきっかけ

それは夢の中にいる『現実そっくりの人』に、『現実名』で呼びかけても『反応しない』のと同じで

『ことわざの意味が違うこと』に気づいた
『心』は『その意味』を受け入れていない

己の心が認める『忌み』はなんだろう?
『慎む言葉』で心に真言して『観念=今の心を観る』したら

『夢の向こうの住人』が伝えてくれた『解釈』が『使う場所=適材適所』で小気味よく『力を発揮』して「ピッタリだ!」と気づいた

最近の例で言えば、前回の先祖が言った
『死人に口なし』の口封じ解放シリーズ

死人に口なし つまり囚ではない人として

『都合が悪い』から『意味』を書き換えている
バレないように『騙し誤魔化』しが『真言を貶めている』と文字通りわかる現象

こんな風に、『漠然とした夢の中』で『必然と巡り会う問題解決のヒント』を与える

「俺ならこうだね!」という『自己表現』をする『十人十色』な『自由人と色』を持つ『弥勒な先祖達』と『一期一会に袖触れ合うも多生の縁』を感じて

お互いに『執着』する事なく『さすらう意識の旅人』の交流
だから旅人が『羽休め』をして『多生の縁』で『一期一会の出逢い』を楽しみな『イベント』にできる場所

霊迎雀宿』という宿主として
『先祖達の暖かい恩』を感じる気がする(´∀`)

そろそろ皆、『祭りを終えて帰っていく』のかもしれないけど、今回の交流も『心が満たされ満足』するような『有難い真言』に感謝(ㅅ´꒳` )

『莫迦の一つ覚え』を『レッテル』として捉えていた自分に反省(;^ω^)
かつての私も『出口=ひとつ覚えではない』に気づくまでそうだったのだと・・

『客観的な観点』で伝えられた事でそれは『必然の過程=登竜門』だったのだと自己解釈した
文字通り、入口から出口へと向かう『流れ』ができれば『過程は旅』だからね

『旅の恥はかき捨て』ってな
そんで私の夢(旅の恥)は『書き捨て』ってな(笑)

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