さすらいとさまよい、この言葉にも重さと軽さ、自由と不自由なエネルギーが込められていたと感じる漢字で気づくお話
たまたま流れてきた さすらい
また庭の山菜のふきが取れたので下処理中暇なので、適当に音楽をかけていると、さすらいのスピッツバージョンがかかった
それを聴きながら、「やっぱこの颯爽とした軽やかなスピード感が旅!!って感じだよな〜」と自分の古代巨石巡りや神社巡りを思い出しながら聴いていたら…
勉強の(・ω・)c<´ロ`)ノ飯>⊂(´・ω・`)お時間です
『鬼(月)=気づき(閃き)』がきてしまったので、ふきの味噌汁を茹でてる間にこれを…φ(..)メモメモ
カタカムナと漢字で読み解く 流離うと彷徨う
カタカムナでさすらい
遮る方向に進む場の現象
さすら『う』にすると生まれる
遮る方向に進む場に生まれる
カタカムナでさまよい
遮る受容の新しい現象
さまよ『う』にすると生まれる
遮る受容が新しく生まれる
さすらう
『颯爽と軽やかに』というイメージ
さまよう
『重々しく目的もなく』というイメージ
彷徨うという漢字には
偶然にもどちらも『行にんべん』が着いている
行にんべんは『役人・行商』という意味があるので
役人の『方』
役人の『皇』
上級国民=『格差』を感じる民は
『差』迷う(何かおかしくね?)
『役人』の言う通り、『皇』の言う通り従う
『彷徨う民』とは読んで字の如く『格差に差迷う人々』
さすらうの漢字は『流離う』 らしいので
そんな役人の支配する『彷徨う民』から『流れ離れる』
だから『旅』というイメージがしっくりくる言霊エネルギーロジック
そういう意味では『さすらいの歌詞』もなかなかおもしろい
周りは『さすらわぬ人』ばっか少し気になった
『風の先の終わり』を見ていたらこうなった
『雲の形をまに受けて』しまった
これは私にとってはこれ(笑)
雲の形を『間・真』に受けてしまった=『空間・空想』
それは『風の流れ』で『先の終わり』は変わっていく=『旅路』
『流れ=龍』を追って『龍と共に』離れていく
そこに『役人』も『皇』の民が『彷徨う支配=領域』もない
流浪の自由=旅
たび の言霊は
分れる内なる根源=心
「心のままに行こう!」=旅
『場所を移動』する事ではなく『心のまま』に生きる
それは『自由な意識の旅=流離う』
と、自然の山菜を作って食べている時、私の意識は『歌』に乗って『さすらい』の中にいた
・・声質は波長の合うスピッツだが、詩は奥田民生
おくだたみお の言霊は
『奥』から引き寄り『反対』に分かれ、分れた光が『奥へ』
『心』から『湧き出た想い』が、言葉(片神名)に分かれてまた『心』へ響かせるメッセンジャー
そういえば、ユニコーン時代の『大迷惑』という曲も・・『単身赴任』という『社会の柵(しがらみ)』を訴えている事を思い出した
帰りたい、帰りたい、君はだれ、僕はどこ
あれは何、何はアレ、お金なんかはちょっとでいいのだ
それがのちに『周りはさすらわぬ人ばっか少し気になった』に繋がる
今、令和に『昭和の曲の歌詞の意味の深さ』が身に染みるという・・
この記事の下書きは5分で書けた(笑)やはり意識の旅=流離いはおもしろい(((uдu*)ゥンゥン
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