好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

弥生土器とエジプト人の足型と稲荷とINNRI

自然に導かれたような計画に無い行動で弥生土器文化の痕跡に残る水瓶とエジプト人の特徴の足型に導かれ・・稲荷とINNRI、ドラヴィダ人、タミル語、手足長族、東北のルーツの不思議を感じた旅のお話

田舎館の道の駅にたどり着く

友人とキャンプの為に浪岡に向かうついでに通り道の田舎館の道の駅に着いた

ここは若い時は『場外馬券売場』があったり、『パターゴルフ』のような娯楽目的で来ていたのだけど…今回初めて、『弥生の里』という弥生土器の出土品が保管されている『文化保存センター』がある事に気づいた

縄文土器、縄文の遺跡に関しては色々と回ったが、『弥生土器』というのは完全に『ノーマーク』だったので新鮮な気持ちで向き合う事ができた

今回はその弥生土器の保管センターにて、実際に『手で触れて感じたインスピレーション体験』と、そこで気づいた『ある特徴』から、『弥生人』とは何だったのか?を独自の観点から洞察していく

弥生の土に触れて思う足跡

この弥生の里文化保存センターというのは、広範囲の出土した土地そのものを囲い込むように建設された、まさに『空間的な封印』

またその現状保管には『液体窒素で当時のまま固めて保管する』という証拠写真から、『嘘や捏造はない!ありのまま!』という強いこだわりを感じた

その土に残されたという弥生人の足跡

気になったのは二点

『かかとの凹み』はあるが『つま先の指の踏み込んだ痕跡』が見当たらない。つま先の『足の丸み』はあるが、『指が1本ずつ分かれた』という形跡が無い

この2つから想像することは

①『踵重心の骨歩き』ができている事
②裸足ではなく『靴』のような『つま先を覆うもの』を履いていた可能性

『靴』があったとしても不思議では無いのは、東北は『極寒の地』であり『寒さを防ぐ』意味でも、『足元の防寒着は発達』しただろう(かんじき等)

またアイヌ民族は『サケの皮を使って靴』を作っていたというのだから、何かしらの『皮素材』を使って靴を作っていても不思議では無い

そうなると…意図せずに『足の形が変わる矯正が起きた世代』ともいえなくは無い

確か中国の皇族の女性は足が牛の足のようになる矯正靴を履いていて足の形が変だったとか

纏足とは、前近代の中国で行われた、女性の足を布で縛り小さく変形させる慣習です

また南米かメキシコか『首長族の女性』も元々首が長いのではなく、成長に合わせて『リングを増やして行った結果長くなった』ように

①足跡が『みんな同じような形』である事
②『かかと』に力がかかってる事
③『つま先の指の跡』が無い事

ここから察するに靴の形状があっていない、もしくは靴の形に指が押し付けられ、自律的に『指先を動かしにくく機能が退化』した

と、考えると自発的に『足先の指を動かせる人』と『動かせない人の差』と捉えた時、エジプト型の足形が多いと感じた

日本人に最も多い足型は「エジプト型」であり、親指が最も長く、そこから小指に向かって徐々に短くなるのが特徴です。約70~80%の日本人がこのタイプであると言われています

私の足も『エジプト型』で、足先の指はあまり思い通りに動かせないタイプ

これが『東北の末裔の特徴』だとしたら・・(考察は後半で)

弥生土器の特徴は水瓶=古代エジプトと一致

縄文時が『儀式的で実用性が感じられない芸術仕様』なら、弥生時はそういう『遊びは模様』に変えて表面につけるも、実際は『実用性重視で滑らかに作られてる』と感じた

また実際に『触れる展示』もあり、持ち上げてみると、土とは思えないほど『乾いた木のコップ』のように見た目とは裏腹に『めちゃくちゃ軽い』

『厚みがある重厚感』よりも、『薄くて軽みがあり持ち運びやすい』
そう、この『携帯性』が縄文土器と違う点

実際にエジプトの水瓶はどうだったか?を調べると直感がドンピシャ!

これは誰がどう見ても、『弥生土器』である事から、弥生時代には『エジプト文化が入った』か・・あるいはその逆で『弥生文化がエジプトに渡った』か

そう考えるとこれが引っかかってくる

稲荷=インリ説

「稲荷=インリ説」とは、稲荷神社の名称が元々「伊奈利神社」と呼ばれていたという説と、景教(キリスト教)において「INRI」がユダヤの王ナザレのイエスを表す隠語であるという説を結びつけ、稲荷神社の神様の由来を景教に求める説を指します。

面白い考察を見つけた

稲荷神とINRIと語呂合わせ

INRIなら一神教なのに、5柱もの神様を祀っていることから、私も最初はそうだと思っていましたが・・・
狐さんがくわえている物は、稲穂、玉、鍵、巻物でした。

稲―マナ(食べ物)
玉―十戒
鍵―天国への鍵
巻物―トーラーの巻
なんて考えると、ユダヤ教やキリスト教っぽい。

『5柱の神』が気になったので調べると・・

INRI(インリ)における5柱の神様は、古神道における「別天神」と呼ばれる神々です。5柱の神々は、以下の通りです。

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)::万物の中心であり、根源となる神。
高皇産巣日神(たかみむすひのかみ)::万物生成の元で、陽の始まりを司る神。
神産巣日神(かみむすひのかみ)::万物生成の元で、陰の始まりを司る神。
宇麻志阿志詞備彦遅神(うましあしかびひこじのかみ)::陽の発展を司る神。
天之常立神(あめのとこたちのかみ)::陰の充実を司る神。
これらの神々は、宇宙や万物の生成と発展の源として祀られています。

稲荷が元で、エジプトに『INRI』として『広がったと仮定』した時、モーゼの出エジプト記に書かれた『殺戮の天使をやり過ごす為の赤い印』が確か『鳥居』だった気がする

という事は、エジプトを脱出したモーゼが辿り着いたのが、かつてINRIの元であった『稲荷』であったとするなら、『エジプト人が日本に入っていた』というのが、『弥生時代』という可能性も無くはない

弥生時代(紀元前3世紀~紀元3世紀)とエジプト文明は、時間的に大きく離れており、直接的な関係はありません。エジプト文明は紀元前3000年頃に成立し、紀元前30年頃にローマ帝国の支配下に入り、その後のヘレニズム文化へと発展しました。一方、弥生時代は日本列島で農耕生活が普及し、鉄器や青銅器が使われ始めた時代です

と、AIはまとめてきたけれど・・日本の古代の歴史は『侵略者によって破壊され改竄=神仏分離・廃物希釈』されているため、『公の書物が書き記す歴史』は鵜呑みにはできない

また弥生時代(紀元前3世紀~紀元3世紀)の時点で、縄文からの継承で『海洋交易』があり、『後のエジプト人となる先遣隊が移住していった』とするなら、祖国から遠く離れた『稲荷が元』であり、『遠い子孫が戻ってきた』とも言えなくもない

『古神道』は実はそれほどまでに『歴史が深く世界と繋がっていた』とすれば・・

余談 足長続と手長族

昭和の男性がTHEインド人で最初に思いつくのは、ストリートファイター2の『ダルシム』だろう。ダルシムの特徴は『手足が細長く伸びる』

ここで古代日本には『足長族と手長族』というのがいた事を思い出して検索すると、また面白い考察をみつけた

日本語はどこから来たのか?① 手長・足長族って?

日本語とタミル語(インドの言葉の一つです)の類似点を見つけ出したのが大野晋氏という国語学者の方です。岩波古語辞典を編纂された方らしいです。日本語の古語の専門家なのね

日本の古語の研究者なので、そもそも日本語の起源は?に興味を持たれるのは理解できますね。そして、どうやらその大野説が否定され、この本の帯によると闇に葬られてるらしい。穏やかじゃないなあ。。。

ドラヴィダ語族

手長

ドラヴィダ人というのは、かの有名なインダス文明を築いた人たちらしいです。あちらには、インダス文字ってものがありますからね。特徴としては、肌の色は黒くて背丈は低いが手足が長いとのことです。

タミル人という人もいるみたいだけど、説明を読む限りドラヴィダ人=タミル人とも読める。手長・足長族とは、日本各地、特に東北地方に多く語られている昔話に登場するらしいです。背は高くないんだけど、手足が長いという特徴があるとのこと

これらは、テナヅチ・アシナヅチを祀っているそうです。このテナヅチ・アシナヅチは、スサノオノミコトと最初に結婚したクシナダヒメのご両親。
アラハバキ族との関係もあるっぽくて、アラハバキは物部氏ともつながりがあるような。とにかく、超古代に信仰されていてその後に葬られちゃった古代の神のような気がします。

はい、『特に東北地方に多く語られている昔話に登場』

ここで・・エジプトではなく、『インド人』が出てくる訳ですね・・(びっくり)

というか、『渡来してきた』のか、『元々いた』のか、『東北=艮の金神=混人(多人種)』がった可能性もあるから、今のように明確に『国』という線引きが無い頃は、『いろんな人種がいるのが当たり前』だったのかも?

だから『信仰』とは・・『時代時代で変わる』訳で、語り伝える歴史が『騙りの嘘や改ざん』が混ざるともはやわからない・・

ま、ドラヴィダ人=インド=手足長い=『ルフィ』というワンピース的な印象も匂わせつつ・・

結論 弥生土器の特徴とエジプトが繋がる

INNRI=稲荷やエジプトからの渡来の『モーゼ=神武説』という信仰は自由にしてもらうとして・・

縄文土器と弥生土器は明らかに『用途』が違うのは見ればわかる
『持ち運びが不便な縄文土器』に対し、弥生土器は明らかに『携帯性』がある

特に『滑らか』に作っている事から『液体(水)』を入れていた可能性は高い
東北はもともと『沼地の湿地帯』が多く『水源も豊富』

また現存する『足形の特徴』となぜか『日本人はエジプト型の足が多い』
この事から、元々の日本人と渡来してきた多人種が『混血』になったとみるなら・・

弥生から派生して『海外に出た人達の子孫が後のエジプト人』だとするなら、『根源神』である『五柱の稲荷=INNRI』が『土着信仰』として引き継がれた可能性も無くはない

しかし、なぜか歴史は『艮の金神=鬼門』を封じたがる

おおもと教の出口王仁三郎=艮の金神を追う者は必要以上に弾圧を受けたり、東北で書かれた『東日流外三郡誌』も偽書扱いで『禁書』扱い

『根の元』なのか、『魂の元』なのか、言葉の音の響きは『鬼というレッテル』へと繋がる・・

コンクラーベ CONCLAVEのアナグラムは…なんと

感覚的量子論 想作と創作と捜索と錯綜・・からのまたコンクラーベ

上記の引用先の記事でも言っているように

日本語とタミル語(インドの言葉の一つです)の類似点を見つけ出したのが大野晋氏という国語学者の方
大野説が否定され、この本の帯によると闇に葬られてるらしい。穏やかじゃないなあ。。

鍵は『国語(日本語)』である

古い言葉が失われる前に、感じる漢字やことわざ、格言、熟語をしっかりと目を通して考えなさい

こうして文化は消えていく 行政で使う文字、70万→7万字

古代日本人におけるルーツの謎・・
弥生時代は『渡来の混血の時代』なのかもしれない

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