好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

世論敷くお願い志増す(忖度)と受けた周り増した(結果論)

人に頼む=他力本願の時、使う丁寧言葉として「よろしくお願いします」に対し「承りました」という返し言葉がある。・・それがエネルギーバランス的には「世論敷くお願い志増す(忖度)」と「受けた周り増した(結果論)」となっている不思議なお話

よろしくお願いします

と言う言葉は『相手』がありきで『自分』には言わない

あと、よろしく!→引き継ぎ
また、よろしく!→繰り返し

よろ?しく?4649
しくよろ?4946→よく読む?

…(´-`).。o

語尾に『お願い』が着く事から
これは相手に『頼んでいる』

そこには『共通認知の空間=世界』が生まれている
よろ=世論、しく=敷く

世論敷く=ルール・法則・流れ
お願い=忖度(上手いことやって)

さらにダメ押しの敬語
します=志増す・使増す・死増す

世論敷くお願い志増す
=ルールを忖度する志を増して?

承りました

お願いされた事め託された事を受理する言葉

これは受けた『周り増した』

敬語に敬語で『増した』(世論敷く忖度が増える)

そんな世論敷くも受けた周りも
お願い志増す(>人<;)という他力本願の受理

まさに神頼み=『加味』頼み
加える『味』が無ければ『保てない』

だから『共通の世論』敷くお願い『志増す』
受けた『周り増した』という結果論

そりゃ、『忖度』が『共通のルール』として『世論』になるわ(笑)

そこで面白いのが

『了解』しました

了とはさとる、おえる、おわる

あと世論敷く→了解です→解いて『おわり』
また世論敷く→了解しました→解いて『さとる』

世論敷くお願い志増す→解いておわり
=受けた周り(世論)が『増さない』(笑)

なんで了解は『悟って終わり』か?
それは『両解=忖度』だとわかってるから

損を託す→受け『流す=循環』

どうせ『上』もそうやって『中抜きして増す』よね?と
下請けの下請けの下請けの…と『忖度』を受けた『周り増した』の領域まで落とす

だから、「はい了解!」という言葉が口癖の奴は
世論敷く(共通)は『お願いしない』方がいいかも(笑)

ま、そもそも

『よろしく』ってなんなの?
なんで暴走族は『夜露死苦』って書くの?

夜の露の死は『苦い』の?
何を『背中』に背負ってるの?
『意味』わかってんの?

夜露の死は苦い・・それはそれで『哀愁』漂う光景
『死んだ者の無念を感じる』ような

なぜなら暴走族とは『不良=社会に虐げられた者』や『己の自由を示す反社会的行為』
『初めにその言葉を背負った者』は、本当に『民の為に圧制に抵抗した証』

「俺の背中についてこい!」という『リーダーの覚悟』かもしれないが・・

今の暴走はただ『迷惑行為』でもある
『道に迷って惑って行う為』=結果論

『天下統一』とか『全国制覇』とは『ルール』を広げ『受けた周り』に
「わかってるよな?」と『忖度を守らせる事』だろう?

結果『レジスタンス→クーデター→世論敷=都合のいい維新社会』の繰り返し
迷惑行為=迷って惑った行いの為、結果、『同じ穴の貉の争い』の結末(笑)

『和』がないね~

カタカムナの言霊で よろしく は
新しい空間の示しが引きよる

ほらな?カタカムナはエネルギーロジックを読み解く

『新しい世論敷く空間』にお願い『志増す』と『空間を示す』なら
そこに『引きよる』のは『受けた周り』が『増した結託や忖度』になる

共通・協力・信頼・信仰・団結…色んな言い方はあるけれど
『世論』敷くお願い『志増す』の『加味頼み』から始まる流れは『他力本願』

それは『行い』として善い悪いではない
『そういうものだ』と『了解=悟っておわり』しておけばいい

それを心得る=そういう人の心(両方の解=極端を得る)=悟りを覚える=『覚悟』
『因果(始まりと終わり)』に『腐り(鎖)』で繋がれた『因縁』の『腐れ縁』は生まれない

結果、道に迷いも惑いもする行いの為には動かない=動じない=大丈夫=釈迦=問題解決

『虐げられる敷いた世論』が間違いだと気づいたら
それは道に迷い惑う行為=迷惑かけるので『しない=志無い』と

『腐った鎖=繋がり』は簡単に断ち切れる

それを「金輪際、お断り」という縁切り
縁は『義理で繋がるもの』ではない

『義理』で繋がったら『損を託される事=忖度』もあるだろう?=保証人
他力本願では大丈夫=釈迦=問題解決には至らない

します=志増す=乗っかる・名乗る行為の宣言
しない=志無い=行わない・受け流す宣言

これも『知恵、道具』は人の使い様
使う時は用法・要領をご注意ください

…(´-`).。oという先祖のメッセージ的知恵の訳詞が起きたという事は…

この先私はこの『世論敷くお願い』を『選択肢』として『了解=その意図を覚えておく』を心構えとして持って置く必要があると言う事かもしれない

・・と思っていたら、記事をまとめる少し前に友人から頼まれごとで
『事情を詳しく探った』結果、これは義理(尊)を天秤に損を託される事=忖度だと気づいて

断っていた(笑)

やはり、『気づきが先』にあっても
体感無くして理解無し

先見の明=『先に見た事が明らか』になる

なるほど、こういう事か!

と『生活の中』で人は『悟って覚えて=覚悟』が生まれるのだなと実感した(笑)

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