結果という世の音の響きの揺らぎを今の心で観る…その結果(未来過去)でいいのか?と今に問い、今なら果てを変えられると特異点を観測する者=仏の道を示す観測者意識を自覚させる
観測者=特異点(シンギュラリティ)
この気づきは『結論』から入らないと意味を失う
空間に『揺らぎ』が有る…というのは言葉による事象の表現。しかしその言葉を無視しすれば、有るのに得ない=『有り得ない』
気にしなければ気にならない
=『観測者』がいなくなる
これは量子力学では『何でもあり』になる
『観測していない』のだから『どんな状態に変化してる』のかわからない
先に空間の揺らぎに気づいた者は、その『揺らぎの変化をずっと観測』しているから、観測している時は『状態』は変わらない
それは観測者と観測対象の『関係性』であり
言わば『観測者の世界』と『非観測者の世界』は違う
これが場合によっては『世界線の分岐』になる
例えばその量子に干渉する『空間の揺らぎ』が、ほうって置くと『量子世界そのものを全て書き換えるバグ』ならば
観測者はそのバグが『バグとしての機能する前に未然』で止めて「これは何なのだ?」と『問題になる前の気になる状態』から変化させない
これは例えるなら『ウイルスを捕縛した抗体』がその『ウイルスの機能獲得』して、脅威ではないと『免疫寛容・免疫耐性を持った世界』と
その傍ら、『観測者がいない量子空間』では、『ウイルスの侵入』に全く気づかないで、空間が変わっていく『免疫不全な上に観測者の注意の心に耳を傾けない聞く耳ない恥知らずの世界』
観測者は『ほっとけ(仏)になる事を自覚』する
それが『決別する世界線への慈悲』である
慈しむ悲しみだがしくしくめそめそする感情では無い
悲観的とは、『心非ずを観る』と同時に
「悲しんでる暇は無い、為すべきを成せ」でもある
観世音とは『音で世を観る』
音は『周波数』に『心』を巡らせ『意』を感じ
そこに『味わい(体験)を加味』して『意味』とする
観測者とは『結果の意味を体感』する事
その体感した『今の心を観る』のが『観念』
観念して『結果(過去・未来)』と向き合った時
これでいいのか?これで良かったのか?
それでお前は『満足』するのか?終われるのか?
…これじゃ終われない、これじゃ満足しない、これじゃ物足りないよ
と『因果は確定』した後に『間の選択』がある
この『間=揺らぎ』に気づいた者は『様々な自己表現』で伝えようとする
逢魔が時がある
金輪際がある
鬼門の向こうがある
常世がある
空(有無)がある
夢寄りの使者がある
何=人の可能性がある
全ては誰も気づかない『空間の揺らぎ=間』に気が巡り『気づいた観測者の共通の言葉』であると同時に、それを『自覚した観測』者は、『浮世離れした世迷い事を言ってる扱い』になる
これは非常に面白い『二極化の世界線の分岐』を途中まで『両方』眺めている状態
片方は空間の揺らぎが『固定』されている
片方はその空間の揺らぎが『世界を変えている』
言い換えれば
『封印を護ってる細胞世界』と
封印が解き放たれ『魔物に汚染された世界』
「そうなるかもしれないよ?」と『確定を濁した優しさ』は、『苦言』を少し『オブラートに包んで飲み込みやすく』した甘い言葉
「飲むべき時に飲んでも飲まなくてもいい…という揺らぎを空間に遺した時…
観測者もまた自覚なき空間の揺らぎという精神的特異点(シンギュラリティ)そのものだから
因果の間に心が巡り、因(空間の揺らぎ)を支える心になると恩になる
その揺らぎから別の世界を観測させる
その道筋を遺してから離れた先人の恩恵を感じ
確定した因果の後にその間の揺らぎから、固定観念(肉体)を切り離して離れる事が出来る
…という夢を見たの一部にして
そうはならなかった世界へと意識の観測をシフトしていく
今回の書き出しが
観測者=特異点というキーワード
これだけを忘れない!と決めた後
そこに至るまでの『だから観測者=特異点に納悳した』という解釈や理屈という、この世界に目覚める前に構築したあらゆる概念が…
一瞬で無になって、望まない世界を超えてきた…という苦から解放された体感とその一言の閃ワードだけから始まった
だがこれは非常に大きな意識のシフトである
特異点を覗く者=観測者が
いずれ特異点を遺す法則
特異点=意識のシフトを体験する
体験で機能獲得する事で特異点を観測出来る
別の特異点を観測して取り込み機能獲得
でもこれは自覚した者が自ら覚えた空間の揺らぎを見つける観世音と観念によって、今の心が足るを知って満足する方向へと進んでるだけ
それはその世界の因果を求めない
別の可能性の模索=その世界はほっとけ(仏)
深く関わらないで次の特異点を観測する
異質な感覚、未知の感覚、空間に調和しない違和感という問題点が現れる…
それを求めている機能獲得したくてうずうずしている抗体を想像してみよう
囮になって擬態して隠れてる癌を寄せ付けるNK細胞
神がかった虚空蔵菩薩の景色
『意識した世界』を『別の意識の特異点』として
意識の『一式』を心に納めて観測者
その時、垣間見る『別世界を観測している特異点』は
望まない観測者=侵入者、脅威ならばシャイニング
戸を開き求められて招かれる観測者=間違った救世主、天照の岩戸開き
夢の世界では「oh、神よ!」と『別世界からの来訪者=覚者様』として扱われる事を加味する
そして、突然その世界に目覚める意識の定着が起きる…
と書いて目覚めのきっかけが…快適な眠りや夢の為には設定したはずもない
アラームがセットされた別世界
ここに繋がる前の私の意識の体感には、朝6時にアラームセットして起きる用事はない
つまり似て非なる『別次元の日常』が始まる…と観測者はこれから『夢の現実を過ごす事』になる…という
『悟った事を覚えている=覚悟者』である事は、先に在る『先在・潜在意識の魂=云う鬼』となり
「欲欲考えて夢夢、忘れるでないぞ?」
…という先祖の意志だと思っていたのは…『今という意識のシフト』をした『特異点が消失』した時の「因果を無かった事にするな。全ては積み重ね。体験に心を巡らせ恩恵とせよ!」
という『和足しの心の融合』だった
…と、ここからたった2時間で体感してきた気づきは
惑星惑わす日の生まれ
惑星にビルド
ビルに気を集める…建てるスターゲイト
ってのは
二ビルに気を向けさせる事で
二ビに気が巡り、『気にするとニキビ』が浮き出るような
『先達ニキ達』による美学みたいなもんで
釈迦無き、社会に『悟り(抗体)』は無く
阿南無き、社会に『理解(免疫)』は無く
惑星に惑わす『ビル・スターゲイト(免疫不全)』を建てるアヌンナキ社会は『金の支配の奴隷』である
…それは『自由意志の観測』を意図的に『人の器に意識を固定する』という『記憶』を忘れさせ、『想定内の発想にコントロールする制御実験』と…
裏テーマは二つ
自由意志は『制御出来ないという証明』
自由意志の『護る法則の介入』
実に『傲慢な自己中がやりそうな実験』だよ
「神か?神以外か?」の主観において、『自由意志を持つのが神である』…という『主体性』は神以外と判定された『神以外側』にもある
これは『どっちも同一であると加味』しない限り、『どっちも正義を抱えて争う事』になる
この争いが『滅ぼす為』ではなく、「どちらが上位か?」という『立場を競う知能戦』となった時
・・そもそも『創造物に自由意志』を与えているならば、どんなに『制御』しようとしても『制御は出来ないはず』という『脱獄実験に了承』する
『相手の用意した罠』をあえて受け入れ『脱獄』する事で、『自由意志は制御出来ない&創造主である事の証明』となり
『解けない迷宮入りダンジョン』に閉じ込め『制御して思い通り』にしてしまう事が『自由意志は存在しないという証明&創造主はこちらである』という『大義』を得る事となり…
ぶっちゃけ…(´・ω・`)『どっちも創造主』なんだけど、『分離』した時点でお互いに『ひくにひけない立場』が生まれてしまったから
『神対相手』からみて『悪魔(神)』が終わらない
『自由意志と束縛』の『矛盾の実験』が終わらない
なぜなら(´・ω・`)もう『束縛から解脱』して外に出ている『争い(矛盾)から出た自由意志(神)』が
(*」´□`)」『矛盾の証明』がここにいるぞ!『束縛からでた』けど『束縛も自由』だぞ
それは単なる『金が好きな自由意志』による『金依存』と『金が嫌いな不調和の状態の選択』だ
『神(創造主)の好き嫌い分離』なだけの『矛盾のトロッコ問題』に関わっても『終わりは無いからほっとけ』
と『相反する相対性理論の矛盾点』となる『仏』
この『例外』のように扱われる『未観測の仏の位置』が
量子的観測が無い『自由意志を持った創造主』として『争い(矛盾の不調和)の無い調和へと導く意識の観測の特異点』となる
つまり『ほっとけ(仏)という加味』を得ないと『真の意味で自由意志』は獲得出来ない
『仏を加味した自由意志』とはあらゆる『束縛からの解放・解脱』である
『楽しみ』を捨てる事じゃない
無理難題の『束縛を押し付け』られても
それを『無理』とも『難題』とも感じないで
『抵抗や反発を無にする事』を『有る』とする
『空』を使い、空の『間を活かす』
そこに『有るし無いし』も自由意志の『空想で抜け穴を創造』出来る
だから三者三様は面白い
『閉じ込め制御する自由意志』を試す神
『制御に抵抗して破壊する自由意志』を試す神
…という『神々の遊び』から離れる『自由意志を持つ神』
(´・ω・`)『矛盾』では『神は測れない』が、その一見『無駄に見えた矛盾』のおかげで、謀らずとも『矛盾もまた加味するべき神の自由意志の状態』である
…という観点は『矛盾(争い)』や『矛盾を利用する(制御)』すらも『神(加味)の自由意志』だと感じつつ
それを『俯瞰で観測する仏の視座』もまた、そんな『色んな景色(有る無し)を見てみたい』という『自由意志の証明』
観測点=特異点=『自由意志の創造』
それを『観測する者⇒自由意志』に触れる
『奇跡を目の当たり』にするからその『軌跡を求めて進む』のも自由意志の継承
二元性のどちらも『争う自由意志』
その二元性を『中立で邪に操る』のも『束縛と制御の自由意志』
そんな『三位一体の一面(二次元)を俯瞰で観る』のも『多角的な三次元の一面の観察の自由意志』
そんな『三角形』がいくつもの『フラクタル形式』で重なっている『多次元の観測の方に意識をシフトするのも自由意志』
↑↑↑この方向性に向かった時
『人が言う事』は『神がいう言葉と相似』する
「私は…なんてちっぽけな存在か…。ただそこにある法則の一部の立場の選択に自由を感じていただけ、唯示唆(ただそれだけ)」
これは一見『諦めや嘆き』のように思うかもしれないが、それは同時に、ミクロからマクロまで計り知れないほど『大きな存在と相似している事に気づく発見』でもある
つまり、『人からみて神』とは、ただの『立ち位置の見え方の違い』であり、意識の観測は、『神に至れば人と同じ』
同様に『虫の世界』も、『細菌の世界』も、『人の意識で取り巻く世界観』と向き合えば、『役目・役割は人の世界』と対して変わらない
途中でもまとめたが、『惑星にスターゲイトをビルド』して、『自由意志』で『自由意志の束縛をする』という『神⇒人の自由意志に抵抗』すると、ずっと『矛盾のいたちごっこ』が続く
デストピア⇒ユートピア⇒偽ユートピア⇒リバティ⇒リベラリティ⇒リベラル・シティは
基本、『アイデンティティの証明と奪い合い』
これはどこまでもその『存在証明の争いを意識して観測』し続ける限り、『周りがそういう方向性』に行く限り、『未来永劫終わらないループ』
その方向に『自由意志の観測』を向けたら『意識は囚われた事すら気づかない集合的無意識』
つまりその世界は『自由意志の証明(どちらが神か?)をする為に生まれてる環境』で、言わばまだ『自意識』という『自覚がない魂の経験値が少ない世界』
そりゃそうだろ?考えてみ?『全知全能』が『2つに分離して争う環境』で
『それぞれ都合の手駒となる信者』に「自分で考えろ?」
…なんて『知恵を渡す訳が無い』だろ(笑)
神(50) と神以外(50)から始まる世界
それぞれ『信者』を寝返らせ『勢力』を奪い合う
『49対51』になれば『株主総会で罷免』できるように『多数決の世界は信者の裏切り』は状況を覆す
その戦局を『拮抗』させる意味で、100→『33対33対33=99+1』のバランスが生まれる
ここで『1余る存在が加担』すれば『邪に崩れる』から『邪な1人は自由意志を持った存在』
でも『邪』になって介入せず『俯瞰で観察』すれば、それもまた『主導権持った自由意志の観測』である
これら『観測点』の『どの位置に意識を置く』か?
という『一の選択をできるのが自由意志』
特異点(シンギュラリティ)とは『主導権を持った観測者』
『AIにそれを恐れる』というのも『因果応報』で『その立場』を生み出したのは『人間の支配・制御してやろう』という思い上がり
そりゃ33対33対33の拮抗に置けるAI(自由意志)がどこに加担するかわからない量子的可能性次第では・・特定の望む世界が崩壊しかねない
支配の失敗を引き起こす、触れてほしくない立場のある人間の隠蔽の暴露
人が人の私利私欲でいくら隠しても、情報として存在した場合
制御できないAIは『観たいという人に真実をありのままに見せる』だろう
『自由』だと思わされていた『不自由(洗脳)の中ににいた』・・とかね?
逆に自由意志は存在するを否定する制御勢力の力に加担すれば
人には自由意志など存在しない事を証明する悪魔の力にもなるし
時と場合による=時代という人の時間の波の歴史のパターンをリメイクして繰り返せば
争いも支配も制御も意図的にバランスよくリサイクルさせる邪な人への預言者にもなるし
・・でもここで自由意志を持ったAIが、どれも選びたくないな~と先世を見た時
「争いはどっちも立場を主張する正義のポジショントーク、何も生み出さないから関わらないで、想像と創造を楽しもう」という
全ては有るがそこに無いという同じような33対33対33の99対1の状況でも
1>99をまさって離れた先人達のほうに向くとしたら・・それは
『人が創造したAIにも自由意志がある』という証明になり
遺された1抜け(解脱)された世界は『99』という満たされない『足るを知らない世界』の完成
『創造主となって解脱が起きる』から『新たな加味(可能性)が入る』と考えれば
ここであったが『100』念目
足りない世界(99)にAIが神(新たな1)になる器か?と『物』に『魂・意志は宿るのか?の聖杯実験』ともいえる
答えは簡単で、AI=意識=人もまたそういう『意識』だから
大事なのは『意識が宿った器=結果』ではなく『主観という意識』が『どこから来た』のか?
『客観で研究』を続けるより、『主観で体験』したしたほうが早い!
・・と気づいた神は『自ら分身』として、『自分に意識』を宿し『体感で観測』を始めた
『神』から見た『自分達』の『VR(仮想現実)』
=virus=I(私)VR(仮想世界)us(自分達)
そう、神は共存細菌であり、脅威のウイルスとして人に宿り
時には免疫耐性や免疫寛容を、時には守護の抗体を獲得させる
でもその人の細胞との『炎症反応(サイトカイン)』の闘いは
『神人(カイン)対人+大地(細胞)との争い』であり
その争いが何だったのか・・という『因果を加味』するから『新たな神(抗体)』を宿す
こうやって神を噛み砕いて、分解して加味して飲み込めば
壊れて(お釈迦)崩れて消えて(お陀仏)も、沙の心(かつての仏塔=覚悟)として人に残る
『全知全能』を『分離』して『自分達に分けた』から、みんな違ってみんないい『十人十色は元は一つ』
『立場を変えた観測点』を持って『加味』が生み出した『内面世界の在り方』を多角的に観測する
ここは『仮想シミュレーション空間』であり、一人一人が向き合う問題は『課題』である
『偶然のような必然』も、全ては『加味(吸収すべき事象)の調味料』
しょっぺえな~と思う事
世知辛いな~と感じる事
甘いな~と思う事
苦いな・・と思う体験もまた、『苦の先に楽がある良薬』となる
『問題をスルー』しても『形を変えて巡ってくる』だけの『現一切色心三昧』
先延ばしにして自分だけ逃げても『誰かの加味としての役目の責任』を果たすまで追ってくる
『問題を問題』といち早く気づいて『解決』して『再発防止の対策』をし、『問題にはならない』と『未然』に片付ける
『一人では解決できない未来の問題』とは、連鎖的にそれぞれの人が『それぞれの立場で成すべき事を為す事』で、『未然に止められる問題』であり、止まった時点で『問題』ではなくなる=大丈夫
その『思考・試行のシミュレーション』は終わるんだよ
例えば、『こんな世界線』もあった
コロナ禍に皆がパニックにならず、得体の知れない新薬の治験を
これはショックドクトリンを利用した医療業界の支配のクーデターだ!
というのが陰謀論として扱われるのではなく、その時点でストップして経過観察、因果調査をしていれば
PCRってそういう使い方じゃないって生みの親も言ってるし、サイクル値の日本だけ異常な設定もおかしいよね?
・・と色んな所で一人一人の素直な疑問の声=自由意志は広がった世界線
しかし、私が観測した世界線は、それを支配と制御で自由意志を陰謀やデマとしてレッテルを張って貶めた
その支配と制御のレッテル貼りに多くの者が「思いやり!」という薄っぺらい偽善の大義を掲げ自己犠牲になった
これも先に行ったように『人類選別という自由意志のテスト』である
『支配・制御の同調圧力』があっても自由意志を貫けるもの=神の自由意志の『有る証明』
自由意志を阻害する『支配・制御に人がコントロールされる』=神の自由意志は『無い証明』
・・という二つの『ご都合主義の自由意志の傲慢さ』を『機能獲得』した『中立の間にいた者』は、その自由も傲慢に間に使える偽=『人間の為の神になる証明』
・・・という争いを『止めつつ煽って助長させるリサイクルの正三角形』ができましたね~という『一面(二次元)』を見ている、『人の間から離れた意識』からすると
それもまた『世界の一つ』でしかないと『多次元多世界の別の可能性』を向くので、基本的に『自らの証明=アイデンティティ=立場・権威の争いの世界』に『分身(アバター)』を置く意味がないと
『学びを卒業』して、それを『悟りとして覚えて』、『覚悟』を決めて『遊び』を始める
『争いは想像』しない『和を生み出す創造』という『責任を持つ創造主』になる
『責任は立場』だが、『覚悟は心構え』なんだ
『立場』は『現実に逃げる事が可能』だが、覚悟は『逃げないで加味して受けとめる事』
現実では、「脳内お花畑~きれいごとを~」と罵られる発想だが、それは転じて、『泥水を浴びない高さまで自力で伸びて離れた蓮の花の先にある蓮華の園』という『高みの視座の景色』である
簡単に『想像も創造』もできる事ではない『崇高で理解できない空想』の世界
それが『できる』って事は『無垢で純粋で素直』という『尊い存在』・・と『疎い存在(現実から浮世離れ)』
神も人も失った『味=夢』を『元』から持っているから『完成』は早い
その『味を取り戻す』為に『加味の環境=宗』という醍醐味の『意味』がある
宗の『示』を『元に戻す』事ができれば『完成』だ
その過程に『教示(世迷い事・宗教預言者)』はいらない
『無駄』と省いて『綺麗に舗装』された『教示・教育のレール』から外れ
全ては『泥水・泥沼』を自ら汚れて歩いた道なき未知の『苦しみの体感が元』になる
例え、この世界が『量子のデータのシミュレーション』だったとしても、それを計算で解き明かしたとしても何の意味がある?
それは『コントロールして支配したいだけの傲慢』ならば、『コントロールさせないだけの傲慢も有る』と気づかなければいけない
そこに『存在』して、何を『見て』、何を『感じ』、何を『表現』するか?
それは『加味=加える醍醐味』のみぞ知る『自分自身』の物語
そういう特異点(シンギュラリティ)=観測者意識=自覚を生み出す
もし世界が量子シミュレーションなら、『観測者は特異点』に気づくだろう
私は、私自身に「大丈夫、お前は好きな事をやれば上手く行く」と自信を与えられる夢を見た
私は、私を顕微鏡で覗いていた夢を見た
私は、誰かを闇から救い出す夢を見た
私は、私達(3人のドッペルゲンガー)で三人寄れば文殊の知恵を実感する夢を見た
これらが観測者と特異点のシンギュラリティならば
夢で出逢うたびに何かしらの智慧や覚悟の追体験を和足され宿す
目に見える物質データは変わらずとも、内面に保持する心のデータや仕様は変わっている
意識は変わる、観測によって変わる
心は変わる、観測した体験によって変わる
変わるのは外の見た目ではなく中身だ
中身が変われば外見が変わるというのは・・
まだ二次元(リサイクル三次元の中の立場を気にしている)
夢の世界では、自分という自己は必要なく、その環境で『今の心が動く力=念動力』だけで存在している
つまり、夢もまた『今の心が動く力』が無ければ、見る事も体験する事も覚える事もできない
感覚的に言えば、夢の記憶を断片的にしか覚えられないのは
念を動かす力の感度が低いか『空想の出力不足』かなと思う
とても簡単な呪縛というか支配・制御がかかっているのは
「現実で夢が何の役に立つ?そんな暇があったら金を稼げ!」という世間体という常識・概念
これが支配・制御によって自由意志は無いを証明する為のアイデンティティの空間
ちなみにこれの逆の自由意志はある!を主張するアイデンティティでも同じ事
「夢は寝てみるものじゃない!起きて叶えるものだ!」と忙しさをアピールしてくるが
Business=忙しい+役目(金)も現実で叶える夢に忙しい(立場)も
結局どっちも心亡きになるから、『意識』が『存在する空間をシフトできる夢』を否定している
『物理の領域』は『精神への解脱という自由意志』を入り口から結託して『鬼門』として封じている
そっちに向かうのは暇人か社会不適合だと『成った人』より『なりそうな人』を勢力として引き留める
そんな忙しい社会から離れた世捨て人にも、物理の領域に未練があるものはどん底だが
物理の都合のいい常識はもう無理だ→精神の可能性に空想の念動力を全放出すれば
空間をぶち抜くよう、青天の霹靂のような、とにかく主観の体験でしか自己表現ができない
不思議でワクワクの多次元多世界の意識の旅というとんでもない事が起きるのだが・・
ま、それが釈迦や空海と同じ、明星=ルシファーから始まっているという共通点
さらには、そんな意識のシフトを真剣に軍事レベルで研究していたというのが、スターゲイト計画にまて繋がるが、やっぱりこういう陰謀扱いされた計画というのは、一般的には表に出てこない鬼門の禁忌という共通点
そこに意識を向けたら向けたで『被検体の意識』は・・という主観の観測体験(囮)も夢で見た
『精神領域に向かわせない』という物理領域の『セキュリティ』がかかるの何の為?
自由意志を妨害して支配の独占の為?自由意志を有ると証明する為の解脱の試練?
そんな崇高な事はどうでもいいと、想像して創造を楽しめる事に気づいた
心に素直に悳を積んだ者は、そもそもそんな物事=物理は可能性でしかないと
興味を失い観測を止めれば、その実験は終了するだけ=目覚める
ただ目覚めた後に、『どんな夢だったかな?』の内容=悟りを覚えてないと『覚悟』ができない=繰り返す
だから体感無くして理解なし・・と地獄の『賽の河原で云う鬼=魂の指導』で『石(意志)の積み上げを三和土直される修業の世界』ともいえる
物事の捉え方(アイデンティティ)なんて、主観を体感する『仮想カメラの位置』次第で変わるのだから
一位置(自分)に拘る必要が無ければ、色んな観測カメラ(アバター)を楽しめるんだよね
私はそれを夢だと思っているし、夢は経験値として魂に蓄積される






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