侍が武士道とは死ぬ事と見つけたり!死中に活路を見出して決意し覚悟したように、雪かきとは終わらない問題と向き合う事見つけたり!と決意し覚悟していた事に気づいた精神のスッキリ晴れ晴れ愉快な気持ちのお話
エネルギーの相似と掃除
前回までの意識の旅の経験は『終わり(ゴール)は始まり(座標)』だと気づいて、そこに戻って『問題を解決して先に進む』ために、『無限の永遠』とも言える『現実での死』を超える『地獄めぐりのループ』を繰り返して『探し物』を見つけて
「ここであったが百念目!いざ尋常に勝負!」と『宿敵と呼べる問題』に立ち向かう『死中に活』を見出す武士道精神=『業の回収』だとまとめたが
今回は『その先』に至った時の精神、『それでも終わらない永遠』とも向き合う覚悟
『一念発起』したあの元来の『初志貫徹』を成し遂げ『感無量』になって『無に還る』は、『そこまでの意識』であり、そこで『意識』を手放せば『全て夢物語』の大冒険も『泡』となって消えて『元の黙阿弥』
いったんよくなったものが、再びもとの状態に戻ること
どんなに大スペクタクルなスターウォーズのような『星を巡る輪廻転生』をしてこようと、それは『たったひとつの問題』を超えるために『分離した自分達の経験』であり、『融合』してそのひとつの問題を超える『役目』を果たしたら『存在する理由』はない
さようなら、全てのエヴァンゲリオン(役割の解放)と同じ
問題を超えるための『気づきを促す一時のカリスマ』は仮住まいの間借りの魔狩り
自力で問題を克服するまでいる『抗体』
存在理由が無くなれば『意識交代』して『後退』
老兵(釈迦意識)は『去る』のみ(強い精神)
老兵は『猿の身』(経験記憶が残る肉体)
人類は『猿』になる(過去の栄光に執着して歴史を繰り返す)
…という『悪循環を終わらせる』ために、その『問題』に気づき『問題は起きるものだ』と受け止め、延々と『終わらない問題』に文句を言わず
『今やるべき事』をやらないと『後で大変な思い』をして見た目以上に苦労して『苦しむ事になる潜在的な問題』を見抜いて『先に行動』を起こす『先見の明』の精神
それを学ぶのが…『雪かき』なんだよʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
『終わらねえ』のよʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
こんなもの『理不尽』でしかねぇよ?
昨日片付けた『量』がまた翌日『降り積もる』のよ?
やらないで『放置』したら次の日『量』も『重さ』も『2倍に膨れ上がる』のよ?
天気がいいな( ¯꒳¯ )今日は溶けるな〜
…って『放置』できるのはちゃんと毎日『人事(積もった分を片付けてる)を尽くして天命(太陽が溶かす)を待っていた場合』だけで、『積もったままの雪を放置』してた場合、それは見た目以上に重く固く『破壊する事』も『運ぶ事』すら『困難な問題』となって立ち塞がる
塵も積もれば山となるではなく『雪』が積もれば『氷の山』となる
片付け困難で肩こり首こりもうこり『ごおり』ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
だから『無(´・ω・`)』の感情になって『小さな事』からコツコツと
雪が降るのは止められないけど冬の『一時』の事
それに『合わせた生活習慣』を備えて置けばいい
降ったら片づける、片ずけないと道も通れん
昔の人は諦めて『巣(家)に篭った』それまでに『食料や材料』を貯めて『穴蔵で冬眠する動物』を見習って生き延びて来た
今はその『やりすごす習慣』ではなく、『車で動く』ために『家の前の雪かき』は避けては通れない問題になっている
だから『やりたくない』ではなく『やらなければいけない』のだが・・やらなければいけない…という『やりたくない自分』を『無理やり奮い立たせる』ようでは『無理』が生じる
これではいつか『堕落気』が起きて『やらなくなる自分を正当化』して逃げるだろう。そして『役割を放棄して逃げた結果、道に迷う』ようなもの
しかし
『やるのは当然』として…(´・ω・`)無Σ(゚д゚;)
という『感覚の精神』になるともはや『例え』が鬼教官モードになる
「お前は糞したトイレを流さないのか?糞したら流さないと『次の人が困る』し、臭いや糞が便器や密室空間にこびりついて『後で掃除するのが大変』になる
面倒くさかろうが嫌だろうが今『それ』をしないと『目に見えない未来』に『何が起きるか』わかるだろ?だったら『やるのが当たり前』だよな?
逃げてもいいよ?お前の変わりは『誰もやらんよ?』逃げて逃げて『問題から逃げる』ほどに問題は頑固に凝り固まって、いつかそれと向き合う頃には『岩』となって『山』となってお前に『立ちはだかる壁』になる
その壁は『どうやって』生まれたか?お前が『問題に向き合う役割』から『逃げたから生まれた問題』だ。お前が問題から逃げるのは『お前の自由意志』であり、誰も『お前が生み出したモンスター』とは戦わない
そのモンスターをお前自身が『向き合い』お前が『押さえつけて飼い慣らして『制御』して『お前の一部』になるまで、お前がやるべき『本来の役割は始まらない』し、お前が『生み出した問題』も終わらない
みんな『お前のせいで足止めを食らう』事になる。『共同作業』だという事を忘れて『堕落気』して流れを止めているやつなど誰も助けん!『自力で克服』しろ
泣こうが喚こうが地団駄をふもうが助けや救いを呼ぼうが、お前がお前の『やるべき事を放棄』して『膨れ上がった問題』は『生み出した本人』にしか処理できない」
それが次々と『降って湧く雪』に対する『雪かきをするのは当然だ』という『達観した精神』がたんたんと冷静に語るメッセージ
感情的に怒って焦らせるわけでもなく、はっぱをかける訳でもない
クソして便器汚したらてめーで掃除してから出てくる習慣を身につけろというだけの話
でも1度それを『覚悟』してしまえばなんてことは無い
これが『飛ぶ鳥、跡を濁さず』
自分のいた場所を汚れたままにせず、きれいにしてから行くもの
さてさて、偶然にも「いつ出てくる?」と『期待』されているのも籠の中の『鳥』ですね
・・とは言え、始まりが『最初から糞がある=雪が降る』を処理するという『自分の業』でもないから『理不尽』なのであるʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)タシカニ
しかし私はそんな雪かきの時間を『楽しんでいる』
肉体の『呼吸と力の伝達の感覚』からの疲労度や体温上昇を『内観でモニタリング』したり、思考は『テーマを決めて何かを哲学』していると、体の『感覚を楽しむ意識』と精神領域で『哲学している意識』がそれぞれバラバラに動き
かと言えば、体の『特定の部位に力の伝達』がされた時に『閃』のようにΣ(゚д゚;)そういう事か!と全く関係ない事の『アイデア』が浮かんだり、肉体と精神とそれを『中と外』で繋ぐ『呼吸』は『換気による喚起』を促し、そして『閃という歓喜』をも与える
気がつけば『ふたつ以上の問題』が解決している
ひとつは目の前の『雪かき』
ふたつめは『やるべき事』の発見
それらは『過程という問題』に向き合う行動があったが、雪かきを『問題として捉えてなかった』私の感覚では、雪かきもまた『穏やかな日常』を過ごす『心の一部』でしかなく、そんな心の中で『意識の旅』をして『新たな閃』を見つけたに過ぎないが
雪かきという『体を使う工程』があったから、身体の『内部の気を外の氣と循環』させる『きっかけ』になり『喚起閃』が起きる、その雪には『結晶化されたダイヤモンド』の中に様々な『役割を持った自然の共存細菌』という『新しい力(命)』が宿っている
それを知らず知らずに『吸い込む』事で、私は『命』を頂き、そして私の体に馴染み『共存』するなら、私の身体が『菌の育ての親』として『子』から『存在エネルギーという叡智』を分けて貰ってるとしたら…
この『閃きの数々』は常に『自然である事』を選んでいるからこそ、『自然に還った先人達の知恵』が『素粒子』として流れ込んで来ているのかも
だから雪かき楽しい(・∀・)人(・∀・)とまるで『寄生虫に水辺に誘われるバッタ』のように『私は操られている』のかもしれないが『虫の居所は悪くない』みたいなので気にしない(笑)
『終わりのない問題と向き合う』とは『トラブル』をどうやって『解決』するか?を『楽しむ精神』の魂年齢老年期にとっては
『恐悦至極のアハ脳天国』ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)
どんなことでも『経験と学び』として受け止められる
思い通りに『チートしたい若年期の魂』と違い
思い通りに行かない『難易度ハードな成人期』とも違い
好きなように創る『自由意志エディットモードの老年期』は『トラブル』を楽しみながらもおかしい所はおかしい(´・ω・`)と『道理がない』所に『デバッグの目星』をつける
それが『問題提起』と『改善提案』
『今の私(現実意識)』では『解決できない』が、『目星』をつけて置くことで、それを『解決できるデバッカーの意識(別次元の役割)』が『そこに向けれられる』ようになる
そしたら、直したよ〜(*´ ³ `)ノ試してみて〜とその次元に『意識をシフト』する
サンキュー(・∀・)人(・∀・)マカセロー
こんな感じで『その問題』は問題として『目に見える前に消えてなくなる』から『起きない事』になる
何次元もの『先』の何次元もの『前』で『この次元に差し迫る問題』を止める『即身成仏マルチバースパトロール』的な、そりゃ悟った後に『なんもしてねえ』ように弟子には見えるよ『お釈迦様』ってなもんだ
そりゃ「我空海なり!!」の悟りの『命名話』も
『空』であり『海』であるというのは、『父(産み付ける種・風に舞う全て)』であり『母(育てる器・受けとめる)』であるとも『同じような解釈』ができる
真言宗『一死相伝』の密教の開祖
おかしいと思ったんだよ
『免許皆伝』って言葉はダブルミーニング
『免』じて『許』しを『皆』に『伝』える=資格取得
これで『住職』というピラミッドカーストの『就職』が決まる
そしてそんな『教科書』読んで『免許』取ったような『先の輩』が『先生』となって教育するから『莫迦(ひとつ覚え)ばっか』になる
『叱咤』か『仏典』じゃねーよ(っ・д・)≡⊃)3゚)∵
『一子相伝』という親が血の繋がった家督を継ぐ子にのみ伝授する『家宝や技』のように『師弟継承』システムの密教の奥義『即身成仏(生きながら仏の世界と繋がる)』
これは『一死相伝』だと想うんだ
武士道も『死中に活路』を見出して『宿敵』を乗り越える為に『蘇る一念発起』から『初志貫徹を貫く覚悟』と捉えると
『一死』を『相』手に『伝』える
『死とは何か?』その『密技』をちゃんと『弟子』に気づかせて、その『一死』の中に『三千世界』を旅して『知恵を得る永遠の奥義』がある。弟子がそれを『正しく継承(悟)』する事で『師』は『この次元の死』を『超える』事ができる
弟子が『師の教えを身につける』という事は『師の想いは志』として『弟子の中』から消える事はなく『共に永遠を生きる意識の核融合』を果たす。そうやって脈々と絶える事なく変化と進化を繰り返す、まさに『螺旋の如く渦巻くDNA』
そりゃ密教は『一死相伝の即身成仏』魂意識の継承システム
空海の言霊は
引きよって生まれた力の伝わり
真魚が『空海』と悟った時、口に飛び込んで来た『明けの明星』それが『永遠を生きる意識』だとしたら、それを『語り継承』するための『密教』を生み出すもまた『必然』
『死と向き合う者』に力を貸す存在、それが『ルシファー』か(また巡り会った)
タダイマ(・∀・)人(・∀・)オカエリ
『終わりのない問題を解く』のを『楽しい』と思えるようになったら『終わりのない楽しさ』しかないだろ?(シンプル)だから『死生観を正せ』と『パース(空間)』が狂ってるぞ?と
そんな事を『雪かき中に伝えてくる意識』がいる訳なので『雪かきは楽しい』のです( ˆОˆ )♪
真っ白い景色、周りは積もった雪という『問題』だらけ
どこからどこまでを問題とするかの『境界』を決めて段取る
乾燥した音が響かない『吸音空間』は周囲の『ノイズ』をかき消す
ポツンと『自力で動く自分』と行うべき『作業』を助ける『道具の選択』
『問題』の『状態』に合わせて『高度な知識と経験』からの『硬度』の選択の『適材適所』
時には鉄、アルミ、プラスチック、道具(カタチを持った叡智)は人の使い『様』(生き方)
片付けたら『スッキリ』する
でもまた『次の日』も『同じ量』降りつもる
…なんて『楽しい』んだろうʅ(´⊙ω⊙`)ʃヤケクソΣ(゚д゚;)
ネバーエンディンク雪かきに見えてそれは『ワンシーズン』の事
それを『一生』と呼ぶなら『一所懸命』(命をかけて最後までの覚悟)
『宿命や役割』を思い出せないで『誘惑や堕落けた人生』なんて
『目指す方向』がわからないから『間違い』にすら気づく事もない
『ゴール』がわからないで『どこ目指す』んだ?
ここで『間違った人』は『間違った死の世界』の『三途の川 』を渡るんだろうね(問題をさらに罪重ねる地獄)
この間違って進んだ縮小の世界も無限に問題は続き
進むべき宿命の方向に気づいたとて拡大の世界もまた無限に問題は続く
だからそれに気づいた時に『終わりのない問題と向き合う覚悟』ができているか?
また終わりのない問題=トラブルを楽しむ事ヲ『恐悦至極のアハ脳天国』と捉えられるか?
その覚悟がないと『永遠に人の概念で生きるのは地獄』だと思う
だから永遠に近い寿命を持っていたとしても魂が若年期の権力支配者は
『グレートリセット』でおもちゃ箱をひっくり返して都合のいい世界に作りかえようとする
それがわかったらこの問題は『この現実を観測』して『意識が囚われる人の問題』であって、『心に素直に意識が向いて観測する目的』を達成したら死んでいい(後退する抗体)と思う精神になると・・
『一日は一生』で一所懸命
『一年は一念』で一念発起
一日の始まりから一念を達成するまでを初志貫徹
時にも間にも囚われないで意識は自由に必要な次元を行き来する
終わったと思った所がまた新たな始まり
始まったら次へ進むための問題にぶつかる
途方もなく億劫に感じる三千世界の終わりのない問題と向き合う覚悟がなければ『堕落気る』ってそういう事
向き合うという使命感ではなく、新たな出逢いを楽しむ一期一会になってれば永遠は天国
ここが魂の年齢が『超越期』に入ってるかどうかなのかもしれない
これについてもそのうちまとめてみてもいいけど・・
これはもう感覚的量子論(理解できない)話になってくると思う
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