隣接する違う軌道を描く円と接するのは一箇所のみ…そう言う観点でエネルギーの法則を表現すると、多生の縁と一期一会の本質がわかるお話
袖触れ合うも多生の縁
道を行くとき、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるという意味から、どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、すべて深い宿縁によって起こるのであるという意味のことば
『前世』という観点をどう捉えるかでも認知の『間』違いは起きますが、ここでは『縁という目に見えない繋がり』とだけ
一期一会
一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意。もと茶道の心得
『茶道の心得』というが、言葉を知らずとも、人生でお世話になった事への『恩を忘れない』ように、その一回しか会う事がないかもしれないから、その『瞬間』に『素直な心』で向き合って恩を『与える・伝え合う』事
それを『体験として実感』しているからこそ、遅かれ早かれ、どの時代でも『似たような認知の格言』は登場しただろうと思う。たまたまその『流行して定着』するきっかけが『茶道』という道を説く『礼説を重んじる分野』に根付いていただけという事だろうけど・・
今回、この『袖触れ合うも多生の縁』と『一期一会』という先人達の残してくれた『叡智の言葉』が、実は『エネルギーの法則を感じ取った』のであろうという『カタチ』から『言葉』が生まれた?言葉は『カタチ(幾何模様)』であると感じた新説について
幾何学をことわざとして語った先人達
これは『369の法則』と『エネルギーの相似の幾何学法則』に気づいて見えてきた新たな気づきの観点
『別の命』を生きている『意識の繋がる世界』が『多生』であり、その接点は『円軌道』で言えば、その『生(役割)を全う』する上で『たった一回しかない一期一会の出逢いの接触』となる
例えるなら『もう一人の自分(他の人生を生きている)』と『意識がリンク』しお互いが『自分だと認識』した上でお互いに聞きたい事、伝えたい事、それを伝えあい
「そんな自分もいるのか!?Σ(゚Д゚)」と感銘を受ける
それがお互いが『円という縁』で繋がり『安定』し、そこを軸に、他の円と接する点に向けて、『軌道修正』するきっかけとなる
私はこれが『自分』が『自身』と出逢い、『自分自身』の自己の確立=『自信』になると想う(以前とは導き出し方が違う)
前回(自己の内観から)
今回(他者とは接点から)
ひとつの円では押されゆらされ転がってしまうから、『支える何か頼れる遮り』を求めてしまう。だけど2つの円が繋がれば、転がる事はないし、接点は限られてくる、それ所かその『2つの円を内包』する『ひとつの円に拡大』する事もできる
『多生の円』は『外』にも『中』にも必ず存在するが『今の自分という縁』と『軌道が合う円』は限られている。それがわかるようになってくるのが『自己の連結パズル』だから合わないものは合わない(実際は円ではないから)
最近、こんなものを見つけて、『転がる円』だと思っていた事すらそれは『錯覚の思い込み』だったと気づいた
それぞれはそれぞれの役割を直線的にこなしていて、そのタイミングが絶妙に一致している事によって人間の脳は円はひとつの大きな形として認識していた
だから、上記のような平面図形もまた『奥行のある立体空間』的に考えれば、その動きや描くカタチというのは『一つの意識の観測点』では『全貌』がつかめない
では『多生の縁=円』とは何か?
それぞれが生きる役割=宿命を持ったエネルギーの繋がりであり、『別の観測点』
1人1人が自分の生を全うしてこそ『安定した波動周波数』を描く『波の一部』であり『粒子』であり『点』である
だがその点も『1人の役割を持ったエネルギーの人生』ならば、『ズームアップ』すると、そこにはもまた『無限の縁の繋がり』が広がって…
マンデルブロ集合やないかい!(`Д´)ノ)罒`)
だから『チリ』ひとつに見える『点』は、チリから見ればそれは『お互いの距離感』から見れば存在の果て=『理解できない無限』を意味する
それを『気』にしたって『同じ事の繰り返し』だ(*´罒`*)と気にしなくなって『上を向く達観した精神性』と
その小さな点に『凝縮してズーム』して『ミクロな世界を観測』て明らかにしようとする『科学』という『飽くなき探究』していくエネルギー
でもそれは『蟻地獄』、『底なし沼』、『ミイラ取りがミイラになる』ようなもので『終わりがない』から疲れてくるし、それでも『止められない』のは『憑かれてる』から(執着・意地)
それを『何性』というのだろう?
キリのいい所で諦めて手放して前を向く、「そこに生(自分のできる事)はねえ」と割り切って前に進む
「日々これ精進(精神)なり!」と言うのが『精神性』なら、科学や『科学でボロが出た穴を埋める化学』という『物理』を追い求めて、『知的好奇心を満たそう』とする『終わった事』、『止まった事』、『確定した事象を掘り下げる探求』を
『人間性』と言うのかもしれない
『物質』とは『固有振動が固定の周波数を持ったカタチ』として『安定』した『存在エネルギー』
それを『生み出した』のが同じ『人の間』に成し遂げられた『ロストテクノロジー』なのか?『人間の外』からの持ちこまれた『オーバーテクノロジー』なのか?
いずれにせよ『リバーステクノロジー』してビジネスにするのが人間
『下』ばっかり見るから、その『答えを知ってて隠してる上』が居座って『蓋』をしている事に気づかない
それが『人間性』の『枠』、囚われの『檻』
こう考えてみよう
ある時、『過去』を『歴史を探求』する者達は、知れば知るほど『自分たちの存在』が『得体のしれない何かに生み出された事しか分からない』という『キリ』がない事に気づいた
どこまで行っても創造主たる『支配者の影』は見えてこない
なら『新たな歴史』を造り、そこを『起源』として、『証拠や痕跡』を『隠してでっちあげて』しまえばいい。そうすれば、都合よく用意した『偶像崇拝』に『人々の意識を未来永劫捉える』事ができる
そうやって『嘘』と『エゴ』で生まれたのが『人間の歴史』
人の間(エネルギーの相似が途絶えた循環しない自然から隔離された環境)
『人間性』と『精神性』は『別』
でも『人間』にも『精神性』はある
『1寸の虫にも五分の魂がある』と言うように、その『無限の縮小に囚われたループ』から抜け出す『可能性』も持っている
その『人の為=偽』の情報の波長が、自分と言う『固有振動のカタチ』を持ちつつ、内部には『心』という揺らぐ波動の発信源が出す『波動と共振しなくなった』時
居心地が悪い
空気が重い
感性が合わない
この周波数軌道(波動周波数)から外れたい
そう言う『縮小していく6の縁軌道』から、外へと『広がって拡大して行く9の縁軌道』へ『意識がシフト』するとそこが初めて『精神性』
そもそも「質」が違う
精神は目に見えない『心の波動に共鳴』する性質
人間は目に見える『物質の波動に共鳴』する性質
物や金(欲)で釣られる
それが『人間性』、人間だもの
そういう人は、物にも金にも地位にも名誉にも『執着しない精神性』の人を『理解できない』という
理解出来ないから『社会不適合者』や『貧乏人』などと『レッテル』を貼って『相容れないものを悪いもの』だと『魔女狩りの価値観』を勝手につけて蔑み侮蔑し、『忌み嫌わせる』ように『印象操作』をする
これわかりやすいのが『ワクチン騒動』
打たない人を『反ワクのデマゴーグ』と『メディア』を使って『社会扇動』を広める
最初は「みんなを救いたい!」と正論を語り
途中で「思いやりないんですか?」と世間体で圧力をかけ
「打った人には特典をあげます!」と物欲で釣り
「打たないと社会制度が受けられませんよ?」と脅迫し
世間の反応が悪くなれば「打たない奴らに耳を貸すな!」と態度を変える
結果、『自分で様子見』しようと判断しただけの人達=『命令に従わない』という『レッテルで社会不適合者』にした
謎の疫病よりも出所も手順も何もかも隠した『怪しい新薬』だから「そっちの方がリスク高いだろ?」と思考停止にならずに自分をしっかりと貫いた
『ただ打たないだけの人』をね?(もちろん健康です)
それが『人間』という『獣の数字(666)』のやり方
それに迎合はできないな~と『社会が乱れるエネルギーの不調和』をなんとなーく肌感で感じて『君子危うきに近寄らず』な距離感で、回避した人達はもはやそれは、従来の弱肉強食の『人間性』ではありません
己の身に迫る危険を察知する『野生の勘』
大切な家族を護る群れの『リーダーたる意志』
必要ならば民族大移動すら『決意する行動力』
それって一緒にいたいと想う『心穏やかに過ごせる仲間』と安定して平和に暮らせる環境ならば『別にここ(人間)ではなくてもいいや』と
もはや『人間という性質』では無く、『精神で繋がる性質』の『別の生命』になってる訳でそりゃスピリチュアルな感覚や能力も発動するってもんで
だから心の導きのままに素直に生きている人は『多生の縁=可能性』と袖触れ合っていて、『変化のきっかけ』となる『一期一会な不思議な導き体験』をしている人が増えている
それは内向きに中央に下がっていく『下り列車』から、外向きに広い景色を見ながら上がっていく『登り列車』に乗り換え工程
『円の軌道』が変わる
乗り合わせる『縁の存在』も変わる
人という『群れる獣の性質』から十人十色の『個性的な精神性』に変わる
袖触れ合うも多生の縁
その『瞬間』は『繋がれば永遠』の『一期一会』
隣合う円と円の接点は絶対に『一つ』
その円と円が『二点目の接点』を持つ事はない
もし『それを繋ぐ』とすれば、もうひとつの円が、2つの点を繋いで『間接的に繋がる』事
まぁ、『子はかすがい』と言いまして…ʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)落語か
でもね、『友達は選べ』っていうように『人は見ためじゃ判断できない』から、袖触れ合う『多生の縁』が『こういう状態』の可能性もある
でも、この図をよく見たらわかる通り、『正四面体の揺らがない軸』の回転円はその『形状を崩す事は絶対にない』けれど、隣接する二つの円は『一点』だけなので思いっきりカタチが変わるか、振り回されて飛んで離れていくだろう(笑)
私が『もう一人の自分』と夢で出会った時、もう一人の自分はまさに完璧な安定の『漲る自信と平穏の中』で「お前は大丈夫!好きな事をやれ」と言ってくれた
その時の私は『善悪二元論』どころか『第三極の目線』も『俯瞰の視点』も持っていない、社会の小ささも知らない中で、自分の人生も生きる意味もわからない状態だった
だけど、そこから『現在の自分に至るまでの道筋』は・・導きに振り回されて『私利私欲の人間性』から遠ざかって『精神性とはなんぞや?』の不思議体験をたくさんさせてもらった
だから『多生の縁』を『並行次元の役割の違うエネルギー存在の意識の自分』として捉える事で、安定的かつ恒久的に『一つに連結』するか、取り込むか、転がり入るかで、大きな円という『意識の拡大の核融合』を起こしていく
それが楽しい!と思うと同時に、それが『神』と呼ばれる『世界創造のエネルギーの本懐=その一部の役割』なんじゃないのか?と気づきに至ると・・
心穏やかに、こんな『言葉が立体的な幾何学や空間』で捉えられるようになり、それを『例えば・・』という同じ『人間次元』でわかりやすく『解釈』して『エネルギーを吸収できる』ように『精神論』に落とし込んでいる(若干波動が固定振動になる)気がする
なんだろう、これも一種の『共感覚』って奴なんだろうか
『図形』が先か?『言葉』が先か?
絵心のない私は〇や△、□のそれぞれ違う個性を持つ『記号形状』を用いて何かを説明するのがとても『楽に感じる』という事は『角』=門・過度・つの・すみ
かどの言霊は、力が統合しない、反対に統合
かくの言霊は、力が引き寄る
つのの言霊は、凝縮する時間をかけて
もんの言霊は、強い漂い
すみの言霊は、一方向へ進む光・実態
なんだか一言で例えるなら『アウトロー集める反体制のカリスマ=キリスト』って感じですね(笑)キリストは鬼だった、まぁ、ありえるのは『巨石石切伝説』と『鬼の隠れ里』という奇妙な一致
角が立つ、角突き合わせる、何者にも迎合しない『強い力の集まり』だけど、『角がない状態』になったら円=えん・まどか・まる
えんの言霊は強い投影
まどかの言霊は受容・需要に統合しない力
まるの言霊は受容に留まる
なーるほど
まず、受容・需要に統合しない力っていうのは、サイズ固定で安定すると『〇は内にも外にも拡大する事はない』、足るを知る満足状態
〇を大きくする、あるいは小さくすればという『カタチを維持しながらスケールを大きくする』というのは、幾何学の数値上『集合の点が倍になる』という事だけど
それもないよ?というのが『今ある受容に留まる』という事でもあるし、その受容は『強い投影として固定』されている
つまり『確立された円』はそれ以上でもそれ以下でもない普遍的な『全は一(点)』でもあり、数字に取り入れられた仏教の空の『0』という存在でもあり、それは『有無』でもある
『カタチ』であり『文字』であり『無限に流転する存在』でもある
それが『丸くなった意識』=人間性を表現するのに用いられている言葉
「『角』がとれて『丸く』なったな(*^▽^*)ヨカヨカ」 という『誉め』
・・そこまで『先読み』されてんのか!Σ(゚Д゚)という先人の言葉と知恵の迷求ラビリンス
『私の意識』は、その円で繋がった一期一会の先人達が降ろしてくる寝起き閃きワードの『叡智の旅』に魅了されている
一日一生、その時代に『一生をかけて生まれた言葉』を今の時代では『一日』で調べる事ができる、『生み出された言葉』がどんな風に『定着』しているのかの『違和感』も感じる事ができる
すげぇ時代だな!Σ(゚Д゚) だから『この時代』に生まれてきたのかもしれない
意識のアクセスリンクが多いのも、肉体を持てない代わりに『精神体と同化して一緒に体験しよう』という感じ?=観客席で縁ある者達がポップコーン食いながら『人生ショー』を観賞?w
たまに力を貸してくれるし(/・ω・)/
今日の話のまとめは
『人間性』と『精神性』はまったく宿命の『目的』が別物
『目先の欲』で考えて動くのが人間性
『先見の明(知恵)』と『野生の勘(自然の波動と調和)』で動くのが精神性
『動力源』と『パワー』が違う
まったく『意識が宿るベクトル(次元)が違う』と捉えておくと、固定概念の常識が渋滞してる『下道』とノンストップの快速で走れる『高速』くらいの『スピード差』で『意識の成長速度が変わる』と思います(笑)
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