好奇心

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秋田いい旅!縄文遺跡巡りと不思議な出会い編

縄文遺跡に興味があったので秋田の大湯環状列石(ストーンサークル)を見に旅行に行ったら・・不思議な出会いがあったというお話

縄文遺跡跡 大湯環状列石(ストーンサークル)

秋田 縄文

※動画は準備ができたら上げます

おもしろい駐在ガイドさんと3時間話し込む

最初に駐車場についた時は、なんか暇そうな若いのが観光できたのか?というような仏頂面で堅物そうな爺さんのような印象の対応を受けた

でも、自分が青森の亀ヶ岡遺跡や小牧野遺跡など周ってきたという話をすると目の色が変わって、立ち話が盛り上がった

しかし、団体バスのガイドが入っているとの事で離れたので、一人でぐるーっと環状列石や県道をまたいだ反対側の野中堂遺跡を見て戻ってくると、今日は団体がキャンセルになったという事で、私の専属ガイドのように資料館を案内してくれた

写真一枚一枚、発掘初期の頃から、この土地の地質、環状列石に関する学説や研究結果など、深い知識と経験からとても聞きやすい声とスピードで説明してくれた

そんな私は【なぜ?】を追求するのが好きなので、その都度、説明を止めてしまうのだが、普通はこういう客を面倒と思う質問であっても、このガイドさん凄い!あらゆる角度からしっかりと返してきてくれた!(゚Д゚;)ナニモンダコノジーサン

また遺跡の研究だけじゃなく、いろいろとおもしろい情報も教えてくれた

遺跡発掘が進まないのは地主負担だから!という裏事情

ガイドされていく中で、この地域一帯の発掘状況という写真があったのだが、縄文の前期・中期・後期など、出土品が出た地域ごとに色訳されている中で、灰色の【不明】というゾーンが多い事を指摘すると・・

遺跡の発掘費用はその土地の持ち主が出さなければいけない

という誰も得しないルールである事を教えてくれた

普通に考えて、自分の家の庭の下に遺跡が眠っているから調査させてほしい!となれば、発掘したい側が土地を買い上げるなり、費用負担をするのが当たり前だと考えるだろう

しかし、費用は土地主ともなれば、誰も好き好んで自分で買った土地や家の下を掘らせる人はいないだろう

三内丸山などの巨大遺跡の発掘からの観光地化というのは、もともと市が違う施設を作るために予算を組んで買った土地から、大規模な遺跡が出てしまったため、急きょ予定を変更して遺跡による観光収入に切り替えただけの話

広大な土地を持っていて、資産家でもない限りは古代の遺跡調査などできはしないのだ

そのため、遺跡がその土地にある!と地質調査で判明しているにも関わらず
出土時期【不明】というゾーンが広範囲にわたって存在している

その不明ゾーンの規模は、発掘された大湯環状列石の規模の比ではない、ゆえに秋田の鹿角にはまだ見ぬ古代の歴史ロマンが大量に残っている。掘ればでるのにね!(-_-;)と残念そうだった

学説否定の時論合戦が熱かった(笑)

きっちりと学説を説明した後に、「これは私個人の時論ですが・・」という見解がとてもおもしろいだけじゃなく、絶対そっちのほうが合ってるだろう!と思えるような縄文研究者ならでは考え方がとても勉強になった

例えば、縄文時代には人と人が争うための武器という出土品がない

にも関わらず学説上、その形状から【刀】という表記がつけられている細長い石刀がいくつかあった。それに関して、ガイドさんいわく、「これは土器を整形するためのヘラじゃないか?」という説には(((uдu*)ゥンゥン

秋田 縄文

緩やかなカーブ、研磨したような平らな側面、先端と手元の丸の大きさが違うなど、どれをとっても、精巧な土器を加工して作るために利用した工具としかいいようがない

子供の頃に粘土の形を整えるために使ったプラスチックのヘラを思い出してみればいい。平らにしたり、線をつけたり、えぐったりとしたあの道具の石版というだけ

学説よりもそっちのほうが説得力強すぎて、私は今後はそっちを信じます(笑)

また、縄文時代は竪穴式の住居という説明をされたのに対し

精巧な土器を作るために火力のコントロールや翡翠などの鉱石を割らずに正確な丸穴を開ける技術などあり、ベンガラや漆などのカラフルな色合いでファッションセンスも溢れていたであろう時代に・・、穴ほってそこに藁の屋根かけて生活するという原始的な家はあり得ないと思うし
火力のコントロールに長けてるなら、砂をベースにガラスやレンガだって作れたはずだと思う

1万年以上の歳月の中・・穴住居がずっと続くとは思えない!(# ゚Д゚)ノ(゚Д゚;)

という私の持論を展開するとガイドさんも「その考えはなかった・・確かに!」と賛同
しかし、学説上、その証拠たるものは何も見つかっていない(事になっている)

縄文時代というのは、謎である(笑)

ネットで話題のあの謎のオーパーツについて

縄文時代の出土品といえば、土器、土偶、生活用品ばかりで、一概に共通点は多い
しかし、これに関してはまったくもって謎の土版

秋田 縄文

秋田 縄文

穴が1~5、裏面に6、底面に1、そして正面から裏面まで続く謎の線があり
縄文土器には完全に珍しい四角い形状の・・これは一体なんだ!?

ガイドさんいわく、小さな子供に数を教えるために使われていた玩具の類では?との事
という事は数字ないし、数を数えるという概念はすでにあったという事だろう

とはいえ、これが教育玩具だとしても多く出土した訳でもない(これ一個)ぱっと見リモコン?コントローラーのようにも見えるが、そんなテクノロジーがあったという痕跡もない

しかし、この形状の土器?が出土したのはこの鹿角の地だけらしい

縄文時代というのは、謎である(笑)

奇形な土偶の顔の正体はお面

通常、ガラスケースに入った展示物は正面からしか見る事ができないため、人間らしからぬ土偶の表情に、縄文人は宇宙人説?人間ではない?と思ってしまっていたが、ここ大湯の展示では側面から見る事ができた

秋田 縄文

これによって、お面をかぶっていた人=儀式?のような構図に繋がる事がはっきりとわかる。そのお面の形状が一体何を模したものかはわからないが、少なくとも儀式や祭りの際にお面をつけていた状態を表している可能性は高い

秋田という地の関係上、なまはげなどお面文化も関係しているのだろうか?

古事記の話?天津神と国津神と黒叉山ピラミッド

環状列石の中にある一部に特殊な形状の図形のものがある

秋田 縄文

環状列石の中にある基準となる岩は太陽の動きによる夏至や冬至など季節の変化を捉えた日時計の役割と言われている。これはそれを精巧に再現したレプリカらしいが、東西南北の方角を示している事がわかっているらしい

その線上はやはりどうやら山を基軸にして線が繋がっているらしいが、ガイドさんからその先にある黒叉山の話が出てきた
「一説にはピラミッドともよばれていて・・」という縄文関係なしで突拍子もない言葉が出てくるのだからおもしろい

そして、その山の頂上には国津神の猿田彦神社が・・と出てきたのが私の琴線に触れた

天照大神系の神社が多く、境内の中でもひっそりと猿田彦・・と書かれた古い祠があるくらいで、猿田彦を前面に堂々と祀っている所は見た事がない

そこで古事記の話を振ってみると、そっちの分野も詳しく坂上田村麻呂伝説など、私の知らない名前がぞろぞろとでてきてワクワクが止らない・・(このジーさん何者!?)

本当はこの後、伊勢堂戴遺跡へ直行しようと思っていたのだが、急きょ予定変更して
その猿田彦神社&古代ピラミッド説のある黒叉山へ行ってみます!と伝えると

今の時期は・・熊よけ鈴持って行ったほうがいいね と言われた

確かに、秋のクマは冬眠前の食料確保にガル気に入ってるので、最近は山にドローンを飛ばしに行くのも躊躇してるのに
「そういえば、下りてきてるみたいだから山には確実にいるだろうね」ととどめの一言

・・でも、猿田彦神社・・天津神の影響を受けていない神社・・古代ピラミッド(-ω-;)ウーンマヨウワー

(# ゚Д゚)ノ行かねばならぬ!(゚Д゚;)

という謎の使命感で熊よけの鈴を探しはじめた(まるでRPGだな)

黒叉山ピラミッド・猿田彦神社に繋がる不思議な出会い

時間は正午、近場のコンビニで探すも売ってない・・土地勘がないので右往左往とホームセンターを探し、3件目の店で店員に熊よけの鈴ってあります?と伝えて一緒に探してもらう事5分ほど・・

店員と話しているとレジで並んでいるおばちゃんが「熊よけなんてあんたどこ行くの?」と話しかけてきたので、「ちょっと、そこの黒叉山に神社があると聞いて・・」と言うとおばちゃんの目が光輝いた(ように見えた)

「私はあんたがなんで黒叉山に行くのか興味あるわ!」と少し店の外で会話をする事に

大湯遺跡で黒叉山ピラミッドの話を聞いて・・と切り出すと、そのおばちゃんが、実は当時の遺跡発掘調査隊のメンバーでこっちに来て、そのまま結婚してこの土地の人間になった事

過去に黒叉山の遺跡調査にも参加し、遺跡があるのに発掘ができない(地主拒否)事から、20数年前に黒叉山の謎への情熱を忘れていたけど、あんたのおかげで思い出したと目が輝いた理由も話してくれた

そして、なぜかそのまま家に招待されて、様々な話を聞いた
大きな震災があっても猿田彦の古い祠は崩れる事はなかった等

俄然、黒叉山への興味が強くなったのだが、楽しい話を聞いてるうちに時間は2時間経過
今から行くのはやめますwと伝えて、それがいいよという結果になった

継承された古代ロマンの書籍

縄文 ヒスイ プレゼント

頂いた2冊の本はおそらく初版、表紙をめくると著者のサイン入りという事から、根っからの縄文ロマン、古代文明の考察好きなのだという事がわかる

また縄文土器図鑑の1巻は色々と濃いエピソードありきで(割愛)1巻だけダブっていたらしい

人生の大半をその情熱にかけ、今もなお縄文の伝道師たる活動をしているようで、自分で土器を作ったり、翡翠の加工教室などを行い週3日は東京にいるとの事(翡翠加工セットも頂きました)

今回は震災があり、東京に行く予定がキャンセルになり、近所に5分ほど買い物に出ただけ

私に声をかけたのも、首からぶら下げていた翡翠の勾玉に気づいたかららしい(偶然つけてた)
縄文遺跡→翡翠→黒叉山に向かおうとする私と出会った事で不思議な縁を感じたらしい

まったく知らない土地で、わずか5分ずれたら出会う事もなかったであろう不思議な縁
今思えば、猿田彦の導きか、今山に来たら危ないぞ!というおぼしめしか(笑)

そして、頂いた本を後で読んでみたら、俄然東北伝承の掘り下げへの興味が尽きない内容で
その鈴木旭という著者の本を現在Amazonで青田買いしている(考察ロマンの宝庫や!)

結果的に伊勢堂戴遺跡とは縁がなかった

その縄文の伝道師たる方と楽しい歓談をしていると気が付くと時間は2時間も経過していて、そろそろ伊勢堂戴遺跡にも行ってみますと別れを告げて車を走らせる事30分

現地に到着するや否やまだ時間は4時を周って、閉館には間に合ったと思っていたのだが、目の前で資料館のシャッターがガラガラと締まり、私の車にガイドさんが近寄ってきた

「すいません、前日の雨で倒木があって電気工事のため電気止めるので・・」
「そうなんですか、では外の環状列石は見れますか?」
「実は電気柵の電源も落とすので入れないんですよ。申し訳ありません」

結局、伊勢堂戴遺跡を見る事はできなかったのだが、時間もギリギリで辺りも暗くなっていたため、撮影もできなかっただろうしと諦めた

でも、結果論で言えば、早くついていても、結局見れなかった訳で(笑)

その前の不思議な出会いと楽しい会話で2時間潰した事で無理に熊よけの鈴をつけて山に登って黒叉山のクマに襲われなくて済んだかもしれない

色んな意味でうまく救われたように感じたのでポジティブに良し!と受け止めた

まとめ:本能に従えばうまくいく?

人生において、何がやりたいか?という哲学的な答えはないが
自分でワクワクを感じる事を追い求める旅というのは楽しい

そして、それが共感できる人との出会いは楽しさだけじゃなく、どこか縁があるのかもしれない
その縁というものが、スピリチュアル的なものなのかなんてどうでもいい

名前も知らない、素性も知らない、だけど一瞬で仲良くなって心を許せる一期一会
そんな人たちとの出会いもあるならば、旅っていいかもしれない

という前編の話(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)後編もあるのか!?

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