好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

魂の経験値 成長する為に素直に反省するべし

現代故事成語、魂の経験を無駄にしない為に、ありのままを素直に支える心の『悳』で反省し、世を音で観て観世音。『奸計者の関係者』から離れて、自らを支える心で生きる=『生息』の法則

不安を煽る7月扇動は魂を成長させる経験

2025年7月に何かが起きる!・・とそれを『気にしていた多くの人』が以下のような状況になっている

幼年期の魂→若年期の魂へ成長

都市伝説やスピリチュアルを『過度に盲信して恐れていた人』は
「人類滅亡しなかったじゃねーか!」と信用・信頼を裏切られ、騙されたと騒ぎ

「不安を煽った嘘つき共が何の責任も取らずにのうのうと生きていやがる
憎まれっ子世にはばかるとはこの事だな!それでいいんだったら・・!」

と、若年期の魂=競争意識・敵対・騙し、裏切り、人を貶める行為を行う
無知蒙昧が、主義主張の『自我の正義を行う立場を得る事を学習』する

若年期の魂→成人期の魂への成長

都市伝説、エンタメ、信じるか信じないかは・・と無責任に煽ってきた無知蒙昧の盲信を
「明確な敵対者として育て上げた、自分がこの巨大な極端な敵を生み出した原因だ・・」

と自らの行いを反省したものは、教育や先導は扇動となり発言を控え
その『信頼を裏切られたから真逆に向かう過度な極端』を抑える為に

中間でなあなあと止めようとするが、それは自分が撒いた業の結果
不安を煽り、火種を放火したが、思った火遊びが大火事になってしまった結果

「大きな災害は来なかったけど、いずれ来るかもしれない災害の為の備蓄や心構えの警鐘を・・」と
『言い逃れをして鎮火』させようと『板挟みに苦しむ立場を得る事になった事』を学習する

成人期の魂→邪な魂(ライトワーカーの闇落ち(激重))

これらのエネルギー変動は『邪な魂』が行っている

善かれと思って悪い事を『中立の立場で伝えた』のに・・結果

「伝えた者が悪いのか?警鐘を鳴らしたものに全責任が向かうのか?勝手すぎだろお前ら・・」

と成人期の魂が『二元性の極端』を知った上で『板挟みの苦しみ』もへて
「なんだこの世界?」『存在意義が無』になった時に

その三つの立場が堂々巡りしている世界に『見えない所から干渉してやろう』『存在なき存在(秘密結社・奸計の関係者)』として『エネルギーをコントロールする邪』になり

全ての魂に『不穏な干渉』をして『空気(場のエネルギー)を重く圧力をかけて生き苦しく』していく

成人期の魂→老年期の魂(ライトワーカーが役目を終える)

中立というのは、立場上の『正論』
『上+下+止める=正』という『どちらも理解』してどちらにも『深く干渉しない』
『無干渉空間』=心を穏やかに『軽くするライトワーク』をする

当然、『清濁併せ吞む』事で、それに『耐えきれず心が壊れる』

悲しみ=仮名染み→『仮の名(役目)が浸蝕』してくる
苦しみ=来るシミュレーション=『可能性のお試しの試行錯誤』

中立は『極端に争う二元性』から見れば、ほっとく立場=『仏の徳』だが
その中立の『中』では『鬼門の禁忌の鬼』と向き合い『正邪の心の葛藤の闘い』をしている

心が壊れるとは、この鬼門の正を云う鬼(魂)が『邪に負ける事』だが
『云う鬼=魂が邪を滅する事』ができれば、鬼は『抗体を獲得し怖いものなし』で心を護る

『邪が金の力でコントロール』するなら
その『邪の力』を『正しい鬼』が手に入れる=『鬼に金棒』と言える

『心を護る抗体を云う鬼(魂)』とするなら
『邪=かつては中立の仏』と向き合い『仏の徳を機能獲得』する事

『極端に警鐘を鳴らす立場』だったが『聞く耳を持たれなかった仏』
その『仏の心を理解』して『邪の役目を解釈』する

空海の霊場物語2 封印された平安の魔物(修験者)と尼僧の夢

『正邪が一つ』になる事で『生者』となる
生きる者は『息』をする

息とは『自らの心』と書き
『自らを支える心』を持つとは『労わる』という事

かつて『正の中立』だったのが
『自己犠牲で心が病んで邪になった気持ち』も理解して労わり
それは『必然の体験』であったのだと『抱きしめて解釈』して癒す

物事には『宗の素』とその『極端な教え』がある
その中において『邪(全)は正(一)へ導く事』だったのだと

正法

邪という『ウイルス』を『抗体』が捕縛して抱きしめ
『機能獲得して理解』してく中で『二元性と中立の立場』を

夢の中(シミュレーション・トラウマ)で追体験していく
夢のような『導かれるシンクロニシティ』で向き合っていく

「そうか・・そういう事だったのか」と
一つずつ『役目・役割』の『抵抗という執着』を手放していく学びの段階に入る

老年期の魂→超越期の魂 生き伸びる者=生息

自然の法則には『強い者が勝つのではなく変化する者が勝つ』というのがある
しかし、『勝ち負けは二元性』でありしっくりこない

だが言葉と『音の響き』は違う空間=『観世音』を生み出す

勝つとは、活・克・且・喝

活は生きる、イキイキする
克とは力を尽くして事をしとげる。よくする。できる
且とはさらに。一方で、そのうえ
喝とはしかる。おどす

『活き活き』とした『息苦しくない生活』を想像する(和の心)
その和の心の為に『力を尽くして事をし遂げる』
さらにその上で(向上心)
「金輪際・間違いを生み出さない!」『喝を飛ばす云う鬼(魂)』を宿す

その『想像が創造』するのは『和の心の実践』
果実とは『果てになる実』であり『現れる実=現実』

超越期の魂は、その『云う鬼を宿す為のエネルギー』として
『カタチ』にこだわらないから、現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)

あらゆる身体を自在に現す三昧

『時空』も『仮想』も何もかも自由自在に超えて
『必要な時』に『必要な場所』に『現れるエネルギー』となる

・・と、今回の都市伝説ブームやスピリチュアル扇動、それを利用した社会の連動したエネルギーというのは

これら、『魂のレベルを一段階引き上げる大いなる計画』だったと言えるように、それぞれの魂の段階の『抗体(機能獲得)』をしただろう

幼年期の魂は、人が言う=信を用いて、束の頁にされた信頼は
若年期の魂の不安扇動のビジネスによる『信者を儲にする偽神崇拝』だと気づき
信用、信頼を使って、騙し、裏切り、『争い抵抗する術を学んで成長』した

そして今までの手法ではもう幼年期の魂を騙せない上に
『新しい若年期の魂』が増えて『極端のバランスが変動』した事により

「聞く耳持たないモンスターを生み出したのは自分だ」・・と反省した
若年期の魂は「お、落ち着け」と『中立の成人期の魂』へと成長した

そして、成人期の魂は心を穏やかにさせようと
極端を理解させる光も闇も暴く『正論・真実のライトワーク』の中
「聞く耳ねぇなら、体験するか?」と邪に闇落ちして

そして邪という『二元性のバランスを操る予言者』となり
『計画』を立てて『実行』し『二元性をコントロール』するように
立場を待たずに、『どこにでも干渉できる体験をするように成長』

一方で、『聞く耳持たないモンスター』を育てたのは
かつて幼年期の魂を盲信の信者=儲として利用していた『若年期の魂の自分』である
と『過去の業』と向き合っていたのだから、『中立の立場(抵抗・拮抗)』は必要ないと

全てはこの『立場のある世界への執着を捨てる』事で
「それ以外の世界を観測できる!」と『自由になった老年期の魂』へ成長

その自由とは別の所で『不自由の柵(しがらみ・死絡み)の世界を構築しているのが邪(全てがある)』と気づくと、

「どうして自由なのに不自由な事をしているんだ?」
「どうして、その小さな世界に執着しているんだ?」

『籠の中に閉じ込めた鳥に餌(毒)をやる姿』が気になり向き合ってみると

邪はかつて『正論を受け入れさせようと苦悩』していた
かつての『違う役目の自分』だったかもしれないと気づく

『主』に『餌(成長を促す)』を与える『母』の気持ちは
籠の中の鳥には『気の毒(主+母)』になっていた

逆に言えば、『邪が重圧の役目を担ってくれた世界があった』から
「その世界は必要ない」と『見切り』をつけて『自由の鳥として離れる事』ができた

『柵』がなければ『越えよう』とは思わない
『崖』がなければ『橋を繋げよう』とは思わない

つまり、『重いエネルギー』がなければ『軽くなろう』と『必要な向上心』は産まれない
『不自由な重力』がなければ『人は自由の宇宙』を目指さない
『底』が見えれぱ『探求』は起きない

誰かが『極端』を創らなければ、『二極も中間』も生まれない
『想像を膨らませるクリエイター』がいなければ『ゲーム』は産まれない
想像をクリエイターが『創造』しなければ『プレイヤーは遊べない』

釈迦とは、問題に巡り合い解決するという意味
『解決するべき問題』がなければ『釈迦の居所』はない

釈迦は『三次元に弟子』を送り込み『授記(指令・宿業)』を授け
『問題』を見つけさせ『自力で悟を開かせ解脱してくるのを待つ』というが
その『自力で難問を解く時』に『手助けするのも釈迦』である

これが法華経

こう考えれば、全ては『遊び』であり『学び』であり
『学びの業を修める』まで『ゲームの本質』は理解できない

クリエイターの心=『創造主の心に素直』になれば
ゲームクリア=『成仏・解脱』となり

『クリエイターの世界』には人が云う説として『伝説』というエネルギーとなして遺る

いうなれば、伝説とは、『ゲームをクリアした攻略法』であり
そんな『攻略法』が原典として原点に最初から広がってしまえば『人は楽』をして成長しない

だから、ここで『邪な心の理解と解釈』が必要なのだ

成長させる=ゲーム『難易度』を上げる
簡単な方法は『人の為=偽』を生み出す

偽宗教、偽預言、偽社会
偽=騙す、騙された者は裏切りを感じるが・・

そもそも偽は『人の為』なのである
人は騙し、騙されの『繰り返しの因果』に

『騙してはいけない』と『因に心』を巡らせ『正論』へと成長し

「なぜ人は騙すか?」と『上の心』と『下の心』をつなぎ止めて『正』を論ずる(自問自答)
『騙さない立場で騙す事を想像』する=『正邪の思考シミュレーション』

すると、「これも人の為か!」と『心配り』に気づき『恩』を感じ

人の為と『騙して遠ざけていた事』にこそ
「真偽の境目がある」と気づき『禁忌の鬼門』と向き合う

真偽の『境目』、逢魔が時、意識の観測する世界がどんどん変わる『変性意識』
『奇怪の不思議』に『有難いと感じる頃』には、もう『名も体(役目)』もない

それはゲームクリエイター(創造主)が仕掛けた
『意識の拡大=解脱へのメインストーリー(宿業)』へと向かっている

この感覚では『周囲の人』とは『かつての可能性の選択で生まれた自分の投影』
『他人』というより、『そうなっていたかもしれない可能性のひとつ』の現実

名も体もない=生まれていない

『プレイヤー』は『クリエイターの世界』のどの『役目を遊ぶ』か
『選択の自由』が与えられているが・・これが『自由意志』だと感じた

ゲームはやりつくせば『いつか飽きる』
『全てを理解』したら、もう『遊ぶ事はない』と『欲しい人に手放す』ように『超越』していく

・・が、その『先』にまた『別のゲーム』があるとしたら?

『ワクワク』するだろう?それが『越えていく』という『超越の生息』
成長した意識は、再び『生きて息』をする『再生と選択の自由』がある

『生まれる』という選択は、自らが何かしらの『業を体験』する為
『人の間』に『それを選択した』という事は『全ての体験は学び』である

・・つまり、『超越』しても『再生を繰り返す』とも言える『永遠の命題』

ここまでまとめると、『次元上昇=魂の成長』というのを
『体験して理解』したから『反省』ができるだろう

反省とは、『反して省く』と書く
何に『反した事を省く』のか?

それが『心』である
心に反した行いをした『自業自得の因果応報』

都合の信用・信頼を『鵜呑みの盲信を反省』し
都合よく『騙し、裏切った事を反省』し
それを邪に『誤魔化そうとした事を反省』し
その邪の世界は『かつての自分が生み出した業の結果と反省』し
そうならない、そうではない『想像と創造をしようと反省』し

それぞれの『魂の段階で反省』して「金輪際そうならない!」と見切りをつけた時
『意識』が変わって『見える世界』が変わる=響く音=波動を観る『観世音の投影』が変わる

『心=創造主』はいつも『観測』している
それぞれの『魂の段階』での学びの『修業の成果』を

『心を変える』とは『創造主である自らの心を変容』させる事
でもそれは『体験するべき業を修める修業を終える事』である

急がば回れ
業を回収して『超越』しても
また『授記(次の命題)』をもらって戻ってくる

それを問題から逃げて『苦しむ地獄』と感じるか
それを問題と向き合い解決する『楽しみ』と感じるか

『魂の経験値の違い』で現実に現れる『言動や行動』が変わる

『人の(心の)振り見て我が(心の)振り直せ』

7月の人類破滅の預言の『元になった漫画』というのは

その『かつての災害が起きる前』に、『夢で見た景色』で『印象的に残った日付』を伝えた
その結果、それが『どんぴしゃ当たっていた』というのは

『その日が訪れる前』に『その本』を手に取り『妙に印象』が残って
『その日が近づく前から対策を考えるきっかけ』になって

『助かっていた人』へのメッセージ

その『メッセージの役目』を『終えた後』に『蛇足で過去に執着』して
『利益誘導した若年期の魂』の扇動(都市伝説ブーム)

その『若年期の扇動』をより社会に広げてて動かした『邪の魂の波動』

とうに役目を終えた『宗の心(素=主の糸)』は
宗なき後に『軌跡が伝説』として『盲信する教(極端)』にはわからんよ
その教には『元』を思い出させようとする『邪(コントロール)の波動』もわからんよ

ただ『素直』に『夢日記』を世に『書いて表現』した『主の糸(WARP)エネルギー』
それを『素直』に受け止めて『心のままに行動して助かった人が一人』でもいるなら

その『漫画のメッセージ』はその『一人に発した授記』である
それはもう『役目を終えた伝説=人が云う説』だったというだけの事

『正論を苦言する中立』に『聞く耳』を持たず『邪に振り回される体験』
これもひとつの『現代故事成語』

現代での『事故』を『自己の昇華』の為に『反省』して成り立つ語り

『心の気づき』を『実践体験』で学び、物事は『相似』すれば『掃除』ができる
そういう目線で『邪な波動(直感)を観る』って大事

『金が力を持つ邪な世界』なら『金の動き=波動』を観れば
その『金に屯する=鈍い動きをする人』を見極められる

と改めて、老年期の魂は学びに変えたという気づきのお話でした

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