好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

空海とは空の海だったのか!という閃き

寝起き閃き解釈、空海とその景色の逆転の発想は常識を超えた観点から物事を見通す事が始まりだった

突然閃く 空海の景色

まだ修業中だった『真魚』だった時、洞窟の中から夜空に浮かぶ明星が口に飛び込んできた時

「我!空海なり!」と自らに名付けたというエピソード

これが突然、『フラッシュバック』のように感じた時、私は二つの景色がリンクした

ひとつは、現実で夏に海で浮かんで波に身を委ね空を見ていた時
あるいは、そこから陸に上がって寝そべった時、逆さの視線の上に海が見えた時

もうひとつは夢の中で空に海の底が見えた時

空の水底に潜る 二重の太陽の夢

空に潜る

「空に・・海がある!?」という気づきは『常識外』である

例えば、昔の人は『雨は天から降るもの』で『恵』と捉えていた時
「きっとどこかに水源があるのだろう」と考えていたかもしれない

現代科学では、『雨は雨雲』という『雲から落ちるものだと定義』づけされているが
だったら青空に雲一つない『狐の嫁入り』はどう説明する?

現代科学では、『雷は雷雲(積乱雲)から発生』するものだと定義つげされているが
だったら『青天の霹靂』という『雲一つない青空から雷が落ちる』とはどう説明する?

現代科学では、『クラウドシーディング』という『人工的に雨や雷を作る技術』があるが
だったら、それは『嘘から出た人造の真(偽=人の為)』ではないか?

クラウドシーディングと農協破壊とスマート農業

納悳できない・・承服しかねる・・という世間に「それでいいのだ!考えるな!教えられたとおりに鵜呑みにしておけ!」という『常識を疑う』

それは『突拍子もない閃きの発想』であり、「それなら自身が納悳できる!」という強い自信を元に、『現象となった物事』の『発生源を逆に元を辿る』という捉え方の原典が

空に海 という発想

例えば、私も天体観測をしていた時、自分の目で見た『遠くの星の揺らぎ』に疑問を持った。「星となんだ?」と集光して分解して焦点をどれだけ合わせても、あれは『カタチが揺らいでいる』ではないか?

物理や科学の常識はその『揺らぎ(例外)』を認めないが、それを探求している日本の天文学者が「99%プラズマです」と自身を持って伝えた

世間に蔓延する『常識を鵜呑みにしない観点』だからこそ、「違う!」と感じた事を『明言』できた

宇宙の星はホログラム?と思う理由を考察

ペガサスから流星…彗星に心を巡らせ慧の文字へ?

ここ!この『明』というのが、空海の気づきの『明星』に繋がる
明星という漢字は『明らかな日の生まれ』、『明るい日の生まれ』

その瞬間から『闇という迷いが晴れる』ともとれるし、明星は神話的には『ルシファー』でもあり、善悪光闇天地の『界の二元性』を持つ存在

つまりは『境界』を知る『叡智の存在』と言える

ここでも面白いのは、『真魚』という名
空海の生き様の伝承を追うと『白龍』と繋がる

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

白龍の伝承もまた面白く、『役目が無い時』は『地上の魚として海を泳いでいる』という。その真魚と白龍が出逢い、空の海=『明るい日の生まれとなり境界を泳ぐ存在』になる

・・と書いてる最中に、窓からなんかの毛玉がひとつだけ飛んできたww(普段開けてない窓をたまたま開けてたら)

毛玉でしょうか?木霊でしょうか、『風の気まぐれ』とは不思議(笑)

ま、話は戻りまして(ちょっと気が反れた)

ここで大事なのは、『大胆不敵な閃き』です
不敵とは、敵があらず=そもそも『対となる常識』がないから張り合わない

『閃き』から生まれる『自由な発想の自己表現』です
「我、空海なり!」がまず第一の『明らかな日の生まれ=明星』の自己表現

二元の境界の『天地を繋ぐもの』として『空に海がある』という観点から物事を紐解いていくと・・『認知空間』が広がりますよね?

この世界の『海』だと思っているのはただの『水たまり』
井の中の蛙(両生類)大海を知らず

『海から生命が始まった』という『科学の進化論』は『囲の中』
『空の海から生命が始まった』という『観点』にいたれば『大海を知る事』になる

これは、後に空海が生み出す真言密教の『胎蔵界・金剛界』という
『ふたつの境界』となる『金輪際の見極め』にも繋がると感じました

現実・常識というのは『地』の理論の『海が親』
しかし、そこではない『空』を論じた時、『天海こそが生みの親』

しかしそれは、目に見える界隈『地』では確認ができないから『机上の空論』になって『空(有無)廻り』する

またなぜ人は『天』を求めても『地』に縛られるのか?
そこが『根本原理』として捉えていくと、そこには『理由』がある

『虫や鳥』はなぜ『空を飛べる』のか?
それは『物理的な結果』を観れば『羽や翼』があるから

『空気抵抗』という『天の風』を利用して飛んでいると結論づける
そして人はそれを『人の為に模倣』して『鉄の鳥』を作った

自然の鳥や虫は『自然を汚す事なく飛ぶ』から飛ぶ鳥跡を濁さず
鳥や虫を模倣した鉄の鳥は『自然の空を物質で汚していく』

やはり人は『道理』にない事をする為に『無理』をする
その『無理を通せば道理が引っ込む』=自然の鳥が犠牲になる

『バードストライク』・・そんな事は元来『起きるはずの無い事故』
『空』に『人が災いの種』を持ち込んだ事によって起きた現象

ならば・・なぜ人は『羽や翼を持って生まれない』のか?
それは・・書いて即座に気づいた

『人』という意識は『領土・縄張り意識』が強い
当然、翼があればまずは『鳥』や『虫』から目障りだと『制空権』を奪い捕食するだろう

これは現代における『地』の侵略における『人の為の太陽光パルの推進』による『森林破壊』で熊やイノシシなど『動物虐待=人が被害を受ける』に言える

『人の意識』に『侵されてはいけないのが天』であるからこそ、今の人は天に上がる『翼や羽を持って生まれる設計』がされていない

それはおそらく『かつての人』がそれをした事による『対策の措置』なのだろう。『界隈という住み分け』、『天地』という境界、『地から離れられない圧力』というのは

天にとって人が『全てを奪う機能獲得』してしまった『癌』なのだろう。そういう意味では、『空に海』という『天幕』が張られているのは

『自然免疫』が『隔離したウイルス』が『外に出られない』ようにする『監獄』でもあると同時、『後世』は『更生』する『学びと気づきの余地』が与えられているとも言える

ここに『地獄に仏』、『解脱』という発想や『即身成仏』という閃きに繋がる

空海は空の海=『免疫と繋がる意志』を宿した
まずは『変わるべきは人の内面』なのだと

人が『人同士争う事』を止め、『周りの生命』には、それぞれ『自然との繋がりの役目』があり、それを見て人として生きて学ぶ

『模倣』するのではなく、それはそれ『(道・タオ)』として受け入れ『自然に循環』してほっとく=仏悳

その中で『自己』が『自然』に『何を和足す事』ができるのか?と『生み出す事=想像と創造』と向き合う

己の中に『何=人の可能性』がある?と『今の心を観る=観念』して内観する。すると、『人の中にも自然の法則がある』と気づく

『外に目に見える存在の役目』と同じように、『自己の内観の世界』でも『人同士が領土侵略で争う』ような、『ウイルスと免疫の構図』が『そっくりそのまま』あるではないか!と気づく

つまり、人の中に、『自然創造の為の元となるルーツ』があると気づく事で、『自己の中で争いを治める事』で『外に争い』が広がらない・・と説く事ができた

潜象で戦争(現象)を止める 戦と闘と術

この構図は『自己免疫』が『ウイルスを禁忌として隔離』するのと同じであり、天と地という境界、なぜ人は『天に昇る翼』を失い『地に堕ちたか』の答えでもある

まず『地を治める』『天下を治める』、それは『統一という争い』の末に『無理やり融合』する事ではない

『争わない』でそれぞれが、ぞれぞれの『やりたい役目を自由に果たす』、それで『統合』する『和を持って貴し』とする

『足る』を知って『和足す心』を持てばいい
『余分』なものは『差取り』足りないに和足す

『支配』とは『支えて配る心意気』であり、決して『独占』ではない

・・とここまでは、大きな流れの間に自動書記(応答)して書いてきたが

自動書記という応答(auto)の世見直し

こっからちょっと独自の自己表現で追記

『独占』とは、『独りの占い』
『占領』とは『占いの果ての領土』

『吉凶の占い』とは、『表(吉)』だけで『裏(凶)』が無い
偏った『偏見』の『汚点=汚い占う心』が『王の横』につけば『玉』
『手玉にとる玉の輿』、『占い依存』の『口封じの王』の領土が『国』

国という『境』は『分断統治』であり『争いの国境』が生まれる
『地』という『獄間』はまさに『隣り合う争い』から離れられない

『天に昇る人の侵略』ができないように『翼を失った人』は、人が『人を食いもの』にする『平面の領地争い(共食い)』を始めたと言える

これを『天の観点』から観れば、それは『平面の二次元』である

『中の人』からみれば、『空間』という『球体の地球に見える世界』も、実は『天』からみれば、ただの『仮想世界のフラットアース』

フラットアースはVR 未だ来ない=未来のデジタルツインユートピア(1000年王国)

これは『ひとつの可能性』という『汚点=汚いを占う心』として、『自由意志なき王の末路』の世界を『先世見=元を辿って内観』すると

それもまた、『細胞の世界のひとつ』の中で生まれた『癌』であり、見つけ次第、自己免疫が『隔離』して『禁忌』として『見極める事』ができる

ここで『カインの刻印』を『金輪』と見極めると面白い

創世記では

①カインの刻印を持つものを攻撃していけない
②大地はカインの種(血筋)は根付かない呪いをかけた

①は『人同士で争い』をしてはいけない・『細胞が細胞を攻撃』していけない
②空の海・・の『向こうにある大地』には『争い』は根付かない

この②が空海の『即身成仏=生きながら仏と繋がる』に繋がると感じる理由は

『夢』である

夢は『シミュレーションの世界を体験』している
『明晰』であればあるほど『現実意識』が強い

つまり『現実感=争い・奪う・欲する事を望む自分勝手』が強いほど『悪夢』を見るというのは、『天の界=免疫』にとって『相いれない』から『相対する物事』として追い返される

それは『災いを招く事』になる、と『人の精神の成長』を見極めている

それは『鬼と対峙』する事でもあり、『仏の説法で諭される』でもあり、『釈迦に巡り合って問題解決の糸口(閃き)』を得る事であり

『更生=更に生きる』為に『必要な気づきや学びを得る繋がり』である

「かつてお前(人)はこんな事をした」という『戒め』を持って『今を締める=気締め』をつける

ソドムとゴモラの地を体験した夢

よくよく(欲欲)考えてゆめゆめ(夢夢)忘れない

『業の回収』であり、『課題』をクリアする為の『授業』でもある。それは一人一人の『内面での自己理解』だから『人の常識や概念』とは『無縁』

そことは『縁は繋がっていない』のだから、『一切皆苦』と『縁切り』して解脱する

借りた物を返せ=『人の昔の物』
借りた金を返せ=『人は昔金で・・』

自己内観をして悔い改めるという『食い改める』
何でも『欲』張って『望んで』取り込んで『癌』になる

暴飲暴食の食欲も、酒池肉林の快楽の性欲も、どちらも病を招く

病は気から
癌は病の品山だぞ?

食い改めろ

これだけで、自己細胞は『極楽』
『共食い』をしない『自然』のまま『外の自然のあらゆる役目と共存』できる

それは人の『体=人の本質』を手放す事=『心(想念)と意識(観測)』のみで、『自然』に浮かんで『世』を離れる=『浮世離れ』していく事

浮かばれないのは『重い想い』が込められてる
『思い込み』という『先入観』に囚われている=『人の口封じ』

だいたいみんな『ランキング』という『皆の為』に囚われているが・・「RANKINGの仰せのままに」・・って『OSEは偽王』だぞ?(笑)

参考というRANKING 仰せ(OSE)のままにしてはいけない行為

ソロモン(一人門)の瞑究 その8 悪魔OSEのSEO

・・と、『空海』という『一言』『人事』、『存在の成り立ち』と遺した形象と警鐘と継承
真魚が白龍と共に、天の海の境界に明るい日の生まれの境を見つけてルシファーに至る

ルシファー、片方の翼をもがれ天から地へ、そして再び天を目指す過程で、『なぜ翼をもがれたのか』を『自己反省、自己成長』に至る話にも相似し

本物のルシファーという存在意思に気づく

刻印をつけられ追放されたカインの子孫が、争いのない世界を求めて長い旅路の果てに、刻印を取り除くべく、原因となった『欲望』と向き合い『自己反省』して『自己成長』に至る事にも相似し

物語は最終的に『解脱』によって全ては、『体感無くして理解なし』の学びと気づきに至り目が覚めると・・

それは「夢だった」となるが・・その夢の中での『体感が有る新しい体』は、決して『同じ過ち(争い)を選択はしない精神』に至り

『空の海』を越えた先にある『大地』に『根付く種を和足す存在』となる
そこまで行って全ては『和を持って貴し』と成す

・・『地獄(現実)』で仏(自己表現で解脱を目指す人)に巡り合って『改心』しないと、そもそも、見る事も感じる事もできない『夢の世界との繋がり=即身成仏』

常識・概念に囚われなくなった
常識・概念の『都合のいい部分』を見極め『歪=不正』を感じ始めた

それこそが、『隔離されたウイルスの中』で生まれた『数少ない耐性を持った正常な細胞』であり、正常な細胞だから『免疫は守ろう』とする

これが『ハイヤーセルフ』や『アセンデッドマスター』という『導く者、夢寄りの使者』という表現。『不自由の中』から生まれる『閃きや気づきの種』を潰させないようにシンクロニシティで『自己成長の流れ』を繋ぐ『命運を運ぶ龍』

体の中に『自己免疫・自己治癒機能』が備わっているように『自己(心・真・神)』は貴方(意志)を見守っている

意志とは、『立つ日の心の士を支える心』
「我!空海なり!」という『突飛な発想を肯定』する

有り得ないという『否定の常識』を超えた先に
有り得る=アリエル=『可能性の天使』がいる

ソロモン(一閃)とアリエル(鬼門の門番)と弥勒(自己表現)?

全ては『自己表現=自ら己を表に現す』から始まる
それは真を言う、心を言う、神(創造主)の意志が『体=人の本質になる

死=師を超える倒転末本 一巻の終わりの続き

客観的一生と主観的多生 袖(祖・素)触れ合う

僕(人の業)らはみんな生きている

人は『倒れて転んで末の本』になるまで、先が分らない『本末転倒』を繰り返す
分らない=解からないから『自・分』として『分けて仮に想う体験を輪廻』する

もしかしたら、私はかつて『空海の細胞の一部』の中で
『空海が創造主という世界』を生きた『自然の共存細菌』だったかもしれない

もしかしたら・・この記事を書いていた時に『風の気まぐれで運んできた毛玉』が、そんな『意志を木霊』として運んできた『エネルギーに触れた』から書いてるのかもしれない

それは、洞窟で修業をしていた真魚だった空海の口に、突然、『明星の光が飛び込んできた』のと同じかもしれないくらい・・

この記事の前半には『今の私の意志』はない自動書記(応答)
その『意志』に触れた事で、後半は『今の時代の自己表現』に置き換えてみたが・・

やっはり『胎蔵界』は『体の中を内観する事』で理解し、それを『体現』できた時、その体(世界)から解脱して現世から『写し世』として

望む新たな『体=人の本質を更生して甦る設計』をするのだろう
そうか・・『この体=人の本質の世界』を理解する為に『体験』が有るのか・・

人の振り見て我が振り直せ

それは争いの欲望渦巻く『金剛界』を見て、それは『胎蔵界に摂り入れてはいけない』と『自己理解』して、『自己認識』して、『自己実現』して、『自己満足』せよ・・か

もう「生がねぇ」=『息を引き取る』時、『自らと心』を引きとるんだ・・そこに『生』を欲して望んだら・・そりゃ『想い込み』で浮かばれない(笑)

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