吉凶を占う二元性はなぜ偏ったエネルギーバランスなんた?と預言者が大事な役目を忘れ、四つの甘い力=勘が鈍って金に屯して、人の為という偽の邪に堕ちていると気づいたお話
夢を見るとは…
いつから『現実でひとつの物事を追う事』になったのか、実はそれを考える事で、『現実』もまた『夢』であると証明出来る
私はさっきまで夢を観ていた。内容は語れるほど覚えてないけど、全く違う人生のワンシーンを普通に生きていた
…と、何か『夢を見てた事実』があると、『現実で気にかけた』時点で、『さっきのは夢だったと確定する認知』が起きるが、それすらなければ『夢は存在』しない
つまり『夢のない現実を生きてる人』もいる
私はそれを『魂の有る無し』だと感じるし、それは『常時有る無し』ではない
魂=鬼が云う
鬼は心の門番
その門番が伝える=人に云う
「さっきまでお前は『別世界に意識』があった、それを『ゆめゆめ』忘れるでないぞ」と『思いを継承』する、そして『警鐘した景勝』が見せる
夢占いは元々、独占ではなく審判
夢『占』と独『占』、これを『同じベクトルで読み取れる』かが重要で
『夢』は『多次元の空間』とするなら
『独』は『ひとつ・ひとりの空間』である
占とは『上口』の合体であり、形象は『鍵』
自分のものにする。ひとりじめにして持つ。しめる。兆候を見て吉凶を判断する。うらなう
私は『夢』を見る度に『多次元の自分』はどこにどのように存在していても、心の根っこに『人を憂う=献身』が有り『様子見』というスタンスで『場繋ぎ』のような事をしているから
場繋ぎの為に『意識』が『夢という多次元の可能性を旅している感覚』になると、『現実』もまた『意識が観測している夢のひとつ』で
目を覚ますには『何か達成すべき項目』があるんだろうな〜くらいに考えた時、『漢字が鍵』になって『夢や意識に変化』が現れ始めた訳で
占は審判であり、決定は王(意識)
『宀=ひとつの物事に二つの可能性』
その『番』をする『半分の刀』
『上』から降りてきた事を『口』にする『占』には
『吉と凶』という『二面生』がある
これは『半々の言い分』がある
吉には吉の言い分があり
凶には凶の言い分があり
どちらも『切れ味のいい刀』で『つばぜり合い』をしたような交差を上から押さえつけたような『文』の力が人に云う=伝える。それが吉と凶は『拮抗している関係性』
最終的に『どちらかを選択』するのは『王の自由意志』なんだけど、いつから『吉は良く』て『凶はダメ』という『独占』の『判断』が始まったのか?
それによって王は『自由意志の選択』を失い、『吉ばかり選ぶように誘導』されるようになった結果、それは『多次元の選択を失った』という『一つの独占の現実』
アドバイスとは
助言。また、忠告や勧告。「占領軍の―が出た
なにかがうまくいくよう(私的に)助言・忠告すること
さて、『占領軍』という言葉が出てきた事で、この国は『不平等条約』を結ばれてからというもの、『占領軍』に『憲法やら信仰の廃止やらと内政干渉』されまくった挙句、政治には『属国としてシンクタンク・ハンドラーの言う通りに動け』と…
『占った命令の頁=文』の『独占の現実』に囚われてます
『王』の側近に『点』がついて『玉』のように転がされ、それが『口』封じで囲われて『国』の出来上がり。つまり国とは『預言者の玉転がし』
『邪な独占』が『占領』にとって『都合のいい国支配』
それを『個人の占い』レベルに落としても同じ事(ミクロな光はマックロな闇)
占い師は『凶を避け吉を勧めて』くる
良かれと思ってアドバイスをしてくるが…それは偏っている
良かれ悪かれ『その人の業の因果』
その『結果が応報』する時の『ひとつの物事』に対する『二つの結果』の可能性
良い事をしたとしても悪い事をしたとしても、それは『因の心』が『恩』になって『巡る報い』であり、『凶』という漢字について先に降りてきていたのが、ポイントだろう
悩むは『心が偏った流れ』に囲まれ占められ
脳とは『月が偏った流れ』に囲まれ占められ
『現実の思考』と『精神の両方』が閉められているが、それを閉めたのは『占領軍』だ
かつて『氣』は『気』に変えられた
力の源の『米』は封じられ『米は国』から奪われ
その占領国は『米国』となった
十戒で有名なモーゼは『二枚の石版』の内、一枚を叩き割った
これは相反する『反対が都合が悪かった』
それが『無い事で独占する事』が出来たを意味する
『吉を利用する者』にとって『凶は耳障り、目障り、口封じすべきレッテル』の対象
『凶』の多くは『不幸を告げる』と言われるが、『人の魂が大きく成長する時』というのは、『難が有る時=滅多にない有難い事』
『問題』を知り、『問題』と向き合い、『問題を乗り越えよう』と『無理難題』を『道理感嘆』に捉える
無理なんだーい!と『諦め観念』すれば
それなら「道理で簡単だ!」と気づくきっかけがくる
ピンチはチャンス!トラブルを楽しめ!
『感嘆』とは『感心してほめる』こと
『凶』という『今日』を乗り越えた事で『力』を得る
誰だって『嫌われるような事』は言いたくない
だけど『嫌われる事』になっても『言わなければいけない』
それが『心を鬼にして云う』という『魂』の役目であり、『審判』における『賛成の反対の判断』でもある
『王の意識』を『預言者に都合のいい吉に誘導したい者達』にとって、それは『王の背負う因果=自由意志』にとっては『凶となって巡る先送りの報い』となるからこそ
『今!氣締めをつける役目』を果たしなさい
『過去』から『先送りにされてきた業』と向き合いなさい
これが『鬼が云う』=『魂の業の回収』の因果の向く意
「問題に立ち向かうなら力を与えよう(試練)」
そして鬼門を通ってデーモンストレーション(お試し・ストレステスト・レクチャー)が始まる
そっちを受け入れ『凶=今日・経と向き合う』と実は『凶はレッテルでは無い』と気づく
吉凶とは拮抗=亀甲
甲乙つけがたし
第一と第二の優劣を決めづらいという意味
『亀』という字をひっくり返しても『亀』
これもまた『互』と同じように『上も下もない』
『全の脇』に二つの立場=『金』
これを私は『邪』と読んでいたが…邪は『中立という立場』から傾く=『偏見で善悪に加担する事』で生まれる訳だから
王の片側に点で『玉を転がす権力』を得て、『奸計による関係』を築き、政略結婚で『玉の腰』となり、『口封じで国』となる
もしも『助言の預言者が女性』ならば『王』への『ハニートラップで国堕ちる』とも読める
そう言う意味で『現実的』に捉えた時、語れば語るほど、『低い次元』だなと(´・ω・`) Σ(゚д゚;)
それは『王=自由意志を無視』した『都合のいいアドバイスの吉を選ぶように洗脳』されて、『反対の審判が表す心の鬼の問題提起』から逃れてるだけの現実
「間違いは間違いだ!」という『罪重ねに聞く耳を持たない』だけ
『与えられた情報』を『鵜呑みに従う現実が語る夢』とは、『ひとつの現実に意識が束縛(独占)』されて、『それ以外の可能性に向かない』ように『囲い込みされた中でのサンプルとして提示(想定内)』されている、『夢のような生活へ憧れを持つように』と
『金に囚われた世界を押し付ける』が…その『金というシステムそのものが問題だよね?』と『問題提起』した時、その声に『耳を傾ける素直な王=自由意志』には
『真の多次元の選択の自由』というその現実の中には決して存在し無い、『別の可能性の現実を目の当たり』にするだろう
『ビジネス=busy(忙しい)ness(役目)』の占いは『魂は売らない』が『情報は売る』
魂=鬼が云う=凶=成長への問題提起・業の因果応報
吉=当たり障りのない都合のいい反対の事
そして余計な偏りを産む『偏見の一言のアドバイス』で、『占いの虜の囚』を生み出す独占
『現実的な事を進める』為に『占いが必要だ』と『洗脳』する
これが『一国』の『王』たる『権力者のお抱え』だと思えば、それが『玉転がし』している『分断統治』している『各国の預言者ネットワークで裏で結託』してれば、『世界を動かすのは道理で感嘆』だ
だから『詰まんない』現実(´-ω-`)
引けば押し、押せば引く
探求しても『距離』がつまんない=『先も奥も無い』
そうやって『味』を占めちゃった『独占』
だから反対に『未知の道』を見出す流れに乗るきっかけが『問題提起する夢』なんだよね
お前は『そのまま』でいいのか?
お前は『自分の人生』を生きてないぞ?
これが占いの結果の『凶の方』と『ガチで向き合った時』の診断結果
そこから私は『大きく』変わりました
『大=一人』で変わりました
『苦言』を呈す、次から次へと『向き合う問題』を見せつけてくる『凶の過大(トラブル)』は『今日の課題』
だけど、実は『それがやりたかった事=有難い事』なのかもしれないと、数々の『トラウマ克服の悪夢(現実)』を何度も見ながら
いつからかほとんど悪夢を見なくなった頃には、私の現実への意識も『大分=一人分』変わってて…
『人の意識』は、『人』は変えられない
変えては『後の自分』が生まれない
それに『気づいてない他人』は『過去の自分』
その『無知蒙昧』で『何も知らない自分』がいたからこそ、『甘やかさずに苦言を呈した魂=鬼が云う事』に『素直に観念して今』がある
『未だ無かった次元』が『今日の凶』と向き合って『今は有る』
だから『今日・経・凶やるべき事=苦言・問題』から逃げる『現実逃避』は『予言者の独占という吉』だよ?(笑)
まさに『氣違い=キチガイ=吉外』だよ、『吉の立場』から見れば、『凶』なんてね。それはいずれ来る『因果応報の業の回収の問題』を『遠ざけ先送りにする』という『責任逃れの選択』
『業が軽い』うちに向き合わないと、『罪(詰み・積)』重ねて、『塵も積もれば山となる』=『大事(おおごと)』になっちゃうよね
でもどこまで大事になっても『一人事』として解決する時が来るんだよ
『預言者』は『自分の吉を取り続けるキチガイ』だから『王』には『都合のいい事』しか言わない独占
だから『王=権力者』が『預言の助言(ハンドラー・シンクタンク)』で吉外に狂った時、民は『凶の中(死中)』で、『今日の問題』に取り組む事が、『必然的に成長(活を見だす)』する事になる『有難い事』でもある
そうすると民は『民の上にある監視の目』という『罠』に気づき、王の願いは叶わなくなり、『民による王のジャイアントキリング』が起きる頃には、『王の側近の預言者は雲隠れ』。哀れ『予言者の吉(都合)』で動いた口車になって転がされた玉だった王は
その『先送りしてきた因果応報の自業自得』の『罪重ねた業の回収』に逢うという訳で
権力(金)の脇にいる預言者=邪の『金に屯してる鈍い預言の吉』というのは、『それ以外=吉外は凶』である
『吉』から見たら『凶はキチガイ』であり『異端』である・・という構図が見えたらもう宗教と相似の完了
『凶の苦言』を受け止め、『改善』に取り組め
おみくじで滅多に出ない『凶』を受け取り噛みしめる=神締め
『大神=一人示し申す=狼』となって自然を神契れ
『吉』が『不自然な金』にとって『都合のいい支配の預言』ならば
『凶』は『自然の風(縁氣)』にとって『大衆に広がる知恵と経験』である
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉がある
HAHAHA( ̄∇ ̄)ここでそうきたか!これもパクリ(模倣)か
具者は敬虔・慶顕から學
権者は轢死から学ぶ
私の感覚では、愚者(レッテル)は具者=『道具・応具・法具』を扱うグノーシス
敬虔とは
深く敬って態度をつつしむさま。特に、神仏につつしんで仕えるさま。親や神々に対する忠誠心、崇敬心、孝心を意味する
慶顕とは
よろこぶ、祝う、めでたい、幸い、よいできごと。めでたいと祝う、よろこぶこと。縁起。縁起がいい。めでたいこと、吉事。さいわい、幸福
轢死とは
車にひかれて死ぬこと
『権力者の末路』は『民に引きずり回されさらし者にされる』のだけど、それ以前に『軋轢(あつれき)=人の仲が悪くあい争う』こと。『不和』が権力者の中で起きて、『謀反・クーデターなどの醜い闘争』に巻き込まれるように『預言者』が動かす『運命の車輪』によって転がされ・・
「轢死から学べ?」という『堕ち』が待っている=一時の権力者=時の人
そういう『権力者の上にはさらに権力者』がいるんだけど、その脇には『全て金』という『邪な偏見』の『吉しか勧めない予言者』が『今日の凶(問題と向き合う日)を避けて先送り』にしてる耳障りのいい『馬の耳に念仏』
ああ、そうか、それで王様は『聾唖の耳』か!
だけど・・『凶の今日』と向き合った『民』は『罠』に気づいて『そこ=権力から離れる』と、『京』に『興冷め』する
東京?西京?宗教?、そんな『偽の現実』に『今日見』が無くなって、そんな今日から繋がらない『明日を夢見る』と、そこに至る為に、『間違った今日(現実の概念)』を『明日(理想)』に持ち込まないように
現実で『凶』とは何か?正面から『積み重ねてきた業』と向き合って『観念』しなさい
巡ってきたものが、『難』であろうと『何(人の可能性)』であろうと禁(とどめる)恕(ゆるす)
この恕(ゆるす)という漢字は『思いやり』を意味するが、この現実では隠されている
『思いやりが隠されている』という『凶の問題』と向き合ってみな?
吉と凶は『二つで一つのエネルギーの拮抗』であり、どちらが良くて、どちらが悪いの二元性ではなく、『到達に至るまでの道筋』が違うだけ
『問題を先送り』にするか?観念して『問題と向き合う』か?
今の心が『誘惑に弱い事を証明』するのが『凶』を受け止めず『吉(都合のいい方)に逃げる』という特性
禁じる事もなければ、恕(ゆるす)=思いやる事もない
だから『独占』という占いは『一つの結果に統一』されてしまった
占いの『裏もある』って事をちゃんと理解できるのがカタカムナの言霊
うらない=生まれる場の核の現象
物事には必ず『二面性』があるという『結果を示す意味』ではあっている。同様にタロットは『逆さの位置』も重要視するからおもしろい事がわかる
たろっと=分かれた空間が自然に集まって統合する
これがさっき私がまとめた『到達に至るまでの道筋』が違うだけと合致するし、カタカナで書くともっと面白い漢字になる
タロット=名汄
汄=水の流れるさまという意味
名は体(人の生き様)を表すであっている不思議
ここで うら に対して おもて で読むと
おもて=奥から漂う循環
・・妙に『きな臭い臭い』がぷんぷん漂ってきますね、『裏に何』があるんだよと(笑)
おもて=表現=パフォーマンス=人目をひこうとする行為
表向きは=〇〇は~だが実際は××だ
吉=表向きは耳に心地良い事だがそれは『人の為=人目をひく偽の建前』
凶=真実は『問題を乗り越えた場合に限る』という本音
どちらを選択するか?それが『明目て観念』する=『明らかな目』で『今の心を観る』って事
他人から与えられた情報で判断する限り、間違い続ける『幸せに反する=報』
吉が『他力で回避の先送り』ならば、凶は『自力で克服=禁(とどめる)恕(ゆるす)』である
だから、夢の解釈は、夢を見た自身が心に素直に納悳する事が『未知の道』を生み出す
ちなみに、きょう の言霊は
エネルギーが自然に新しく生まれる
善くも悪くもね(ひとつの物事には二面性がある)
この繰り返しで今日(凶)と向き合う事も必要だからこそ
おみくじで大凶がでたら=一人の今日(問題を克服するチャンス)の始まり(一人一)有難い
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