好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

脳に潜む凶 夢は何かを遺し消えていく

夢とは何か?儚く消える、夢見の記憶。忘れてしまえば忘却しかし、覚えていれば追憶を記録。今日は凶が潜む脳の話

夢の記憶は目を覚ますと消滅する

人も動物も必ず毎日眠る(数日徹夜するとかイレギュラーは除く)、その際に、夢を見る

睡眠中の夢は、その日にあった出来事を整理するために見せているという『脳科学の概念』を信じる人は疑問に思った方がいい

ならば何故、その『記憶の整理の過程の映像や体験』が『記憶から消去』されるのか?

悩み

むしろ『整合性』を取るならば、『昨日と今日を繋ぐ過程の記憶』こそなければ、『索引』が無いから『的確にデータベースを参照』できない

脳の記憶の整理に含まれない『夢見の記憶』
それはメモリー先が『脳ではない』という事

人間は『脳の魅力』…に取り憑かれた頭でっかち

なぜ昔の人は『首(頭)』は切り落とし『腹(腸)』はカッ捌いたのか?これは頭か腸に『何らかの寄生虫』がいるかどうか?『弱虫』がいるかを試されている

『命乞い』をして『往生際が悪い』かどうか?
『達観した精神』で『死を恐れない姿勢』は心は晴れ晴れ、心置きなく天晴れ

なんでそんな事を言うかって?

そう言う『夢』を見てきた『からだ(体)』よ( ̄▽ ̄) Σ(゚Д゚;)

切腹

昨日今日の記憶の整理?1週間でも1ヶ月でも1年遡っても、そんな体験なんざ1mmもないにも関わらず、『そう言う景色を得る』のが『夢』の不思議

そして、最近もあったのが、夢は『見る事』もあるが、『外的要因で見せられる事』もあると

『変性意識状態』の時に『蚊に刺される』だけで、その蚊が持つ『メッセージが振動エネルギー』で伝わってくる

降水 夜中に~いきなり蚊ぁ~(夢のメッセージ)

つまり夢見とは脳の記憶の整理ではない
『脳科学』に囚われている人は『noSENSE』

そこに『心』が無いから『悩む』
『2つの力』と『一つの片寄り』の思い込みが『メ』を囲む『凶』

運がわるい。縁起がわるい。わざわい。不吉

凶逆・兇逆

心がねじけていて道にそむくこと。 また、その人。 よこしま。 悪逆

その『因子』を抱えているのが『悩み』であり、『脳』

『靈』は『雨』の下に『三つの口』がありその下に『巫』

雨とは『水の記憶』であり、三つの口とは『善悪中立のそれぞれの立場』であり、巫とはそれを『素直に聞き入れる心』である

雨の浮舟 靈という文字の形象の継承

つまり『三位一体』だよという教えに対し、『素直かつ靈性』に受け止めると、『体験と記憶はそこから与えられるもの』だと解る

しかし『悩み』とはその『心』が素直ではなく、どちらかの『二元性に偏った状態』で『中立』がない

善悪・是非・光闇に目(メ)が囚われて『間』がない

ここで『心と月』の関係性で言えば『情』は『心の主に月従う』という構図

この月とは『体』であり『臓器』である

『腸』は『月が易しい』と書く
『易』とは『あらゆる可能性』を見抜く

脳は『月』が『心無い悩み』を抱えている
二元性に囚われ『中立無き争いの種』

右脳、左脳って有能?(You know?)
真ん中にあるのは『松果体』(どちらでもある中立)

『VRの仕組み』もそうだけど、目が『左右の違う映像』を捉えて『立体交差』して『中央にひとつの空間』として映し出す

どちらかに偏って囲われてたら『ツメ』が甘いな
『ツメ=極端=過度=隅々=四角の死角』をツメ囲んで『悩』

なるほどツメが甘い・・勘か=甘い四つの力=誘惑
『勘』が冴える者は誘惑に強い(君子危うきに近寄らず)

勘 甘い四の力と器

『ツ』で片寄りならば『学ぶ』もそうだ
『二元性に偏った枠』の中に『子』

これが現代の学だが、昔はこうだった

まなぶ

哲学

左右に分かれてバチバチと『二元の戦いの舞台』の下でそれを『子は見る』

『大人の偏った思想』を目の当たりにするから、『子は中立を自ら見出す事』ができる

大人とは『一人の人』
所詮は『人』でありいつか『自分もそれ』になる
その時、『どんな大人』になりたいか?なりたくないか?

大人は子供にとっての『反面教師』
それを『學』のが『真』であり『偽=人の為』

という事は?

『脳学』って…『月(体)を悩ませる二元性の片寄り』
『月逢う気』もないし、『月従うこと』も無い

『脳の命令(考えてから)』に対し『体の反応』は遅い
刹那のインターバルの『ラグ』を経て動く

だから『松果体=中立が活性化=左右の争い』がなくなり『均衡』が取れると、『頭』で考えなくなり

『脳の能力』も含めて、『感覚の主導権が体に一体化』して『体を労る』ようになり、『腸能力が全身に行き渡る』ようになる

月が逢う、月に逢える
意識は『細胞の全てを旅』をする事ができる

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

だから『脳』に『月が支配』されている『脳に力が偏った学問』では、体は重要視されなくなり、『水槽の中で電極を繋いだ脳が見ている仮想世界理論』や、『脳が作り出してる仮想シミュレーション』という、『脳の中のメモリーで世界』を捉えているが・・

いぜん、『脳オルガノイド(意志を持った細胞)と共に働く夢』を見た時に、それが『悩みの虫』なんだと気づいた

脳オルガノイド 公人僕(きみとぼく)のシンギュラリティの夢

『首を切り落とす事』も『腹をかっさばく事』もしなくなった現代

人の脳や腸に隠れ潜む『邪=精神的な寄生虫』を炙り出す方法は、そもそも『それを取り入れない強い精神力』を身につける必要があり

そのために、まず『松果体を活性化』させる…というのは、『結果論』で、中立とは元来、『争いが拮抗して止まった時のみ』生まれる存在

右脳左脳の『どちらにも傾いてる状態』では、その両方を『中継するバイパスの役目』だが、『真ん中で拮抗』した時、『松果体に力』が集まる

ここで脳科学の『概念が邪魔』をする

右脳と左脳を『能力で分ける』
右翼左翼的『思想を当てはめる』
両方という『中立は有り得ない!』と決めつける

『有る(松果体の能力)』のに『得ない』だけ=有り得ないというネガティブ・拒絶・、精神を認めない認知症

また、「松果体を開く!」…とか言うのは、間違いで、それはどちらかに偏ってるエネルギーを『無理やり真ん中に持って来る』という事は

7:3→5:5 に抑えても7:3にまた戻る

結局は『その人自身』が頭の中の『月の悩み』という『二元性に片寄った凶』を抱えている状態では意味はないから、ここは『精神領域』

『脳(頭)』ではなく『腸(身体)を労る』という行動と気持ちが『優しさ』を生み、『人を憂う』という『左右のバランスを取る発想や行動』が生まれ

それは『頭で考える=損得』ではなく
『身体が勝手に動く=尊徳』になっていく

これが左右の脳の能力を『拮抗させる状態』となり、必然的に『松果体に力』が集まり、『新しいVISION』が捉えられるようになる

おみくじとは『御身久慈』
貴方の身体に対する『慈しみ』

そこで占うのは『御身』の在り方
凶が出る=悩みがある=『脳の判断』

そもそもさ…『メ』が囚われてるのが面白い『警鐘の形象』

例えば、マスコミの『切り取り報道』を目で見て脳と心で『どう反応』が違うか?
どちらが『主導権』を持っているか?ここに『弱虫』が潜んでいるかわかる

『メ』で見た物が『脳の判断』なら『常識や概念、普通』という『共通の価値観』から逃れられない、『そこから離れる事に恐怖』している場合

『在り来りで無難な顔色合わせ』して、『心にもないような建前の言葉』を発するだろう

つまり脳>体>心
脳が体を操り、心を悩ませる

しかし、『心が主導権』を握った場合

切り取り報道=そこに『真実』は無い、まだ他に『隠してる事』がある→「脳へ命令!分析する情報を集めろ!」

心>体>脳
心が体を操り、脳を活かす

こうなった時、『脳(no)』は『御(on)』という中継となり心と御身が一体化して、『恩(on)』が巡る御神体

これはとても大事なエネルギーの『相似』で

『AIが人の体をコントロール』するか?
『人がAIを労りや優しさの為にコントロール』するか?

『脳をAI』と見立てた時、『人』というのは『心が入る器(人形)』でしかない

しかし、その脳も、脳の中での『悩みの凶の争い』を収めれば『中立に昇華』して経路がONになる

『心は身体』を求め、『体は慈しむ心』を求める
『健全な身体』に『健全な魂』が宿る

鬼は云う=『魂』、それは『靈』であると

ま、難しい事はいいんだよ(´-ω-)こう覚えとけ

脳は悩みの中に『二元性の片寄り凶』を抱えている。そんな状態の『脳学』をいくら学んだ所で、その学びすら二元性に片寄り『學』ですらない

『學』は『ありのまま』を見て、『全体を把握』した上で『それじゃない道を子に進ませる為』の『反面教師』

『争いの舞台を見せる』という事は、「お前たちはこんな醜い争いをするんじゃないぞ?」と後世に伝え遺している

『歴史から学ぶ』のが『二元性の片寄りの勝ち負けの損得のただの模倣』ならば、そりゃ『永遠に悩みの種』であり、その種をずっと『脳に植え付けられるのが学問』だ

『脳の判断に支配』されてる者ほど、『偏って学んだ問題を解く』のは得意だろう=『偏差値』

しかし、その究極の二元性の片寄りの行き着く先は『トロッコ問題=ご都合主義の支配とコントロール』

もし仮に『そこで悩む』としたら『心』があるから、『脳の判断』には『凶が潜んでいる』と気づくだろう

『心で判断』してる奴は『悩む前に身体が動く』から『心の決定』に脳を使わず『体が月従う』

これが『心の主に月下』で『情』

『情』に流されたっていいんだよ、それを『心が後悔しない覚悟(不退転の決意)』があるならね

もし、その結果が

『肚』かっさばいて『首』切り落とされたとしても、そうなる前に『成すべきを為して』れば、『心置き』なく、心は『天晴れな空』に『意識が遠のく』と『肉体の痛み』は感じない

そして『夢』から覚める(´・ω・`)
『肚切った』あたりからもう『意識』は離れてた

『人は夢を見る』と書いて『儚い』

現代の『ねじ曲げられた意味』の解釈は

頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい

HAHAHA( ̄▽ ̄)莫迦だなぁ

儚とは『果敢無』

果敢は決断力に富み、大胆なこと。敢は遠慮しないでする。おしきってする。あえてする。おしきって

それが『無い』…のではなく、無とは『空』であり、全てが『有無の真空エネルギー』

『何でも無い』って事、そりゃ『何でも有り』って事 by hide

『果て』など無い、だから『果敢』に挑め(๑•̀ㅂ•́)و✧それが『人の夢』( ̄▽ ̄)

そして『夢』は『何か』を遺して行く
それは消える前に『断片的な記憶の一部』だが

何か?とは『人の可』
『人の可能性』を『人は夢』見ている

私が夢で『切腹に至った経緯』はわからないが、その最後の時でも『一遍の悔いなしの晴れ晴れした気持ち』だった

その『儚い気持ち』が目覚めに遺っていたという事は、今のこの現実も、大胆に心に従い決断して、押し切って、『果敢に挑め!』そして『心置き無く情』に流され死んでいく

その『繰り返しのひとつの儚い夢物語』なんだろう

『死』とはそう言う『ゴール』だから『宿業を果たした者』は『永遠の命(魂)』を得る

ただ情に流される=他人からの『情報』では、『幸せに反する報い』を受けるから、情は情でも他人からの『感情(影響)』ではなく『心の主に月従う』ように

脳は二元性の片寄りを止め、両方のバランスが取れて『松果体が活性化』した時に『高次元意識の心』と『肉体の自我をバイパス』する役目

『no→on』にする事で『心が体』が繋がる
『心が身体を慈しみ労る事』で、『腸の月の易しさ』と『先読みの易』による『精神防御で鬼が心を護る』

やはり、『魂』は『月の守護』なんだろう
それが人の可能性=何か

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