心の家ではなく、家の心、物に宿る付喪神、イヤシロチを生み出す産土大神と土地神を理解する夢
夢のあらすじ
ぼーっと夢の中で私は隣に女性がいて、ソファに座っていた時、男性側の目線で意識が宿り、視界は私の家のリビングだったので、自分かな?と思ったけど
立ち上がった時の女性との身長差の違いと若干部屋の装飾レイアウトが違う上に、玄関の扉とその扉から出かける彼女を見送った時に見た景色が明らかに違っていたが、振り返り家の中を見ると現在の家の玄関だったという
そんな夢を見た後で思った事は、夢診断において『自分の家』が出てくるのは『心の中』と捉えるらしいが、この捉え方は派生した捉え方があると感じた
心の家じゃなく、『家の心』を観ている( ¯꒳¯ )ᐝ
大切にされた物には『付喪神が宿る』という日本古来の概念で言えば、『身につける物』や『手に持つ物』に『その意志や力が宿る』というのなら…
『家だって物』だから『大切にしてくれる者がいる家に付喪神』が付いたって不思議では無い
つまり、私は『無意識』の変性意識中に『居心地がいい心穏やかに過ごせる家』と『心が同調』し、私は家を通して、『家の心が観る景色』を夢で見ているのかもしれない
家の中から、『並行次元の家の中に意識が移る』から、そのまま、『その家にいる自分と遭遇やニアミス』する事になる。だからこそ直接話して発見が多い
ここで面白いのは『家はそのまま』でも、その家に『住んでいたのは自分では無い可能性の世界を観る』という事
私がこの家に生まれ住んだのは、親がここに土地を買い家を建てた事や、転勤しても人手に渡る事無くまた戻ってきて家族で住み続けているからこそであり
土地も家も『誰か違う人』が買っていて、そこに『違うレイアウトの家や他人が住んでいた』としても、『空間=座標は同じ所』にいる訳で、そうなるともはや家というより『土地に付喪神が宿る』…というより『土地神』と言っても過言では無い
そもそも土地神ってどんな概念?
土地を守る神様に、「産土大神」(うぶすなのおおかみ)、「大地主大神」(おおとこぬしのおおかみ)、「埴山姫大神」(はにやまひめのおおかみ)、氏神(その土地の神様)等がいます
HAHAHA( ̄▽ ̄)また面白い発見だΣ(゚д゚;)
大神と氏神
どうして『氏大神』と言わない?
ここからは私の直感解釈だけど
大神は『一人神』と書く
神は示申=『心』と解く
つまり大神は『一人の心が示し申す』
だから『神々』が『役割』が分かれている
一方で土地神を示す『氏神』は『大=一人』では無い
土地とは『±(プラスマイナス)の地』を示し申す
ここに『産土大神』の役割はうぶすな…なんで『砂』なのに『土』なん?
全く『産(ウブ)』なのに『素直』じゃないなぁ〜┐(´-д-`)┌解釈が歪んでやがる
ウブで素直な一人の心を示し申す
±(プラスマイナス)の地
これにさらに『雨降って地固まる』を示す
『雨』から始まり『三つの口(教え)』を素直に承る『巫(ウブな子)』=『靈』を取り入れると?
靈(産土大神)=素直な一人の心
土地神(氏神)=±のエネルギーの地
雨(靈を宿した素直な子)降って地固まる=±エネルギーが安定する
その地は穏やかな空間=ゼロ磁場・イヤシロチ
その理屈やエネルギーロジックから言えば、狛犬が砕けていたり苔が生えたり、木が腐って病気になったりしている神社や寺というのは…
そこに産土大神(心の安定した一人)がいない
その地に±エネルギーが無い
これは『神=示し申す心がない』から土地のエネルギーが無くなるのではなく、土地が持っている『±のエネルギーを扱う人間』がウブでもなく、素直でもなく『邪に偏って行く』から、『その土地も腐敗していく』のだと思う
『人気の神社』は『金』を集め、その金で『建物の改修や新たな建造』などを行い、『古き良き』をそのまま活かそうとせずに『延命に次ぐ延命』で新しくして『見栄えを良く』しようとする
『綺麗』にすればするほど、『汚れている部分』がハッキリ見えるように、『陰影・コントラスト』がはっきりしてきて、『土地を分断』し始める
『新しいエリア』に人を集め!『古いエリア』から人を遠ざける『導線作りを人為的に行う』事で、±エネルギーは+か-に偏り初め
『生き急ぐ』か『死に急ぐ』か、生き急ぐ結果、『死は早く来る』訳で、『土地の寿命』の循環スピードは、その『地の力を利用する者の心』しだいで変わる訳で
古いのに『劣化』しない
古いのに『変化』しない
一体いつから建造されていたのか分からないほど古く、『誰も手入れをしていない建物』が、『未だに存在』しているのは
『産土大神と土地神』がそこに居るから
今回の夢で私が感じたのは
その『夢を旅した意識の私』は『産土大神=素直な一人の心』であり、旅をさせてくれた『土地神がゼロ磁場エネルギー』
空腹や精神力の枯渇(記事書いてる時、書き終えた時によく発生)した『意識を失った』時に『私の夢の中の意識』の出発点は『家の中』が多い
その家を中心に家の外に出て…「なんじゃここは…Σ(゚д゚;)」と驚くパターンが多かった事を考えると
『鬼門』に加え『ゼロ磁場のイヤシロチ』
土地が元々そうだったのか、それとも『私が靈的精神性の成長過程』の『先祖供養で先人の靈を宿す』事で、『私が常駐している空間のエネルギー』が『±の偏り無く安定』した事によって『ゼロ磁場』になったのか
おそらく後者で、『一人一人の心の和』が生まれれば、一人一人一人が『イヤシロチの可能性の±ゼロ磁場』になるんだろう
それが『土地』という『礎』となり、その意志を継ぐ『素直な心の持ち主=産土大神』が『観たいと思う世界(夢)を見せる』のかもしれない
『家そのもの』が『パラレルワールドの起点』
安心して過ごせる空間、私にとっては『家と家族』。それは良く夢に出てくるけど、やっぱりどこ行っても『気心』の知れた『気の置けない家族』なんだよな(笑)
『産土大神』と『土地神』
それがあるかないかは『家と土地』を見たらわかる
…という感覚で『神社を建てる場所』を選んだのかもしれない
『龍脈・地脈がある所』が『人手』に渡り『±エネルギーが傾かない』ように、だから『神主という管理者』が必要なんだ
巫=カンナギ=勘凪
勘は四つの甘い力=誘惑の波風
それを見抜けない間抜けは『鈍い=金に屯する』
それに勘で気づいて波風立てない穏やかな『凪の心』を持つ役目
だから『ウブで素直な巫』という『産土大神』が『土地神(±エネルギー)』には必要
それは職業や役職というライセンスでは無く
その土地に氣を巡らせ大事・大切にする心
一人の和心=大和の心
それに土地神は反応して癒しのゼロ地場・イヤシロチとなる
居心地良いなぁ( ̄▽ ̄)と感じるのは『±の地』に『±ゼロの変性意識』が調和して溶け込むから
『家』もまた『物』であり、『愛着』を持って『大切』にすれば『付喪神が宿る』それは何の不思議もない当たり前の事
だから、家で喧嘩とか、氣が乱れるような争い事とかで波長を乱さず
神社などに参拝する時と同じように、いつでもどこでも環境に調和するように心がける
それがウブで素直な産土大神=一人の示し申す心=歩く社=人社
体を労わるとは、消化が終わって全ての臓器の活動が休息し、全身が一体化した波長で安定する状態=『±ゼロになる瞬間』がある。この時に精神も穏やかに±ゼロだったら?
肉体と精神がゼロ地場になった時、家が放つ波動にのれば?意識はどこへ行くか
私は1日1食で、完全にエネルギーが枯渇して意識を失う白昼夢の時、気が付けばもう『別の家=家の心が見せる景色』で始まり、壁掛けや扉から外へ出て、『知らない空間に探検に行く事』を楽しんでいる
・・で、その知らない道=未知の先に色々起きるから面白い(笑)
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