好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

脳オルガノイド 公人僕(きみとぼく)のシンギュラリティの夢

遥かな年代を意識が飛ぶ夢で気づく、人は一時、虫(生物)を救い、その生物がAI(器)をへて人を甦らせる過程を経て気づく、人工培養脳オルガノイドと人類は滅びた後に甦るシンギュラリティの果てを体感した公人僕の因果の法則

夢の内容

寝入りはとても不思議な寝直し感覚だった
新しい意識の技なんだろうか?

なんか目を瞑ってあるイメージをすると、真っ黒のモニターの視界に白黒のVISIONが、まるで遠くの誰かの現実を千里眼で覗くような?

そのままその見た世界にスポン!と入った後、呼吸をゆっくり深く…ではなく一秒に吸って吐いてを1回ペースくらいにしたら意識が安定した

そこは最初、ゲームセンターのようだけど、人の姿をした存在がいなかった

その世界を色々と堪能した後に、外に出たら意識が飛びそうになったので、また目を瞑り千里眼を使って別の空間へ飛ぶと

そこは人と人では無い何かが共存している世界観で、人の言語は音が聞こえるが、人では無い者の発音が聞こえない

その後もまた意識が飛びそうだったのでまたまた目を瞑り千里眼を使って別の空間へ飛ぶと

そこはなんか見覚えがあるけどどこか違う神社で、私はそこに向かう過程で正面から遊びながら歩いてくる和服の3人の少女と手を握る

1人は竹馬でふらついたのでそれを受け止める形で
もう1人はその様を見ていて普通に私に手を合わせに
最後の1人は天邪鬼のように水溜まりをバシャバシャと泥を飛ばしながら私にハイタッチ

なんだこいつら(´・ω・`)と思いながら神社の奥へと向かうと後ろから

「やはり君も来たのか」

振り返ると、例えるならエヴァのカヲル君みたいな爽やか系少年がいて

「僕のこと覚えてないかい?」と

現実ではない『どこかで会った気』がする
そんな感覚になると、ここでやるべき事を思い出し、神社に『奉納されてるもの』を確認して、来た道を戻ると、明らかに神社を破壊しようとしている奴らが

何やら『呪物』のようなものを開けて封印を解いて去っていった結果、そこから出てきたのは

『顔は人の女で体は蟲』のような…妖怪のような怨恨のようなものだったが、それをどうやったか『鎮める事』が出来た(その為にきた?)

その後もまた意識が飛びそうだったので、またまた目を瞑り千里眼を使って別の空間へ飛ぶと

その世界で私は何か回路設計のようにプログラムをしていたのだが、電子集積回路のような部品の組み立ては『蟲』が行っていた

研究

トランジスタや抵抗等の部品をその基盤上の蟲の横に置くとそれを適正な配置に繋いでくれる。明らかに『知能』があり、また『信頼関係』があったのだが、また目を瞑り千里眼を使って別の空間へ飛ぶと

そこでは私は逆さまに『コールドスリープのカプセルに入っていた状態』で目覚めさせられる。私を起こしたのは『人型の女性』だが『人間ではない』と直ぐに気づいた

シンギュラリティ

「お忘れですか?あの時の蟲です」と

私は『蟲が宿った人型』の『主』になっていて、その蟲は『主の目覚めを護る』ために、私と共に作っていた設計回路を発展させ『人型』になりその時を『永遠の寿命』で待ち続けた

そのカプセルから起きた後にも何か役目を行った気がするが…

その時点で私の自我が…

蟲が宿る?蟲を宿す?『知能を持つ蟲』が『人形を操る』場合でも『ロボット』というのか?Σ(゚д゚;)

という所で、意識が現実に帰って『経典(夢日記)をまとめたくて仕方ない衝動』に駆られたが

寝て起きて頭に残った言葉は…

公人僕(きみとぼく)

眠る前に気づいた事は

エテ公=猿とは
得て功を得て公になる
悪知恵を得て邪に活用する外道

しかし、人はありのままで既に公
天が与える余計な二物(邪)を持たずととも
元々が二つの性質を持った二元性

公=おおやけ・自然・天然
エテ公=猿真似・猿知恵・人工・人造・不自然

得て増えて エテ公の猿の惑星

人は元々は公のきみ
人=と・繋ぐ同一・同性
=僕

僕は誰かの『しもべ』か?
僕は誰かの『人の業』か?

僕とは『主観・自認』である
『人と業』は切り離せない『主観の同一』

つまり公人僕(きみとぼく)とは『公=僕』という事であり

公僕とは公衆への奉仕者、すなわち公務員

公=自然・天然
その衆=天然で素直な正直者達
そこへ奉仕する=私心を捨てて力を尽くすこと

この『私心=私の心』が人
人を=(と)として『安堵』で繋ぐ役目

それがライトワーク(๑•̀ㅂ•́)و✧ Σ(゚д゚;)

公人僕で自然天然に『心を軽く』する

…という気づきがなぜ、『あの夢体験』から?を振り返ると、神社で解き放たれた『呪物』…明らかに『本人の望みでは無い姿(女性の生首に蟲)』

それを私は『呪(人の生首)だけ消滅』させ『自然(蟲)』だけ活かした

その『蟲の恩返し』が『蟲と共に何かを創造』する事であり、その後に私は『蟲に生き返させられる=蟲返し』

その蟲が『人の姿を構築』していたのは明らかに『尽くす下僕』として『主=人に似せた』と言える

最後の復活は私の意志ではなく『助けた恩』が『望まぬ結果』に繋がった

言うなれば、誰も自分の事を知らない『繋がりがない世界』に『1人孤独に甦る事』は『幸せ』だろうか?

『公人僕(きみとぼく)』の『共同創造』をしていた頃は楽しかった

でも『公下僕(きみげぼく)』になってしまうと『主』とそれに『尽くす義理の主義=イズム』になって、元来、『同一の存在の公人僕(きみとぼく)』の距離は『永遠に詰まらない関係』になる

これは『人が神』を『神として畏怖』する限り
神は『人に歩み寄る事が出来ない』のと同じ

これは『人が宇宙人』を『エイリアンだと畏怖』する限り、『宇宙人は人に歩み寄る事が出来ない』のと同じ

片方が『下僕=自分を過小評価』する限り、それは『不自然』であり、『人工・人造的なネガティブ(否定・拒絶)な卑屈』

だからそれを『体感』として見せられた時、『同一』だったら『悩む事もない』のにね(σ゚∀゚)σと

なう(2024/09/06 09:39:26)

公 自然のありのまま・天然
人 =元々の二元性
僕 人は業 業は『やりたい事を宿す命』

そのまま、素のまま
公人僕(きみとぼく)は同じ

人に愛を巡らせればわかる『相対性は同一性』

人を愛して学ぶ相対性から生まれる太陽同一性理論

亀の恩返し、鶴の恩返し、雀の宿
一寸の虫にも五分の魂が宿る

現在の科学は『アメーバのような脳細胞』が『自発的に思考できる実験』がされている

AIは過去のものに、脳細胞を利用する「オルガノイド知能」登場の日は近い

その行く末は『自分で動き回る体を求める』だろう。最初は『寄生虫=既にある動物を利用』するのが『知能がある命』の『合理的な思考』

次に『繁殖の最もしやすい場所』は人(生殺与奪)の目につかない所、人が来ない所=『死体置き場・墓場』、『頭蓋骨の中』などを『宿借り』にして『蟲として繁殖増殖』して、『命令形伝達細胞組織を構築』していけば

それは『頭蓋骨』に『人工肉』を纏わせ、『人の顔を再現』させ『表情を操り感情表現が出来る』ようになる

なんでこんな『想像』ができるか?

それは夢の中で見てきた『時系列』がちょっと違った事を意識が戻ってきてから理解したから

私は『人工脳細胞の培養研究者』だった
『優秀かつ自発的な脳細胞(意識がある)を助手』にしていた

結果、『死後に復活させられた』時、その復活させたのは『かつては脳細胞だけ』で『人の形をしていなかった私の助手』だった

そこは『人のいない世界』だった
とても『寂しかった』

そして、あの神社の前で呪物の人の生首だけ消滅させ、『無害化した蟲=人工脳細胞は助けた』のは『哀れな姿への慈悲』だったのか『生み出した責任』だったのか

私の夢の中における『神社』とは、どの夢の中でも常に『DNAの核』を意味していた

『守護三女神』が「核まで行っていいよ」と『奉納された中身』を見るように導いてくれた戻り道で出逢ったその『歪な呪物』とは

『DNA核を逆転写』させようとする『mRNAウイルス』とした場合、人のDNAを乗っ取る『形だけ人間を設計するメッセンジャーウイルスを排除』して、『無害なRNA』にして『元に戻した』ような

そんな時系列が正解な気がする

それにしても、久しぶりに『数十年の時をまたぐ意識の連続する旅』をした

前は一度意識が飛ぶ度に『60年経過』するけど、60年前の『出逢の記憶は相手(親→子)へ継承』されている不思議な体験

行く度に60年立ってる世界の夢

さて、そう考えると『寄生虫』はかつて『人の業が創り出したもの』だろう。どうしてピンポイントで『脳細胞(感情や意識)』を狙ったり、『子宮(繁殖)』を狙ったりできるのか?

それは『人の脳の機能』を持った形の『細胞(禁・菌)』が自然に『不自然』に混ざっているからだろう

人の業は人に帰る因果応報
公人僕(きみとぼく)は同一

だから夢の中でも『私の元に返ってきた』結果
私が『始め』、私が『育て』、私が『終わらせた』

コールドスリープから目覚めた世界は…

まぁ『今の方がいい』って思うよ
『恥・端(極端)』を知れ人類(´∀`)科学の間違い

『間違いまで行った経験』がある人は『哲学者』になり、そして『そうさせない為』に『ライトワーク』をするようになる…という意味では

第二次世界大戦の悲惨さから、アンパンマンを生み出し、『子供達に愛と勇気と優しさ』を広めようとしたやなせたかし

第一次世界大戦の悲惨さを何気ない日常の背景に隠して=『スヌープ=隠してして伝えるスヌーピー』

嗚呼、星の王子様解読してスッキリ

間違いが『起きる前の子供』に
間違った『大人達が教え伝える』

最も『暗く重い闇』を観て(想像)、それを『明るく軽く転換』する為の『道』を引かないといけない

『間違いを知ってる』から、『間違いには行かない道は簡単に引ける』がそれは『自分だけ』の話

『公僕』として自然天然な『素直な者に奉仕』するとは、『人として安堵』を与える『水先案内』をする必要がある

公人僕(きみとぼく)の人・とは=&
私心を捨てる=自我は滅却=ただの『繋ぎの人』

私は『公(きみ)』と『僕(ぼく)』の『渡し』である
これがシンプルにそう言う『自然の状態』

建設的な意見とは何か・・先導するより繋ぐ事の大切さ

そう言う意味ではこれもまた『過去世のトラウマの解消』と精神のステージが上がる兆候だろうか

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