説く意、二が手、得て公、そして猿…モンキーマジックへ。不徳の致す所、天は二物を与えず、全ての昔の言葉が伝えたかった事は「ここは知恵を悪用した猿の惑星」
寝起き閃 猿=エテ公
( ¯꒳¯ )ᐝ猿…エテ公…
Σ(゚д゚;)あぁ?!なってこった!そういう事だったのか!と突然気づいた先人たちの遺したことわざの数珠繋ぎ
そのヒントは間違いなくトークサバイバー3のモグライダー芝の話が鍵になってただろうなと(元ネタ)
山奥の田舎に住んでると動物と接触する機会がある中で、最も恐ろしいのは猿。あいつらは大人のいない子供だけの時間を狙って家の中に侵入してくる
その時、どしっと構えるボス猿がいる…と
面白いエピソードというより『雑学』として、『野生の猿は知恵』を持ち『人より賢い』
そう考えた結果
なぜ先人は『猿』の事を『エテ公』と呼んだのか?そこがひとつの『鍵』になった
得て功をあげ公になる者
猿知恵、猿真似、猿芝居
見猿、言わ猿、聞か猿で得る
猿と功、成り上がり公
得て公になる猿
これがエテ公という猿
歴史に当てはめれば『豊臣秀吉』
『信長の下』にいた時は『猿』と呼ばれ
信長亡き後は『権力を得て秀吉公』
まぁそんな捉え方もあるけど
それが『増える』とどうなるか?
得て『増えて』
功を上げる猿を『見よう見まねの猿真似』
そんな『猿知恵』で『得て公になる者』が増える
本来は『得手不得手』という
『上手と苦手』という『優劣』だが
『得意』と『不得意』は
『得する意識』と『得ではない意識』
そう考えると『損得勘定=どちらか対極』と
『そうでは無い意識=尊徳環状=輪』とも取れる理由は
『不徳の致す所』という言葉がある
人の行うべき道にそむくこと。不道徳。徳が足りないこと
そうなると
得意不得意(とくいふとくい)と
得手不得手(えてふえて)は違う
理由はこう解釈すれば見えてくる
人+得手増えて=火=知恵
人という字に『手』を得たら『火』
『火』は『人類』に与えられた『知恵』
プロメテウス=プロローグ
ローグは裏切り=『神への反逆物語』の始まり
しかし、それは『猿真似』であり、『猿』もまた『人を真似』すれば『知恵』を身につける
『付け焼き刃を得たエテ公』が『地上』に増えて『人への被害』が広がる
それは『不徳』の致す所
猿が増える、猿になる
エピソードトークが事実なら、そんな『エテ公達』は『集団で大人のいない子供だけ狙う』という、『無知蒙昧で抗う術のない弱いもの虐め』を『得意とする徒党を組む』ようになる
それは『人』が『手』を得て『知恵』を得る
『説く意』は『二が手』=人+二=天・火
『天上』がもたらした『火=知恵』を『猿真似』によって『火を悪用』する『天下のエテ公』になる
結果、人類は『戦争に火』を使う
『人が知恵を悪用』して『戦争』をしている時点でどんな形であれ『弱いもの虐めの猿の惑星』なんだろう
そしてそんな猿達は『MONKEYMAGIC』を使う
1くmoney=金
Mag ic = 雑誌と集積回路(パターン)
金稼ぎ雑誌=経済史=エコノミスト
徒党を組む連中のバイブル(預言の聖書)
黙示録の天使は『喇叭』を吹いて『七つの鉢』を持ってくる
それはつまり『法螺』を吹く『金の本』という事だ
『エテ公(ボス猿と徒党)』が、人間になった時、人目を避けて行う『弱いもの虐めの手段=計画的陰謀』の目的ががただ『金に変わる』だけというわかりやすい現代の構図
だから、『猿』って『かつての人類(失敗した)』だと感じた事もあるのかもしれない
『猿が人類だった』というのは突拍子もない思いつきだったが、2022年の『ワクチン人体実験』の結果は、mRNAに対する『元々持ってる細胞』が『異物に拒絶反応』を出さないように『遺伝子を組み替える』というノーベル化学賞だった
それは『免疫反応』を黙らせ、体に『異物が入っても騒がない』という『自己免疫疾患』。言わば『移民優遇を体で表現』したような『ムーンショット(臓器を撃つ)な科学の悪巧み』だった訳で
それで『体を空け渡す事へ抵抗』が無くなった『無血開城』の先に、人体への『豚の臓器の移植』や、そもそもの『キメラ的なトランス性別実験』や『人のクローン技術への精神的な抵抗』を無くすようなもので
逆に言えば、それで『人間を別の生物=言葉の話せない毛むくじゃらの凶暴な猿』にしてしまう事も可能だろう
まさに『同族』を黙らせる『禁断の知恵』
だから『猿の遺伝子』と『人の遺伝子は似てる』…というミッシングリンクの青色絵図(伏線)は、々『人の遺伝子が書き換えられた』だけだから、劣化しても『人は人=同じ過ちを繰り返す』
『知恵を猿真似』して繰り返す
『赤猿は攻撃的』…そりゃ争い奪いを繰り返す『下克上のクーデターの大陸生まれ』だから『歴史』は奪い争いの繰り返し
その猿に『悪知恵』を与えて利用する『天上人』
天を二物を与えず 『人』か『火』か
天は一人の人間に多くのすぐれた才能や資質を与えることはしない。 人はすぐれた面と劣った面とを、あわせもっているものだということ
現代の人はイケメン・美女な見た目の上に、中身もできた人間だ!という『非の打ち所が無い事を認めたくない意味』で使う『否定的なレッテル』と捉えている
しかし違うちがう(ヾ(´・ω・`)
『天』は『二物』を与えない
誰に?→『人』に
天とは『二人』と書く
『二』を『人』に与えない
では与えない二を人が欲したら?
それは人+二=『火=知恵』になる
『天下』は『火の産み・膿』になる
『得手』増えて、『猿真似』の『エテ公』
『人』はすぐれた面と劣った面とをあわせもっているもの
つまりは人は『既に二』を持っている
『元』から『二の性』を持ってる『二元性』
それに気づけば『天上天下唯我独尊』
『天の上』だろうと『下』だろうと
『唯我独り』で『尊い存在』
これは『思い上がる事』も『へりくだる事』も無く、『ありのままの等身大が良い』という教え
これこそまさに『天』の知恵
一+大=天(一が大きく)
一人一=天(人のままで)
=人=天(人は天と同じ)
火=天 ←人がそれ(邪)を使ってしまう
『人』が『知恵(二)の使い方』を間違えば
得て功=エテ公の得意=『説く意』は不徳意
『不徳な事』が『得意』
人の行うべき道にそむくこと
不道徳。徳が足りないこと
つまりは『外道=道を外れる』┐(´-д-`)┌
なるほど猿=『去る』
猿の惑星=惑わせる日の生まれ
『エテ公だった人類』から去る
それは『人』の『悳意』とするもの
『心に素直』に向き合う事
『天』とは『人』の『元の二つの性』
捉え方を間違えば『火』となり
説く意は『二が手』の得て増えて猿真似のエテ公
『MONKEYMAGICな金稼ぎ』と、その『金稼ぎバイブル』で何も知らない『無知蒙昧な弱い者虐めを支配』する『猿の惑星の住人』
それもまた『不徳』の致す所の『自業自得』の『因果応報』
与えられる『報』を鵜呑みにして『幸せに反する事』を『自分の事』として考えない『思考停止』
どちらにしても『外道=道を外れる』
正しく捉えれば天上天下唯我独尊
『代わりなどないありのまま』でいい(´∀`)
『正』であり『王』
=上と下を繋いで止める=『天地人』
『天地』を二物とするなら人はその『両方』を併せ持つ存在
『天の意志』を持ち『地の器』を持つ
二元の『ハイブリッド』な人間
これは『元素記号』表記的にも
気体と金属の『半導体=精神と肉体』
『元から二物』があるからこそ
『金属(地に堕ちる欲)』も『気体(浮く心)』も影響を受けやすい
そこに余分にもたらされる蛇足の二物とは『邪』
正も王も『邪に傾ける者の余分な誘惑』
プロメテウス=プロローグ
『神への反逆物語』に『人が利用』される『カオス』の始まり
その『邪な思惑』である『入れ知恵』が
人を猿=得手公=エテ公にする『混沌』の物語の始まり
多分、昔の人は知ってたんだ
『人類は猿になる』と預言
もはや現代は『猿の惑星』なんだと…
ま、それが分かれば
猿真似、猿芝居、猿まわしな、『馬鹿の一つ覚えの弱い者虐めの猿の惑星』から遠く意識は『それ以外』を求めて離れるわな(´∀`)
なう(2024/09/06 06:39:14)
1日に2度しか出ない 639←→936
そこに『14=意志』が出ましたね(´・ω・`)
『弥勒』って『釈迦』を求めて『旅』したんですよね
その『弥勒が入滅』して『釈迦』になるんですよね
これって法華経の教えの中の、『師』は『弟子』を『三次元現実世界』に送り込み、その中で『自力で悟り』を開いて『解脱』して、『そこに至った経典』を受け取る仕組みで言えば
『弥勒(肉体)』は常に『釈迦(精神)?と繋がっていてその『釈迦の導き=授業=授かった業』で動いていたと考えると
『先人の知恵』を求め、『先人の意志』を宿す者は多分みんな、『精神レベル』が合わなくなって『猿の惑星から離れて行った』気がする
『猿達のための惑星(肉体の学び)』であり
『去る人の為の惑星(精神の気づき)』であり
得手不得手(えてふえて)
得意不得意(とくいふとくい)
天は二物を与えず
火は天がもたらした知恵
プロメテウス=プロローグは混沌の始まり
混沌の世が『救世主物語へのお膳立て』
という猿真似、猿芝居をする
馬鹿の一つ覚えを得て功を上げるエテ公のMONKEYMAGIC
1の真理くmoneyを集める雑誌の情報
(´∀`)この『気づく・築く意志』があれば
火(知恵)を『邪に使う猿』と
人(ありのまま)=『天の人』と
簡単に『見分け』がつく
自然(ありのまま)と天然(素直)
人工・人造は『Hな人』と『流れを告げる人』と書く
H(叡智)は人を試す(思考シミュレーション)
『告げる人』とは『報(幸せに反する・むくい)』をもたらす
まさに『法螺吹きの天使』だ
人が工(たくらむ)
人が猿真似で造る(捏造=捏ねて造る)
『人ありき』で始まってるが
天は『人の上』に人をつくらず『人の下』に人をつくらず
『人の下』に何かを『つくった・変えた時点』でそれは自然でも天然でも無くなってしまう=人災の天候操作
加工とは『力と口とたくらみ』
『たくらみ』を正当化する『口達者な力』
生ある命、形あるもの『いつかは滅びる』のに
『滅ぼして都合よく再利用』する
それを『しなければ生きられない』
だから『命を頂戴する』とは重い戒め
『儚』いよね、『人の夢』
それほど迄に『脆い』からこそ人下無=ヒトゲノム
自然に『人より醜い存在は無い』から悔い改めなきゃいけない
『正直』に生きる、『王道』を進むとは
『邪な誘惑に負けない』とても難しい事
難しいからこそ『有難い』
『何もしない』が『全て』をしている
それもまた『有無の空』である
現実で『何もしない肉体』は
現実以外で『何もかもしている精神』
『思考錯誤』とは『空間』の中で『成長』する事
『錯誤』とは事実と観念とが一致しないこと・間違い
『金』は『昔』、事実と観念が一致しない『間違い』だったと書く
『思考停止』してれば分からない『無知蒙昧』
思考を止めなければ『錯誤=間違い』がわかる
『得て公・猿真似』はおそらく、『信長の功績』を『漁夫の利した秀吉』を諸侯が揶揄した歴史の言葉かもしれない
でもそれは『人類の権力闘争の歴史の全て』に当てはまる、『無知蒙昧な思考停止』を『猿真似と猿芝居で誘惑』して『嘲笑って騙して苦しめる事』も『相似』する
天は二物を与えずとも
人は元々、二物を持つ→天
『神』とか『救世主』とかそんな概念はいらない
人それぞれ『十人十色』、みんな違ってみんないい天上天下唯我独尊
『報』に流され『幸せに反する事』がなければ
ありのままでいい自然体で天然の心
素直なのが『元来』の人
私が『本来・本質』という言葉を避けるようになったのは、『本から来る情報』とは『他者の思想の教本』であり、『本の解釈』は人それぞれ違うから
その解説は『時代の都合』に合わせて『人の為=偽』になり『真=ありのまま』ではなくなり、『正法』が失われ『末法』になる
『宗教』とは『本を教える』ことであり
『宗』とは『おおもと』と読む通り
大元の『教え=虎の威を借る狐』
『本来』の『本質』を問うた所で狐の言う事=『狐に謀られる』
虎=トーラ=『原典』
それはそれを記した『生き様』
かつて生きた人=『先人』
『先人の意志(言葉)』を追う=『元』は何だったのか?
『遺言』は『経験』から生まれる
『過程を経た体験』から『遺す知恵』の言葉
宗教は『本の教え』を広める事で『信者を増やす事が目的』で実践しない
しかし『実践した人が元』なのだから、実践すれば『元が遺したことわざ』の『過程の気持ち』がわかる
『身』を持って『ことわざ』の意味を『体験』する
それで『納悳』すると『忌み=己の心』に変わる
その『己の心』から『生まれる言葉』だから
『言霊』として『元来=元から来る』と表現している
自分自身が『大元=おおもと=宗』となる
ありのままでいい
自然体で天然の心
素直なのが『元来』の人
不自然なのが『本来』の人
あなたは『何の本』の『影響』でその言葉を『語る・騙る』のか?
虎の威を借る『狐』に『謀られて』ないか?
その『本質』は問うべきだ=『自問自答』
狐は『化かす』=『他人』を変える
狸は『化ける』=『自分』を変える
先人達が何気なく遺して行った『日本語の微妙なニュアンス』は『転ばぬ先の杖』
この杖とは『西洋的なステッキ』ではなく、元々『虎杖』という『漢方の生薬』
どんな傷をも治す『旅の必需品』
それは『知恵の継承=虎→トーラ・原典』
『元から来たもの=元来』は『実践』ありきの『生活の知恵』
『知識』は本でも
『知恵』は本ではない
知識の『元は知恵』
私は『先人の知恵=元来』を追い求める
訳詞如来の妙見狸(。-人-。)
ところで、おおもと、と言えば『日月神示のおおもと』だけど私はそれは読んでない(笑)
『生きてる人の本の質』は諸行無常=変化する
生意気=『生きてる人』の『意気・域』
『人の為』になったらそれは『偽』
情は人の為に在らず
報は幸せに反するむくいをもたらす
向き合う業は人それぞれの因果だから
『一の本の中身』が『皆の預言』にならない
『全く同じ業』はひとつも存在しない
もし存在するとすれば…
『思考停止』になって与えられた『本の情報』を鵜呑みにして『猿芝居の生き様』を『猿真似』して
『得手公』になって火(悪知恵)を使い
1くmoneyの欲望に従い
『元来の自分の役目』を忘れた場合
そんな『立ち位置・一』を忘れた皆は苦しむ一切皆苦
その『一切』が『元来の宿業』
皆苦を切り去る一の仏=業を修めて解脱
これも実践する修業なり(。-人-。)お役目を果たせ
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