好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

白龍の導き2 アワの音 から八百比丘尼と空海へ

名乗ると泡と消える人魚姫の有り得る話が八百比丘尼へ繋がり八尾比丘に役目と願いが八百万の神々=白龍へ繋がっていく意識の旅

名乗るとみんな水の泡?

夢の中で現実の名を名乗ると『繋がりが水の泡』(経験済み)
現実の中で夢語ると現実との『繋がりが水の泡』(控えている)

人魚姫が正体を語ると王子との『繋がり水の泡』

水の泡=空気の流=空(有無)の龍
泡の音、アワの音沙汰=善悪・理非を見分けて決めること

アワノオトの言霊は
命の調和が時間をかけて奥から統合

水から龍になる
自ら流になる=浸透=神道

人として命を統合する
人になる水の龍=人魚姫

そんな人魚姫の名前はアリエル
ここまで物語りの出来杉って有り得る?

どうも(´^p^`)今日も二度寝は不思議ターンな夢見の言の葉で化ける妙見狸です

不思議な夢を見る度に、その『夢で見聞いたキーワード』が気になってまた『別の夢』へと導かれ・・

久しぶりの幽体離脱で抜け出た街並みは見た事ない路地で、私を見つける人達は、なんか怯えているのを感じた

私はどこへ?(・ω・ = ・ω・)と思わず口にしたら、通りすがりの姉御肌のおねーさんが

「ほら!あんたは次は冬島だよ、さっさと行きな!」みたいな感じで古びた神社門?寺町の入口の街道へと入って意識が飛んで

帰ってきたら 泡.。o○ ○o。.σ( ̄^ ̄)?

『泡』って文字の象形って非常に面白いですよね
『水の膜』で『己を包む』

何かを『纏っている』
それが『水から包む』=自らを包み隠す

包み隠す流れ=龍=『理由』がある

σ( ̄^ ̄)?バレてはいけない?バレる?バラける?バラバラ…水が解けて『己がさらけ出される』

隠して積み上げてきた『何かが水の泡』と消える?

それ『人魚姫』と考えれば有り得る!
人魚姫の名前は『アリエル』

ま(´^p^`)

こんな発想から『人魚姫にまつわる伝説』の地は新潟、佐渡、秋田へと『日本海側』へ繋がって行くのだけど

日本の隠された歴史④佐渡金山と八尾比丘尼と辰子姫と出雲阿国

日本の隠された歴史⑤辰子姫とリリスと三枚のお札とエヴァンゲリオン

日本の隠された歴史③佐渡金山と大国主と中津国の逆襲

そもそも『阿波』から始まったという話
そう『阿』というのは『紛争の始まり』を意味する

カタカムナ59首 阿 から始まる紛争の物語

輝夜姫のその後に
『月へと侵略』という蛇足があり

浦島太郎のその後に
『竜宮城侵略』という蛇足があり

桃太郎の鬼退治のその後に
『金銀強奪』という蛇足があり

ならば『泡となって姫が消えた人魚』がいた場所に「人魚狩りじゃあ!」という『不老不死を求める蛇足の侵略』があってもおかしくない訳で

阿波には人魚伝説はあるか?

まず阿波というのは特定の『地名』であり『場所』では無い為にそこから特定していこう

明治9年8月には旧淡路国が兵庫県に編入され、旧阿波国も高知県の管轄となり名東県が廃されました。 そして、明治13年に徳島県が再設置され、現在に至っています。

しかし?

千葉県房総半島の南端、安房(あわ)の国です(『国造本紀(こくぞうほんぎ)』には房総半島が「阿波」と記載されている)。 四国の粟国は忌部(いんべ)(斎部)氏が開いた国とされています。

東と西の両方にあるようだ
これは『出雲』も同じパターン

徳島県の方は県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)であったが、後に統合され、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていた。

なるほど元々は粟食うの『粟国』
という事はそっちは実質『粟踊り』

南越谷阿波踊り由来碑

阿波踊りは、元来四国の徳島が発祥の地で、その起源は諸説ありますが、一説には、天正15年(1587年)に阿波一国(現徳島県)を与えられた蜂須賀家政公が徳島城を築城した際、その落成祝賀行事に城下の人々が踊ったのが始まりと言われています。

蜂須賀家政公…なるほど

『蜂』という字が『蜂子皇子』の血筋
『須』が『須佐』の血筋
『賀』が伊賀、甲賀、加賀の『隠者=隠れ里』血筋

『お家が合併』したのが『徳島=徳が集まった島』なんじゃないか?
・・もしかして、徳島にも『縄文』が?

矢野遺跡

西日本でも有数の遺構と遺物に恵まれた縄文時代の集落である。

矢野銅鐸

大量の遺物の中で、とくに注目されるのは銅鐸である。鰭と呼ばれる縁の部分を太い線で飾る突線鈕式と呼ばれる銅鐸の中でも最新型式。1992年12月18日に発見された。銅鐸は木製容器に納めて埋められたと考えられ、土坑の周りには、7本の柱穴が確認されている。このような埋納状況が判明した銅鐸は非常に珍しく、銅鐸の謎を解く鍵となる。1995年6月15日に重要文化財(考古資料)に指定された。

オーバーテクノロジーだね(´^p^`)

おっと脱線したwこっちはこっちで『五穀豊穣の粟国』でも『紛争の元となる阿波国』でも当てはまるけど…

人魚がいない(・ω・ = ・ω・)

千葉の方はどうだろう?

安房(あわ)の国 房総半島が「阿波」

八百比丘と身払きの道祖神

この地方の習慣で、庚申講の夜に肉を食べると神々の怒りにふれて、村が死に絶えると伝えられていた。姫が、肉を食べたと知れた時、村人は驚き、恐れおののいた。

そして、何とか神々の怒りにふれないようにと相談した結果、姫を尼にして、神々に詫(わ)びようと決めた。たとえ名主の娘であっても、村人の決めたことに反(そむ)くことは出来ない。姫は一人寂しく諸国巡礼(しょこくじゅんれい)の旅に出て、自らの罪を詫びたのであった。

やがて、若狭(わかさ)の国に住みつき、八百比丘尼(やおびくに)となって、世にも珍しく長生きしたそうだ。名主が、人魚の肉を捨てた藪を“身払きの道祖神”といい、今も小さな祠(ほこら)が建っている。

原話 匝瑳郡誌、房総の史実と伝説、房総の伝説

ほほう(´^p^`)これや多分『因果応報の教え』かな

父は『龍神(権力者)から頂いた』上に『永遠の若さの不老不死』とはいえ、「助けて・・」と懇願する人魚が可哀そうだし、食べるのは気持ち悪いという

『自分の心の決定』に従って食わなかった
多分、それが徳がある=欲や誘惑の対する『道徳心の試練』

しかしそれを聞いた娘は『欲に負けて不老不死』となるが…『食った物のDNAを取り込む人間』が『人魚(遺伝子変異株)』となり、『不老不死と永遠の若さ(無限増殖癌細胞)』を手に入れるも

その『人魚の力を欲する人間』に気づかれ狙われて捉えられて『食われる側』に回る業を背負う

以下、人間が『悔い(食い)改めなければ』その業は終わらない

例えその『永遠の美と命』を持ったとしても『欲望を持つ邪念に負ける人間』のそばにいる限り『永遠に安住の地』はない放浪の始まり

ま、こんな話で言えば『鶴の恩返し』もそうで『正体がバレたら』姿を消してしまう

そんな『色物・見世物・化け物になった自分』を受け入れてくれるのは『同じ化け物の類』か…あるいは「化け物だからなんだ?」という『気にもしない人間』のみ

と考えると『人魚、龍女が惹かれる男の人物像』が結構『絞られてくる』のが面白い

ま、その脱線はまた今度ゆっくり楽しむとして…

『千葉(安房)で人魚食って不老不死』になった後、『正体を隠して八百比丘尼』となって、放浪してたどり着いた地が『若狭国』

福井県に人魚伝説はあるのか?

八百比丘尼入定

全国津々浦々に点在する伝説の一つに【八百比丘尼】にまつわる話がある。人魚の肉を食べてしまったために不老不死となり、それ故に無常を感じて剃髪し、最後は800歳まで生きながらえたという伝説である(本当は“不老不死”なのだから死ぬのはおかしいのだが)。その伝説の最も有力な出処がこの小浜にある。彼女はこの小浜にあった高橋長者の娘であり、16歳の時、長者がとある知り合いの宴会でもらった人魚の肉(一説には九穴の鮑)をこっそり食べてしまったのが伝説の始まりである。

なるほど(´・ω・`)千葉の話と『展開は同じ』で確かに『具体的』ではあるが…ポイントは『泡』となって消える=『人間の元から姿を消してこそ人魚伝説』

そう言う意味ではここも最後は『洞窟に入って終わり』となっているが、実はその洞窟は『反対に抜けていて』…という

『間抜け』な話があり、『不老不死ならばまた違う所に旅立てる』訳だが、しかし、ここでひとつ疑問なのが『寿命800年』というキーワードが始まっている

おやおやおや?
…やおやおやお?

千葉の房総の人魚の肉を食べた娘の名は『八百姫』
『名前が寿命』か?『八百万の神』を指すのか?

それとも大陸を超えてきた『ヤオ族』を指しているのか?

ヤオ族の多くは、槃瓠(ばんこ)という龍犬が敵の王を討ち取る手柄を立て、漢族の王女と夫婦になり、その間に生まれた6男6女がヤオ族の12姓の始祖となったとする「槃瓠神話」を有する。槃瓠神話は『後漢書南蛮伝』に同型の記載があり、『過山榜』『評皇券牒』という山地民の権利文書によって伝わっている[1]。この伝承が史記に取り入れられ、後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。

ちなみにこの若狭は『旧越国』であり、『女王統治で栄える国』があるのも『偶然』だろうかね?

そして対岸にある『佐渡ヶ島』にも『八百比丘尼の伝説』があるのだけど、この時『1000歳の寿命』だけど、長生きして一緒に生きて欲しい男性に『200年の寿命を分け与えて800歳』という話があるんだ

福井の『小浜』にも、新潟の『人魚塚伝説之碑』も『日本海側』に・・ならばこの辺が『人魚の回遊ルート』(笑)

『千葉のヤオ姫』が名前から『八百比丘尼』を名乗ったのか、『佐渡ヶ島』で寿命を分け与えて『八百比丘尼』になったのか

その後、越国を統治して意中の『普通の人間の男性を200年間紐』にした浦島太郎か(そりゃ反乱起きるわw)

あるいはこの『800年』というのが『地球の周期=ガイア理論』に起因するのか?…と800、『八百』ばかり今まで注目してきた私の意識は、ふと『比丘尼』に向いた

これが大きな『意識の拡大』があったからだと思う

法華経における釈迦に教えを受けたのは『比丘』

私は『比丘=ビク』という音の響きは『怯えを感じる』と読みといた。何をそんなにビクビク『不安』で恐れている?と

如来は如来を生み比丘はビクビク比丘を産む

そりゃ、『八尾比丘尼の気持ち』になったらわかる
『正体』が人間にばれたら積み上げてきた信頼が『泡=ルーツと消え』

自分を見る人の目が『色物・化物・見世物と好機の欲望に染まる』から、一度バレると『存在が人の意識から消えるまで』姿を隠さないといけないから

それを『永遠に続ける業』『自業自得』で背負ったから、その因果を断ち切るために必要なのは

人の意識を変える事
地位や名誉、金や欲望に呑まれないように

人の『霊的精神性を高める』ために、『人の為に尽くすという罪滅ぼし』として、人の世にあってはいけない『不老不死を求める間違い』の考え方を正す為

不老不死である自分という存在を『自然に戻す』ため、『自分の為に生きる事が人の間違いを正す為』になる

なんだかサザンアイズみたいだなw

フリー画像素材サイトがなんか怖いから始まる3×3EYESへの導き

だから『因幡の白兎伝説も法華経』なんだ

『化けの皮を剥がれた兎』を可哀そうにと気遣った欲のない『オオクニヌシ』に惹かれる。それは『自然』の事なんだ。『自然=八百万の神がオオクニヌシ』を選んだんだ

ま、『時系列的に』・・という考え方はもはや無意味で、『永遠の命』を持つならば、800年、1000年周期で現れる

鶴は千年、亀は万年
天の女神の後光の擦り切れ(三千年)

千代に八千代に(千年・八千年)

・・とここで一旦途切れたので白龍=吐く流( ´ー`)y-~~補充

意識の旅が切り替わる

十和田湖の南祖坊と龍女の話へ
人魚姫=人に姿を変える、その地が田沢湖

『湖から上がる所』に面した鳥居がある
その奥には『姿見に適した鏡岩』がある

これは参拝者向けではない『人が通れない道』

そして少し離れた十和田湖に『南からきた法力に長けた坊さん』が現れ
『龍女は誘惑』するも坊さんは相手にしない

その坊さんは弥勒降誕の地を探してこの地に来たという
龍女は問う、それはいつ頃?と

坊さんはいう、知らんと
龍女は問う、死んでしまいますよ?と

坊さんはいう、それならそれで仕方ないと
龍女は問う 私と一緒になって共に永遠の命を得て待ちませんか?と

坊さんはいう、それはいい、永遠の命があれば弥勒を待てると

これ・・『比喩』ですよね?

八尾比丘尼=人魚=龍女=永遠の命=自然=八百万の神
仏法に帰依する『衆生が救われる弥勒の世』を待つ坊さんは『自然』を求める

人の心が自然とひとつになる

その前に『八郎太郎という大蛇』を『九頭龍』を召喚して7日7晩『33昼夜』の激闘の末に、そして『青龍』となってその地に鎮座する

これ、『33と8』は仏教の重要なキーワードだけど、法華経からすれば『仏教の間違いを正す役目』もある

この『九頭龍』というのも重要なキーワードで釈迦の教えの『久須志の流れ=薬師の流れ=自然信仰』でもある

また『8』を『9』が淘汰するというのは、『8次元に囚われた意識の世界』『9次元の意識が流れを変える』という意味でも『量子の世界を的確にとらえた法華経』でもあるし

この風土における雨が降るたびに『濁流で川が氾濫する』という地形の問題を、『鉄砲水』の勢いで『崩し=久須志』、穏やかな『奥入瀬渓流』が生まれた地形変化においても

結果論として『水の流れを清流にする青龍として鎮座する』という表現の『抒情詩』でもある

十和田湖は『湧き水で常に浄化』されている。まさに『清いエネルギーが常にそこに穏やかな凪』を作っている

その『環境的自然』に『人の在り方の自然を求める者達』が集まってくる
そこには『龍=流が住む=水が澄む』

『八百万の神』とひとつになった『法華経の龍』が根付き、麓へ流れ、高きから低きへと『水の流れ』が広まる

ま、これもひとつの流れ=弥勒を追って龍になった物語

水を得た魚

自分に合った環境や、自分の得意な状況などになって、生き生きとしているさま、よく活躍している様子、などを形容する表現

水=龍、魚=真魚=空海の幼名

度重なる旅重なる果てに『自然を追い求めた同士』が出逢う

「何をそんなに比丘比丘している?もっと自由にやりたい事やればいいだろ?」

そんな『如来』に惹かれた『比丘』の物語

ここまでは私が『白龍の導き』のように何も考えずに、淡々と『八尾比丘尼の気持ち』になって書いた『地元伝承』を元にした『縁の巡りの数珠つなぎな話』だけど

面白い考察を見つけた

真言宗豊山派 おてらブログ

十和田山青龍大権現とは何者ぞ

清瀧権現は善如(女)龍王(ぜんにょりゅうおう)ともいいます。弘法大師空海の師でかつての唐の皇帝に篤く信頼されていた恵果(けいか)という阿闍梨(あじゃり)がいらっしゃいます。

恵果阿闍梨は長安の青龍寺の方ですがこの青龍寺の名は青龍権現(清瀧権現)に由来します。
「清瀧権現」は当初「青龍権現」であり「氵」(さんずい)はついておりません。

恵果阿闍梨は青龍を勧請して鎮守としたことに由来しお寺の名が青龍寺になったとされます。青龍に「氵」がつくのは弘法大師空海が唐に渡って日本に戻って以後の話です。

細かなエピソードを紹介すると相当なボリュームになるので割愛しますが、海波をしのいで日本へ来たことを顕して青龍に「氵」をつけ清瀧と改めたとされます。

弘法大師空海は天長年間に請雨法(しょううぼう)という“雨乞い”の修法(しゅほう)を行い、その際に善如龍王(清瀧権現)が現れたとの伝承があります。

その場所が神泉苑(しんせんえん・しんぜんえん)です。

神泉苑の名は現在も十和田湖の聖地の呼び名として使われております。

なるほど、流れが繋がった

南から来た南祖坊は『空海』
龍女とは『善如龍王』

この長安を調べると面白い事がわかる

恵果(えか/けいか)は、中国唐代の密教僧で日本の空海の師。俗姓は馬氏。長安の東にある昭応県(現在の臨潼区)の出身。真言八祖の第七祖。真言八祖像として描かれる際は、童子を従えた姿に描かれることになっている

長安青龍寺に住して東アジアの様々な地域から集まった弟子に法を授けた。また、不空に七歳のときその才覚を見出された恵果は育てられ、十五歳のときには霊能力を得るに至る。その噂を聞いた時の皇帝代宗は恵果を宮中に呼び、疑滞あり願わくはそれを解くようにと命じた。恵果は六歳の童子に大自在天を降ろすと、童子は皇帝の過去現在未来を答えた。驚嘆した皇帝は恵果に帰依し寄進をした。これにより、代宗・徳宗・順宗と3代にわたり皇帝に師と仰がれた。

空海の才能と気概を知ることとなっていた般若から話を聞いていた恵果は、すぐさま空海が自らの正嫡に価する法器であることを見抜き、翌日に胎蔵界の「受明灌頂」を授け、7月上旬に金剛界の「受明灌頂」を授け、8月10日には阿闍梨位に上る「伝法灌頂」を行った。そして、恵果は宮中の絵師たちに、両界曼荼羅図や密法具の製作を命じ、不空から授かったものや自分の付嘱物を空海に与え、「この法をすぐに日本に持ち帰りそれを弘めなさい、それが私への報恩になる」と諭した

その後すぐの12月15日、恵果は自坊の東塔院で没した。空海に、ぎりぎりのところで恵果のすべてを授けることができたのであった。翌年正月16日、遺骸は場外の龍原にある不空の塔の側に埋葬され、弟子を代表して空海がその碑文「大唐神都青龍寺故三朝国師灌頂阿闍梨恵果和尚之碑」を撰した。

空海は師の埋葬を見届け、手配していた曼荼羅ほかの品々も全てできあがった2月中旬から下旬には長安を発った。

転生・・空海の後を追った、空海の守護霊となったと考えるととても浪漫である

さらに長安には『鮫人』という『人魚伝説のモデル』があった

《太平広記》には、”海人魚は東海にあり、大きいもので五、六尺あり形状は人のようで眉目、口鼻、手爪は皆美しい女性の物であったが足は無かった。皮膚は玉のように白く、鱗はなく細い毛があり五彩で軟らかく長さは一、二寸であった。髪は馬の尾のようで五、六尺の長さがあった。”とあります。

中国の初期の鮫人伝説は、魏晋時代に多く生まれて詳細に記述されるようになりました。曹操の息子の曹植や左思、張華の詩文中には鮫人が出てきています。伝説中の鮫人は神秘的な生活を送っていました。

東海・・呼称問題における『日本海』である

日本海

そうまさに、日本海側に八尾比丘尼の足跡と人魚伝説が広がる地であり、日本だけでなく中国側にもその伝説は繋がる

つまり、南祖坊が最後の地として目指した入滅の場所として決めた場所に、空海を気に入った恵果(えか/けいか)は善如龍王として顕現し、共に自然としてひとつになった

こう考えると『空海という謎の人物像』とその『知恵のルーツ』、そして生き様が『十和田湖で完結』する

永久に一つに湖の底で龍が眠る
なんて壮大な海を越えた物語だろう

そして、私が『八代龍神』の導きから夢で受け取った『空海の筆』を自覚してから書き連ねているこの物語が、白龍の軌跡とするなら・・

法華経との縁 空海の筆と八代龍神の夢

まさに弥勒の世、末法の『何も点と点が繋がっていない時代』だからこそ、『線』が繋がって『壮大な幕引き』に繋がっていくような気がする大きな流れ

善如龍王・・八大竜王の一尊、沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)[1]の三女らしい

・・あれ?そうなると・・(-ω-;)ウーン

俺はいつも、八代龍神と白龍龍神が並んでいる祠をどっちかっていうと白龍が上?と思って拝んでたけど・・

八代龍神

白龍

白竜は特に空を飛ぶ速度が速く、これに乗っていれば他の竜に追いつかれないともいう。ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいることもある

ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいる・・その『若気の至り的な遊び心』は娘か?娘なのかw

でも、そうか、そうなると、岩手の大滝沢神社に行った時にとてつもない『豪雨』が降ったけど、それを地元の神社に連れ帰った時

『奇跡の虹』(1時間くらい消えない)を見上げたもんな(法華経の伝承者の真砂姫の意志)を連れ帰ったのかな・・

安倍原典 アヴェスター 三蔵法師はマリアかな??

虹 アーチ

1時間以上消えない虹 テクノロジーか自然の力か

そうなるとだ・・その地にも空海の梵字、それも『赤字で掘られている石碑』があった訳で、やっぱり『空海』もしくはその教えを継ぐ法華経の軌跡を辿った事になる

「赤」は仏陀の血液 仏教における「赤」は仏陀の血液の色です。 あらゆる人を救済し、慈悲心がたえまない精進(しょうじん)を表しています

湯殿山

しかも今日の十和田の話なんて、地元にしてみれば、なんちゃっての眉唾ファンタジーとしてしか伝わっていないのに、ちゃんとした真言宗などの仏門ではより詳しい内容で説明されてたし・・

意識は『主観』と『客観』で見え方や捉え方が変わってくるという事か

空海と龍女が出逢うまで

不老不死の八尾比丘尼が『永遠に人から姿を隠さないといけない理由と業の回収』の為に『人々が不老不死を求めないように精神を成長させる目的』

一方で『真理の探究』の先に『自然、弥勒の降誕を求めた空海』『かつての師と再び巡り合う運命』

出逢うべくして出逢って一つに『あわ』せる事で『業の回収』がされた『永遠』の地、『自由』の『和』の『水の海』=十和田

私が行った時は最高のロケーションだった

そりゃ善如龍王で沙掲羅龍王の娘だわ

娑伽羅(サーガラ、しゃがら – सागर Sāgara)
訳:大海。龍宮の王。大海龍王。「沙掲羅」、「沙羯羅」などとも漢語に音訳された。法華経・提婆達多品に登場する八歳の龍女はこの龍王の第三王女で「善女(如)龍王」と呼ばれた。空海が新しく名付けることとなった清瀧権現も唐からついて来たこの娑伽羅龍王の同じ娘の事である。

なんて壮大なサーガ((長編の)英雄物語,冒険譚,大河小説)

二大主人公の長編RPG(役割)を楽しませてもらいました(。-人-。)有難い、また感謝に行かなければwそうなると『能登の織姫』もまた・・『八尾比丘尼の一時の仮の姿』なんだろうね

日本海には何かある・・けど、それを奪い合いしちゃダメって事だね

能登の音 CCSとマイクロバブルと原爆の威力(仮説)

能登の音2 まるで出雲の国譲り 輪島包囲網 メガソーラーの侵略

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