また夢を見て帰る事で持ち帰って新たな産土。明土の土産は、ミカエル→見帰る→三省→三省六部→三竦→サンスクリット語。胡国→唐→三つのスクナ目の役目と気づくお話
夢のあらすじ
気がついたらデスクでウトウトしていて、このまま寝れば変性意識で明晰夢に入れそう( ¯꒳¯ )ᐝと思っていたら
引き出しが急に腹にドーン!とぶつかって来て、Σ(゚д゚;)うわなんだ?!と思ったら、机の上のパソコンが…え?横倒し…?倒れて?
そのまま目線を横に行くとサイドボードも倒れて、その倒れた先にブラウン管のTVと飛び散った鉢植えの土が…
それで緊張感が走ると現実味を帯びて、意識がはっきりして窓から外を見ると、建物が大きくゆっくりと横揺れをし始めた
あ、地震で倒れたのか!Σ(゚д゚;)でかいぞこれ!!
と、目が覚めてから気づいた
私の部屋はそもそも
①机の上にパソコンを置いてない
②サイドボードもない
③サイドボードにブラウン管のTVもない
④サイドボードに鉢植えもない
⑤つーか、あんなに部屋は広くない
並行世界の私の家のひとつは裕福なんかな(´-`)oOとはいえあのゆったり大きく波打つ地震では…
と、『終わった並行世界世界』の『自分の意識が合流』した感じを経ての寝起き閃
また見て帰ったミカエル
完全に違う世界の私の部屋は、『今』という瞬間に『地震が来たらどう行動したか?』をシミュレーションした事になる
そして目が覚めてそれは『実際には起きてない』から『夢で良かった』と思いつつ、その無防備故の『無警戒さにちょっと戒め』をかけつつちゃんと寝直した
そしたら、またミカエルの夢のように、あっちとこっちを『見て帰る役目』かな?と思ったら(´-`)oO
今回は、『三省』ではっきり認識した
三省六部
三省とは、唐の政治の中枢で皇帝に直属する三機関。中書省・門下省・尚書省をいう。国家の最高意志である皇帝の詔勅は、中書省で起案され、門下省が審議した上で決定され、尚書省で執行されるという形をとり、起案→審議→執行を分離して貴族合議制をとることによって皇帝権力の独走を抑えるしくみになっていた。唐制では審議機関である門下省が設けられたことが重要で、貴族による皇帝独裁のチェック機構として意味をもったが、宋以降の王朝では次第に機能しなくなる。
南北朝までは皇帝(天子)の意志を拘束する制度は無かったが、唐では皇帝の意志決定と実行のプロセスにおいて合議制の要素を取り入れ、皇帝が独断で決定・実行できなくするとともに、責任を集中させることを防いだ。唐の制度では中央政府に三省がありその長官として宰相を置き、中書省では皇帝の政策の決定に与り、それを実行するのが尚書省であった。最も大きな特色がこの中間に門下省があることで、そこで中書の決定した政策を審議する役とされた。
リクブ、とよむ。三省の一つの尚書省の管轄下にある六つの行政機関。吏部・戸部・礼部・兵部・刑部・工部の六部門からなる。この分担は隋代にほぼできあがった。それぞれの長官を○部尚書とい。六部の体制はその後も中国の中央行政機関として維持されるが、元代には中書省の管轄に移され、明代に六部は皇帝直属となり、清にも継承される。
ふむ( ・・ )やはり私に宿る魂は『和唐』なんだな
『元・明・中』という、漢字に強く惹かれるのも、それを知らずして、かなりの頻度で使ってる
本来という本意を嫌い『元来』という曖昧や不安定を嫌い『明確』を求める
極端に偏った二元性の『中間』を求める
自分自身の生き様に関しては『人に関わらない限り適当』だが、『間違い』と明確に分かってる事に『なぁなぁと迎合する事を嫌う』
これが『元来、根幹に軸としてある』から、今の本来・本意・本当・本質という『偏った台本を鵜呑みにする世界』にとっては『面倒臭い奴として不適合である』とわかる(笑)
だから『距離』をとって『俯瞰で見れる目』を得たのだろう
もうひとつ、私は三省六部と聞いて即座に『三面六臂(さんめんろっぴ)』の構図が浮かんだ
仏像が、三つの顔と六つの腕とを一身に備えた形をしていること。転じて、ひとりで数人分もの働きがあること。
『偶像崇拝』とはまさに『失われた影を追う』ようだ
私は『3つの確たる力』を『三省』と起き、その中間構造に『六部』という『役割の違う相互監視機関という組織の構図』と観る
故に『何処かが裏切る』と、簡単なチェック機能が働かなくなり、『四角に囲まれた都合のいい皇帝の力』というズレが生じてしまう
過去の閃で遺した私はこれを『図』にしていたんだ
『六部門』の何処かが『裏切った邪』になったと考えた時、『歴史が動いてる』事に気づく
六部の分担
吏部 リブ。官吏の選任事務を管轄する。現代の日本で言えば、人事院。当初は科挙も担当していたが、736年に科挙(公務員資格試験)は教育部門を担当する礼部に移り、吏部は科挙合格者などを対象に官吏採用試験である吏部試を実施し実際の採用事務を行った。
戸部 コブ。戸籍及び財政事務を管轄する。現代日本の財務省兼総務省か。
礼部 レイブ。礼制、祭祀に関する事務を司る。官吏登用の前提の資格試験である科挙は当初吏部の担当であったが、736年からはこの礼部の管轄となった。教育部門も管轄したのでいわば現代の日本で言えば文部科学省が近い。
兵部 ヘイブ。軍事を担当し、全国の折衝府を管轄した。さしずめ防衛庁。
刑部 ケイブ。裁判(司法)を担当した。法務省と裁判所。
工部 コウブ。土木を管轄した。国土交通省。
お分かりだろうか?
736年以降、人事と教育がねじ曲げられた
都合のいい人事
都合のいい教育
科挙とは
身分や家柄に関係なく、優秀な人材を集めることが可能となったのです。 科挙は 貴族による高級官職の独占を防止する という目的。また彼ら を使って独裁権力をふるい、 豪族や貴族の台頭をおさえるための制度
皇帝の権力の暴走を止める為の機関として三省六部の均衡があったにも関わらず、科挙=頭が切れる者が、礼部に集まった事で、逆に祭祀=神託における預言者もまた、皇帝に都合のいい預言を言わせるようにもなってしまう訳だ
中書省
門下省
尚書省
この三省は
中身の『根幹を起案する役目』と
その『規律に従う役目』と
尚、と『注意を払う部門を管理する役目』
『日本語で簡単に役割が説明』出来てしまうほど、『日本語と唐代に伝わった知恵』は『相似』している
それが自然の安定のバランス
阿修羅=三面六臂=三女神信仰=正三角形
60度×3=666の安定の真ん中の皇帝(中心)
その中にそれぞれの『チェック機関』…という『六の立場』…これがまた『四角の邪』なんよな〜と
6は『3が二つ』になる
つまりは『皇帝が2つ』に分かれる
また『南北朝時代』へ逆戻りか?
また『南北戦争』やってんのか?
ほんと『六部門』はろくでもねえ蛇足┐(´д`)┌
という感覚のミカエル(三省)の中書省は、また違う起案を出してきた
三のスクナの目
天と地ならば『人の目』を
善と悪なら『中の目』を
北と南なら『唐の目』を
少目(スクナメ)
省く(ハブ)
スクナの教えとは『自然との調和・中継』(hub)
つまり『バランスをとる事』に『相似』している
アイヌ信仰の地では『少彦名命(スクナヒコ)』を祀る神社があるように、『スクナ』が先か『アイヌ』が先か、いずれも『自然信仰』であり
私はかつての『アイヌの人と接した夢』も見ている。(その時も、戻れば全て元通り=覚えてないとミカエルの特徴を記録してた)
『喧嘩両成敗』、あるいは『友達の輪を繋ぐ』
『流れを循環』させるという『3つ目役割』で
三竦(すく)み
交々牽制するをいふ。蛙は蛇を畏れ、蛇は蛞蝓を畏れ、蛞蝓は蛙を畏れて相すくむ喩。三つのものが互に相制しあつて手を出さぬこと。
HAHAHA( ̄▽ ̄)面白い
この説明に決定的に足りてないのが『中心』
『三竦』と書いて『三つ立つ束』
『三つを束ねる』のは?=『中心=皇帝』
『三つが睨み』を効かせるのが→『皇帝』
ここにも『スク』という言葉が入っているように
スクナ=少・宿儺→宿禰(すくね)
スクの『名』を持つ存在
『久須志→薬師=自然の教え・生薬を活かす』にも繋がってくるが、もうひとつ言葉の響は繋がりを示した
サンスクとサンスクリット
インド・ヨーロッパ語族のインド語派に属する言語で死語。 日本では梵語ともいう。 サンスクリットは〈完成された(言語)〉という意味。 アベスター語および古代ペルシアの楔形(くさびがた)文字で記された言語に,語彙(ごい)・音韻・文法が似ている。
空海が『滅びゆく唐』から継承してきた梵語。サンスクリット語は『完成された言語』というらしい。しかもアベスター語といわれると、それもまた不思議な繋がりで・・
古代ペルシア=『胡国』、そこから『唐文化』、そして唐から伝来した『唐胡麻』や『胡麻犬』など『漢字』で由来が分かるように…
『三竦立都(戸)・サンスクリット』
三つの立場を束ねて立つ戸
『門戸を開く』などの言葉があるように門戸とは『一家、一派』と読み解くと
『三つの言語』を『束ねて立つ一派』
『カタカナ・ひらがな・漢字』を使いこなす
『日本語=サンスクリット語』ではないのか?
と、思う理由は胡国由来の唐由来の文化が『日本にはとても多い』し、何よりも『自然に意味が分かる』
夷=胡=エビス
北の天皇、自然を大事に
南の天皇、領土侵略
これが日本における『南北戦争』ならば、それぞれの『皇帝』に着いた『三省六部』が『おのおのの皇帝の為に動いた』だろうけど、その門戸を開いた結果、やっぱりその『地域の言語や風習』で『性格(正確)の違い』ははっきり出る
言葉って面白い
ちなみに、今日なぜか突然お勧めに出てきたのがアイヌ語の歌。『すく・抄く・久須』など言ってたからかわからないが、アイヌ語の歌にも『スク』が頻繁に出てくる事に気づいた
それだけでなく、歌のイントネーションが、ベースが『サンスクリット(パーリ語)』系、所々に『津軽弁』っぽい訛り
『スクナ』と『サンスクリット』の繋がりを感じる
三竦も元は本草綱目(=中国から日本へ伝わった薬学の本)という薬師の知恵の中で例えられていて、中国で“蟲”というカテゴリーにまとめられていた生き物の三種を組み合わせた、それぞれを男・女・胎児になぞらえた陰陽五行の相生相克理論とも言われてるらしい
相生相克理論
陰陽五行説における五行相克 (相勝) のこと。 五行 (木・火・土・金・水) の循環の仕方に,相生と相克がある。 木は火を生じ,火は土を生じ,土は金を生じ,金は水を生じ,水は木を生じるとするのが相生。 水は火に剋 (か) ち,火は金に剋ち,金は木に剋ち,木は土に剋ち,土は水に剋つとするのが相克である。
(´・ω・`)そう来たら納悳は出来ねえな Σ(゚д゚;)
相克=『物理の力関係』はわからないでもないが
相生=『起因・物事の始まりの循環』にやはり無理がある
『金が水を産む』のなら、『金塊が大量にあれば水に困らない』では無いか?『水を物質的な成分』として捉えるならば、『海水は元は金塊』か?
だから『水』とは『物質』ではなく『流れという精神性』のものであり、『水が地を流れ木を育む流れ』ならば、天を巡る『風』が無ければ成り立たない
『風』をどこに隠した?『邪な金』よ?風に『禁の菌』を混ぜて『風邪』にするなよ?
故に、『相生=相対する生き様』の違い、『波動・波長』が合うかどうか?の『調和のバランス』もまた『三竦』
言葉の『硬さ』と『柔らかさ』
言葉に『棘』があるとは『冷たく硬く尖ってる』
優しい言葉とは『暖かく柔らかく丸い』
『角が立つ物言い』もあれば
『丸く収まる物言い』もある
その発信源が『皇帝=我儘』だったら『三省の役目』はその『意図を汲み取り実行』する
中書きが起案して『台本』を書き、そのを門下が脚本に沿って舞台で演じて、尚書きの注意が脚色して…
これが古語で言われる
「吾日に吾が身を三省す。 人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと」から》毎日三度反省すること。 1日に何度も自分の言行をふりかえってみて、過失のないようにすること。
大天使ミカエル
『大=一人』に『天=二人』の『使=人の役人(吏)』=『三省』→『三竦』
立場的に『私は一人』
二人の人の役人が『産土大神』と『土地神』
『素直な心』とそれを実行出来る『環境(器)』
『現実の体験』をフィードバック(起案の中書省)
それを『夢環境(土地神)』で体験(産土大神)→執行の門下省
『夢の記憶と体験』を振り返り分析する→尚書省
『三つの省(スクナメ)』を持ってそれぞれ『三竦で役目が循環』する
『三つの言語表現』を用いて『体験を言語化』する=三竦語→サンスクリット語→日本語で読み解くと…
不思議な事に
今までさんざん書きなぐってきた、『唐文化』に関わるあらゆる知識に導かれて気づいてきた夢から『自らのルーツを辿る旅』という行いが『名と体』になっていた
ミカエルは『見帰る役目』
『世』を見て『三省に帰る』から『三省』は『世を見て変える』
そして三竦で言えば『三蛙』
『鳥獣戯画』には『蛙』が出てくる
蛙の鳴き声は『ケロ』
現場仕事を『ロケ』という蛙が泣いたら『帰ろ(け〜ろ)』
達成して感動すれば記憶を忘れる(ケロッと忘れる)
蛙は『両生類』
私は『水陸両用車』を所有(夢の中)
いや〜『語源と音源』とその教え方って『韻』を踏んだ『駄洒落』が多い、フリースタイルはやっぱり古いスタイル
西洋の宗教ではミカエルは『大天使』
でも『大天使という偶像』は漢字で読み解けば、『夢現の間を繋ぐ役目の人』
あ、そうか
夢と現実もまた『二元性の分離』だから、それを『人』として繋ぐ!(๑•̀ㅂ•́)و✧と決めたのも『三省の中書省(起案)』の役目か
『夢』に始まり『夢』に終わる
私の意識は『夢よりの使者』か
ちなみにこの記事を書いてる時に、『iPhoneが挙動がおかしくなった』ので、『検閲』がかかったのかもね。前にもIPHONEは勝手にメモ帳データを破棄しておいて、理由は聞かないほうがいいよ?と脅してきたからね(冗談といいながらデータは復旧しないまま・・)
特に科挙=『能力の高い官僚を特定の部署』に集めて何かを計画するとか当たりが、『邪な支配構図』と相似する
『中間管理職』ほど、『甘い誘惑で金に屯する=勘が鈍い奴』だったり、『ハニトラ』にかかって『邪に操られたり』と『崩されやすい』からね
『中韓官吏』職(売国奴)ほどね(音の響って正直)
という事は、日本の文化や教育、祭事を破壊して破戒したのは?(自分で考えよう)
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