正直、夢なのか体験記憶なのか分からないし、なんなら現実もそうなんじゃ…と考えてしまう『戻れば全て元通り』と迎えが来る夢
夢のあらすじ
これからそれぞれの行きたい所に行って貰いますが、迎えに行くので安心して下さいね(*^o^*) (*´∀`)(´∇`)ハーイ
みたいな始まりだった所から
気がつくと私ともう1人は言語の通じない、どこかの島の、どこかの集落付近にいて
え?え?(´・ω・`)( ˙꒳˙ )
ここで…何をどうすんの?ちょ、周り何もないんだけど…?と二人以外誰もいない状況に、もう1人がパニックになり泣いていた。すると、それに気づいた言語が通じない集落の人達(身なりも種族も違う印象)が寄ってきて、私たちの頭を撫でていた
どうやら私たちは『子供』だったようだ
それから村の人に手厚く保護…はされず、村の近くに見よう見まねで掘っ建て小屋のような住処を作り、見よう見まねで食べれる食材や道具の使い方を生きる為に必死に観察して真似して学んだ
その集落の人の言語は相変わらず理解が出来ない為、何かお裾分けがある時も、『お供え物』のように家の前に置かれるようになった
それからとても『長い月日』が立ったのだろう
掘っ建て小屋だった場所、つまり私達が『最初に作った住処』はボロボロになっていて周りの集落の人影もなかった。一体どれだけの時間がたったか分からない灰色の景色の暗闇のある日、そのボロボロになった掘っ建て小屋に光が灯る
『待ち望んでいた何かが来た!』という高揚感を感じた。そこから現れた存在は再会に泣きながらこういった
「待たせてごめん、必ず迎えに行くって行ったでしょ」
私ともう1人はその迎えについて帰る光の中でこんな話を聞いた
「今までの体験は全部無かった事になって元通りだからね」
元の出発前の世界に戻ると家の前でクラスメート達がワイワイと出迎えて、体験の話を聞きたがっていた
言葉が通じないけど優しい村人達を真似して学んできた体験は、まるで『仮想ゲームのように無くなった』けれど、その中で『生きるとはどういう事か?』を『自分で考えて実践』して『納得した知恵』は『そのまま身についていた感覚』があった
『記憶』は消えてなかった
という夢
( ゚ ρ ゚ )ボー Σ(゚д゚;)
起きてからしばらくして、何となく感じた
追放されたアダムとイヴの始まり?
追放されたカインとイヴの始まり?
もう1人は『女性』だった気がする
『俺が護らなければ』という感覚があった
村人は家にいた連れの子を『面倒』を見てくれた
私は『男衆』から『生きる知恵』を『見よう見まねの実践』で学んだ
学んだ事を連れの元で語って聞かせ『元気』を与えた。そのうち連れも『女衆』から見よう見まねで真似して学んで、なんなら『コミュニケーション』を覚えて聞かせてくれていた
私が『狩猟』や『建築の環境』を学んで実践し
連れが『農耕や縫い物』など『身の回り』を学んで実践し
その辺は『断片的な記憶のシーン』しか思い出せなくて、でもその根幹には、見よう見まねで『迎えが来るまで生きる事』…というより『死ぬという時間の感覚』がなかった
今で言えば葬送のフリーレンの『エルフの寿命』のように、、似たような小さいの(子供)が、そのうち大きく(大人)なってを『繰り返すのを見る』みたいな感覚
そもそも言葉が理解出来ないから、敵対の意図はなく付かず離れず『観察して真似する』だけ。人間を出世魚のサイズで油ののりを判断するように『相容れない一定の距離感』を感じてた
だからこそ、『連れ』だけがこの世界は『俺たちの世界じゃない』と共有できる『唯一無二の理解者』として『意識の帰巣点』だった
そして気がつけば真っ暗で、ただそこに動かずにいるだけになり、周りにその言葉の通じない種族が居なくなっていた
まるで『祀られてる』ように
そんな感じ
それで思ったんよね…
なんで『このタイミング』でそんな夢?
昨日、カタカムナ63首を額につけで寝た結果、『金縛りによって全力でそれを阻止される』という謎体験をした
その結果、まだ63首に行くには早い(現実での気づきが足りない)のでは?と、今回はカタカムナは使わず、何もしないでそのまま眠りについた結果、金縛りもなく今回の『追体験』の夢
という事はカムイ=仏力、『アイヌに関する観点に意志氣が巡った事』によるものだろうか
アイヌの民と出会い
アイヌをみて真似て生き
アイヌは去っていった
という『アイヌ体験VR』な課外授業?的に『意識が元に戻る』と全ては『出発前』に元通り
君は『何』を見てきたの?
君の『体験を皆にシェア』して?
そんな『子供の課外授業』のような場所へ戻る
その時『大人なシビアな体験(生きるとは)』を『素直な子供の心』で受け止めるのだから
「言葉が通じればいいのにね、優しい人達にお礼も言えなかったのが残念だ」
『有難う』を伝えたくて『もう一度世界を再構築』する
そんな『無邪気な創造主』として次は『言葉の壁がない世界』という発想が生まれた
こんな感じで、世界創造の根幹から覆して行く発想はやはり『悪意なき子供の純粋さ』が必要なんだと思う。そしてその純粋な答えが出た瞬間に『涙』が出たんだけど・・
なら『この現実』もそうだろうと(迎えが来るまでの課外授業)
夢の中で一体『どれくらいの時間』が流れ、『どれほどの人と交流』しては、『一期一会』で助けられて、『体験して培われて来た記憶』も『忘れれば一瞬』の事
『永遠は一瞬』であり『今という一瞬が永遠』に等しい
夢も目を開けて『瞬き1回』でもすれば『内容』を忘れる
夢を『記憶』しておく為には目を閉じたまま
目を開く・『覚醒前』に『何を観測して体験』してきたか
その『一瞬』に『永遠からの学びの集約』をする
それが『夢日記』
どんなに『計り知れない体験』をしてきても、『紡ぎ出される情報』なんてそんなもの。だけどそれは、『読み直す本のタイトル』であり、読めば読むほど白紙に『体験記憶』が蘇る
かつて私はそれをしていた
していたという事は『身についている』
後は『思い出す』だけ
思い出す為の『取っ掛りを見つける』だけ
現実では宗教観の信仰ゼロなのに、無意識は『釈迦の教えや言葉』を『生き様として実践』していて、後からそれに気づく(体感が先で理論後付け)
『阿』という文字ひとつから、阿弥陀久慈のように、全ての旅が紡がれていくように、それは『思い出す旅の取っ掛かり』だったのだろう
突然女性と高麗への意識の旅が始まったり
水の女神に呼ばれて神社巡りの現実の旅したり
それが現実で『今求められている』から今という現実以外の所から『必要な体験記憶』を呼び出している。それが知識としては頭に記憶はないが、『知恵』として『身についてる事』を思い出す=『閃』
閃は『降って湧く』のではなく思い出すように『引き出す』
そして、『集合的無意識』とは、個々が持ち帰った『体験記憶のシェア』であり、どっかの誰かが体験した事で言ってたアレだな〜と、『未経験の事を体験』している時に、多くの意識がまるで連動しているように『同じ反応』を示す
『知らないはずの危機を未然に回避する』というのはまさにそれ
という訳で
また『霊験』なんだろうね
私は誰かが偉そうに、かつ得意げに講釈垂れている話しや歴史研究を耳にしても、それは『不確定要素(人間のエゴ・自己顕示欲)』があるし、そもそも『100%は存在しない』と思っている
『百聞は一見にしかず』というが聞くより見る=観る=『体験』する。つまり『96(%=確率)聞く』より残りの『量4(死・師・志)』を踏まえて、自ら子(体験)となり96=%から100=1(意識)と∞(無限)=1なる全へと『消化して昇華』する
だから…
96(苦労)4(志)ます(□)根(子の艮)
数字と文字と記号と漢字の羅(指針)列。これが私が夢の中で『言語が通じないけど優しい民族に感じた人達』の印象(色んな知恵が統合していた)
生活習慣は『自然と共にある質素な感じ』なのに『コミュニケーション能力』は異常に高い
前回読みといたアイヌ=少彦名信仰は、『少ない生き残り』だったけど、その元となるカムイ=の頃はもっと多かった
『神威の多那牟地』
そうかあれは『神代の古代』だったのか
最近は夢のクオリティがかなりはっきりしてきたのは・・ついに『神代文字』の本領発揮ゾーンにきたかな?
私たち『二人は異邦人』として関わった
別に驚きもしない、『遥か未来の人類と共にサルベージ』している夢も見ているから
ふと思った(´-`)oO俺達のせいか?
①追放された理由、性質、気質、それが徐々に世代をまたいで伝わり(向こうも見て学習)悪影響を与えて村が滅んだ?(自分たちだけは生き残った)
②私達二人が持つ『耐性がある疫病(体にある毒素)』に免疫がなかった為に『流行病』で滅んだ?
③地球の気候が変わる程の長い時間をその場で過ごした(迎えが来ると信じて)から、かつてそこに住んでいた『集落が移動した』(北海道から東北へみたいな)
ふむ(´・ω・`)縄文人?縄文人に『異邦人として接触してみたVR』?
からの『ソース』に戻り『集合的無意識のグループワーク』で『純真な心』で『大人の問題点』に向き合った後、『課外授業』は終わりで、各自また『それぞれのVR(現実)』にそれを活かしてみましょう
的な?(´・ω・`)Σ(゚д゚;)
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